戯れ
ソーダーの入ったグラスの氷が溶けて、カランっと涼しげな音が桐の唾を呑み込む音をかき消してくれる。
「私……学校でいじめられてて、その……相手を、相手がいなくなって欲しいって」
消え入る様な声で話す桐を牡丹は黙って見つめている。
「だ、だからあそこで祈って、叶わないのは分かってるけど、それでも……も、もしかしたらって思うだけでも」
「ストレス解消ってことですか?」
桐がこくりと頷くと牡丹が小さなため息をついて、ゆっくり口を開く。
「あの木の呪い、叶いますよ」
「えっ?」
「でもまだギリギリ。桐の思いがもう少し強かったから叶いそうってところですかね」
牡丹の言葉に焦った表情の桐が少し声を大きくして前のめりになって尋ねる。
「な、なんでそんな事が分かるんですか?」
牡丹と目が合った桐が、後ろに下がった勢いで椅子から落ちそうになる。
牡丹の目は大きく開かれ、瞳孔は縦に細く鋭い光を宿している。それは人の瞳とは違う、まるで猫の瞳の様だった。
「私が人ではないから……と言えば信じてもらえます?」
桐が次に見たときには、牡丹は元の瞳に戻って優しく微笑む。
「まあ、私が人じゃないのは信じてもらえなくてもいいです。ですが忠告です。これ以上呪うのはやめた方がいい、人を呪えば自分にも返ってきます。
そのことを頭の隅でもいいから覚えておいて下さい。それと、もうここには来ない方がいいです」
それだけ言うと牡丹が立ち上がり、伝票を手に取るとレジの方に向かう。それに桐もついて会計を見守ると、一緒に外に出る。
「ご、ごちそうさまでした」
「いえ、これくらいいいですよ。それじゃあ、さっきのこと忘れないでくださいね」
桐は小さく頷いた後、深々とお辞儀をしてお礼を述べると足早に去っていく。
そんな桐を少し寂しそうな目で見ながら牡丹は呟く。
「これでやめてくれると良いのですけど……」
***
細く綺麗な指に掴まれたカップが、ソーサーに当たるとカチッと小さな音を立てる。
「いつ来てもここのコーヒーは美味しいわね」
声の主である女性は離れたテーブルに目をやると、丁度カルピスが入っていたであろうグラスと、半分以上残ってるソーダーを店員が片付けているのをじっと見つめていたが、すぐに視線をカップに向ける。
「さて、どうなることやら」
それだけ呟くと再びコーヒーカップを口へ運ぶ。
***
「なんだったんだろう、あの人……」
桐がベットに仰向けになり、天井を見つめながら今日の出来事を思い出す。
──牡丹と名乗る女性。右手が義手とかではなく木の枝だったのには驚いた。
義手の相場とか分からないけど、高くて買えなかったのだろうか? それでも木の枝をつけるのはおかしい気がする。
人に手足を切り落とされたとか、恐いこと言ってたけど嘘だよね。
それにあの目、猫みたいな目だった。あの目を見たときは驚いたし怖かった……でもその後の忠告は私の為に言ってくれたもの……だと思う──
「訳が分からないな」
桐がベットの上にある猫のぬいぐるみを引き寄せると、強く抱き締める。
「明日も学校かぁ……」
ぬいぐるみに顔を埋め視界を遮り暗闇の中、体にギュッと力を入れ丸くなる。
──学校なんて無くなればいいのに。
心で大きく呟き、ゆっくりと眠りに落ちていく。
***
学校の下駄箱の蓋を開けると上履きの右だけ無くなっていることに気が付く。周囲を見渡すが無い。
泣きそうな気持を必死で抑え、下駄箱の上や傘立ての後ろなんかを調べてみるが見付からない。
桐の学年である二年生の下駄箱から一年生の下駄箱へ行くと、土間に敷いてあるスノコの一部が不自然に盛り上がっているのが目に入る。
近付いてスノコを持ち上げると、泥水にまみれた桐の右の上履きが出てくる。
目から涙が溢れてくる。
涙で滲んでぼやけた視界で、泥に塗れた上履きを呆然と見つめる。
パシャ! パシャ!
