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波風が肌に突き刺さるようだった。太陽は弱々しく、高く澄み渡った空に頼りなさ気に浮かんでいるだけ。季節はもう冬。それも、年の瀬の押し迫った十二月三十一日、大晦日だ。

 一般の人々なら、会社も学校も冬休みで、正月を今か今かと待ち構えているところだが、このお台場、東京ジャイアントサイトは違う。年末に行われるコミックカーニバルこそ、一年のうちで一番燃え上がる、この寒さすら吹き飛ばす一大イベントだ。

「それにしても、このクソ寒いのに人が集まるもんだな」

 東京ジャイアントサイトに隣接するホテルの一室、窓際で下を眺めていた龍聖が呟いた。目に映る限り一面の人、人、人。佃煮にしたって食べきれないほどの人間が、列を成し大地を埋め尽くしていた。

「お前もあの列に並ぶんだ。早く準備しろ」

 やや厳しい口調で咎めたのはクーデルだった。もう既に、魔法JCミーナのコスチュームに着替えてしまっている。準備は万端といった様相だ。

「ほんとに、アレに並ぶんだ……」

「お前が早くゆとりと仲直りしないからだ。チケットさえあれば簡単に中に入れたものを」

「それを言うなよ……」

 クーデルの言うことに何一つ誤りは無かった。ゆとりとピョートルのデートを尾行してから三ヶ月、ゆとりの気持ちを知ったにも関わらず、龍聖は最後の一線をどうにも踏み越えられないでいた。以前のような刺々しさは影を潜めたものの、交わす言葉は事務的なものばかり。

「イベントにかこつけて、勢いを付けないと自分の想いも告げられないか。情けないヤツだ」

「それも言うなよ……」

 これもまた、クーデルの言う通り、反論の余地も無い。以前、責任を取る、なんて言ったときはゆとりの裸を見てしまったからつい出てしまった告白だった。だが、そんな勢いが無ければいきなり告白なんて出来やしない。今回、こっそりコミックカーニバルに一般としてでも参加しようとしたのは、その勢いを得る為だった。

「だいたい、なんでクーデルはそんなに俺とゆとりをくっつけようとするんだよ。恋のキューピットか?」

「ボクはな、ゆとりと一緒にいるりゅーせーが好きなんだ」

「む……」

 屈託無く、無邪気に笑うクーデル。初めて出会った頃とはまるで違う。あの冷たい表情は、もう何処にも無かった。その笑顔、龍聖の男を熱くするのに、十二分過ぎるほどの効果を持ち合わせていた。

「クーデル……俺、まだご褒美貰ってない……」

 その温度が解るまでに、自分の顔をクーデルの唇へと近付ける龍聖。しかし、顔を近づけなくとも、その拒絶の色は明確だっただろう。野生の昆虫が放つ警戒色にも似た瞳の色。それに気付いたときには、もう遅かった。

「場所も時間も構わず発情か。それじゃあケダモノと変わらないぞ」

「おぐおッ!」

 クーデルの膝が、強かに龍聖のいきり立った股間を押し潰していた。嘗て、風呂場で味わったあの苦痛が、まざまざと龍聖の神経という神経を苛む。

「ほら、さっさと用意をしろ。オシメまで替えてもらわなきゃいけない歳か?」

「出来るなら、お願いしたいね……」

「一生言ってろ」

 痛恨の一撃を食らっても尚、減らず口を叩く龍聖を無視して、テレビを付けるクーデル。別に何か見たい番組がある訳ではない、時間を確かめる為だった。だが、そこに映されていたのは、常に冷静沈着なクーデルですら茫然自失、声を失ってしまうほどの有り様だった。

『ご覧下さいッ! ここ、東京ジャイアントサイトは物々しい雰囲気に包まれておりますッ!』

 画面の中で、女子アナが悲鳴にも似た金切り声をがなり立てていた。その背後に映るのは東京ジャイアントサイト。だが、周囲を取り囲んでいるのは並んでいた一般参加者ではない。紺色の防護服にライオットシールドを装備した、そう機動隊だった。

「いったい、どうなってるんだ……!」

 人生の大半を、戦いという非日常の世界に身を置いていたクーデルには解っていた。画面の中の、機動隊員たちの顔が戦場に隣するそれであることを。これは、決して演習などではないッ!

「おい、何がどうしたってんだよッ……!」

 そのタダ事では無い雰囲気に龍聖は股間の痛みも忘れてニュースへと釘付けになっていた。どれだけ注視しても何も解らない。だが、自分の、理解の範疇を超えた何かが起こっていることだけは解る。

「狼狽えるなッ! 何を言ってるか聞こえないだろッ!」

 クーデルは女子アナの一字一句を聞き漏らすまいと、画面に齧り付く。その女子アナはスタッフから受け取った原稿に眼を通し、重々しく口を開いた。

『本日、行われる予定だった漫画の祭典コミックカーニバル。しかし、潜伏していたテロリストにより、占拠された模様です……! 中には、十万人を超えた参加者が人質となっています……! 日本政府に対する要求は、性表現の規制…………』

 まだ、女子アナが何事か言っているようだったが、龍聖とクーデルの耳に入ることは無かった。二人の頭に有るのは、全く同じ思考。十万人が人質となっているならば、その中には確実に――――。

「ゆとりッ……!」

 龍聖はカッ、と眼を見開き、外に音が漏れるほどに歯軋りをしていた。気ばかりが急き、何をしていいのかまるで解らない。

「りゅーせー、落ち着け」

「これが落ち着いてなんかいられるかよッ! ゆとりがッ! ゆとりが中にいるんだぞッ!」

「だから落ち着けと言っているッ!」

「ぐッ……」

 クーデルの、絞り出すような慟哭に龍聖は黙らざるを得なかった。そう、砂を噛むような思いをしているのは龍聖だけではないのだ。日本で人間らしい暮らしをするようになってから、姉のように慕ってきたゆとり。その大切な姉が、テロリストの人質となっている。今にも飛び出したい気持ちを、鋼鉄の意思で抑え付けていた。

「りゅーせー、黙って聞いてほしい」

「ああ……」

「熊の穴の、最終ミッションにコミックカーニバルジャックという計画が存在している」

「なんだとッ! じゃあ熊の穴がッ……!」

「だから、黙れと言っているッ! いいか、計画はあくまで計画に過ぎない。それに、認めたくはないが、今や熊の穴はカリカトラに、完全に掌握されているだろう。つまり……」

「このテロリストは、カリカトラ、ってことか?」

「断言は出来無い。だが、その可能性は高い……!」

 堪え切れなくなったのか、クーデルはガラステーブルを叩き付けた。強化ガラスで出来たはずのテーブルが、いとも容易く粉々に砕け散る。熊の穴で鍛えられたその鋼の肉体は、今だ健在だった。

「仲間を奪い、ゆとりまで奪うか、カリカトラッ……!」

 深く、悲しい叫びが部屋に響く。龍聖は、その震える小さな身体を黙って見詰めるしか無かった。いや、本当にそれしか出来無いのか……俺には、まだ何か出来ることがあるはずだ……!

