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龍聖は夢を見ていた。小さな小さな仔猫を抱いている夢。ふわふわでまっしろなその仔猫は、龍聖が軽く撫でると気持ち良さそうに身を捩る。だが、猫というのは気紛れなモノと相場が決まっている。撫でられるのに飽きた仔猫は、龍聖の腕から飛び出し遠くへ遠くへと走り出してしまう。龍聖はそれを追い掛けるのに必死だった。この仔を離してはいけない。大事な、大事な……。

「ゆとりッ……!」

 身体中に脂汗を浮かべ、龍聖は唸り声を上げた。掠れた眼に映るのは見慣れた天井、間違えようも無く自分の部屋だった。だが、手の先にある感触は慣れたなんてものではない。指を跳ね返すほど張りのある質感、やわさの中に固さを備えるという、矛盾した感触。一回、二回と指を滑らすが、掠れた眼にはそれが何であるのか明確ではない。

「おはよう、りゅーせー」

「うおわッ! クーデルッ!」

 霞が掛かったようにぼやけていた龍聖の頭は、一瞬で台風が襲来したかのようにわちゃくちゃなモノとなってしまっていた。それもそのはず、お互いの呼吸すら感じられる場所にあったのは、まだ寝惚け眼の、クーデルの顔だった。しかも、その身体にはシャツ一枚、下着一枚身に着けていない。つまりは全裸、ということだ。

「寝物語に、他の女の名前はいただけないな」

「寝物語ってなぁ……勝手に潜り込んでんのはお前だろ……大体なんで裸なんだよッ!」

「裸で寝た方が保温性が高い。ガンドルフではいつもそうしていた」

「保温性て……もう六月だぞッ! 一緒に寝てるだけでも汗かくってのにッ!」

「この汗、この熱……ガンドルフでは知らなかった感覚だ……」

「とにかくッ! 服着ろッ! まったく……」

「残念だが、それは出来無い相談だ」

「あん? なんでだよ」

「りゅーせーが、その……ボクの胸を……」

「へ? うわおッ!」

 今までに無い驚愕の叫びを上げる龍聖。だが、出るのは声だけ。その掌はまるで接着剤を塗り付けられたかのように、ぴったりとクーデルの豊かな丘陵に吸い付けられていた。このなめらかな手触り。どうして離すことが出来ようか。

「りゅーせーがそのつもりなら……ボクは構わない……」

「ク、クーデル……」

 年齢に似付かわしくない、潤んだ瞳だった。まだ手足の伸び切らない年齢であろうとも、熊の穴のエージェントであろうとも、ボクっ子であろうとも、クーデルは乙女だった。こんなとき、ナニをどうすればいいか、本能で解っていた。

「りゅーせー……」

「クーデル……」

 交錯する瞳と瞳。もはや、二人の間に言葉は要らない。ただ、理性の奥にある原始の本能をぶつければいいだけだ。近付く唇と唇。だが、その味を知ることは出来無かった。

「ゴルアッ! おるのは解っとるんじゃぁッ! 早よ出てこんかいッ!」

 甘い甘い朝のひとときを邪魔したのは、酒で焼けたようなドラ声だった。まだ開いていないシャッターを叩いているのだろう、不愉快な金属音がこちらまで響いていた。

「チッ……邪魔しやがってよ……!」

 苛立ち紛れに布団を身体から剥がすと、そのまま龍聖は立ち上がった。いや、立ち上がったのは身体だけでは無い。行き場の無い欲望が他の部分もいきり勃たせる。この怒りの滾り、どうやって晴らしてくれようか。

「クーデル、服着ろ。片付けて来るぞ」

「片付けるのは構わないが、何が来てるんだ?」

「地上げ屋だよ」

「ジ、ア、ゲ、ヤ?」

「そう、地上げ屋。そこに住んでる人を追い出して、安く土地を買って、高く売り付ける寄生虫みたいな連中だよ。最近は来て無かったんだが、よりにもよって今日来るなんてな……!」

 龍聖の顔には凶暴な笑みが浮かんでいた。男にとって耐え難い強烈なフラストレーションを解消するには暴力以外に有り得ない。ドスドスと足を踏み鳴らして玄関へと飛び出る。そこには、想像通りの顔があった。

