第二話 魔犬
書き直しました。
短く連続的に吐き出される荒い呼吸音と、乾いた土を蹴る音が細い通路に響いている。
呼吸音も蹴る音も一人分しかしない。しかし、荒れた細い通路に映る影は二つだった。一つは小柄な人間の影。もう一つは、小さな猫の影だった。
影の正体は、私とココだ。
そして今、私とココは魔物に追われている真っ最中。
足が縺れて止まったり、転けたら、即アウト。THE END。即退場だよね。
何、ヘマをやらかしたんだって? やらかしてないよ。ヘマはね……。
取り合えず、喰われたくないので、私とココは全速力で細い通路を滑走していた。
「ムツキ!! その角、右!!」
鋭い声で、ココは私に指示を出す。
返事する余裕は全くない。でも、ココの指示ははっきりと聞こえた。迷わず、私はココの指示通り目の前の角を右に曲がった。
スピードを落とさずに曲がったせいか、一瞬右足が滑り、足が縺れて転けそうになった。ここで転けたら、魔物の餌決定。何とか踏ん張れた。最悪な事態は免れたよ。
それでも背後から、魔獸の息遣いが聞こえてくる。
一見、大型犬のように見えたそれは、その容貌と口元から覗く太くて鋭い牙、そして纏ってる空気が、明らかにそこら辺にいる犬ではなかった。
ーー魔犬だ。
魔物のレベルでいえば、そんなに高いレベルではない。全体陸に出没するポピュラーな魔物だ。ランクも、いってCランク。でもそれは、あくまで個体に関してだ。厄介な事に、魔犬は群れで行動する。
つまり、狩りも群れで行うのだ。
私とココを追い掛けている魔犬の数は五頭。内、数頭は壁に激突して群れが崩れた。
計画通り。
魔力を両足に流しているので、走るスピードはかなり速い筈。念のために距離をとっていた筈なのに、さすが獣種の魔物。段々と詰められてきた。魔犬の土を蹴る音が近くで聞こえる。
(このままじゃ、追い付かれる!!)
空き地まではもう少しーー。
「睦月さん!! ココ!! 避けて下さい!!!!」
サス君の鋭い声が耳を突き刺す。
私とココは反射的に空き地に飛び込む。そして地面に伏せ、頭を抱えて衝撃に備えた。
と同時に、ドンッ!! と何かが落ちて来たような大きな落下音がした。地面が少し揺れた気がする。
すぐ脇で、何かが焦げるような臭いがした。焦げたのが魔犬だと直感的に分かる。肉の生焼けの臭いに、顔をしかめ吐き気を我慢する。
やっと体を起こすと周囲を見回した。
空き地に出る細い通路の真ん中に、折り重なるように魔犬の死骸が三頭転がっている。
(落ちたのか雷……?)
昔、一度近くで雷が落ちた事があった。だから、さっきの現象が何だったか容易に想像出来た。
サス君が雷を放つ事が出来るなんて知らなかった。魔法なのか、それともサス君が持ってる固有スキルなのかは知らないが、最高位の霊獣であるサス君にとって、この手の攻撃が出来る事は、特別不思議な事ではなかった。
驚いたけど、まだ許容範囲かな。
おそらくこの三頭が、壁に激突しなかった魔犬。だとしたら、壁に激突した二頭は……。そう考えていた時だった。
「「ウゥ~~~~~~」」
仲間の亡骸を飛び越え、姿を見せた魔犬のとても低い唸り声が空き地に響いた。マズルに深い皺を寄せ、牙を剥き出し、私たちを喰い殺さんと血走った目で見ている。
二頭の魔犬と対峙する。
膠着状態で睨み合う私たちと魔犬。
(目線を逸らした途端、襲い掛かって来る!! 間違いなく)
だから、瞬きを忘れる程、魔犬を凝視し睨み付ける。
その睨み合いがどれぐらい続いただろう。睨み合う時間は数十秒ぐらいだったかもしれないが、私には、それが数分に思える程長く感じた。
先に視線を逸らしたのは魔犬だった。二頭の魔犬は踵を返すと、そのまま逃げて行った。逃げて行く魔犬に、サス君は敢えて雷を打ち込まなかった。
魔犬の姿が見えなくなって、一瞬、体から力が抜けた。そんな私の様子に気付いたココが隣で、「しっかりしろ!! 気を抜くな!!」と、厳しい口調で叱責する。
ココの言う通りだ。
