橘花
桐は薄暗い町を、重たい足を引きずるように歩いていく。
まるで自分の足じゃないみたいな違和感を抱きつつ、歩みを進める。
ドンッ
右肩に鈍い衝撃が加わり、後ろによろけひっくり返りそうになる。
「ってなーー! おい! どこ見て歩いてやがる!!」
怒鳴られ恐る恐る前を見ると、体格のいい男の人が睨み付けていた。その後ろに二人の男がこっちをニヤニヤとイヤらしい笑みで見ている。
「おい! 聞いてんのか!! いてぇって言ってんだろが、まずは謝れや!!」
桐は襟首を掴まれ大きな声で怒鳴らて、恐怖で震え、ガチガチと歯が鳴る口から必死で声を絞り出す。
「ご、ごめんなさい……」
「はあ? なに聞こえねぇって!!」
後ろにいた連れの男が怒鳴ってる男の肩に手を置きながらニヤニヤ笑う。
「まあ落ち着けって。なあ、この子けっこう可愛いじゃん。俺らに付き合ってもらおうよ」
「あぁん? あ、……ああ良いな。お前、俺らに付き合えよ」
桐の手を強く握り引っ張る。痛いが怖くて声も上げれず、無理に引っ張られ転けそうになる。倒れる体を男が引き寄せ抱きしめ、ニタニタ笑う。
「おぉ! なになに、積極的じゃん! あぁ、もしかしてそういう娘?」
「だなっ、こんな時間に制服着て、この辺歩いてるとか、期待してるとしか思えないね」
「なら話早えな。でも今回は金はなしな。慰謝料ってことで体で払ってもらうからな。言っとくけど俺たちを満足させんの大変だからな。覚悟しなよ!」
男達がゲラゲラと下品に笑う。男に無理矢理肩を引き寄せられたまば無理矢理歩かされる桐は、今日の出来事が走馬灯の様に頭の中を流れる。
──もうどうでもいいや、死んでしまいたい──
桐が自暴自棄から考えることを止め、意識を手放しかけた時、肩に掛かっていた男の手がビクッと大きく跳ねる。
「あいててててっ!」
男が桐の肩から手を離し後ろを振り向く。桐からは男の大きな背中で前がよく見えないが、女性の声が聞こえてくる。
「なにって、背中を摘まんだだけどそれが?」
「ふざけんなよ!」
男が屈んで拳を振り上げ、相手に向かったので視界が開け、前の様子が見える。ダークブラウンの髪が肩に掛かるセミロングの小柄な女性が体格のいい男を冷たい目で見上げている。
男がその女性に振り上げた拳をふり下ろした手を軽くいなすと、手首を捻り地面に男を転がす。
「てめえ!」
もう一人の男が殴りかかる。それを避けるわけでもなく手のひらで正面から受け止める。
その拳を握り引っ張ると同時に、男の足を掬うように蹴ると男が空中で一回転し、顔面から地面に叩きつけられる。
そのまま女性が素早く一歩踏み込むと、もう一人襲いかかろうとしていた男の腹に拳をめり込ませる。
男は口から唾液を垂らし静かに倒れる。その場でくるっと回ると左足を少し上げ、立ち上ろうとしていた最初に転がした男の頭に踵を落とし、地面に顔を沈める。
まさに一瞬、瞬きをする暇もなく、男三人が小柄な女性になす術もなく倒される。
「大丈夫? 女の子が一人で夜道を歩くのは止めた方がいいわよ」
女性はそれだけ言うと背を向け去ろうとする。桐は慌てて女性に手をのばしながら必死に声を掛ける。
「あ、あの!」
桐の声に歩みを止めた女性が振り向く。
「あ、ありがとうございます」
頭を下げる桐を見て女性が少し怪訝そうな顔をするが、すぐに冷たい目に戻る。
「私、男が女を襲うとか許せないわけ、だから攻撃した。
つまり私の勝手で動いた結果、あなたを助けたようになっただけで、お礼を言われる事はしてないの」
女性はなんでも無い事のように言って再び立ち去ろうとするが、桐は必死に引き留めてお礼を述べる。
「でも、それでも私は助かったから、そのお礼を言わ……言わせて下さい。ありがとうございます」
頭を何度も下げる桐を見た女性は、少しため息をつくと手を差し伸べる。
「まあ、このまま帰しても又襲われたら意味ないから家まで送ってあげる」
***
「こ、ここは?」
「ん? 私の住みか兼仕事場……の予定」
女性に連れられたのは桐の家ではなく、古めかしい二階建てのビル。
薄暗さも相まって不気味な雰囲気に少し怯えながら桐がついていくと、一階の事務所のような広間に通される。古めかしいソファーに座わるとコーヒーが出される。
暖かいコーヒーの湯気が苦味と共に漂い、鼻に与える刺激が自分を現実へと引き戻してくれるように感じる。
「砂糖とミルクは好きに使って良いからね」
桐が女性に出されたコーヒーにスティックの砂糖を入れミルクを入れ口をつけるが、すぐにもう一本砂糖を追加する。