「おうおう兄ちゃん、久し振りじゃのうッ!」

「判子と権利書は持ってきたんかいのうッ!」

 オールバックにサングラス、ダブルのスーツと如何にも絵に描いたようなヤクザの二人組がシャッターの前でいきっていた。だが、龍聖の眼に入ったのはその二人組ではない。脚元に散らばる何本もの、煙草の吸殻だった。

「おい……」

「なんや、兄ちゃんッ!」

「店先掃いて帰れ。誰が毎日掃除してると思ってんだ」

「ああん!? 誰に向かって口聞いとるん……ぎゃぶッ!」

「俺が毎日掃除してんだよッ!」

 ヤクザその一が全てを言い終わる前に、龍聖の鉄拳がその口を塞いでいた。へし折られた前歯が宙を舞い、朝日を跳ね返しきらきらと輝く。血飛沫が飛び散り、吸殻なんてモノの比ではないくらいに道路を汚す。

「な……なにしやがるッ……!」

 威勢が良いのは言葉だけで、語気も身体も完全に震えていた。相棒が眼の前で叩き潰されれば当然の反応というものだろう。ヤクザそのニの心は完全に折れてしまっていた。

「このゴミ持って帰れ」

「くッ……覚えてやがれッ!」

 捨てセリフだけは立派なものだった。だが、その姿は負け犬そのもの。気絶したヤクザその一を背負い一目散に逃げ出す。その情けない後ろ姿を見て龍聖は舌打ちを一つ鳴らした。たったのパンチ一発で終わってしまった。苛立ちは、未だ晴れない。

「ふむ、ボクが出るまでもなかったか」

 遅れて顔を出したのはすっかり着替え終わったクーデルだった。その顔に、遅れたという焦りなんてものは無い。龍聖の強さは十二分に知っているつもりだ。道路に散る血溜まりを見ればそれも明らかというものだろう。

「なんでそんなにりゅーせーは強いんだ?」

「ライオンは、なんで強いと思う?」

「え? そりゃあ強靭な四肢に爪と牙を持ち合わせているからじゃないのか?」

「最初から強いから、強いんだよ」

「ふっ……そうか、りゅーせーも最初から強いから強いんだな」

 クーデルは呆れたように、だが少し愉快そうに笑っていた。だが、対照的に龍聖の表情は緩むことは無い。その拳は未だブチのめす対象を探し、彷徨っている。

「さ、行くぞ、クーデル」

「行くって、どこへ?」

「ヤツらの本拠地さ」

 龍聖はきょとん、としたままのクーデルの頭をくしゃくしゃと撫でた。夢で見た感触が掌に蘇る。くすぐるような、官能的な手触りだった。

「さぁ、行くぜ。殴り込みだッ!」

 それだけ言うと、龍聖は悠々と歩き出した。逃げも隠れもしない、真っ向からぶつかる。それが、それこそが龍聖の生き様だ。

「ふっ……今日は荒れそうだな」

 エージェント時代を思い出してか、クーデルの広角がにやり、と釣り上がる。クーデルの頭もまた、あの頃と同じ臨戦態勢になっていた。

                   ・

「ちょっとパパッ! いったいどういうことよッ!」

 龍聖が怒りに燃えていた同時刻、ゆとりもまた怒りに燃えていた。自宅の、父の部屋。つまりは柚木組の組長室だ。ゆとりは豪奢な造りの机をバンバンと叩き続けている。部屋に飾ってある組旗や首だけになった鹿の剥製が部屋ごと揺れるほどの勢いだ。

「どういうこととは、どういうことだ?」

 そんなゆとりに眼をくれることもなく、雄烈は革張りの椅子に深々と座ったままゴルフクラブなんかを磨き続けている。ゆとりがこの部屋に乗り込んで来るのはしょっちゅうのことだった。そして、気に入らない何かを徹底的にぶち撒けるのだ。

「さっき出てった鳥飼と荒江ッ! あいつら地上げ専門でしょッ!」

「それが、どうかしたか?」

「どうかしたかじゃないわよッ! まだ地上げ屋なんかやってんのッ!」

「ゆとり、良く聞くのだ。お前が食っている飯が何処から来ているか知っているか? 人間が生きてゆくには金が必要だ。その金を稼ぐにはどうしたら良いか、解からん歳でもあるまい」

