初仕事
今は朝五時。といっても夏の朝は既に日が顔を出して、夏の日射しをふんだんに注ぎはじめている。
桐は起きるとベッドから降り、大きく伸びをするとリビングへ向かう。
台所に入ると食パンをトースターへ入れ、熱したフライパンに割った卵を入れる。その隣でウインナーをボイルして、蒸かしたカボチャを潰し小麦粉と混ぜ、牛乳を入れ再び混ぜ合わせカボチャのスープを作る。
「へえ、料理得意じゃないって言ってたけど上手じゃない」
気が付かないうちにいた橘花に突然話しかけられ、ビクッと肩を震わせ驚く桐。
「お、おはようございます。昔お母さんとよく作ってたの思い出して作ってみました」
「おはよう。朝からカボチャのスープまで作るなんて、なかなか出来ることじゃないと思うけどな。いい才能持ってるじゃない」
橘花に誉められ照れてる桐のもとに、眠そうな牡丹が体を引きずりながら歩いてくる。ボサボサ頭に、開いてるかもどうか分からないぐらい細い目。黒猫の絵がプリントされた寝巻きをだらしなく着て、まだ義足に慣れてないのかぎこちない感じで歩いてくる。
「おはよございます~。ん~良い匂いがしますねぇ~」
牡丹は目を瞑ったまま鼻をヒクヒクさせている。そんな牡丹が可笑しくって、笑いながら桐は朝食の準備をして朝御飯を食べる。
「今日から本格的に探偵事務所を始めようと思うの」
朝食中、橘花の探偵事務所開業が宣言される。
「今日の予定はね。午前中にインターネットが繋がるからまずはネット環境の整備。これは桐と私でやるとして、午後からは桐と牡丹で探偵事務所開業の広告をポスティングして宣伝ね」
「あ、あの橘花さん。事務所の名前は決まったんですか?」
桐の質問に橘花が勝ち誇った様な笑みを見せ、名刺を取り出す。そっと受け取った名刺は以前と違い華やかになっている。そして前は空白だった場所に文字が書いてある。
『黒猫探偵事務所』
「可愛い名前ですね」
「橘花様、私をイメージしてこの名を!」
一人感激している牡丹を置いて橘花は話し始める。
「でしょ! 私ね猫好きなの。黒猫探偵事務所って名前、ちょっとメルヘンチックな感じで若い女性も入りやすいかなって思うのよ」
「はい、私は好きです。この文字の横にいる黒猫の絵なんて、ちょこんと座ってて可愛いです」
名刺を見ながら楽しそうに語る桐と橘花。その隣で牡丹は名刺を持って感激して涙している
「じゃあ桐の御墨付きを貰えたので、我が事務所は『黒猫探偵事務所』で正式決定ね」
「私の御墨付きってそんな」
慌てる桐の頭を橘花はポンポンと優しく叩く。
「頑張って稼ぐから桐も手伝ってよ」
優しく叩かれた感触の残る頭を押さえて、桐はやる気になるのだった。
***
午前中のネットの工事を終え、設定も終了して桐は休憩していた。
「きりぃ♪ 私の方も終わりましたよ」
牡丹がニコニコしながら桐の元にやって来ると、自分がやった作業の成果を見せてくる。桐が視線を向けるとテーブルの上に大量のチラシが折られて積み上げられていた。
「牡丹さんはポスティング用のチラシを折ってたんだよね」
「むぅ~」
桐は普通に答えたつもりだったのに、不満そうな顔をする牡丹に首を傾げてしまう。
「前から言おうと思ってましたけど。私のことは昔と同じく『牡丹』と呼んでください」
「で、でも……呼び捨てとか」
「私がそう呼ばれたいんですからお願いします」
圧を掛けてくる牡丹に押されながら、ちょっと遠慮がちに桐が名前を呼ぶ。
「ぼ、牡丹」
「はい!」
嬉しそうに返事をして、桐の太ももに頭を乗せ、すり寄って甘えてくる牡丹に、桐は小学生の頃に可愛がっていた黒猫の牡丹の面影を感じる。その懐かしさから自然に牡丹の頭を撫でる。
「仲が良いわねあなた達は。お昼ご飯食べたらポスティング頼むわね。遅くならないように、十六時までには帰ってきてね」
またも突然現れた橘花から午後の予定を詳しく告げられ、驚きながら慌てて返事をする二人だった。
***
「暑いね。牡丹は平気なの?」
「いえ、暑いですよ。私あまり汗かかないだけで暑いです」
「じゃあ、初めて森であったときに涼しそうにしてたのってもしかして……」