                   ・

「全く、忙しいったらありゃしない……これもそれも、龍聖のせいよッ!」

 話は、三時間ほど前まで遡る。たった一人のサークルスペースでゆとりは右往左往としていた。たった一度、龍聖とクーデルに手伝ってもらっただけだというのに、もう準備の勝手を忘れてしまっている。まだ、本の半分も並べることが出来無いでいた。

「寂しい、なぁ」

 そんな本音が、ふとゆとりの口から漏れていた。ついこの間の夏まで、龍聖とクーデルとの三人で、何処に行くにもこの三人で一緒にいたはずだ。それが、今はたった一人。他に例えようのない孤独が、ゆとりを苛んでいた。

「ミスゆとり、何かお手伝いしましょうか?」

「あ、ピョートルさん……」

 顔に、猫を被ったような笑みを貼り付け、後ろからゆとりの肩に手を置いたのはピョートルだった。何故だろうか、その身体には得体の知れない自信で満ち溢れている。ピョートルに、好意的な感情を抱いているゆとりですら、一歩引いてしまうほどに、得体の知れない雰囲気。

「ピョートルさん、準備はしなくていいんですか……?」

「ふふ……準備など、もう必要無いのですよ……」

「え……?」

「前に言いましたよね。私は、欲しいものは全て手に入れる主義だとッ……」

 ピョートルの双眸に狂気の色が灯る。その右手を高らかに天へと掲げ、パチン、と指を鳴らした。それは、その音が、東京ジャイアントサイトに鳴り響くのと、全く同じ瞬間だった。

「な……なんなのッ!?」

 人は、理解不能な事態に陥った時、言葉を失ってしまう。広いフロアは息苦しいまでの沈黙に支配されていた。サークルスペースのあちこちには、マシンガンを構えた迷彩服たちが数十人、音も無く立ち上がっていた。

「諸君ッ! 東京ジャイアントサイトは、コミックカーニバルはこの熊の穴が占拠したッ!」

 フロアに設置されたスピーカーからピョートルの声が鳴り響く。おそらくは、音響室もピョートルたちの手に落ちているのだろう。いや、この東京ジャイアントサイト全体が、既に彼らの手に有ると考えたほうが自然だ。

「我々の要求はただ一点ッ! 世界に蔓延る日本の猥褻で低俗な創作物ッ! それらの規制を日本政府に要求するッ! もしも受け入れられない場合はッ……!」

 ピョートルは一番近くの迷彩服に目配せをした。次の瞬間には乾いた破裂音がフロア中に響く。漂う硝煙の臭い。上を向いた銃口からは、白煙がゆらゆらと立ち昇っていた。

「これはコスプレではないッ! 繰り返すッ! これはコスプレではないッ!」

 どよめきと、悲鳴が入り乱れた重苦しい雑音がゆとりの耳を劈いていた。動けない、どうしても動くことが出来無い。恐怖がぬかるみのように足に纏わり付いて、混乱が石ころのように喉に詰まって、何もすることが出来無い。ただ、ピョートルの妄執に塗れた、舐めるような視線の餌食になるしか無かった。

                   ・

「クーデル行くぞ」

 もう、龍聖はいてもたってもいられなかった。元々、頭で考えるのは得な方ではない。感情の赴くままに、身体の動くままに、そうして今迄生きてきた。黙ってじっとしているなんて性に合わない。

「どこに行くっていうんだ」

「決まっている、テロリストぶっ飛ばしてゆとりを救ける。それだけだ」

「馬鹿なことを。ヤクザの事務所に突っ込むのとは話が違う。死ぬぞ」

「ならどうしろってんだよッ! こんまま黙って指咥えて見てろって言うのかよッ!」

 ベッドの脚を思いっ切り蹴り付ける龍聖。苛立ちを誤魔化す以外の何物でも無いただの八つ当たりだった。だが、クーデルはこの行為を軽蔑するどころか、頼もしくすら感じていた。テロリストを前にしても全く衰えることの無い闘志。その、龍聖の龍聖たる所以を、クーデルはこよなく愛していた。

「いいか、カリカトラがやっているとはいえ元は熊の穴の計画だ。内容はボクが把握している、ボクに任せろ」

 そう言うと、クーデルはピンク色の紙を広げた。コミックカーニバルのカタログに付いている、東京ジャイアントサイトの地図だ。

「いいか、ここが東の一、ニ、三。通路を挟んで四、五、六。そしてこっちが西。このフロアを同時多発的に占拠するのがこの計画の要だ」

「ふむ……」

「広いのが問題だからな。一フロアに七十人程度の戦闘員、指揮官が一人、といったところか」

「つまり、頭を押さえりゃあ」

「理解の早い男は嫌いじゃない。だが、問題が一つある。ボクとりゅーせーが、それぞれ戦闘員十人分の戦闘力があるとしても、それでも向こうは七倍の戦力を有している。これでは、敵う訳も無い……」

 クーデルが視線を落とした。暗く沈んだ顔を見られたくなかった。七倍、絶望的な戦力差だ。どれだけ策を弄しようとも、如何ともし難い現実。だが、龍聖の表情は違う。犬歯を剥き出しにした、凶悪な笑みがそこには浮かんでいた。

「戦力だぁ? 幾らでもあるじゃねえかよ。十万もの戦力がッ!」

                   ・

「くっくっく……しかし、日本人の平和ボケも救い難いですね……これだけの人が集まる場所に大した警備も置いていないのですから」

 心底愉快そうに嘲笑を浮かべるピョートル。もはや、ゆとりの前でその本性を隠そうともしていなかった。まるで、我が物にしたかのように、ゆとりのもみあげを人差し指でくるくると弄っていた。

「どうして……どうしてあんな要求をしたんですかッ……! ピョートルさんは、漫画を愛していると思っていたのに……!」

「ええ、愛していますよ。漫画の生み出す、巨額の利益をね……!」

「ッ……!」

 ゆとりはその眼を見ただけで悟ってしまった。ピョートルは場を和ます冗談でこんなことを言っているのではない。ピョートルは漫画など愛してはいない。愛しているのは、金。ただそれだけだ。

「日本は、世界最大の漫画輸出国家です。そこが漫画を作れなくなればどうなるか。我がランドルフだけが独占することとなるッ! 簡単なお話でしょう」

「政府が、そう簡単にあなたたちの要求を飲むとは思えないわッ……!」

「それはどうでしょう? ただでさえ規制をしたがっているのですよ。ヤパーニヤの言葉でなんと言いましたか、そうそう渡りに船、というやつですよ」

「くッ……!」

 言い淀むゆとり。確かにピョートルの言う通りだろう。今の腰抜け政権ならば、テロリストにいとも容易く屈し、人命を言い訳に表現規制の法案を通してしまう。救出部隊を送り込む必要も無いのだ。まさに、渡りに船と言うに相応しい。

「ミスゆとり、私と取引をしませんか?」

「取引……?」

「ええ、貴女が私のモノとなってくれるのなら、人質の半分を解放しましょう」

「解放……」

「貴女に、選択の余地は無いと思いますが?」

「う……」

 ゆとりは、悔しさを噛み締めるように眼を瞑った。ピョートルは、それを肯定の返事だと解釈したのだろう。その喜悦に歪んだ顔を、ゆとりの唇へと近付ける……。

                   ・

「しかし、クーデルはなんでも知ってるんだな……」

「熊の穴では東京ジャイアントサイトが主戦場になることも視野に入れていたからな。このくらいは当たり前だ」

「まったく……日本の安全保障はどうなってんだ」

 軽口を叩く龍聖。その他には、ちゃぷちゃぷとした水を踏む音しか存在していない。地獄の入り口と見紛うほどに薄暗い通路、ゴミ捨て場に放り込まれたかと錯覚するほどに鼻を苛む異臭。此処は、お台場を蜘蛛の巣のように網羅する地下下水道だった。