「でもッ! わざわざ犯罪までやんなくてもいいじゃないッ!」

「いいか、ゆとり。お前に言われるままに、麻薬も拳銃も扱いを止めた。なら、我々にあと何が残されている?」

「でもッ……! でもッ……!」

「なら、漫画でも売るか?」

「え……?」

「児童ポルノ禁止法、青少年健全育成法、数年のうちに漫画は御法度となるであろう。そこに、我らの付け入る隙が有る」

 雄烈の言うことに間違いは無かった。ここ数年、漫画やアニメを初めとした創作物を取り巻く環境は非常に厳しいものとなっている。児童ポルノ禁止法、青少年健全育成法、いずれも本来の目的を見失い、創作物を根底から滅ぼす法案へと変貌していた。

「そういえば、ガンドルフにも同じことを考えておったマフィアがおったな。たしか、カリカトラとか……」

「そんなこと……絶対にさせないッ……!」

「なに……?」

 さしもの雄烈も、ゆとりの言葉に驚きを隠すことが出来無かった。ゆとりの言葉を解釈するなら、国家権力に真っ向から逆らうと言うことに他ならない。

「たかが子供に何が出来る」

「なんだって出来るわッ! 私と龍聖ならッ!」

「また、龍ノ湯のガキか……!」

 言って、雄烈はしまったという顔になった。これほど雄弁に何かを語るというのは他に無いだろう。父の表情にゆとりは全てを悟る。そう、今日地上げに行ったのは……。

「龍聖のとこ、行ったのねッ!」

 ゆとりの顔が、これまでに無いほど激烈な怒りに満ちたモノへと変わっていた。龍聖はこの世界に一人しかいないかけがえの無い幼馴染、いや、それ以上の存在だ。そして、龍ノ湯を女で一つで切り盛りするはつみ。ゆとりにとっては母にも等しい存在だ。その二人が生活を営む龍ノ湯を地上げするなど、絶対に許せない……!

「止めてくる……!」

 憤怒の感情を撒き散らしたまま、ゆとりは踵を返し分厚い扉に手を掛ける。だが、その腕に力を入れる前に扉は派手に開くこととなる。

組長(オヤジ)ッ! てえへんですッ!」

 無遠慮にもノックすることも無く扉を開けたのは金髪にリーゼント、アロハシャツと三拍子揃った如何にもな鉄砲弾だった。だが、その威勢の良い格好とは裏腹に、息も絶え絶え、声も身体も完全に浮き足立っていた。

「少しは落ち着かんかいッ! ウチのモンが情けねえッ!」

「そうは言っても組長ッ! てえへんなんですッ!」

「だから何が大変なんだ、言ってみろッ!」

「カチコミ、カチコミですッ!」

「なんだとッ!?」

「若え男と、頭が真っ白なガキですッ!」

 興奮に鉄砲弾の言葉は不明瞭なものとなっていたが、ゆとりはもう完全に理解していた。ヤクザの事務所に殴り込みを掛ける男なんてそうはいない。少なくともゆとりには一人しか心当たりは無かった。

「パパッ! 侵入者を排除するわよッ!」

「なぬぅッ!?」

 最初の号令を出したのは、組の長である雄烈ではなく、他でも無い、ゆとりだった。その姿はまさに支配者と言うに相応しく、鬼気迫る表情を見た鉄砲弾は雄烈の命令を聞く前に部屋から飛び出してしまう。

「パパは廊下の防衛ッ! ここまで入れることはまかりなりませんッ!」

「う、うむッ……!」

 その迫力に押されて雄烈も外に出ざるを得なかった。ゆとりが、此処まで龍聖たちの侵入を拒むのには理由がある。自分がヤクザの娘と知られたくないというのもあるが、それ以上に……。

「私の趣味……知られる訳にはいかないッ……」

 そう、この家に踏み込まれるということは、ずっと隠し通してきたゆとりのオタク趣味を知られるということだ。被ってきた猫をこんなところで剥がされる訳にはいかない。ゆとりの眼が、赤く赤く燃えていた。

                   ・

「たのもうッ!」

 城壁にも似た門構えの前で、龍聖は高らかに声を張り上げていた。敵地に乗り込んでいるという恐れなど一切感じられない、透き通るように凛とした声。耳に心地良い、聞き惚れてしまうような声だが、屋敷の中にいる連中にとっては閻魔大王の怒声に等しい。恐らくは、中で震えていることだろう。既に、門の脇には数人の若い衆が山積みになっていた。

