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カノン

作者: あお

体が上下に揺れている。目が覚める5秒前。背中は固く、水の音が聞こえる。目を開けると一面の青。それが空だと気づくのに数秒かかったほど、視界一面は青色の壁で埋め尽くされている。目線を横に移すと、細長い木の板が何枚も繋げられている。右から左へぐるりと見まわしてみると、どうやらこの木板たちに囲まれているようだ。起床から5分後。血が全身に回り始めたのを感じ、上半身を起こしてみる。木板の向こう側にあったのは深く濃い青。頭上にある青は白かったのだと思うほど、眼下に広がる青は黒い。波があるので海だろうと目星をつけると、乗っているコレは舟だと気づく。

「ようやく起きたのかい」

聞きなれない声がした。すぐそばから。あたりを見回してみてもそこにあるのは海と空、そして真っすぐ綺麗な水平線。気のせいだったのかもしれない。

「気のせいじゃないよ。僕は君が乗っているコレさ」

深呼吸をする。右足を振り上げ勢いよく振り下ろす。

「痛っ! いきなりなにするんだい」

深呼吸をする。右手を頬の横にもっていき、勢いよく顔を叩く。

「痛っ! いや僕は痛くないけど、いきなりなにしてるのさ」

深呼吸をする。右手に拳を作り、勢いよく

「待った待った! 落ち着いて、現状をしっかり受け止めて」

深呼吸をする。現実を受け止めてみる。何度も声は聞こえるし、右頬はしっかり痛む。

「僕は君たちで言う舟。名前はニア。よろしくね」

「舟が喋ってる……」

「僕もなんで喋れるのかは分からないんだけど、喋れるんだ」

「なんで……」

「分かんないんだよね」

「ここはどこ?」

「もう気持ちの整理がついたのかい? 僕は3日かかったよ」

「海のうえ?」

「そう、そうだよ。マレ・パシフィクム。平和な海さ」

「どうしてここに?」

「それは僕にも分からない。ただ君は7日間、僕の上で寝ていた」

「7日も」

「日に日にやせ細っていく君を、見ていることしかできないのはだいぶ堪えたよ」

そう言われ体に目を向けると、麻で作られた七分袖と七分丈の服を着ている。その上から手を当てると確かに細い。試しに二の腕を掴んでみると指で覆い切れてしまうほど。しかし不思議と空腹感を覚えているわけでもなかった。

「確か僕の足下に人間用の水と食べ物があったはずだよ」

「足下って、どこ」

「君が足を向けている方」

「こっちが足なんだ……」

「立つと揺れるから気を付けて」

言われた通り舟の端には厚手の袋が置いてあり、そこには数本のボトルとビスケットらしきものが入っていた。

「いきなり食べると君の体が驚いてしまうだろうから、少しずつゆっくりね」

「ありがとう。あなた優しい」

「舟だからね」

少しずつ、時間をかけて水を数口、ビスケットを一枚食べあげた。味はしなかったが、体の調子は良くなった気がする。

「舟は、いい?」

「できればニアと呼んでくれると嬉しい」

「じゃあニア」

「ありがとう。僕はいらないよ。舟だからね」

「そっか」

これからどれだけこの生活を続けていくのか分からない。水とビスケットは大事に使っていこう。

「これからどうする?」

「君の力を使って進みたい」

「進んでないの? 舟なのに?」

「舟だからね」

「……どうしたらいい?」

「僕の脇辺りについてるオールを使えば進める」

「脇?」

「君から見て、右の外側かな」

「ここか」

舟、ニアの外側にはオールが二つ掛けてあった。取るには少し身を乗り出す必要がある。

「落ちないよう気を付けて」

「何かあったら助けて」

「傍にはいてあげるよ」

「よい……っしょ!」

舟体と同じように木で作られているからか、どっしりとした重さがある。

「そのオールをそれぞれ両手で持って、ヒレの方を海面につけるんだ」

先端にかけて太くなっている方がヒレだろう。反対の細い部分をしっかり右手と左手それぞれで握り、ヒレを外に出し海面につける。

「そしたら、腕を自然に伸ばして、ヒレを水中にいれる。そしてゆっくり手を体の方に引いてみて」

言われた通り腕を伸ばし、ヒレを水中にいれてを引くと、少し舟が後ろ向きに動いた。

「そうそう、そんな感じ。最後にヒレを空中に出して、腕を伸ばす。これを繰り返して進むんだ」

「結構大変だね」

「そうだね、僕はやったことないけど」

「そっか」

「舟だからね」

「これからどこ行くの?」

「いまのペースで半日漕ぎ続けた先に小さな島があるらしい。そこで少し休もう」

「よく知ってるね」

「魚に教えてもらったんだ」

「なるほど」

七日も海の上にいるからか、陸地がとても恋しい。島なら食材もあるだろうし、半日の距離ならなんとかたどり着けるだろう。腕に力を込め、オールを強く握り直し漕ぎ始める。それから数十分ほどはニアも激励の言葉を投げかけてくれていたのだが、30分もしないうちにレパートリーが無くなってしまっていた。無言と無心のまま漕ぎ続けて幾ばくか、周りが少しずつ暗くなってきている。