「下水道は潜入の基本だ。都心部ならどこへでもつながっているからな」

 だが、そのクーデルの言葉も今の龍聖には滑稽にしか映らなかった。テレビや本なんかで得た知識しか無いが、潜入というのはもっと地味な格好でするものだろう。クーデルの格好は地味とは対極、まだミーナのコスなんか着ているのだから。

「ま、俺も人のこと言えないか」

 薄暗い下水道でも尚、その光を失わない装甲。龍聖が身に纏うのはジークスのコスチュームだった。クーデルお手製、そんじょそこらのボディアーマーが裸足で逃げ出すような性能ではあるが、おおよそ潜入というには相応しくない。

「作戦と呼べるようなモノでもないからな。それに、目立った方が何かと、な」

「ああ、乗り込んで、ぶっ潰す。そっちの方が俺の性に合うッ!」

 ギンッ! と金属と金属が擦れる音が下水に響いていた。左右の手甲をガチガチと叩き合わせる。これから待ち受けるであろう戦いが愉しみでしょうがないといった様相が、仮面を被っていても明確なほどだ。

「りゅーせー……」

 だが、そんな龍聖とは対称的に、弱々しくその名を呼ぶクーデル。まるでこのまま消えてしまうんじゃないかと思ってしまうくらいに儚げに見えていた。

「まず、ボクがここから突っ込む。東三の前に出るはずだ。りゅーせーは、この三百メートル先……」

 そこまで言って、クーデルから火が消えたように笑みが消えた。背後には錆びた鉄梯子が音も無く佇んでいる。その頭上には分厚い鋼鉄で作られたマンホールがまるで行く手を阻むかのように黒光りしていた。龍聖との確実な断絶がそこには確実に存在している。その事実が、クーデルの言葉を淀ませていた。

「どうしたい、クーデル。ここまで来て怖気付いたんじゃないだろうな。今までに、こんなミッション幾らでもこなして来たんだろ?」

「確かにな……一人で、敵の基地に潜入したことだって、血肉の飛び散る激戦に送り込まれたことだってある……でも……」

「でも?」

「ボクは……ボクは、弱くなった。りゅーせーと、ゆとりと出会って……正直、怖い……君たちを失うのが……」

「クーデル……」

 どうして、こんなにも愛おしく想えるのだろうか。眼の前で小さな肩を震わせている少女が、嘗て一国のエージェントだったと、どうして信じられるだろうか。そこにいるのは、ただ、一人の少女。この世にたった一人だけの、愛すべき少女。

「だから……だから勇気をくれ……一人でも戦えるように、勇気を……」

「ああ」

 龍聖は、クーデルが何を望んでいるのか解っていた。マスクを外し、顔を外気に露出させる。もう、言葉は要らなかった。唇と唇が、求め合うように引き合う。甘い、甘い味が、クーデルの味が口中に広がっていた。

「んぷっ……」

 もっと、ずっと重なっていたかった。しかし、残酷にも止まることの無い時間はそれを許してはくれない。名残惜しそうに離れる唇と唇。涎が糸を引き、中央には真珠のような雫が弱々しい蛍光灯の明かりを跳ね返し、きらきらと輝く。

「こらっ! いきなりなにうぷっ!」

 クーデルは全てを言い終わることは出来無かった。その瑞々しいさくらんぼのような唇を龍聖が再び塞ぐ。クーデルは何が起こったのかと眼を白黒させていた。

「なにするん……わぷぷっ!」

 二の句を継がせるヒマも与えずに、龍聖は三度唇を重ねる。クーデルはバタバタと身を捩ってなんとか龍聖を引っぺがす。酸素不足か、羞恥の為か、薄暗い下水道にひまわりの花が咲いたかのようだった。

「なにするんだっ! 遊んでる場合じゃないんだぞっ!」

「いやあ、まだ勇気が足りないのかと思ってな」

 ケタケタと愉快そうに笑う龍聖。その顔を見れば不思議と立っていた腹も収まってしまう。いや、それだけではない。どんな難関なミッションだって、二人でならばきっとクリアしてしまえるだろう、そう思わせる笑顔だった。

「もうちっと、ろまんちっくなとこでしたかったがな」

「そんなことを気にするタマか」

 お互いに軽口を叩きながらも、顔を背け合う龍聖とクーデル。戦場を前としたとは思えない、ニヤけたような、はにかんだような、そんな顔を見られたくはなかった。だが、言うべきことは言わなければならない。

「クーデル、俺、お前のこと……」

「おっと、それ以上はダメだ」

 龍聖の告白は全て言い終わる前に止まってしまう。クーデルの人差し指が、先程まで触れていた唇を押さえていた。唇のやわらかさとはまた違う感触が官能的ですらあった。

「ボクは、りゅーせーの初めてをもらった。そっちの初めては、ゆとりにあげてくれ」

「いいのかよ、そんなんで」

「ボクの好きになったりゅーせーは、女の二人くらいなら幸せに出来る男だ」

「ははっ、そうか、そうだな。お前もゆとりも、まとめて面倒見てやるッ!」

「五年後、第一子出産。その二年後、第二子出産。最初は女の子が良い」

「え」

「ボクたちの明るい家族計画だ」

「家族計画、て」

「だから、ここで死ぬわけにはいかないんだ……!」

「死なさねえよ、まだまだお楽しみはこれからだぜ?」

「ああ、絶対に死なない」

 本当の意味で、勇気を貰ったらしい。クーデルは、喪失への恐怖に歪んだ顔でもない、困難なミッションに立ち向かうときの喜悦に満ちた顔でもない、二人の未来の為に、必ず生きて帰るという覚悟を完了した顔となっていた。

「まずボクが上に上がる。りゅーせーは三百メートル先のマンホールから上がってくれ、東の六に出るはずだ」

「ああ、任せろ」

 そう言ったきり、龍聖は一度も振り返ること無く下水道を走り出した。だが、それは決してクーデルを見捨てたという行為ではない。絶大な信頼を寄せているからこそ、振り返らないのだ。今のクーデルはそれを十二分に理解することが出来ていた。だから、今こそその期待に応えよう。

「……いくぞッ!」

 どんなミッションに立ち向かったときよりも、気力が、体力が、闘志が充実していた。愛おしい人の為に戦う、それこそが自分の力を最大限に発揮するべき戦場なのだと、クーデルはこの瞬間理解していた。

「うおおおりゃあぁぁぁッ!」

 己に活を挿れる為の雄叫び。今迄のクーデルには無かった行為だ。ミッションの最中に大声を出す、ややもすれば自分の生命を危険に晒しかねない。だがそれで良い、それが良かった。今のクーデルは、熊の穴のエージェントではない。愛する人の為に戦う、一人の少女でしかなかった。

 その小さな身体から生み出されたとは思えない剛力が分厚いマンホールをまるで紙くず同然にぶっ飛ばした。その轟音、その有り得ない光景に、地上にいた見張りのテロリストは完全に虚を突かれる形となっていた。

