やめて失敗、東京アラート
東京アラートが単なる物まねだったことが、中止によって確定的になった。もともと、見える化だったんだから、厳格に運用していればよかった。
一般都民に向けて、注意を促すもので十分だった。感染者が増えた減っただけの目安だから、別に休業要請とは関係ない。患者の増減に関係なく、対策ができたところから順次開けていくべきだ。ただ、感染者が増えてきたら、個人がなるべく外出を控えようとか、早仕舞いにしようかとかそれぞれで考えればいい。
見える化で成功を誇示しようとしたんだろうけど、失敗しても見えることになる。だから、機械的に粛々と進めていくことがもっとも無難なことだ。
雨が降りそうだ。あるいは、雨が激しくなりそうだ。
こういう情報は必要だが、だから店に傘を並べろとかは大きなお世話である。ましてや、傘が少ないから出かけないほうがいいとか、傘が十分あるから出かけても大丈夫とかもいらない。
見える化にとって重要なのは、状況を知らせることであって、対策を伝えることではない。日本のITでよくないのは、色付けした情報をだしてくることだ。情報は色をつけずに、生のままで出したほうが、よいアイデアが生まれる。それを、政治的な思惑で妙な色をつけるものだから、煮ても焼いても食えなくなってしまうのである。