「やっぱ、開けてはくんねーよな」

 うんともすんとも言わない門を見て龍聖はニヤリと笑った。それでいい、それでいいのだ。開けないというのなら、ブチ壊すという大義名分が出来る。暴れる場所が一つ増えたという訳だ。

「なぁ、りゅーせー。この漢字見覚えがある」

 破壊衝動に燃える龍聖を他所に、クーデルの視線は一点へと釘付けになっていた。年季の入った、クーデルの身長ほどもある看板に書かれていた文字。

「ああ、柚木組、って書いてあるんだ」

「ユ、ル、ギ? ゆとりと同じだな」

「ん? そういやそうだな。ま、良くある苗字だ。それよりもッ……!」

 龍聖は門の前に脚を踏ん張り、左手を前に突き出し、右手を脇腹に添える。その立ち姿から気力がみるみると湧き出していることが解る。右手には、爆発しそうなほどの闘気。この拳をどうするのか、もはや聞くまでも無いことだった。

「ッちぇりやぁぁぁッ!」

 豪ッ! 耳を劈くような爆音と共に、分厚い門が軋みを上げていた。バリ、バリ、と木目から破滅の音が響く。だが、それもほんの数秒のことだった。何事も無かったかのように、門は落ち着きを取り戻してゆく。

「痛ってぇぇぇッ……!」

 真っ赤に腫れ上がった右手を押さえて悶絶する龍聖。門には数センチほどめり込んだ拳の痕が付いているだけだった。いや、それでも大したものなのだが。

「当然だ。材質的に脆弱な木材だろうとも、厚みが十センチもある扉を破ることなんて出来る訳ないだろう」

「そりゃそうだが……ちょっとは出来るかなーって……」

「ボクに任せてくれ」

「任せるって……お?」

 クーデルが取り出したのは白い粘土のような物体だった。門の隙間にぺたぺたとそれを埋め込んでゆく。クーデルのやることだ、決して遊んでいる訳ではないのだが、どうにも粘土遊びをする幼稚園児に見えてしまって、ついつい龍聖から笑みが漏れてしまう。

「どうかしたか?」

「いや、なんでもない」

「なら離れてくれ。爆破するぞ」

「ば、爆破ぁ!? ちょ、ちょっと待てッ!」

「いいや、限界だ、押す」

「おわぁッ!」

 クーデルは龍聖の返事を待たずに手に持ったスイッチを押してしまう。龍聖の正拳突きが生易しく思えるほどの轟音と衝撃が身体を襲う。ふっ飛ばされて、道のむこう側まで叩き付けられるほどだった。

「おー痛ててて……何使ったんだよ……」

「ニトロトルエン、ジニトロトルエン、トリニトロトルエン、テトリル、ニトロセルロース、シクロテトラメチレンテトラニトラミン、ワックスなどを混合した油状物質を主成分であるトリメチレントリニトロアミンに混合した可逆性を持つ混合爆薬、いわゆるプラスチック爆弾だ」

「そんなもん持ち込んでたのかよ……」

「日本でも揃う材料だよ。さ、開いたよ。中に入ろう」

「簡単に言ってくれるなぁ……」

 龍聖は首をコキコキと鳴らし無残な姿を晒している、つい数分前まで門だった物体に眼をやった。粉々になった木片に、思わず龍聖の背筋に冷たいモノが走る。可愛らしい顔をしていてもコイツは、熊の穴の元エージェントなのだ。あまりからかうのは止めよう、胸を揉むなんてもってのほかだ、と心に誓う。

「安心しろ、りゅーせー。胸を触られたくらいじゃボクは起こらないから」

「ぐ、む……」

 全てを看破したようなクーデルの言葉に龍聖は黙るしかなかった。ただその小さな後ろ姿について行くだけ、他に何もすることは出来無かった。

                   ・

「ちいいッ……! 入られたかッ……!」

 机に座ったまま地団駄を踏み、歯噛みをしたのはゆとりだった。此処は柚木組の最深部、ゆとりの部屋だ。ゆとりの座る椅子の前には数枚のモニターが並び、それぞれに龍聖とクーデルの姿が映し出されていた。今や柚木組の首脳部は組長室ではなく、このゆとりの部屋となっていた。