「はぁッ! たぁッ!」

 マンホールから跳び出すクーデル。黄色い軌跡がテロリストの後頭部を稲妻のように撃ち付けていた。右の手に輝くはひまわりをあしらったステッキ。一見、子供用の玩具にも見えるが、その重さ、その斬れ味、クーデルの脚元に倒れるテロリスをを見れば明白だろう。

「……ッ!」

 数十の殺気が鋭くクーデルを突き刺していた。これだけの騒ぎを起こしたのだ、他のテロリストたちが気付かない訳がない。幾多の銃口が鈍く光り、クーデルを狙う。だが、この程度で今のクーデルが止まるハズが無かった。

「お前らッ! 伏せろぉぉぉッ!」

 人の波を掻き分け、クーデルが疾風の如く島を走り抜ける。一人たりとも犠牲にする訳にはいかない。以前のクーデルであるならば、例え仲間であろうともミッション達成の為ならば犠牲にする非情さを持ち合わせていた。だが、そんなことをすれば龍聖に合わせる顔が無い。

「うおおおあああッ!」

 もはや殺気だけではない。マシンガンから放たれた銃弾は確実にクーデルの生命を狙う。だが、暴風雨のように荒れ狂う銃弾の群れをクーデルは、飛び跳ね、身を捩り、巧みに宙を舞う。だが、荒れ狂う鉛弾をそれだけで躱しきれる訳がなかった。

「えやあッ!」

 それは、まさに神業としか言いようが無かった。躱しきれなかったハズの銃弾は、ひゅんひゅんと耳元を掠めるばかりでクーデルの柔肌にスジ一つ付けることが出来ていない。四方から迫り来る銃弾、だがそれは右手に構えたステッキで全てを叩き落とされていたのだ。驚異的な動体視力を持ち合わせたクーデルだけに可能な芸当だった。

「クソッ……! 何者だッ! 撃って撃って撃ちまくれぇ! 肉片も残すなぁッ!」

 銃声にも負けないけたたましい金切り声がフロアを震わせていた。その言葉、伊達や酔狂では決して無い。必ず殺す、そういう強い意思をクーデルは痛いほどに感じていた。だが、意志の強さという点で、今のクーデルに敵う存在がいるだろうか、いや、いるハズが無いッ!

「死にたくなければ、失せろぉッ!」

 ますますその激しさを増す弾丸の嵐。だが、それすらもクーデルを阻むことは出来なかった。目指すはただ一点、このフロアの司令官。その距離、あと百メートルッ!

「ぐッ……! このぉッ!」

 形の良い眉を歪め、鮮やかな金髪を振り乱すのはサングラスを掛けた女だった。右手に構えた拳銃をクーデル目掛けて何発、何十発とぶっ放す。その銃撃、まさに正確無比。当たったならば確実に死をもたらす。しかし、それ故にその軌道を読むのは容易いことだった。

「ッちぇりやぁッ!」

 百メートルを十一秒で駆け抜けるクーデルの健脚はもはや誰にも止めることは出来無い。女の膝下に滑り込んだクーデルは、その勢いを身体に蓄え、左脚、胴体、そして右脚と捻りを加えてゆく。渾身の気迫が込められた廻し蹴りが、鋭い軌跡を描き、女の側頭を確実に捉えていた。

「くッ……!」

 だが、相手も七十ものテロリストを束ねる指揮官だ、クーデル同様に只者ではない。紙一重で頭を逸らし、クーデルの爪先を躱す。チッ、っと何かが掠れる音。サングラスが歪にへしゃげ、宙に舞っていた。焦燥に入り乱れたその顔が露わとなる。

「リューシャ・アルバキン、カリカトラのナンバー3か」

「御存知とは、光栄ね。熊の穴A級エージェント、クーデル・ポコレノフ……」

「知らないハズは無い。お前のせいでどれだけの仲間を失い、どれだけのミッションを邪魔されたことか」

「ふふ……挙句の果てに、国まで奪われたものねッ!」

「キサマぁッ!」

 カッ、と見開かれたクーデルの双眸。先ほどまでの、冷静沈着な身のこなしはもうそこには無い。ただ感情に任せただけの一撃。空気を焼くが、ただそれだけ。リューシャにとってこれを躱すのはどんなミッションをこなすよりも簡単なことだっただろう。

「リューシャ・アルバキンッ! 何故熊の穴を騙ったッ!」

「簡単なことね。全ては熊の穴残党の仕業となり、我々カリカトラは遺憾の意を表明するだけで良い。要求を受け入れた日本ではもう漫画は描くことは出来ず、ガンドルフの独占となる。ヤパーニヤのコトワザでなんと言ったかしら……そう、一石二鳥ねッ!」

「そんなこと、させるかぁッ!」

 クーデルは知っている。漫画はゆとりの夢そのものだ。それを奪おうとするモノは誰であろうとも許せない。それがテロリストであろうとも、それが国家であろうとも。

「なッ……!」

 重く、そして速い一撃が鼻先を掠めていた。リューシャの動体視力を持ってしても、それは明確ではなかった。捉えることが出来たのは黄色の残像だけ。止まってからようやく視認することが出来た。女児向けの玩具にしか見えないが、あのクーデル・ポコレノフが持っているのだ、おそらく先端は鋼鉄製だろう。背筋に冷たいモノが走る。もしコレを喰らっていたならば、絶命は免れなかったハズ……。

「さすがはファイティング・コンピューター……戦争男……二つ名に枚挙に暇が無いだけのことはあるわね……!」

 リューシャは引き攣った笑いを浮かべたまま、三メートルほど後退する。接近戦は余りに不利、と判断していた。小娘相手に、という感情はある。だが、その感情を圧し殺し、任務に徹することこそリューシャをカリカトラナンバー3の地位たらしめていたのだ。

「ファイティング・コンピューターでもない、戦争男でもない。りゅーせーとゆとりが呼んでくれたクーデルという名前。今のボクは、ただのクーデルだッ!」

 クーデルは完全に冷静な思考を取り戻していた。龍聖への想い、ゆとりへの想い。それは、愛国心を遥かに凌駕し、本当の意味でクーデルをクーデルとしていた。

「私だって、負けていられないんだからッ!」

「なッ!?」

 だが、リューシャの気迫もクーデルのそれに優るとも劣らない、激烈なモノだった。戦場にあって鋭く研ぎ澄まされた感性だからこそ理解出来た。リューシャを衝き動かすモノはクーデルの胸に熱く燃えるモノと全く同じモノだった。

「ピョートル様の為に、私は負けるワケにはいかないのッ!」

 リューシャを衝き動かすモノ、それは功名心や野望ではない。ただただ、ピョートルへの一途な想い故に、だった。この事実は、少なからずクーデルを動揺させる。

「何故、あの男の為に戦える? ずいぶんとゆとりにご執心だったようだが」

「構わないッ! ピョートル様は、国も、世界も、そして女も全てを手に入れる男ッ! その為の礎になれるなら私は満足なのよッ!」

「哀しい、愛だな……」

 クーデルの瞳に映る色はただ憐憫一色だった。自分がどれだけ幸せな存在なのかと、十二分に理解していた。龍聖は自分を愛してくれる。愛しただけ、いやそれ以上に愛を返してくれる。だが、この女は違う。返ってくるハズの無い愛を何時までも、何処までも注ぎ続けているのだ。

