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花天月地  作者: 功野 涼し
鬼ごっこ

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追駆

「みいぃぃぃぃつけたあぁぁぁ!」


 ねちゃぁっと糸を引く口を開け、満面の笑みを浮かべる。濁った瞳には羽虫が飛んでいるかのように黒い点が(うごめ)く。


 ブヨブヨの浅黒い青い体に、上に向かって生えた牙と、捻じれた不格好な頭上の一本の角。


「鬼……」


 頭にある角を見てそう言ったものの、桐の知る鬼とはかなりかけ離れている。

 開け笑みを浮かべる口に歪《いびつ》に並ぶ上下の歯間に糸を引く。


「きりちゃんは、ぼくがすき。ぼくもきりちゃんがすき」


 目眩のするような一方的な愛の言葉をぶつけてくる、その巨体の迫力に加え、桐に見せる表情が全て粘り気のある糸を引くような気落ち悪さがある。

 桐は恐怖で自然に震える足で精一杯地を踏みしめ立ち鬼と向き合う。少し前の桐なら恐怖で全てを諦める状況でもこうして向き合えているのは、橘花と牡丹の存在があるからだと冷静に考えれることに自分で驚く桐は、意を決し言葉を吐く。


「わ、私はあなたを知らない……です。だから、その好きというその気持ちに応えれません」


 言葉を発した自分が驚くほどはっきりした声。多少震えてはいたが、他人の発した言葉を否定することは初めての経験だった桐は、少しだけ足の震えが収まったことに気付く。

 だが、鬼は桐の言葉を聞いて青黒い頬を赤らめて、にたぁと笑みを浮かべる。


「きりちゃんが、はなしてくれたぁ! やっぱりぼくをすき!」


 話の通じなさに少し苛立ちを覚えるが、鬼が手を広げて不格好に迫って来る姿に自分のおかれている状況を思い出し、踵を返し逃げ出す。


 桐はけっして運動神経のいい方ではないが、醜く太った鬼の怠慢な動きに追いつかれるほど悪くない。全力で走ると、マンションの駐輪所に飛び込み物陰に身をひそめる。


 ドスンドスンと重い足音が響き、駐輪所の自転車を揺らす。桐は自らの口を押え息を殺し隠れ、鬼が過ぎ去るのを待つ。


 やがて重い足音はゆっくりと離れていく。慎重に息を吐き、気を落ちつかせると自転車の影から音が消えた方向へ目を向ける。


「みぃ~つけたぁ~」


 突然目の前に現れる鬼の顔。濁った瞳と目が合い思わず息を飲み、のけ反ってしまい背中にあった自転車をひっくり返してしまう。

 ドミノ倒しのように次々と倒れる自転車が派手な音を立てたことで、我に返れた桐は何とか立ち上がると走って逃げだす。


 鬼は逃げる桐をニタニタと見るだけで手を出してこないのが不気味だが、桐にとって今はそんなことはどうでもよく、全力で逃げるだけだ。


 持久走が苦手な自分でもこんなに走れるのかと、どうでもいいことに感心してしまう。大きな体の鬼のことを考え狭い道を選んで走る。


 狭い路地から、大通りに出ようとしたとき目の前に鬼が現れ慌てて止まる。前のめりになりながらも、壁に手をつきなんとか転倒を防ぐ。

 鬼は桐と目が合うとにたぁっと笑みを浮かべる。


「きりちゃんと、おいかけっこ。たのしいぃなぁぁ」


 怖さもあるが嫌悪感からくる寒さを感じ、鬼から逃げる為反転すると、再び狭い路地を駆ける。


 飲み屋街だろうか、馴染みのない景色だが墨で縁取られた世界では何の建物かまで分からない。


 壁に手を付き、荒い息を整えながら胸を押える。


「はぁ、はぁ、なんで、なんで追いかけてくるの。はぁ、はっ」


 走り過ぎて嗚咽しそうになるのを必死にこらえ辺りを見回す。


「さっきより周りがおかしくなってきている気がする」


 狭い路地から見える空を見上げると、黒い縁で描かれた雲がゆっくり流れていく。居酒屋らしき建物の看板の字は滲んで読めず、建物自体も単純な線だけで描かれているように見える。

 建物の隙間から見える高いビルだけは現実的な外観を保っている。


「あそこへ行けばどうにかなるかも」


 確証はないが、墨で線を引いて描いた世界が侵食していないビルに行けばここから抜けれる気がした桐は、大きく息を吐いて落ち着くとビルを目指して走り始める。



 * * *



 どこをどう走ったかなんて覚えていない。


 でたらめに走ってる自分が分からないのだから、相手も分からないだろう、そんな風に無理やり結論付け、ただ走る。


 墨で描いた落書きのような街並みを駆け、目的のビルが目の前に現れる。周囲を見回すとまともな建物はこのビルしかない。

 怪しさも感じるが、思いつく打開策がない今、意を決してビルの扉の前に立つ。


 電気も通っていないのか開かない自動ドアに手を掛けると、無理やり開く。意外にもあっさり開いたドアの隙間に体をねじ込み中に入る。


 薄暗いホールを抜け、中央のエレベーターが動かないことを確認すると、次に階段を探す。

 思いの外あっさり見付かったエレベータ横にある階段を駆け上がり屋上を目指す。

 上に出れば、橘花なら自分を見付けれくれる。そんな希望を持って上へ上へと駆け上がる。


 だが、そんな希望は四階辺りに上り着いたとき砕かれる。


 いつ、どこ、どうやってそこにいたのか分からないが、四階と五階の踊り場に佇み進路を妨害するぶよぶよの青鬼を目の前に、悲鳴を上げそうになる口を押さえ四階のフロアへと走り抜ける。


 長い廊下を走る。


 走りながら違和感に気が付く。


「こんなに長い……廊下……はぁ、はあ、全然進んでない気がする」


 走り続けても端に着かない廊下に、息も絶え絶え膝に手を付き前を向くと気持ち悪い笑みを浮かべた青鬼がゆっくりと桐の方へ向かって来るのが見える。


 横を見ると部屋へと入るドアと、トイレが見える。


 どっちへ行っても追い詰められると分かっていたが、ドアのないトイレの方を選び中へ飛び込む。

 狭いトイレの端に掛けると窓を開けようとするが開かない。掃除道具と書いてある扉を開け、中からモップを取り出すと窓に叩きつける。


「うそっ」


 生まれてこのかた窓を割ったことはない桐だが、手応がえなくあまつさえ弾力を感じ跳ね返される。

 その意味の分からなさを感じる間もなく、トイレに入ってくる青鬼の気配に近くのトイレに入るとドアを閉め鍵を掛ける。


 重い足音は桐が隠れるドアの前に止まる。視線を感じ見上げるとドアの上から見下ろす顔が見える。


 桐と目が合うと、にたぁっと笑う。すぐに顔は消え、ドスンと音がする。


 桐は扉の下から見える影で、青鬼が扉の前に居座ったことに気が付く。


「でてくるまで、まってる。それまでたくさんはなそうね」


 嬉しそうな声が狭いトイレの中で反響するこの状況に、桐は洋式トイレに座り込み頭を抱える。


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