「A班ッ! 銃火器の使用を許可するッ! B班、第一から第三隔壁を閉鎖ッ! 絶対に食い止めろッ!」

『了解ですッ! お嬢ッ!』

 頭に付けられたインカムから的確に支持を飛ばすゆとり。高校生と子供相手に銃火器の使用なんて正気の沙汰ではない。だが、モニターに映る死屍累々をみればそれも大袈裟ではないと理解出来る。今や、柚木組の半分は、龍聖とクーデルの手によって沈黙させられていた。

「くそッ……! このままじゃ確実にここまで来られちゃう……!」

 拳で机を叩くゆとり。モニターが小刻みに揺れる。だが、物に八つ当たりをしたところで何か事態が改善する訳では無い。そうこうしているうちにも、龍聖とクーデルは屋敷の半分まで進んでいた。ここに踏み込まれるのも時間の問題だ。もう、頼れるのは一人しかいない。

「パパ、お願いッ……!」

『都合の良いときだけ親を頼ろうとする……』

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょッ!」

『まあな。これ以上の狼藉を許す訳にはいかん』

 低い声で笑った雄烈。インカム越しにでも解る。老いても尚、衰えないその闘志を。娘だからこそ、ゆとりは知っていた。こうなったときの父は危ない、と。

「……殺しちゃ駄目よッ!」

『保証は出来ん』

 ガチャン、という耳障りな音。ゆとりの耳に届いたのはそれで最後だった。雄烈がインカムを投げ捨てたのだろう。ゆとりの胸に、一抹の不安が過る。

「龍聖ッ……!」

 思わず口を衝いたのは、父ではなく、愛しい男の名前だった。

                   ・

「あんたが、親玉みてえだなぁッ!」

 歓喜の声を上げたのは龍聖だった。此処まで辿り着くのにダースでは効かないほどのヤクザをぶっ飛ばしてきた。だが、どうにも物足りない。そんな最後の最後にこんなご馳走が待ち構えていたのだ。興奮しないハズが無い。

「小僧、生きて帰れると思うなよ……!」

 龍聖の前に立ちはだかったのは、当然柚木組の組長、雄烈だった。紋付をはだけ、顔貌から想像出来る年齢には似つかわしく無い筋肉をさらけ出していた。噴き出る汗が蒸気と変わり、広い廊下に充満していた。

「りゅーせー、強いぞ」

「ああ、解ってるッ!」

 相手の力量を見誤るほど龍聖は甘くない。今迄にブチのめしてきたヤクザを束にしたって、その強さには及ばないだろう。構えを取ったその身体に緊張が走る。

「参るぞッ!」

 雄烈の巨体が唸り、宙を飛ぶ。巨大な拳が空気を巻き込み、そこに猛烈な竜巻を創っているような錯覚にすら襲われる。喰らえば、一溜まりもないだろう。だが、喰らってみたい。何処まで耐えれるのか試してみたい。そんな想いに、龍聖は囚われていた。

「ぐうううッ!」

 必殺の拳が龍聖の胸で炸裂していた。何メートルぶっ飛ばされたのだろうか。プラスチック爆弾のそれよりも遥かに強烈な衝撃が、全身の骨という骨、肉という肉を苛む。内臓は悲鳴の代わりに血を吐き出す。常人ならば、龍聖でなければ即死だっただろう。

「なッ……! 何故避けないッ! 何故防御しないッ! 死ぬ気かッ!」

「あんたの全力を受けたくなった……それだけよッ!」

 木片に塗れても尚、龍聖の闘志は衰えることは無かった。いや、むしろ強く、熱く燃え上がっているようにすら見える。傷付き、倒れるほどに燃える。それが龍聖の本質だった。

「……いいだろう、掛かって来い。動けなくなるまで叩き潰してくれるぎゅッ!」

 再び拳を振りかぶる雄烈。だが、その拳が龍聖に届くことは無かった。その光景、龍聖もクーデルも、ただ呆然と立ち尽くすしかない。屋敷の壁をぶち破って雄烈を跳ね飛ばしたのは、一台の大型バイクだった。