「リューシャ・アルバキン、お前はピョートル何処に惚れた?」

「なッ!?」

「ボクはいくらでも言えるぞ。まず顔だな。時代に抗う線の太さが良い。それに、あの顔に似合わない優しさだ。ごはんの後にはアイスを出してくれる。強がっているようで、実は甘えん坊なところも可愛い」

「こんなところで惚気るつもりッ!?」

「ああ、そのつもりだ。お前は、惚気ることが出来るか?」

「出来るわッ! ピョートル様はッ! この世界をッ……世界をッ……!」

 リューシャはそれ以上何も言うことが出来無かった。このミッションをコンプリートさせ、いずれカリカトラは、いやピョートルは世界を握る。だがその横にリューシャはいない。都合の良い妄想であるにも関わらず、ピョートルの横にいる自分を思い浮かべることが出来無かった。

「リューシャ・アルバキン、お前はピョートルの側にあるのか?」

「……ッ!」

 リューシャには、その言葉の意味が痛いほどに解っていた。身体のことではない、心が側にあるのか、という意味だ。ピョートルは自分を道具としてしか扱わなかった。、歪んだ欲を晴らす為だけの道具としてしか……。

「うるさいッ! うるさいうるさいうるさいッ!」

 それを認める訳にはいかなかった。それを認めてしまえば、自分の全てを否定することとなる。だが、自分でも解っている。ピョートルが自分をどう扱っているか。哀しい自己矛盾が、リューシャを苛む。

「クーデル・ポコレノフ……!」

 胸に巣食う苛立ち……胸をつんざく哀しみ……これを晴らす術を、リューシャは他に知らなかった。そう、圧倒的な暴力だ。

「クーデル・ポコレノフッ! 死んでもらうッ!」

「お前に、それが出来るかな?」

「くくッ……出来るわッ!」

 不敵な、凶暴な笑みを浮かべ右手を上げるリューシャ。フロアからは不快な金属音が響く。テロリストたちがマシンガンを構えていた。だが、その銃口はクーデルに向いてはいない。接近戦を繰り広げるクーデルを狙えば、如何に歴戦の狙撃手といえどもリューシャに誤射しかねない。だが、そこらじゅうにいる、モノ言わぬ標的なら話は別だ。

「十万もの人質がいることを忘れていたようね。まぁ、覚えていようが忘れていようが、あなたが死ぬことは免れないわ。熊の穴のエージェントの死体が見つかればその犯行を疑う者はいないでしょうね。ヤパーニヤのコトワザでなんと言ったかしら……そう、飛んで火にいる夏の虫ねッ!」

 勝ち誇った顔のリューシャ。冷たい銃口がクーデルの額に触れる。一度引き鉄を弾いたならば、その熱を感じるヒマも与えられずにこの世からおさらばしてしまうことだろう。だが、そんな絶体絶命な状況下に於いても、クーデルの顔に浮かんだ不敵な笑みは消えることが無かった。

「何故だッ! 何故笑っていられるッ! もうお前に打つ手は無いのよッ!」

「それはどうかな?」

 ひまわりのステッキが天を衝き、淡い冬の陽射しを跳ね返し、きらきらと虹色を撒き散らしていた。その姿、まさに神々しいという言葉に相応しい。参加者の視線が、テロリストの視線が、そして、リューシャの視線までも釘付けにするほどだった。

「おにいちゃんたちっ! お願い、戦ってぇッ!」

 それは、まさに魔法の言葉。普段のクーデルからは考えることも出来無い、鼻の奥でビー玉を転がしているような甲高い声。だが、その声はフロア全体を、いや、来場するオタクたちの心そのものを震わせていた。

「おい……」

「ああ……!」

 クーデルの間近にいたオタクたちだった。眼を見合わせ頷き合う。こんな小さな女の子がテロリストと戦っている、こんな小さな女の子が戦ってくれとお願いしている。魔法JCミーナが、叫んでいるッ! 今、戦わないで何時戦うというのかッ!

「うおおおッ!」

「オタク舐めんなよぉッ!」

 片方のオタクがテロリストを羽交い絞めに、もう片方が思いっ切りその顔を殴り付けた。如何に強化プラスチック製のヘルメットに覆われているとはいえ、体重の乗った不意打ちは昏倒させるのに十二分な威力だった。

「まさか……まさかそんなッ……!」

 ただただ唖然とするしかないリューシャ。クーデルの叫びは想像以上の効果を上げていた。ある者はポスターを振りかざし、またある者は紙バッグを振り回す。フロアに散らばったテロリストたちは、たちまちのうちに沈黙させられていた。数の上では、このフロアだけでも三万以上。七十余人のテロリストで対抗出来るハズが無かった。

『うおおおおおおおおおッ!』

 オタクたちの雄叫びがこのフロアを轟かせた。もはや、オタクの完全勝利と言っても過言では無いだろう。大方のテロリストが戦意を失っていた。眼の前の、たった一人を除いては。

「勝負は付いたようだな」

「こんな……完璧な計画だったハズッ……!」

「完璧など、この世にありはしないさ。熊の穴ではどんな作戦にも必ずカウンターを用意してある、敵の手に漏れたときの為にな。まぁ、思い出させてくれたのはりゅーせーだったがな」

 ふっ、とクーデルの顔に浮かんだのはやわらかな笑みだった。胸に浮かぶは龍聖の顔。あのとき、十万の兵がいると、最初に気付いたのは龍聖だった。あの言葉がなければ、無為無策に突っ込み、息絶えていたことだろう。

「リューシャ・アルバキン、もう終わりだ」

「ふっ……敵の手になど、落ちるものかよッ!」

 黒い塊がぬらり、と光る。リューシャは右手に携えた拳銃を、自分の口の中へと突っ込んでいた。その眼、虚仮威しなどではない。

「やらせるかッ!」

 リューシャの首筋に一閃、瞬きが走る。血すら出ることもなく、赤いスジが浮かぶだけ。クーデルの爪がわずかにリューシャの皮膚を掠める、ただそれだけのことだった。だが、リューシャに現れた異変は、それ以上だ。

「あ、な……なにを……」

 リューシャの口はだらしなく開いたまま、止めどなくよだれが零れ落ちる。よだれに滑った拳銃がずるり、と口から抜け落ちていた。瞳孔は開き、手足は小刻みに痙攣を繰り返す。どう見ても尋常の様子ではない。

「熊の爪、ボクの最後の武器。神経毒を仕込んでいてね。心配するな、致死性ではない」

「速い……速過ぎる……」

「りゅーせーへの愛で二倍、またりゅーせーへの愛で二倍、またまたりゅーせへの愛で三倍、合わせて十二倍の、熊の爪だ」

「そ、うか……子熊と呼ばれていたのは……伊達じゃ、なかったのね……」

 そう言うと、リューシャは力無く倒れた。弛緩した舌で窒息しないように気道を確保したクーデルはリューシャの胸元を弄る。決していやらしい気持ちがある訳ではない。

「良し、やっぱりあったか」

 クーデルが取り出したのは小型のマイクだった。軽く指先で擦ってみる。ガサガサと雑音が四方のスピーカから響いていた。どうやら東京ジャイアントサイト全体と繋がっているらしい。