「ええ、我慢していただけです。知的に見せようとしてましたから」
暑さを我慢したら知的に見えるのだろうか? そんな疑問を抱きながら桐は牡丹と一旦別れて、ポスティングを続ける。
一時間後、待ち合わせ場所の公園に集合した二人。肌が痛くなる強い日射しを帽子越しに見ながら、桐は額の汗をタオルで拭く。
そんな自分の隣で、汗を掻いていない牡丹が涼しげに見えて羨ましく思う。
「橘花さんが、休憩挟みながらやりなさいって言ってジュース代を貰ったから何か飲もう?」
桐が自動販売機の前に立ちお金を入れる。
「牡丹はなに飲む?」
「そうですね~、おおっ! これを入れるとは出来る自動販売機ですね。やっぱりこれです! カリュピスです!」
目当てのものが手に入って、テンションの高い牡丹と一緒に木陰のベンチに座ってジュースを飲む桐は時々牡丹をチラチラ見て落ち着かない様子を見せる。やがて意を決したのか、ジュースを一口飲むと牡丹と向き合う。
「あ、あの牡丹。まだちゃんとお礼言ってなかったよね。助けてくれてありがとう」
桐に突然お礼を言われ、牡丹は驚いた表情をするがすぐに、満面の笑みを浮かべる。
「少しでも桐に恩を返せたなら良かったです! 桐はこのカリュピス覚えてますか?」
「カリュピス?」
「はい、猫だった私が桐の飲んでいたカリュピスをねだって、ちょっとだけ飲ませてくれたときその美味しさに凄く感動したんですよ! それからカリュピスが大好きなんです」
牡丹は懐かしそうにカリュピスの入ったペットボトルを掲げる。
「猫にカリュピスあげちゃダメだよね。でも牡丹はそんなことも覚えていたんだ……なのに」
ペットボトルを振り、楽しそうにしてた牡丹が涙を流し始めた桐を見て驚く。
「なんで泣いてるんです」
「だって私……牡丹を病院にも連れていけなかったし。一緒に住むことも出来なかった。しかもつい最近まで牡丹のこと忘れてた。
それに牡丹が忠告してくれたのに、結局呪ってしまう弱い人間で嫌になるよ。本当にごめんね牡丹」
涙を流す桐を牡丹が優しく抱き締める。
「私は幸せでしたよ。人間に手足を切り落とされ死にかけていたところを救われ、寿命まで全うさせてもらえました。
そしてもう一度こうして桐と会え、今度はお話も出来て抱かれるだけじゃなく、こうして抱き締められる。こんなに幸せな私に桐が謝ることなんて何もないですよ」
牡丹の言葉に胸に顔を埋め泣き始める桐を、愛おしそうに左手で優しく撫でる。
「私は桐にずっと言いたかった。実はずっと言ってたんですけど猫だったんで伝わってませんでしたね。ありがとう桐」
牡丹の胸で泣いていた桐が顔を上げる。
「ごめん、泣いてばかりだね。私、牡丹に会えて良かった。ありがとう」
「うぐっ、そんな事言われると私も泣いてしまうじゃないですか」
牡丹は桐から目を逸らし上を向くと首を振る。
「ささ、チラシもまだありますし、ポスティングをもう少しやって帰りましょう」
「そうだね。ずいぶん休憩長くなっちゃたし」
ポスティングを再開する為、公園から出る二人に小さな女の子が駆け寄ってくる。そして女の子が手に持っていた紙を広げ二人に見せる。それは桐たちがポスティングそていた探偵事務所のチラシだった。
「あのね、これ」
「どうしたの?」
「えっとね、これネコ こまってる?」
女の子が必死に指差すところには、道に迷って困って泣いている猫のイラストがあった。
「もしかして猫を探して欲しいの?」
桐が尋ねると女の子は大きく頷く。
「えっと、猫さんはいついなくなったのかな?」
桐の質問に女の子は指を折りながら数え、指を三本立て見せてくる。
「ママはね、もう少し待てば帰ってくるっていうの。でもねしんぱい。お腹すいてると思うの」
桐と牡丹が顔を見合せる。
「私、とりあえず橘花さんに電話してみる」
桐が橘花に電話をして説明している間に、牡丹が女の子に話し掛ける。
「あなたのお名前はなんですか? としはいくつですか?」
「ゆな 5さい」
「それじゃあ、ゆなちゃんの猫の名前はなんですか?」
「ナイト」