「相変わらず好き勝手やってくれるね、まったくッ!」

 龍聖は、その声に聞き覚えがあった。金色に輝く昇竜が刺繍された特攻服。そして、それを見事に着こなすのは、毎日のように見慣れている顔。

「か、母さんッ!」

「よッ、龍聖ッ! 我が息子らしい大暴れっぷりだねぇッ!」

「それはいいんだけどよ……死にかけてるぞ、その人」

「あ、ゆーちゃんッ! 死んじゃいかんッ!」

「ゆーちゃんっ!?」

 顔にハテナマークが浮かんだままの龍聖を他所に、はつみは太いタイヤの下敷きになった雄烈を引き摺り出していた。顔にくっきりはっきりとタイヤの跡は付いているがどうやら生きてはいるようだ。

「好き勝手しているのはお前の方だろう、はっちゃん……」

「は、はっちゃんッ!?」

 予想外な雄烈の言葉に、龍聖はただただ驚きの声を上げるしか無かった。生まれてこの方、母親がはっちゃんなんて呼ばれているのは聞いたことも無い。しかも、それが、このヤクザの親分からなんて。

「ゆーちゃんとは幼馴染でね、昔はあんたのお父さんと、三人で一緒に暴れ回ったもんさ」

 はつみはふっ、と懐かしそうに視線を遠くへ向けた。きっと、その眼には太陽のように燦然と輝いた青春の想い出が映っているのだろう。だが、何時までも想い出に浸っていることなど出来る訳が無い。

「そんでゆーちゃんッ! なんでわざわざうちを地上げなんかしようとしたんだいッ! バブルの時代じゃないんだ、ロクな値段にならないことはアンタだって解ってるだろッ!」

「そ、それは……」

「言わないんならこっちにも考えがあるよ。ああ、はつみよ、君は夏のひまわりだ、僕を照らす……」

「うわあッ! 言うな言うなッ! なんで覚えてんだッ!」

「んもう、あんな熱烈なラブレター忘れる訳ないじゃないかい」

 むっふっふ、とはつみは艶っぽく笑う。雄烈をからかっているのが心底楽しいという表情だ。山のような大男が細身の女性手玉に取られているのだ。龍聖やクーデルにとっても愉快な光景ではあった。

「クソッ……」

 大きく見えた身体を縮こまらせて、雄烈はぽつり、ぽつり、と喋り出した。それは、まるで自分の罪を一つ一つ吐き出しているかのようだった。

「あの銭湯さえ地上げすれば、もう仕事辞めてくれると思ったんだよ……」

「なんで辞めさせようとしたのさ」

「辞めれば、うちに来てくれると思った……」

「ぷっ……あはははっ!」

 大真面目な雄烈の顔に、堪え切れなくなったゆとりはこれでもかと笑い声を上げてしまう。雄烈はただ困惑した表情を浮かべるだけだ。

「なんだ、ゆーちゃんまだあたしのコト好きだったんだっ!」

「は、ハッキリと言うなッ!」

「なあんだ、そうならそうと言ってくれればいいのにさー」

「そう簡単に言える訳ないだろ……たっちゃんとお前が結婚して、たっちゃんが死んで……それでも抑えてたんだからよ……」

「そっか、あの人が死んで、もう何年も経つんだもんね……」

 俄に沈黙に包まれるはつみと雄烈。だが、龍聖には何がなんだか、全く解らなかった。

「なぁ、たっちゃんってもしかして……」

「龍城院龍男、あんたの父さんだよ」

 はつみはやわらかく、暖かな瞳で龍聖を見詰めていた。だが、それは母が子を慈しむ視線ではない。成長した息子に、愛した男の姿を重ねて見ていた。

「ワシは、惚れた女も、可愛い娘も、親子二代に渡って奪われなばならんというのかッ!」

 雄烈は無念の血涙を流していた。この世界に、これほどの無念があるだろうか。嘗て愛した女を奪った男の、その息子が今、愛しい娘を奪おうとしている。だが、雄烈とゆとりの関係を知らない龍聖にとって、この血涙の意味は全く持って理解出来無いものだった。

「娘って……俺はあんたの娘なんか知らんぞ」

「奥に行ってみろ。答えの全てがそこにはある……」

 雄烈が指差した先の重々しい扉には、その雰囲気にそぐわないファンシーなプレートが掛けられていた。裏返され、クローズと書かれた面が表になっている。だが、この疑問を一刻も早く解消したい龍聖を止めることなど出来はしなかった。