「りゅーせー、後は頼んだぞ」

 クーデルが取り出したのは、小型の音楽プレイヤーだった。イヤホンをそっとマイクに宛がう。戦いの終わりには似つかわしくない重厚な音楽が奏で始められていた。

                   ・

「さ、ミスゆとり……」

「く……」

 この唇さえ許してしまえば、人質は助かる。だが、龍聖の為に、龍聖だけの為に取っておいたファースト・キスだ。その想い人が他の女と口吻を交わしたなんて知る由も無いゆとりの心中は如何ばかりだっただろうか。

「くっく……」

 ピョートルの生暖かい息がゆとりの鼻を苛む。一秒……二秒……永遠にも思える長い時間。だが、その唇に違和感を覚えることは無かった。

「なッ……!?」

 耳を劈く重低音。ゆとりには聞き覚えのあるメロディーがフロアを震わせていた。そう、幼い日に聞いたこの歌、龍聖と一緒に聞いたこの歌。

「町内特警ジークスッ……!」

 そう、この力強い旋律、胸躍るような歌詞。嘗てお茶の間の子供たちを熱狂させた町内特警ジークスの主題歌だ。

「何故、何故こんなモノがッ! 音響は我々が押さえているハズッ……! リューシャ、おいリューシャッ!」

 胸元のマイクに怒鳴り立てるピョートル。だが、返ってくるのは沈黙だけ。返答は、無い。何か、致命的な何かが起こった、解るのはそれだけだ。不測の事態に、ピョートルはただ右往左往とするしかない。

「うおおおおおおおおおッ!」

 主題歌に呼応するかのように、それは地鳴りのように、地下深くから鳴り響いていた。だが、それは確実な意思を持ち、確実にこちらへと近付いている。ピョートルにとってそれは恐怖以外の何物でもなかった。

「なんだ、なんなんだッ! うおあッ!」

「うおおりゃあああッ!」

 ピョートルから僅かに離れた位置で爆音が轟く。数十キロはあるはずのマンホールが宙を舞っていた。奈落へと続くかに思われたその穴からは、一筋の閃光。虚空すらも照らしてしまう、金色の光。

「コミカを護るは正義の使命ッ! 町内特警ジークス、見参ッ!」

 その声はフロアへと高らかに響いていた。凛然とした鼓動が一瞬の静寂を呼ぶ。威風堂々、まさにそう呼ぶに相応しい姿だった。

「龍聖ッ!」

 ゆとりは、この感情をどう表していいのか解らなかった。側にいてほしかった。でも、いなかった。来てほしかった。来てくれないと思っていた。けれど、眼の前に確かにいてくれているその(ひと)は、ずっと、ずっと想ってきたその人だった。

「龍城院龍聖かッ!」

 叫ぶピョートル。だが、龍聖の視線はピョートルではなく、ただ一点にのみ注視されていた。ゆとりの頬、涙の跡が残っていることに龍聖が気付かないハズが無かった。

「キサマぁッ! 誰に断って俺の女に手ぇ出したぁッ!」

「なッ!?」

 怒号が衝撃波となり、ピョートルの身体を居竦ませていた。マスクに覆われていようともその声で解る。きっと、地獄の悪鬼を踏み潰す不動明王そのものの顔をしているのだろう。

「いいかぁッ! ゆとりの顔もッ! おっぱいもッ! アソコもッ! 髪の毛一筋すら俺のモンなんだッ!」

「龍聖、そんなに……」

 ゆとりは、ただただ龍聖の言葉が嬉しかった。嘘偽りの無い真っ直ぐな言葉。そう、昔からこうだった。真っ直ぐな、馬鹿みたいに真っ直ぐな想いでぶつかることしか知らない男だった。

「くっくっく……はぁーはっはっはっはッ! 龍聖君、君は何か勘違いしてるんじゃあないかなッ! そんなコスプレをしたところで、状況が変わる訳でもあるまいッ!」

 龍聖に感じた恐怖を塗り消す為か、過剰な高笑いを上げるピョートル。それが合図となった。無数の銃口が龍聖を狙う。乾いた幾多もの破裂音がフロアを支配する。

「ふははははッ! 現実は非情だなぁ、龍聖君ッ! そんなコスチュームを纏ったところで、現実は何も変わらな……なにッ!」

 驚愕の表情を隠すことも出来無いピョートル。無理も無いことだった。雨霰のように龍聖の身体を撃ち抜いた、ハズだった。

「三十六層の強化プラスチックを貫けるものかよッ!」

「そんなッ……そんな馬鹿なッ……!」

 分厚い鉄板に穴を開ける銃弾であろうとも、ジークスの装甲に傷一つ付けることは出来ていなかった。だが、大口径のライフルから放たれた銃弾から生み出された衝撃は、大リーが放った豪速球に等しい。それを何十発、何百発も喰らって立っていられないハズだ。

「何故、何故生きて、立っていられるッ!」

「ライオンは何故強いと思う?」

「それが、それがどうかしたのかッ……!?」

「最初から強いからだッ!」

 金色の風が駆け抜ける。目的はただ一つ、ゆとりを救ける。その為になにをすればいいのか、答えは簡単だ。このいけ好かない金髪野郎をぶっ飛ばす。ただそれだけだッ!

「まだまだお楽しみはここからだぜぇぇぇッ!」

「ひぃッ!」

 ピョートルの顔が恐怖に引き攣る。龍聖の言葉がジークスの決めセリフだということに気付きもしない。頭にあるのは、数秒の後にぶっ飛ばされる自分の姿だけだった。

「お前たち、撃て、撃てぇッ!」

 絶望に塗れたその声と同時に銃声が鳴り響く。直線を描きジークスの装甲を襲う。だが、龍聖は意にも介さず避けようともしない、いや、避ける技術を持たないと言った方が正しいだろう。だが、その常軌を逸した姿はピョートルに更なる恐怖を植え付けることとなる。

「ライトニングゥッ! プレッシャアァァァッ!」

 閃光が網膜を灼く。ライトニング・プレッシャー、雷撃の戦士である町内特警ジークス最強の必殺技である。体内に溜めた電気をその拳に乗せ一挙に放出する大技だ。だが、それはあくまでも特撮の中でのお話。だが、この眼を苛む眩い光はどうだ。ジークスが画面を飛び出し、現実の世界へと飛び出してきたかのようだった。

「ぐおおおあああッ!」

 ピョートルの身体が、まるで枯葉のように空中を彷徨っていた。僅かな滞空時間の後、派手な音を立てて地面へと墜落する。龍聖の右手からは白煙が猛々と立ち上がっていた。仕込まれていたのは、マグネシウムを始めとした超火力の爆薬。これをまともに喰らったのだからただで済むハズが無かった。

「龍聖ぇぇぇッ!」

「ゆとりッ!」

 熱い、この寒さすら溶かしてしまうほどの熱い抱擁だった。ジークスのマスクを外した龍聖は駆け出し、飛び込んで来たゆとりを強く、しっかりと抱き留める。

「おっと、これじゃ痛いかな」

 確かに、ジークスの装甲に挟まれ少々狭苦しい様子だ。だが、見上げるゆとりはそんなことはお構いなし。ただ満面の笑みを浮かべるだけだった。

「ううん、いいのっ! 来てくれて、救けてくれてうれしいっ……!」

「ちょっと遅くなっちまったがな……痛いところは無いか? 何もされてないか?」

「うん、大丈夫だよっ!」

 まるで母親にじゃれ付く仔猫のようにゆとりは龍聖の胸の内で身を捩らせていた。龍聖の顔が安心に緩む。装甲越しにすら感じることの出来るそのぬくもり。誰よりも愛おしい少女が、この腕の中にいる。この世にたった一人だけの、愛すべき少女が。

