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蕾から1ヶ月  作者: 夏川 流美
4/6

また明日の涙

 アラームは、いつの間にか止まっていた。目覚まし時計で起きなかったことなど、最近は滅多に無かった。昨夜のことがどれだけ俺に影響を与えたのかが分かる。


 ゆっくりしている時間は無い。準備をすると駆け足で家を出た。会社に行って帰るだけの日々を過ごす俺にとって、久々に車に乗る。むしろ懐かしく感じる。


 慎重にハンドルをきり、白の家へ向かう。走って白の家に向かった時よりも、当然だが遥かに速く着くことができた。清楚な服に身を包ませた白は、玄関前で既に立っていた。



「おはようございます、祐介さん。運転できたんですね」


「頻繁にはしないけどね。用も無いし。まぁこれでも、大人ですから」



 冗談のように言われたので、自慢気に返す。面白そうに微笑んだ白を助手席へ乗せると、目的地に走り出した。



「どこへ連れて行ってくれるんですか?」


「んー……内緒、かな!」



 内緒にするわりには、別に大した場所ではない。だがネタバレしてしまうのも、つまらない。


 口角を上げて窓の外を眺める白。過ぎていくもの全てに、目を奪われているようだった。


 車で、こんな美人と二人きり。そんなの体験したことが無い俺には、緊張ばかりが付きまとう。無事に目的地に着いた時、階段を軽々と上っていく白とは反対に、俺はもう疲れきっていた。



「……!! 祐介さん、ここって……!!」



 一足先に階段を上りきった白が振り返る。驚いた表情と、嬉しそうな笑顔が入り混じり、それがなんとも可愛い。



「この寒い時期に、よく咲いてるよね」



 白を連れてきたのは、広大な大地を埋め尽くす綺麗な花畑。本当のことを言うなら、もっと色々な花が咲き誇る春や夏に来たかった。それも、仕方ない。冬でもここは十分咲いている。


 無邪気に笑い、ひとつひとつの花をじっと見つめていく。俺のことはそっちのけだ。元々、白さえ楽しんでくれたらの思いで連れて来ているから、何の支障も無いが。


 付近のベンチに腰掛け、白の横顔を見つめる。あと1週間なんて信じられない程に元気だ。実は嘘だったんじゃないかと、真面目に疑ってしまう。



「祐介さん、薔薇が咲いてますよ!!」



 白自身が薔薇なんだから、何もそこまで薔薇で興奮することないのに、と可笑しく思いつつ、白の元へ歩く。必死に手招きしていたくせに、スッと目線を移して薔薇に夢中になる。


 まるで小動物のようだ。ころころと忙しない。こんな姿は初めて見る。そもそも、こうやって遊ぶこと自体が初めてだが。



「本当だ。綺麗」



 俺の言葉は耳に入ったのか否か。延々と薔薇を見続ける白の顔が、一瞬曇ったような気がした。特に何も言うことはなく、瞬きをした次の瞬間には、また笑っていた。






 帰り道。来たときの景色を逆再生する窓の外。辺りは既に薄暗く、最後まではしゃいでいた白は、窓の向こうに興味を失くしているようだった。


 こくりこくりと助手席で眠そうな白。寝ても大丈夫だよ、と言っても聞かない。必死に睡魔と戦っている。そのうち、睡魔に負けている時間のほうが長くなり、信号待ちで白の方を見ると、心地好さそうに眠っていた。


 なんだかとても幸せな気分になりながら運転を続け、白の家へと着く。小さく肩を叩くと、恥ずかしそうにすぐさま顔を上げた。



「すみません、眠ってしまって……!」


「いやいや、大丈夫! ゆっくり休んで!」


「はい……! 今日はありがとうございました!」



 車から降りると、玄関前で深々と一礼した。眠気の残る顔で手を振ると、家の中に入っていく。


 それを見届けて、俺も家に帰る。今日は白の嬉しそうな様子が見られて良かった。余韻に浸りながら、明日明後日のことをふと考える。


 明日はまだ白も疲れているだろうし、夜電話するくらいで良い。じゃあ明後日、連休最後の日はどうしようか。何処かにきちんと連れて行けるのは、もうその日しかない。何処に連れて行けば良いのか。思考回路を巡らせる。


 思いつく場所は、ひとつしかなかった。






 そして連休最後の日。昨夜の電話は、いつもよりも1時間長く、計2時間も電話していた。2時間のほとんどは花畑の話題で盛り上がり、白の知識の豊富さに驚かされた電話だった。


 今日は花畑に行った日とは違い、12時に待ち合わせだ。しっかりアラームで起きた俺は、余裕をもって準備を進める。別にいつもと何の変わりもない。個人の休日も少しだけ満喫しつつ、時間を見て待ち合わせ場所に向かう。



「祐介さん……! ごめんなさい、お待たせしました……!」


「待ってないよ、大丈夫! 待ち合わせ時間にすらなってないし!」



 俺が勇気を出した花屋の、前が待ち合わせ場所。10分前に着いた俺と、5分前に来た白。あの日と、変わらない。


 どちらからともなく歩き出す。昨日あれだけ電話をしたというのにも関わらず、会話は続く。あっという間に着いてしまった。



「なんだか、懐かしく感じます」


「……俺も」



 俺がドアを開けると、白が優しく微笑んで会釈をして入る。珍しく他の客は少なく、ひっそりとした雰囲気に包まれていた。


 白が棘のことを打ち明けてくれた、カフェ。特に楽しいところではなくて申し訳ない気持ちもある。だが行くとしたら、ここが良かった。


 俺にとってこのカフェは、白との思い出のひとつ。ここでまた、他愛もない話を交わしたかった。


 今日は温かなシチューを頼んだ。白も同じものを頼み、ゆっくりと口に運ぶ。



 お互いに、あまり喋らなかった。昨日の電話で話題が尽きたわけではない。周りの雰囲気を含めて、今の空気が心地良かっただけ。ちらっと白を見ると目が合い、ふっと笑ってくれた。


