月影
私は誰だったか。
それは何だったか。
今となってはどうでもいい。
人を傷つけ貶め、笑い者にした結果私は消える。
何であの子は笑っていて、助けてくれる人がいて……
ずるい。
ずるい、ずるい、ずるい、ずるい、ずるずるずるずる……
月が雲に隠れ、静かな暗闇が落ちるビルの屋上で、転落防止用の柵の上に座る少年は、口の中で飴玉を転がす。
「う~ん、嫉妬の味は刺激的な甘さだね。ちょっぴり酸っぱいのがまたいいよ」
両頬を押さえて目を瞑って頭を振った後に両手を上げて大きく伸びをする。
「さ~てと、どこかにいい獲物はいないかなあ」
少年が立ち上がると大きく目を見開く。
「趣味悪いなぁ。来るなら来るって言ってよ」
「あーしがさ。いちいちアポ取るとでも思ってんの?」
幼さが残る少女は銀色の髪をかき上げ、金色の瞳に少年を映してケタケタ笑う。
「それもそうか、君がこっちに来るなんて珍しいじゃないか。研究で忙しいんじゃないのかい?」
「まあそうなんだけどさ、それよりも気になるじゃんよ。あーしが作ったあの子の活躍がねぇ~親心ってやつぅ~」
再びケタケタ笑う少女に少年は呆れたようにため息をつく。
「ケルン、随分ご機嫌だけどここに来た本当の目的を教えてくれないかい?」
「ん~? アルプトラはなんでだと思うぅ~?」
唇が触れそうなほど顔を近付けケルンと呼ばれた少女がニタリと笑う。
「全く思い付かないから聞いてるんだけどなあ。ボクがケルンの考えてること分かるわけないでしょ?」
「ふふ~ん。そうでしょ、そうでしょ。あーしは天才ですからねぇ~」
歌い出しそうなほどご機嫌なケルンに笑みを見せ応えるアルプトラの唇にケルンの小さな指が触れる。
「ざんねぇ~ん。教えてあげませ~ん」
唇をグッと押してケタケタと笑うケルンを見て、僅かに眉をひそめた笑みを見せるアルプトラだが、その表情を見てケルンは指を差しながら目に涙を浮かべ笑い始める。
「もう怒んないでよぉ。仕方ないなぁ~、ちょっとおもしろそうな実験動物見つけたから試してみたいことあるんだよね。興味津々ってやつぅ?」
「それを僕に言いに来たってことは、僕の獲物と被ってるってことかな?」
「さぁ~どうでしょ? 知らない方がお互いドキドキがマシマシで楽しいってことでっ! そういうわけでぇ今日はおいとましちゃうねぇ~」
手をパタパタと振るケルンが光を放つと、ポンっと光が弾け消えてしまう。一瞬だけ放たれた光の分、闇は周囲に深く落ちる。
歯ぎしりの音を小さく響かせた口元をすぐに緩め、口角を上げたアルプトラが空を見上げると、雲に隠れていた月が顔を出し淡い光を地上に降り注ぎ始める。
「ちっ、光の魔女め……あいつが動き出すとは厄介だね。のんびりしてると人造天使だけじゃなくて本物が動き始めるかも」
月を軽く睨むとアルプトラは闇を纏い消える。
* * *
「くちゅん!」
「風邪ですか?」
コーヒーを運んできた桐が、くしゃみをした橘花に話し掛ける。
「んー、風邪とか引かないと思うんだけど」
「じゃあ、誰かが橘花さんの噂してるんですかね?」
「私の噂? そんなもの好きがいるかしら?」
書類をそろえながら答える橘花に、桐は自分の口を押さえながら考えるそぶりを見せた後、その指を橘花に向ける。
「昔のお友達とか? 親しい人とかですかね?」
「へぇ、私を探るとはなかなかいい度胸じゃない。桐もやるようになったじゃない」
橘花はニヤリと笑みを浮かべながら桐の運んで置いたコーヒーを手にする。対し桐も少し、いたずらっぽさを含んだ笑みを見せる。
「話したくない過去もあるんでしょうけど、話せる過去はちょっと知りたいかなぁって、もっと橘花さんのこと知りたいなって……駄目……ですか?」
お互い見つめ合い僅かな沈黙が過ぎた後、橘花がため息混じりに笑う。
「はあ、私の過去なんて面白いことないわよ」
「面白さじゃなくて、橘花さんのことが知りたいんです」
再び見つめ合う2人だが、沈黙が訪れる前に橘花が呆れたように笑うが、頬は少し赤く恥ずかしさが見て取れる。
「真っ直ぐ見られて、そんな風に言われ方すると恥ずかしいじゃないのよ。あーまあ今度ね、本当に昔のことだから思い出しとくから」
「やった」
「本当につまらない過去なんだけどな」
──私のことを考えるなんていつ以来だろ
小さく手を握って喜ぶ桐を見て、心と外で同時に呟く橘花が呆れながら嬉しそうに笑う。