「ゆとり、お前に言っておかなきゃいけないことがある」

「……なあに?」

「俺は……」

「俺は?」

「俺はゆとりのことが大好きだぁぁぁぁぁぁッ! もう絶対にお前を離さねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」

 龍聖渾身の告白だった。他の言葉なんて選べるハズもない。心にある想いをそのまま言葉にしてぶつける。それ以外の術など持ち合わせてはいなかった。そして、その想いは確実にその少女の心を震わせていた。

「私もっ! 大好きっ! もう離さないっ!」

「おぷっ!」

 ゆとりの唇が龍聖の唇を塞いでいた。同時に、フロアから万雷の拍手と割れんばかりの歓声が巻き起こる。これ以上無い祝福が、二人を包んでいた。だが、何が気に入らないのだろうか、祝福の空気に似合わない疑念に満ちた瞳が、カッと見開かれる。

「この味……龍聖の味じゃない……」

「へっ!?」

「甘過ぎる……私以外の誰とキスしたってのよッ! ええ、わかってますともッ! クーデルちゃんとしたのねッ! そうでしょッ! そうなんでしょッ!」

「あッ、あばッ! あばばばばばばッ!」

 ゆとりに首根っこをブンブンと振り回され、不明瞭な言語を発するしかない龍聖。確かに、此処へ来る数分前にクーデルと口吻を交わしている。恐ろしいのはそれを敏感に感じ取ったゆとりの感覚だ。恋する乙女の成せる技、とでも言えばいいのか。

「お熱いことだな、おふたりさん」

 やれやれと、二人の後ろに立ったのはクーデルだった。その背中には気を失ったままのリューシャを背負っている。その事も無さ気な表情に、ゆとりの感情は爆発寸前だった。

「クーデルちゃんッ! それでいいのッ! コイツ、二股掛けようとしてんのよッ!」

「なぁ、ゆとり。もしボクにりゅーせーを譲ってくれと言われて、譲ることが出来るか?」

「う……それは……」

「そうだろ? ボクもそうだ。ならしょうがない。はんぶんこしよう」

「はんぶんこ、て……」

「大丈夫、りゅーせーは女の二人くらい幸せに出来る男だ」

 ふっ、と優しい笑みを浮かべ視線を龍聖へと向けるクーデル。首を締められ、窒息寸前の龍聖はそれでも力強く、ビッと親指を立てていた。

「ま、クーデルちゃんが良いなら、私も文句は無いわ。でも愛情半分なんて許さないからねっ! 倍以上愛してもらわないとっ!」

 ぱっ、と手を話すゆとり。ようやく呼吸することを許された龍聖は大きく息を吸い込んだまま、その場にへたり込んでしまった。青い顔が真っ赤になり、なんとも忙しない。

「それはそうとゆとり、色々と決めなきゃいけないことがある」

「決めなきゃいけない、て。何を?」

「順番だよ」

「順番?」

「付き合いが長いからな。正妻の座はゆとりに譲る。でも、最初の子供はボクが産む」

「せせせ、正妻てっ! こここ、子供てっ!」

 トマトのように真っ赤に熟した顔で手をブンブンと振るゆとり。だが、その表情はまんざらでは無い様子だ。その脳裏に過るは甘やかな妄想。純白のウエディングドレスに身を包んだゆとり。その横には、パリっとタキシードを着こなした龍聖。その爽やかな笑顔に胸がこれでもかと高鳴る。導かれるようにして近付く唇と唇。だが、その想いは叶うことは無かった。

「う、ぐ……」

 その呻き声に、ゆとりは現実に戻らざるを得なかった。そのひとときを妨害した邪魔者にギッ、と鋭い視線を向ける。そう、意識を取り戻し、混濁の世界から戻りつつあるリューシャだった。

「やっと眼を覚ましたか、ほら」

 目覚めを確認したクーデルは背負っていたリューシャを地面へと降ろし、その肩を押す。よたよたと、頼りなさ気ながらもピョートルの側へと寄り添う。

「ピョートル様……」

 愛おしげにピョートルを抱きかかえるリューシャ。その姿は、愛する我が子を慈しむ母親そのもの。聖母とも言うべきその愛情に、龍聖もゆとりもクーデルも眼を離すことが出来無いでいた。

「う、く……」

「ピョートル様ッ!」

 ようやく意識が戻ってきたらしい。だが、あれだけの爆撃を喰らったのだ、腫れ上がったその顔では眼を開いているのか閉じたままなのか判別出来無いほどだった。生きていることを奇跡と呼ぶべきか。いや、絶妙な加減でその一撃を放った龍聖の腕前を称えるべきだろう。

「こ、の、役立たずがッ……! お前のせいで、お前のせいで……!」

「申し訳ありません、ピョートル様」

 こんな有様でも、まだ憎まれ口を叩くことが出来るなど、ある意味では大したものだ。だが、一人の少女は、この言葉をどうしても許すことが出来無かったらしい。

「おい、たいがいにしとけよ」

「おぐッ!」

 クーデルのステッキがピョートルの頭上に炸裂していた。数キロはあるステッキを叩き付けられたのだ、ようやく戻った意識が再び遠のく。ピョートルは頭を抑え、ただただ悶絶する他無かった。

「リューシャはな、戦った。なんでか解るか? お前だけの為だよ」

「だが、負けては何にもならないッ……! 負け犬になど、存在価値は無いッ……!」

「ああん? もう一発喰らっとくか?」

「ひいッ!」

 ドスの効いた声。その表情は、龍聖に瓜二つだった。この声、以前のクーデルには持ち合わせていなかったものだ。これ以上やられたまるものかと、情けなくも後退りするピョートル。クーデルは圧倒的な威圧感を放ちながらステッキを握り直す。だが、庇うように立ちはだかったのは、クーデルにも負けない強い意思を持った瞳、リューシャだった。

「これでも負け犬だと、存在価値が無いだと言えるか」

 その表情を見て、クーデルは振り上げたステッキを降ろすしか無かった。きっと、自分も、想い人の為に戦っているときは今のリューシャと同じ顔をしていたのだろう。

「少し、調べさせてもらった」

「……ッ!」

 その言葉に、ピョートルの顔が引き攣る。この世が終わってしまったかのような絶望的な表情だ。龍聖には確かに見覚えがある。親にエロ本が見つかったとき、こんな表情をしていたハズだ。

「ピョートル・ヴェデルニコフ。不当なものではあるが……現ガンドルフ大統領の四男。だが、後継者争いからは脱落しているようだな。あのときは次期大統領などと大口を叩いていたようだが」

「俺が、俺が妾の子だからだッ! 俺があの愚図兄どもに劣るとは思えないッ!」

 その腫れた顔いっぱいに苦渋を滲ませるピョートル。たかだか十七歳の少年がこんな顔をすることが出来るというのか。生半可な表情では無い。これまでに積もり積もった憎しみ。それが一挙に溢れ出しているようだった。