「もうすぐ夜?」

「ほんとうだ。もうじき夜だね」

「ちょっと疲れたな」

「分かった。じゃあ休憩しようか。朝になったらまた進もう」

「そうしよう」

オールを舟の中に入れ、力が入りにくくなっている腕をぷらぷらと揺らしてほぐす。ビスケットを半分食べて、水を飲み、横になる。

「おやすみ、ニア」

「おやすみなさい」

眠りのあいさつを交わし、目を閉じる。7日振りに目覚めたらしい今日は、初めてで溢れていた。初めて海の上で目を覚まし、舟と会話をして、舟を漕いだ。

「そういえば……うわぁっ」

心の声が漏れるほど、星の海は綺麗だった。遮るものが一切ない夜空には、輝々しい無数の星で埋め尽くされていて、何もない空間を見つける方が難しい。体は上下に揺れ、波の音がささやく。それは光り輝く星海の中を漂っているようで、いつしか沈み込むように眠りについていた。



体が激しく上下に揺れ目を覚ました。周りはすこし明るく見えるものの、空は鉛色をしている。

「ニア、これはなに?」

「嵐、かもしれない」

「なんだって」

遠くの方には鉛よりも黒い雲で覆われていて、どうやらそれはこちらに向かってきている。

「波のおかげもあってか、島まであと数十分だ。後ろを見てみて」

そう言われ振り返ると、水平線の手前に小さい影が見える。

「行こう。絶対たどり着く」

オールを持ち上げては、先端を海に投げ入れ勢いよく漕ぎ出す。黒雲の方からは稲光と、それに伴う鈍い音が響いてくる。風は次第に強さを増していき、雨も降りだした。次第に辺りは暗さを増していき、前方に見える黒雲群は近づく一方で、漕いでも漕いでも逃げられる気がしない。1分もしない内に雨は激しくなり、波も荒れ、舟は大きく上下に揺れる。それでもひたすら腕を引いては戻して出せる限りのスピードで後ろに進む。雷音が大きくなり、海水が舟の中に入ってくると、焦る気持ちが抑えられなくなっていた。

「落ち着いて! しっかり波を掴んで漕ぐんだ! 雑に漕ぐとかえって進まない!」

その声は嵐の中でもはっきりと聞こえ、一人じゃないことを思い出させる。

「あと少し! もうすぐだから頑張れ!」

激励の言葉は目に見えない力を与えてくれた。

「んあああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

思いのたけを叫び、波を掴むイメージで漕ぐ。漕いで漕いで、漕ぎ続ける。

「左に避けて!」

その言葉が聞こえた瞬間、反射的に振り向くとそこには大きな岩が海面から突出していた。

「右のオールだけで漕ぐんだ!」

左のオールを舟内に戻す余裕などなく、手放し海に放つ。残った右のオールを両手で掴み、最大限の力を込めて水を掻く。

「僕につかまって!」

その声が耳に届いた瞬間、全身を叩かれたような強い衝撃が走る。バキバキッという乾いた音とともに。なんとか船縁につかまることが出来たものの、足元の木板は割れ砕け、身体はぶつかった衝撃とともに海に投げ出された。手元には胸板ぐらいはあろうかという板一枚が残り、それが体を浮かしてくれている。荒れた波の中ではどうすることも出来ず、必死に板にしがみつく。溺れかけては板によじ登り、時には大きな波に襲われ、数十秒呼吸が出来なくなる。それでもこの木板だけは手放さない。呼吸できずとも板の浮力を頼りに海面を探り浮上する。木板に体を乗せ口鼻に入った海水を吐き出し、荒々しい呼吸で酸素を取り込む。顔を上げると島はまさしく目先にあった。足をばたつかせるが、前に進むことはできず波に飲まれていく。悔しさと憤りでより強く水を蹴ると、指先が砂に当たる感触がした。確かめるように足を降ろすと、そこには砂地があり両足で地面を掴んだ。波が強いのでしっかり立ち上がることは出来ないが、地面を蹴るようにして前に進んだ。すぐに水深が膝下ぐらいになったので、そこでようやく立ち上がり島へと上陸する。

一歩、二歩、三歩と進んだ先で体力の限界をむかえ仰向けに倒れ込んだ。頼りにしていた木板は短い棒きれになってしまっていて、それを両腕で抱きしめる。

「ごめんね、ニア」

そう呟くと同時に意識は暗闇へと吸い込まれた。



どれだけ眠っていたのか。気づけば空は青白く輝き、波も静かになっている。上半身を起こし辺りを見渡す。そこには嵐なんかなかったかのように、穏やかで美しい水平線が広がっていた。海岸には細々と木片が見受けられ、心がぎゅっと締め付けられる。すべては岩を避けきれなかった操縦のせいだ。悔やんでも二度と帰ってこない舟。

