⑥未練
毎日、仕事と家との往復だった。
他に何もする気が起きない。
俺のそんな様子を見ていた母が言った。
「家にいればいいよ」
「……でも兄貴達に悪いし…」
「お兄ちゃん達は近くのマンション買ったから」
「……ひょっとして、俺のせい!?…俺が戻ってきたから…」
びっくりして、身を起こした。
「違うわよ。前から頭金貯める迄、家にいるって話だったから」
「そうか…」
再びゴロリと横になる。
兄貴達は家族仲良く、幸せそうだ。
兄嫁は優しい感じだし、甥は可愛い。
「羨ましいよな…」
つい、ボソッと呟いた。
「お前も子どもは出来なかったようだし、落ち着いたら、叔父さんに頼んで誰かいい人紹介してもらうから…」
「いや、全く要らないよ…」
もう誰とも付き合おうとか、結婚しようとかは思えなかった。
完全に女性不信……
……いや、唯一そう思える女性がいる。
……………(心から愛していたよ。今迄大事にしてくれてありがとう。本当に幸せだった)…………
忘れかけていた言葉が甦る。
…凄く勝手な思考だが…
ミキとなら……
……でも、今更どの面さげて会いにいくというのか…
思い出したくはないが、あの時元妻が言っていた。
「女はね……男ほどロマンチストじゃないのよ。元彼女も、もうすっかり貴方の事なんか忘れている…
でも貴方は…きっとこの先も元彼女の事を求め続けるの!」
その言葉が胸に刺さって、やるせない。
確かに俺は元妻を選んで、自分の都合でミキを悲しませた。
結婚生活が破綻しなければ、ミキの事は忘れていたのだろう。
なのに…
どれだけ自分勝手なんだろう…そう思いながらも…
会えなくても…
もう一度だけでも、ミキの姿が見たかった。
今日は平日だが、仕事は休みだ。
意を決して、起き上がった。
「どこかに、出掛けるの?」
「うん、ちょっと気晴らしに出掛けてくる…」
少し何かをやる気になった俺を見て、母はホッとしたように言った。
「気をつけて行ってらっしゃい」
俺は電車に乗り、例の喫茶店に向かった。
今は昼休みの時間帯だろう。
喫茶店内も混んでいた。
歩道が見える席は…空いていなかった。
(そうそう奇跡は起こらないか…)
「ブレンドとミックスサンドをお願いします」
注文を済ませ、水を飲む。
(一体、俺は何をやっているんだろう…これじゃまるでストーカーじゃないか…)
そう思いながら新聞を読んでいると…
「ミキは本当に結婚願望とかないの?」
ビクッと顔をあげると観葉植物の陰に女性の後ろ姿が見えた。
「奇跡だ…」
再びの邂逅に胸が震える。
新聞を読むフリをしながら、二人の会話に聞き耳をたてた。
「うん、ないね。私はあの会社で定年迄働くつもり。独身貴族万歳だよ」
少し笑うようなミキの声が聞こえた。
「でも、ミキはおじ様にも若者にも、モテるじゃない?」
「私は庶民の娘、二流大卒だから、いざ結婚なんて話になったら相手の親に結構です!とか言われかねないしね」
今度は本当に笑いながら言った。
「今時、家柄がどうのとかはないと思うよ。確かにうちの会社はお坊ちゃん多いけど…」
「会社が一流とか、どこの大学出ているとか、そういう事に胡座かいている人は好きじゃない…」
(…ミキらしい考え方だな…)
「学歴がなくても、会社が倒産するような事があっても、逞しく生きて守ってくれるような人がいい」
(…………………)
「…?…誰かいるような口振りだね~」
友人らしき女性がからかうような口調で言った。
「いや…特にいる訳じゃないし、本当に結婚、彼氏はもうノーサンキュ!」
「それより、自分こそ彼氏とその後どうなのよ?
お互い一流大卒だし家柄もいいし…結婚式には是非呼んで~」
二人で爆笑する声が聞こえたが
……(いや、多分いる…頭の中に想い描いた相手が)……
もう俺は自分の確信に項垂れていた。
(来なければ良かった)
味のしない珈琲を飲み、サンドイッチを食べ、俺は席を立った。
店を出る時、未練がましく後ろを振り返ったら、ミキの横顔が見えた。
以前見た時より心なしか、表情が豊かで、そして綺麗になっていた…