突然シャッター音がして振り向くと、スマホを向けていた数人の女子が、涙目の桐を見てクスクス笑いながら去っていく。
重い気持ちと足を引きずり、顔を下に向けたまま教室のドアを開けると、上履きを履いていない桐の足元に視線があつまり、皆がクスクスと笑う。
必死に悪意のある視線と目を合わさないように自分の席に座ると、落書きされページが破られた教科書を鞄から出して机の中に入れる。
桐は授業中に当てられることがない。それは教師もこの状況を知っているからではないかと疑ってしまう。
長い授業時間が過ぎ三時間目の体育の時間を迎え、皆が更衣室へと向かう。
他の女子達が楽しくお喋りしながら着替える中、桐は隅の方で小さくなって着替えていた。
制服の上を脱いで下着姿になった時、突然両手を掴まれ壁に押し付けられる。
そしてスマホを向けられシャッターが切られる。
「地味なブラだけど逆にそれが良いかも♪」
「や、やめて!」
桐が叫ぶが皆はそれを楽しむようにニヤニヤと笑う。
「下も撮った方がいいんじゃない?」
誰かの提案で撮影会はエスカレートし、床に無理矢理倒されスカートをまくり上げられる。
「あ、全部じゃなくてチラッとのが良いかも」
「なにそれ、あんた変な趣味あるの」
「や、これはエロイかも!」
泣きながら涙を拭う桐にお構いなく、笑いながら数枚の写真が撮られる。
「いやぁ~良いのが撮れたわ」
「桐、感謝しなよ。友達がいないあんたの為にプロフィール作って募集してあげるんだから」
「暗いあんたでも、セクシーな画像載せればキモいオッサンが仲良くしてくれるかもよ」
目の前の女子たちが何を言っているのか理解出来ない桐の目先に、自分の憐れもない姿の写真が突きつけられる。
「鈍いわね~、あんたのプロフィール写真付きで出会い系に投稿して、お友達募集してあげんの」
「良かったねぇ~、もしかしたらお小遣い貰えるかもよ」
「あ~いいなぁ、そしたら奢ってよね~」
意味を理解した桐が泣きながら止めさせようと、目の前に突きつけられたスマホに手を伸ばすと腹を蹴られる。
「ゲホッ、うぅ」
お腹を押さえて踞る桐の頭をスマホを持っていた少女が踏みつける。
「汚い手で触んないでよ」
「ゴホッ グゥゥゴボッ」
「うわ! こいつ吐きやがった」
少女達は心底嫌そうな顔をしてドン引きする。
「あんたそれ片付けてよ。先生には保健室に行ったって言ってあげるから」
「やさしぃ~! 桐、感謝しなよ」
更衣室のドアが閉められる。自分の吐いた物を泣きながら片付けた桐がよろけながら更衣室を出ると、そのまま教室に向かい鞄を手にして下駄箱に向かい外に出ていく。
横目で運動場を見るとクラスメイトたちが楽しそうに体育の授業をしている。
ふらふらと歩きながら校門を出ると宛もなく歩く。
気が付けば会稽神社の大きな杉の木の下にいた。
木の前に両手と膝をついて涙をボタボタと地面に溢しながら口を開く。小さな声だが、ハッキリした言葉は恨みつらみ。
「みんな……みんな死んで欲しい」
どれくらいの時間ここにいたのか分からないが、日の光が濃いオレンジ色に変わり始めてようやく自分のいる場所がどこかを知る。
そしてある言葉が思い出される。
──呪いは自分に返ってくる──
怖くなったのと呪ってしまった罪悪感を感じてしまい、
「や、やっぱり止めておきます」
誰に言う訳でもなく呟くとヨロヨロと立ち上がって鬱蒼と茂る草を掻き分け外に出る。
神社の社の上に薄い月が見える。今から家に帰る事を考えると憂鬱になる。その足で神社の階段を降りていく。