「ニアぁ」

体の水分が足りてないせいか、泣いているのに涙がでない。それが余計に心を苦しくさせる。心が落ち着くまで泣き散らし、ニアが生かしてくれた命を精一杯生きようと心に強く誓う。ふんと立ち上がり振り向くと、そこには林と呼ぶべきか、森と呼ぶべきか。木々が生え、草が生い茂り、それが遠く先が見えないほど続いている。水と食料を失ったいま、ここにいても飢え死にしてしまうだけなので、食材探しを兼ねて中に入ってみることにする。右手には頼もしい相棒の形見を携えて。木々の中は空気が澄んでいて、鳥のさえずりや何か動物らしき鳴き声もする。振り向くと海岸が見えない、それほど奥に入ってきた辺りで自然界には相応しくないものを見つけた。丸太が何本も繋げられ、縦横に組み合わされて出来ている建物。小屋、だろうか。近づいてみると扉や窓があるので小屋で間違いなさそうだが。入ってみようかと迷っていると、扉が開き男の人が出てきた。

「よく来たね。入っておいで」

まるでここに来ることを知っていたかのような口ぶりに不安になるも、小屋から漂う香ばしい匂いに引き寄せられ、小屋へと入っていった。

「あなたは、だれ?」

「私はベルヘル。この島の管理者とでも言えばいいかな」

「ベルヘル、さん」

「気軽にベルさんでいいよ。君は?」

「……?」

「ふむ、なるほど。お嬢さんには記憶がないね?」

そう言って彼は私の目をまじまじと見つめてくる。

「君はどこから来たんだい?」

「分からない。気づいたら舟の上にいて、それで」

「そうか。何か思い出せることはある?」

「……なにも、ない」

「分かった」

するとベルさんは部屋の奥へと消え、しばらくすると一冊の本を持ってきた。

「この世界には不思議なものがたくさんあってね。飛べない鳥や燃えない木。死なない亀に羽化しない卵。多分君はその一つ。君はぱっと見15歳ぐらいだけど、それだけの記憶や時間と引き換えに、何か不思議な力を持っている、んだと思う」

「不思議な力……」

「そう。この島はその不思議な力に溢れている。この前なんてしゃべる舟が」

「しゃべる舟!?」

「な、なにか知っているのかい?」

「私、その、しゃべる舟に乗ってきたんです」

「そうだったのか。その舟は今どこに?」

途端、右手にぐっと力が入る。

「今朝の嵐で、岩にぶつかって。それで、粉々に……」

「そっか。それは、、残念だったね」

部屋中に重たい空気が流れる。俯き右手にある棒を眺めては、心が痛む。

「その棒は、その舟の?」

「そう、です」

今にも泣きそうだ。泣いているのかもしれない。涙が出ないのはとても不便で、心苦しい。

「ちょっと見せてもらってもいいかな」

「はい」

ニアだったものを手渡すと、ベルさんは慈しむように眺め、撫でた。すると突然彼から笑みがこぼれた。

「ごめんごめん。あまりにも意地悪してるなと思ったらつい」

「……?」

その言葉の意味が分からず、文字通り首を傾げてしまった。

「こいつは生きてるよ。いまだって喋れるはずだ」

「え?」

「見ててね、いくよ」

彼は持っていた棒を振り上げ、壁に叩きつけようとする。すると

「待った待った!それは痛いやつだ!」

聞き覚えのある声がその棒から発せられた。

「ニア!!!!!」

「俺が目を覚ました時には、お前が泣いててよ。言い出すタイミングがなくて、おっ?」

一目散にその棒をベルさんから奪い取り、思い切り抱きしめる。

「死んじゃったと思った」

「俺も死んだと思ったんだけどな。なんとか生き延びて、って痛い!痛いぞ!」

ニアが生きていたことに安堵を覚えたのも束の間、生きてたなら早くそう言ってくれればよかったのにと苛立ちがこみ上げてきて、自然と腕に力が入る。

「死ぬ!死んじゃうから!折れるううぅぅぅぅぅ!」

「なんかニア、口悪くなったね?」

「そりゃあいまは、尖ってるからな」

「なるほど」

それでもこうやってニアが居てくれるのは心強い。共にあの嵐を乗り越えられた。あれは私とニアの間に絆を生みだす一つの試練だったのかもしれない。

「そいつはニアというのか。お嬢さんにも名前がないと不便だね」

「私の名前」

「お前棒っきれみたいに細いから、カノンだ!」

「カノン……カノン!」

「いい名前だね。カノン」

「はいっ!」

「素晴らしいネーミングセンスだろ」

「でも棒に棒っきれって言われるのもなんか」

「棒からのお墨付きだぞ。ありがたく思え」

「ありがと、これからよろしくね、ニア」

「任せとけ!」

私の名前はカノン。これからこの名前と、ニアと一緒に生きていく。

「あ、でもその前に俺を舟に戻せよな」

「えぇ~。出来るかな」

「カノン、私も手伝うよ。この島の木たちも使ってくれていいから」

「ベルさんっ、ありがとうございます!」

「任せたぜ、カノン!」

「任せなさい」

舟の作り方なんて知らないけど、何とかなる気がする。それだけのものをたった今もらった。名前を呼ばれることが、こんなにも嬉しいことだったなんて。私が私として存在することの証。それがこの名前。

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