「おお! なんとカッコいい名前をつけてもらってますね、その猫も幸せでしょうねえ」
一人感激してる牡丹に電話を終えた桐が話し掛ける。
「橘花さんが依頼として受けてって。こっちに来るからそれまで情報収集と捜索をお願いだって」
「橘花様は寛容ですね。依頼者の名前はゆなちゃんで、対象者の名はナイトくんだそうです」
既に情報を得ていた牡丹に、桐は目を丸くして驚く。
「なんか牡丹慣れてない? 経験者なの?」
「いえ初めてです。ただ開業するまでにマニュアルを読めと、大量の資料を渡された上に、抜き打ちでテストがぁぁ!!」
何かを思い出し、トラウマから頭を抱え込む牡丹をなだめ捜索を開始する。
「私はゆなちゃんとナイトくんが行きそうな場所を探すね。牡丹はその辺の人に聞けたりする?」
「人ですね。任せて下さい」
***
「ここにもいないね」
「じゃあ、つぎは、あっち」
ゆなが桐の手を引っ張り次に行こうとする。夕方が近くなったとはいえ、日はまだ高く暑い。そんな中、汗を流しながら必死で猫を探すゆなを見てかつての自分の姿を重ねてしまう。
「暑いからちゃんと水飲んでね。ゆなちゃんが倒れたらナイトくん悲しむよ」
持参していた水筒でお茶を飲むゆなを待っていると橘花から電話が入ってくる。
〈桐? 牡丹がそれっぽいネコを見つけたみたいだから依頼者連れて確認してくれる? 場所はね──〉
橘花に教えてもらった学校へ、ゆなと向かう。到着すると校庭の端に生えている木の上を眺める牡丹と橘花がいた。
「お前ナイトの名を持つ者なら降りてきなさい! 何? 怖い? 立派な名前もらったならいけるでしょう! 跳ぶんです!」
牡丹が木の上にいる猫に向かって降りるように説得している。
「ナイト!」
ゆなが木の上にいる猫を見ながら嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる。
「あなたが依頼者のゆなさん?」
「うん、そうだよ。お姉ちゃんはだれ?」
「私は黒猫探偵事務所の所長、華渉 橘花です。よろしくね、ゆなさん」
橘花がゆなと握手すると木の上を見上げる。
「じゃあ対象者は降りれないようだし、迎えに行きましょうか」
「橘花さん木に登るんですか?」
「そうよ、こんなこともあろうかとこのスタイルにしてきたわけだしね」
橘花がサロペットの裾をつまんで自慢げに見せる。
「それじゃあ行くよ」
そう言うと、橘花が隣の木を蹴って飛び上がりナイトがいる木の枝に飛び乗ると、その枝を蹴って更に上に上がって行く。あっという間にナイトのもとへたどり着くと、抱いて下まで一気に飛び降りる。
高い木の上から飛び降りたのに、ふんわりと着地する姿を見て桐は驚くと同時に、橘花が天使だったことを思い出す。
「はい、ゆなさん。この子がナイトくんで間違いないかな? 確認をお願いします」
「うん ナイト」
「依頼達成ね。それじゃあ依頼料の話になるんだけど分かる? お金のお話」
「うん」
ゆなが肩にかけていた鞄から、財布を取り出そうと伸ばす小さな手を橘花が止める。
「今回の依頼料はゆなさんが、お姉ちゃんの探偵事務所は凄いんだよって、皆に教えてあげること」
「お金いらないの?」
「ゆなさんは黒猫探偵事務所が出来て、初めてのお客さんだからサービス。一人目だけよ」
橘花がゆなの頭を優しく撫でると手を繋ぐ。
「それじゃあ、ナイトくん連れてお家に帰ろっか」
橘花とゆなの後ろをついていく桐と牡丹。地平線に沈み始めた日射しを背に、四人と一匹が長い影を作りながら歩いてゆなの家に向かう。
家に着くなり心配していた母親から物凄い勢いでお礼を言われ、ゆながナイトを抱いたまま大きく手を振ってくれて別れた帰り道。
「二人とも今日はお疲れ様。もう遅いし夜は食べて帰ろうか。何食べたい?」
「橘花様、私ラーメン食べてみたいです」
「ああ良いわね。じゃあラーメンにしよっか。桐は良い?」
「あ、はい。私もラーメン食べたいです」
ラーメン屋さんへ向かう道中、胸にある温かい気持ちを感じながら、つい最近まで想像もしていなかった目の前の光景に嬉しくなった桐の足取りは軽くなる。




