桐と牡丹
夏の暑い日、地元の神社にある大きな木の前に一人の少女が目を瞑り、祈るようなポーズをしている。
白のブラウスに、胸元にあるグレーのリボンとチャックのスカートの女子高生と思われる少女は、目を瞑り額に流れる汗を拭うこともせず真剣に祈る。
住宅街から離れた、滅多に人通りもない草の生えた石段を登ると今にも崩れそうな社が姿を現す。その社の裏に回り鬱蒼と繁る木々の間を進む。
人など通るとは思えない無尽蔵に草が生える林なはずなのに、目を凝らすと草が踏みしめられ獣道が出来ているのに気付く。その跡を辿り進むとやがて大きな杉の木に辿り着く。
杉の木には朽ちた藁人形が打ち付けてあり、蝋が垂れた跡が木の皮にこびりつく。下に転がる藁人形たちは土にまみれ、地面と同化し始めている。
ここは復讐を誓う者が呪いをかける場所として、知る者の間では有名な場所。
その場所は神社の名前『会稽神社』から『会稽の間』と呼ばれている。
昼間でも日の光が届かない薄暗い林で少女は願う。
復讐を……
呪いのやり方にも正式な手順があるが、この現代において手順や作法なんてものは当人達の良いように簡略され、丑三つ時なんて時間すら午後の14時~14時半でも効果はあるとされ、藁人形も要らずただ祈るだけでも良いとされる。
ましては彼女のような高校生なら尚更適当なものだ。その木にお供え物、本来はお酒を捧げるのが正しい作法なのだが、高校生がお酒なんて買えるわけもなく、祈りが終わると天然水の入ったペットボトルを鞄から取り出す。
一旦木の根本にペットボトルを置くが、少し悩んだ素振りを見せ、キャップを開けると水をまき、地面に水を吸わせる。
水を全て流すと空のペットボトルを鞄に入れ、汗ばむ額を拭い大きな杉の木を見上げる。
茹だるような暑さの中、蝉がその短い生命を叫ぶ声が耳につく。
そろそろ帰ろうかと少女は視線を元に戻したとき、
──音が無くなる。
「ゴミを持ち帰るなんて感心です」
静寂の中、突然背後から声をかけられ少女は慌てて振り向く。視線の先にはストレートの黒髪を腰まで延ばした黒い着物の女性がにこやかに立っている。
この暑い中、汗一つ滲ませず涼しげな顔で微笑む女性。こんな林の中で着物を着ていることにも違和感を覚えるが、右手に着物には似合わない皮の手袋を着け、足が悪いのか左手には松葉杖を持って体を支えていることがより違和感をもたらしてくる。
歳は二十歳前半と言ったところだろうか。ハッキリとした顔立ちは和風美人という表現が相応しいが、どこか妖艶な不気味さを持つ。
少女は突然の訪問者に困惑しながらも相手を警戒する。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。ただ一生懸命何をお願いしてたのかな? って気になっただけです」
「音……足音しなかった」
少女の小さな呟きだったが、女性には聞こえていたらしく微笑みながら答える。
「あなたが真剣にお祈りしてたから気付かなかったんですよ。それよりもあなたのお話が聞きたいです。お茶でもいかがでしょうか?」
女性が背を向けて外へ行こうといった素振りを見せる。少女はその突然の訪問者に恐れを感じながら帰り道が一本しか無い事もあり、一緒に着いていくことを選択を余儀無くされる。
「私の名前は牡丹。あなたのお名前は?」
「……忠海 桐です」
歩きながらにこやかに自己紹介する女性に対し少女は恐る恐る名乗ると、牡丹と名乗った女性は笑みを浮かべる。
松葉杖を上手に使いながら険しい獣道を難なく歩いていく牡丹に対し、桐は頬を伝う汗を必死に拭いながらついていく。
***
桐は牡丹に神社の近くにある喫茶店に案内される。