「……入るぞ」

 抵抗無く開く扉。だが、中には誰もいないように思えた。それよりも、龍聖の興味を引いたのは部屋の造りに似つかわしくない装飾品の数々だった。その中でも一際目立っていたのが机の上で金色に輝く人形。

「おおッ! これ町内特警ジークスのフィギュアじゃねーかッ!」

「なんだりゅーせー、そのじーくすってのは」

「俺が子供のころやってたテレビでな、いやあ懐かしいな……ん?」

 龍聖は机の下に、なにやら気配を感じていた。精一杯息を潜めているようだったが、幾多の戦いに研ぎ澄まされた神経は、それを見逃すことは無かった。

「何が隠れてる……って、ゆとり?」

「ひゃああああああああああああッ!」

 眼に珠のような涙を溜めて、カタカタと震えていたのはゆとりだった。そのか細い身体から放たれたとは思えない大音量に龍聖は思わず尻餅を付いてしまう。

「おー……すげえ声……なんで、ゆとりがこんなとこにいるんだよ……」

「うう~……」

「唸ってばっかじゃ何も解んねえぞ。とにかく出て来いよ」

「うう~……」

 龍聖の手を取り、渋々と机の下から這い出るゆとり。だが、それだけでそれ以上何か言おうともしなかった。ただ俯いたまま、絨毯を敷いた床に涙を零すだけだった。

「ふむ……これを隠したかった、ということか」

「ひゃあッ! 見ないでぇッ!」

 クーデルが見付けたそれを、ゆとりは錯乱しながらも隠そうとしていた。だが、その抵抗も虚しく、舞い飛んだ一枚が龍聖の脚元へと落ちる。

「これは……漫画か……?」

「いやッ! いやッ! 見ないでッ!」

「見ないでって、良く描けてるじゃないか」

 飛び掛るゆとりを猫と遊ぶように軽くあしらいながら、龍聖は原稿用紙をまじまじと眺めていた。決してお世辞ではない。プロが描いたと言っても差し支えないほどの出来栄えだった。

「ヘンに……思わないの……? 漫画描いてる女の子なんて……」

「思わないよ、こんなに描けるなんてすげえ……あッ!」

 龍聖の頭に、あの日の言葉がフラッシュバックしていた。そう、良く聞き取れなかったが、あのときゆとりは、漫画のことしか考えられない、と言っていたのだ。

「そっか……あんとき、漫画のことしか、って……なんだ、男のことじゃ無かったんだ……」

「だって、恥ずかしかった……こんな趣味持ってるって知られるのが……龍聖だけには……」

 それは、ゆとりにとって精一杯の告白だった。そして、龍聖もそれに応える言葉を頭では無く、心で理解していた。

「俺、応援するよ。ゆとりが漫画描くの。なんでも言ってくれよ」

「龍聖……」

 交錯する瞳と瞳。龍聖とゆとりの間にある感情は、既に幼馴染のそれを超えていた。やわらかな空気が二人を包む。だが、それを心良く想わない乙女が一人。

「いつも一緒に寝ている女を放っておいて、りゅーせーは色男だな」

 普段通りの冷静な声だった。だが、その声質は余りにも冷たい。極寒のブリザードに放り込まれてもこんな背筋も凍るような思いは味わえないだろう。

「一緒に寝てる……ですって……」

 もう一つの視線もまた、龍聖を凍り付かせていた。確か、覚えがある。そう、あれはまだ小学生だったころの話だ。運動会で他の女子とフォークダンスを踊ったとき、あのときと全く同じ鋭い視線だった。あのときは解らなかったが、今なら確実に解る。これは、嫉妬だ。

「ああ、一緒に裸で寝ている」

「ちょっと待てッ! 裸だったのは今日だけだろッ! あっ」

 言ってしまった、という表情になる龍聖。これでは一緒に寝ていると肯定しているのと同じようなものだ。

「ふ、う、ん……一緒に寝てるんだ……私が一生懸命漫画描いてるときに、龍聖はクーデルちゃんと裸で……」

 ぎりっ、と奥歯が砕ける音が部屋に響いていた。鉄分の味がゆとりの口中に広がる。そそれほどまでに、ゆとりの嫉妬は深く、暗く、ねちっこいモノとなっていた。生まれてきてからずっと想い続けていた幼馴染が他の女と、しかも裸で寝ていると知ったのだ。当然のことだろう。