 白が、あと約1週間と伝えてきてから、今日で6日になる。もしかしたら明日には電話が繋がらないかもしれない。逆に、あと3日も4日も電話できるかもしれない。


 しっかりとした日時がわからないというのは、密かに俺の心に不安を与えていた。だけど、それは、白も同じなのだろう。



「ここのシチュー、初めて食べたけど美味しいな」


「そうですね……! 前に食べたオムライスも美味しかったです!」



 不安を抱えながらも、顔に出さない。どうでもいい会話を繰り広げる。いつもと同じ。今までと同じ。何も変わらない。変わらなくて良い。この時間が、終わってほしくない。


 切実な叶うことのない願い。白に気付かれないように、丸めて心の奥底に投げ捨てる。我儘を言ったって、時間は無情に進んでいくだけだから。



「今日はこんなに天気が良いのに、明日は雨だって、知ってました?」


「まじか、知らなかった……! 明日からまた仕事始まるのに……」



 時計の針が回っていく。太陽の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。最初にいた客はいなくなり、夜に向けて新しい客に入れ替わる時だろう。



「……そろそろ、帰りますか?」



 そうだね、とは、返せなかった。単純に、帰りたくなかった。この時間を終わらせたくなかった。そうもいかないのは……分かっていた。


 曖昧な表情で俺を見つめる白。視線をさ迷わせ、俯く俺。返事をする声が出てこない。



「閉店まで、お話してましょうか」



 思わず顔を上げた。柔らかく笑い、断固とした強さを持つ白が、そこにはいた。


 自分の弱さを惨めに感じながらも、深く頷く。閉店まで3時間半。話せること全て言葉にしてしまいたい。



「もう一回、シチュー頼もうかな……」


「あ、じゃあ俺も!」



 ぽつりと呟く白に便乗する。昼食で頼んだシチューを、今度は夕食で頼む。2人して、またシチューで体を温める。


 なんだかそれが、どうしようもなく面白くて笑う。不思議そうな顔で見ていた白も、次第に釣られて笑い出した。



「なんで笑ってるんですかー!」


「だってなんか、面白くて!」






――すっかり闇に沈んだ住宅街。俺と白の足音だけが寂しく響く。


 カフェでの会話は止まることなく、本当に価値の無さそうなことから、ちょっと真剣な議論など、とにかく片っ端から喋り尽くした。おかげで時間の進みは尋常じゃなく早かった。



「この時間帯は流石に冷えるな……」


「大丈夫ですか? 私の上着で良ければ貸しますよ?」


「いや大丈夫だよ!? 白さんは寒くないの?」


「私は特に……」



 薔薇は寒さに強いのか? と考えながら、白の家に行く。ぽつぽつと静かに会話をしつつ、空を見上げる。街灯が多く、あまりはっきりと星の姿は見えない。





 もうすぐ、今日が終わる。





「今日は1日、たくさんお話できて嬉しかったです」



 消えてしまいそうな声で放たれた言葉。胸が、ぐっと苦しくなった。普通の言葉なのに、返す言葉が見つからない。



「こんなにお話したのは、初めてですね!」



 俺の一歩先を行く白。だんだんと重くなる足取りに、白は気付かない。



「明日からお仕事なんですよね。夜、電話待ってますね!」



 無邪気で、明るい声が突き刺さる。けして俺の方は振り向かない。己のペースで進んでいく。



「夜、電話待ってますから。明日、待ってますからね……」





「白!!」



 震えて、堪えて、何かを飲み込んでいる。もう、無理して笑わないでくれ。


 初めて敬称をつけずに呼んだ。白は歩くのを止めたが、振り向かない。小さく、返事だけをする。


 白のすぐ側まで行く。俺は一呼吸して、伝えたかった言葉を、落とした。



「    」


「――そんな、ことっ……」



 涙を流し、笑うのをやめた白が俺と目を合わせ、そして。




「そんなことっ!! ……言わないで、ほしかったぁ……!」




 声を上げて泣き出す白。抱き締めようにも、抱き締める勇気も権利もなくて。幼い子のように泣く白の背中を、優しくさするのが精一杯だった。


 しんとした住宅街に、白の泣き声だけが響いて溶けていく。やっぱり俺は無力すぎる。何も言えない自分が恨めしくて、大嫌いだ。



 ……10分か20分か。そこそこの時間泣き続け、ようやく泣き止んだ白の手を引いて歩き出す。痛みなんて、もうどうでも良かった。俺の様子を見て、優しく握り返してくる。お互い、何も喋らないまま、白の家へと辿り着いた。


 名残惜しく手を離すかと思えば、ぱっと手を離された。玄関前に立った白が、視線を真っ直ぐに絡ませてくる。


 そしておもむろに口を開き、柔らかく笑う。



「ありがとう……ごめんなさい」



――また、明日。電話待ってます。



 それだけ言い放って手を振った白は、家の中へと入っていった。


 取り残された気分だ。なんだか一方的に、とんとんと進んで、俺が伝えたいことを伝えたことが原因のはずなのに、腑に落ちない。


 白も、あれだけ泣いていたし、落ち着いてなかったのだろう。そう考えることにして、俺も帰宅した。

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