ログハウスのこじんまりとした外見に看板に可愛らしく『スフレ』と書いてある。
「いいお店でしょ。私の行き着けなんです。マスターも優しい人なんで、桐も気に入るはずです」
然り気無く名前を呼ばれたことに、勝手に距離を詰められた気がして若干の戸惑いを感じながらも、桐は言われるがままについていく。
牡丹が先行して喫茶店のドアを開け、桐が中に入るとお店には三人程先客が居るようだった。
コーヒーの香りがふわっと鼻をくすぐる店内を歩き、慣れない苦い匂いに顔をしかめる桐を見て、牡丹が笑いながら席につくと、手招きをして座れと促す。
「私はカルピスにしますけど桐は?」
「あ、えっと」
「お金は私が出しますから遠慮しなくていいですよ」
牡丹に催促され、桐がメニューに視線を移す。初対面の人、それもどこか不気味さを感じた桐は早く帰りたいのもあり、取り敢えず目についたものを頼むことにする。
「ソーダーでお願いします」
牡丹が店員さんに注文をして直ぐ、テーブルにカルピスとソーダーが並べられる。
「私炭酸飲めないんです。シュワシュワして舌が痛くなりますから」
「そうなんですか」
何気ない会話をしながら微笑む牡丹に対し、硬い表情の桐が小さな声で答える。
「それで本題です。桐はあそこで何をお願いしてたのですか?」
「それは……」
「恋愛成就とか……そんな訳ないですよね。だってあの木、地元で有名な呪い成就の木ですもの」
『呪い』の言葉に目が泳ぐ桐を、薄い笑みを浮かべた牡丹がじっと見ている。そのまま意地悪な笑みを浮かべ桐に囁く。
「憎い相手に呪いをかけたとか?」
唇を噛みしめる桐が小さく肩を震わせる。
「まあ、あそこにいれば推理するまでもないですよね。あぁ、別に呪うことを止める訳でも、怒る訳でもないですよ。誰にでも呪いたい相手位いるでしょうから」
牡丹が笑いながら振る右手には力なく、まるで何も入っていないように見える。
そのブラブラと揺れる手袋を見た桐が、見てはいけないものを見てしまったという顔をして慌てて顔を反らすも、どうしても気になって視線がそこへいってしまう。
「ふふっ、気になります?」
その視線に気付いた牡丹が、ゆっくりと手袋をとると三又に別れた木の枝が姿を現す。
「右肘から先と左足の膝から下は無いですよ。驚きました?」
「あ、いえ……」
「人間に切り落とされたって言ったらもっと驚きます?」
さらっと恐ろしい事を言う牡丹に、桐は怖くなって視線をテーブルに落とす。右手に義手などではなく、木の枝である事が更に恐怖心を煽ってくる。
関わってはいけない人だと思い、この場から逃げ出したい気持ちになり目を瞑る。
「ごめんなさい。怖がらせました?」
器用に木の枝に手袋をかけ、ちょっと申し訳なさそうにする牡丹の表情を見て桐は罪悪感に苛まれる。
「ご、ごめんなさい。その……怖がって、そんな目で見てしまって」
頭を下げて謝る桐を見て牡丹が少しだけ驚いた表情を見せる。
「いいですよ、慣れてますから。それにしても桐は言い訳したり、繕ったりしないんですね? 怖がってません、そんな目で見てませんよって」
「ほ、本当の事ですから……」
そんな桐を見て牡丹が微笑むが、その微笑みには少し喜びが滲んでいる。
「気持ち悪いとか言われて石を投げられる事の方が多いですけど、優しくしてくれる人もいた……いえ、いるんですよ」
「石を投げるってそんな酷い人……」
そこまで言って口ごもる桐に被せるように牡丹が口を開く。
「いるんじゃないですか? そんな事が平気で出来る人に心当りがあると顔に書いてありますよ」
思い当たる節があることを証明するかのように、桐が大きく肩を震わせる。そしてゆっくりだが、大きく頷く。