「すぐに家に帰しても良かったんだけど、なんか訳ありっぽいし、話ぐらい聞くけど。あ~先に家に連絡した方が良いかもしれないわね」
女性に言われスマホを見ると、家と学校からの着信を知らせる通知が大量に並んでいる。
恐る恐る電話をかけると、母が出て一頻り怒る声が響き、桐は必死に謝る。それでも文句を言い続ける母に大丈夫だからと何度も言って、強引に電話を切ってしまう。
「後で家まで送ること考えると、不安になる切り方するわね……。まあいいけどさ」
通話を切って暗くなった画面を見つめる桐に女性はちょっと呆れた感じで言う。
「じゃあまずは自己紹介ね。私は 華渉 橘花あなたは?」
「私は忠海 桐です」
「じゃあ早速質問。忠海さんはこんな時間に何をしてた訳?」
桐がポツリポツリと今日の出来事を話し始める。最初は当たり障りなく話していたが、自分の話に横槍を入れるわけでもなく、ジッと真剣に聞いてくれる橘花に自然と全てを詳しく話し始める。
長い時間、時系列も文脈も無茶苦茶。それでも橘花は黙って真剣な表情で聞いている。
「それでふらふらと歩いて男に絡まれたと。いじめの事は両親や学校に相談したりした?」
桐が小さく頷く。
「それで、改善がされないってことは、相手がズル賢いか、周りの大人が無能ことかしらね。学校へ行かないとかは出来ないの?」
「学校に行きたくないって言ったら、高校までは卒業しなさいって、その、お父さん達は言うから……。先生達は頑張れば大丈夫って言うけど何も……大丈夫じゃないし、いじめはどんどん酷くなるだけだし……」
消え入るような声で話しながら桐は、大粒の涙をボロボロ落としスカートの色を変えていく。
「完璧な解決方法なんてないけど、学校やめて違う道を歩んでみたら?」
橘花の言葉に、キョトンとした目で見つめる。
「この日本でレールから外れて、違う道歩むのはかなり難しい事だけども、そんな道を考えてみるのも良いんじゃない? とりあえず高校卒業は通信でもいけるはずだし」
「に……逃げるって事ですか?」
不安そうな声を出す桐を見て、橘花は小さく微笑む。
「逃げねぇ。逃げだとしても逃げるって以外に体力使うものよ。鬼ごっこだって鬼より逃げる方が大変じゃない?
それにたとえ逃げだとしても、このまま我慢して命削るような生き方するより、ずっとマシじゃないかと思うけど」
橘花の言葉に納得したような、してないような複雑な表情をする桐。
「さっきも言ったけど、答えなんて無いからね。自分で納得出来そうな道を探すだけ。ただね……」
そこまで言った橘花が少し考えるような表情を見せ、しばらく沈黙した後、真剣な眼差しを向けハッキリとした口調で告げる。
「人を呪うのは止めた方が良い。それだけのことをされて憎むのは仕方ないけど、それを他の者にすがる様な形で願うのは良くない」
橘花の口から出た『呪い』という言葉に桐が驚いて橘花の目を見る。橘花の黒い瞳の奥に何か異質な物を感じさせる。
「さて、これ以上遅くなるとお母さん心配するでしょうし、いい加減家に送るね。おっとそうそう」
橘花が部屋に置いてある机から名刺を取り出す。
「まだ名前も決まってないけど近々開業予定。なにかあったら頼っても良いし、宣伝してくれたら嬉しいな」
桐が渡された名刺を見る。『 探偵事務所 華渡 橘花』とだけ書いてあるシンプルな名刺。探偵事務所の前に大きな空白があるのが気に掛る。
「探偵事務所ですか?」
「そう、食べるためにお金がいるから働こうかと思ってね」
まるで今まで働いてなかった様な口ぶりが気になりながらも、聞いてはいけない気がした桐は名刺をそっとしまう。
「それじゃあ行こうか」
***
家路に向かう中、桐は隣を歩く橘花をチラッと見る。
──自分より少し背の低い小柄な女性。白を基調とした服を着ており、年齢は自分より上なのだろうが、童顔で年下と言っても信じてもらえそうである。
腕も足も細い、可愛いという言葉が似合うこの人が男三人を一瞬で倒したとは今でも信じられない。
「こっちで合ってる?」
橘花に訪ねられ、考え事をしていた桐は慌てて道案内を再開する。そして家に着くと母に怒られ、橘花は送ってくれたお礼にと家に招かれるのを必死に断り帰っていく。
橘花を見送った後、母に怒られながら橘花の言葉が何度も頭の中で繰り返される。
***
橘花が夜空を見上げると半月が夜空に輝いている。月を時々雲が覆い、暗くなったり、明るくなったりする。
月の光を浴びながら橘花は空に言葉を投げかける。
「あの子の願い、叶ってる気配がするけど。さて、あの猫ちゃんはどうする気かな?」
それだけ呟くと自分の家に向かって歩みを進める。