ここは、魔物のテリトリー内だった。それに……私は今からやらなきゃいけない事がある。緊張で体が強張る。運動とは違う汗が全身から吹き出す。極度の緊張で軽く吐き気がしてきた。
吐き気を我慢している時だった。
てっきり、もう動けないと思っていた魔犬の一頭が、折り重なった仲間の亡骸から必死で抜け出そうともがいている。
瀕死な状態だが、辛うじて生きている。
それを見て、私は硬直する。
魔犬は漸く抜け出すと、瀕死な体を起こそうと踏ん張るが、直ぐにふらつき、通路に体を激しく打ち付けた。
ここまで、計画通りだった。
あまりの惨さに顔を背けたくなる。
計画は至って簡単なものだった。考えたのは勿論ココだ。
1)私とココが魔物の餌になって、サス君が待機する空き地まで誘き寄せる。
2)空き地で待機していたサス君が、死なない程度の攻撃を魔物に加える。
3)瀕死な状態の魔物に止めを刺す。
4)経験値を得る。
以上。
それが、超ド素人の私が経験値を得るのに最良な作戦だった。
実際、サス君はとても優秀だった。
一頭は瀕死。残り二頭は既に死んでいる。その亡骸は姿を消し、地面に魔石が二個転がっていた。
瀕死な状態の魔犬に、サス君がゆっくりと近付く。
「…………サス君」
何のために、わざわざ瀕死な魔犬に近付くの? ……私のため? より安全に経験値を得るために、サス君は……。
魔犬は最後まで唸り声を上げ、牙を剥き、私たちを威嚇している。その頭を、サス君は躊躇うことな前足で抑え込んだ。魔犬は最早、唸り声さえ上げれない。
「睦月さん、止めを!」
(分かってる!!)
「今なら、楽に殺れるよ!」
(何度も言わなくても分かってるって!!)
サス君とココが、魔犬に止めを刺すよう促す。
ーー止めを刺す。
それは、殺す事だ。
そうしなければならない事は頭で理解していた。理解していた筈なのに、その覚悟もしていた筈なのに……私の体は、まるで金縛りにあったかのように硬直して動かない。
「睦月さん!!」
「ムツキ!!」
微動だにしない私に、サス君とココは声を荒げる。
「逃げ出すな!!」
サス君が敬語を使わずに怒鳴り付けた。初めてだった。
サス君の言う通りだ。私はそのために、ここに来たんだ。なのに、ここに来て逃げ出そうとしている。魔犬でさえ、最後まで戦おうとしていたのに……私は……。
「ムツキはハンターだ。ハンターとしての責任から、背を向けるな!!」
私を見上げ、ココは厳しい言葉を投げ掛ける。
ここで逃げ出したら、私はハンターとして終わりだ。始まってもないのに、終わってしまう。確実に。もう二度と立てなくなる。今の自分は、目の前の瀕死な魔犬と同じ。魔犬の頭を抑えているサス君の行為は、言い換えれば恐怖だ。恐怖が私を抑え込み、体を硬直させている。命を奪う恐怖。そして、ハンターという仕事の恐怖。様々な恐怖が私を支配する。
(このまま、恐怖に屈したら駄目!!)
恐怖に負ける訳にはいかない。
逃げ出す訳にはいかない。
時には、逃げ出していい場面もあると思う。しかし、絶対に逃げ出したらいけない瞬間がある。それがまさに、今この瞬間だった。
「……う…ご……け………動け……動けーーーーーー!!!!」
吐き出される言葉。始めは小さく聞き取れにくい声だった。だが最後は、叫びとなって吐き出された。
サス君とココは驚きながらも、私を黙って見守っている。
叫び終えた後、私は両膝を地面につく。地面を見詰め、荒い息を整えた後、立ち上がるとナイフを鞘から抜いた。そして、瀕死の魔犬へと近付く。
「…………サス君、ココ、ありがとう」
聞こえるか聞こえない程のか細い声でお礼を言った後、私はナイフを両手で持ち、頭上に掲げ一気に振り下ろした。
グチャという鈍い音をたて、ナイフは魔犬の体を貫く。貫いた瞬間、ビクッと体を揺らすと、大量の血を吐いて魔犬は動かなくなった。濃い鉄分の臭いが鼻孔を衝く。魔犬の血が頬と服を染める。
動かなくなった魔犬を見下ろしながら、私は無意識に呟いていた。「…………ごめんね」と。
最後まで読んで頂き、ありがとうございますm(__)m
魔物とはいえ、命を絶つ瞬間、貴方はどう感じますか?
 