「それで、この計画を実行したか。父親を見返す為に、ゆとりを手に入れる為に」

「俺は、欲しいモノは何でも手に入れるッ……! 国も、女もッ……!」

 腫れ上がった瞼から覗く眼がギラギラと輝いていた。もはや敗北が確定したこの状況でもその野望だけは尽きることが無い。だが、井の中の蛙と言うべきか、砂上の楼閣と言うべきか、その言葉はただ虚しく響くだけ。だから、野望に身を焦がすピョートルは自分を包む眼差しに気付くことは無かった。

「ピョートル様……もう終わりにしましょう……」

 リューシャの涙は、静かに、だが熱くピョートルの頬に零れ落ちる。しかし、その意味を理解出来るほどの度量を持ち合わせていなかったことは、リューシャにとっては不幸以外の何物でも無かっただろう。

「黙れッ! 黙れ黙れッ! 父親のお下がり風情が何を言うかッ!」

 それは、哀しいほどに明確な拒絶、断絶の言葉だった。だが、それでもリューシャの表情に、その愛に変わりは無い。

「ピョートル様、私は幼少の頃から貴方にお仕えして参りました。最初は、ヴェデルニコフ様の命令に過ぎませんでしたが……長く、お側にいる間に、私は……私は……」

「まだ姉気取りかッ……保護者面はやめてもらおうッ……!」

 不遇な少年時代を過ごしたピョートルにとっては、リューシャもまたその原因、父親の共犯者に過ぎない。無償の愛に気付けないほどに、ピョートルの心は冷たく、凍り付いていた。

「そんなに尽くすほどいい男か?」

「りゅーせーは黙ってなさい」

「へぶッ!」

 クーデルのステッキは深々と龍聖の脇腹を抉っていた。声も無く中腰で悶絶するが、そんな龍聖を他所に、ピョートルとリューシャは二人だけの世界に入り込んでしまっていた。

「幼きあの日……ピョートル様に頂いた花かんむりを忘れた日はございません……私は他に何も要りません……ただ、ピョートル様のお側に置いて頂ければ……」

「本当に……本当に何も要らないのか……? 眼の眩むような宮殿も、綺羅びやかなドレスも……」

「ええ、ピョートル様さえ、いてくれれば……」

 流れ落ちる涙は、頑ななピョートルの心を幾らかでも和らげることが出来ただろうか。この熱い魂そのものは、凍てついた心を溶かすことが出来ただろうか。

「そうか……そうだな……」

 ピョートルの胸には、嘗ての想い出が鮮やかに蘇っていた。震えるほどに凍て付いたシベリア大地で、一杯の暖かいスープを差し伸べてくれたのは、他でも無い、リューシャだたった。そう、この胸に抱かれるぬくもりと同じ温度。

「どんなに寒いときでも、辛いときでも、哀しいときでも、そして今も……ずっと側にいてくれたな……」

「ええ、そして、これからも……」

 シベリアの永久凍土を溶かしてしまうほどの熱を持った二人だ、如何にコミカの風が冷たかろうと、今のピョートルとリューシャを毛筋ひとつも動かすことは出来無かっただろう。だが、こんなアツアツを見せられて、この三人が面白いハズが無い。

「おい、ピョートル。盛り上がってるとこ悪いんだけどよ。まだ、仕事が残ってんだ」

「仕事、だと? 敗者に何の仕事があるものか。私たちはこのまま混乱に乗じて逃げる」

「おいおい、そんなんでいいのかよ」

「そんなんで、だと?」

 龍聖の顔に不敵な笑みが漏れ出していた。これから起こること、いや起こすことが楽しみで仕方が無いという表情だ。ゆとりはこの顔を十二分に知っている。小さい頃にどれだけ被害に合ったことか。とびっきりのいたずらを仕掛けた、そのときの顔だ。

「龍聖、なにすんのよ……?」

「決まってる、クーデターだッ!」

『ク、クーデターっ!?』

 ゆとり、クーデル、ピョートル、リューシャの声が一斉に重なった。それほど、龍聖の口から飛び出した言葉は突拍子も無いものだった。

「馬鹿な、君は何を言っているのか解っているのかッ!? カリカトラがクーデターを起こすまでに、どれだけの労力を、兵力を要したことかッ!」

「馬鹿はお前の方だろ。見ろよ、こんだけの兵力があるんだぜ。クーデターなんて朝飯前よッ!」

 龍聖がフロアを見渡す。東の一、ニ、三や西ホールからも人々が流れ込み、今や黒山の人集り、その数は十万を超えているだろう。

「俺は、ゆとりを泣かせるヤツは許しはしねえッ!」

「龍聖……」

 この時点で、日本政府は熊の穴を騙ったカリカトラの要求を受け入れ、表現規制へと動いている。その事実が、漫画を愛してやまないゆとりを悲しませるのは明白だった。ゆとりを泣かせないという、極めて私的な理由の為にクーデターまで起こす、それが龍聖の龍聖たる所以だ。

「日本を獲ったあとはランドルフだ。お前の親父に一泡吹かせてやろうぜッ!」

「ふッ……ふふふッ……ふははははッ! 面白いッ! 面白いぞ、龍城院龍聖ッ! 我らが負ける訳だ……!」

 全てを吹っ切るかのように高らかに笑うピョートル。それの様子を見て、ようやくリューシャは頬を緩めることが出来た。リューシャは、初めて神に感謝していた。この龍聖という男に巡り合わせてくれた奇跡を、この男が授けてくれた敗北を。

「いよぉぉぉしッ! いくぞッ! お前らぁッ! 国会議事堂まで突っ込むぜぇッ!」

『おおおおおおおおおおおおッ!』

 フロアが震える。東京ジャイアントサイトが轟く。十万のオタクたちは理解していた。表現の自由の敵、それを打ち倒すこと。それこそが、至上の使命であると。その敵は、この国の中枢であると。そして、眼の前で腕を振り上げるこの男こそが、それを成し遂げる存在であると。

 人々は、圧倒的な数の暴力へと変わり、一直線に首都を目指す。規制という壁をぶち破る矢はもう放たれたのだ。止めることは出来無い。

「ゆとり、ボクたちも行こうか。龍聖に着いて行けば間違いは無いだろう」

「そうね、とっととクーデター成功させて、私と龍聖は……むふふ……」

「ちょっと待った、むふふはボクが先だぞ」

「あら、キスはクーデルちゃんが先だったじゃない」

「好きだって、告白されたのはゆとりが先じゃないか」

「ならじゃんけんで決めましょっ! 最初はグーっ!」

「負けないぞ、ゆとり。じゃんけんっ!」

『ぽんっ!』

 のんきのじゃんけんなど始めるゆとりとクーデル。クーデター、などと物々しい言葉には掛け離れた様子だ。それだけ龍聖を信頼している、ということだろう。

「おい、お前らッ! 遅れんなよぉッ!」

「おう、りゅーせーっ!」

「うん、解ってるよっ!」

 この後、オタクによるクーデターは成功し、龍聖は十七歳にして日本国暫定首相となる。表現の自由の為の戦い、これからも一波乱、ニ波乱もあるのだが、それはまた、別の話……。


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