「今日なんか寝起きざまにいきなり胸を揉まれて……いったいボクの貞操はどうなってしまうのかと、どきどきしたよ」

 クーデルの言葉一つ一つは、エージェント時代に叩き込まれた心理学によって選ばれていた。何故かは解らない。龍聖とゆとりが仲良くしているのを見ると無性に胸がざわめく。ただ、その苛立ちをぶつけていた。だが、その言葉はクーデルの想像以上にゆとりの心を揺さぶっていた。

「りゅうううううううううせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ! アンタッ! こんなちっちゃな子にナニしてんのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

「おわあッ! ちっちゃいってッ、胸はちっちゃくないッ! お前よりでっかいぞッ!」

「がああッ! そんな話してんじゃねぇぇぇッ!」

 龍聖の言葉はゆとりの怒りにガソリンを注ぐようなものだった。感情を制御出来無くなったゆとりは龍聖の襟首を掴み、ぶんぶんと前後に振り回す。脳内の血液が急激に下がったのか、龍聖の視界は急速に光を失ってゆく。

「はぁーっ……はぁーっ……」

 ようやくゆとりが落ち着きを取り戻したのは龍聖が白目を剥き、完全に意識を失ってからだった。その獣じみた姿に、さすがのクーデルも言葉を出すことが出来無いでいた。

「すごいものだな……すまない、少し言葉が過ぎたようだ」

「クーデルちゃん……」

「ん?」

「私、負けないから……」

「負けない、とは?」

「龍聖のこと、絶対に渡さないから……!」

「ッ……!」

 そのとき、クーデルは初めて気が付いた。龍聖に対するほのかな感情。龍聖に優しくされる度に胸をくすぐる甘い感触。生まれてからずっと殺伐とした世界に住み続けていたクーデルにとっては想像することも出来無い想いだった。

「そうか……ボクはりゅーせーのことが好きだったんだな……」

「眼見りゃわかるわよ」

「ああ、ゆとりと同じ眼をしてたんだろうな」

「ぷっ……あはははっ!」

「ふふっ……はははっ!」

 二人の、恋する乙女の笑い声が部屋に響いていた。ゆとりとクーデル、二人の間に陰惨な感情は存在しない。お互いを恋のライバルと認め合った誇らしい想いだけがそこにはあった。

「ところで、ゆとり。このカレンダーの記しはなんだ?」

 ひと通り笑い終わったクーデルが見付けたのは、机の上に置いてあった卓上カレンダーだった。六月の下旬頃にぐりぐりと赤丸が付けられている。

「そうだッ! そうだったッ! 締め切りまでもう時間が無いのよッ!」

「締め切り?」

「そう、日本最大の同人誌即売会、コミックカーニバルの締め切りなのよッ! こうしちゃいられないわ、龍聖、起きやがれッ!」

 焦るゆとりは気絶したままの龍聖に、二発三発とビンタをかます。どうやら気付けのつもりらしい。あからさま過ぎるほどに度を越しているが、それでも眼を覚ますのが龍聖の龍聖らしいところだ。

「あばッ!? 地震かッ!? 隕石でも堕ちたかッ!?」

「なに寝呆けてんのよッ! 龍聖、何でも言ってくれって、言ったわよね?」

「あ、ああ……確かに言ったが……」

「じゃあ、漫画描くの、手伝って☆」

「漫画ぁ? 俺、読むのが専門だぜ?」

「だいじょぶだいじょぶ。ベタとかトーンとか、素人でも出来ることやってもらうから。ウチの若い衆にも時々手伝って貰ってんのよ」

 そう言うと、ゆとりは散らかった部屋を片付け出し、机の上に作業のスペースを作っていった。慣れた手付き。きっと一度や二度のことではないのだろう。

「クーデルちゃん、やり方解る?」

「ああ、熊の穴でレクチャーを受けたことがある」

「熊の穴ってのはなんでもやるんだな……」

 平然と応えるクーデルに龍聖は呆れ顔だ。だが、それでもゆとりに言われるままに準備をするのだから付き合いが良い。

「よしッ! それじゃあクーデルちゃんはこの原稿に消しゴム掛けて。龍聖はこっちの、絵にバッテンしてる部分を黒く塗るの。解った!?」

「うん、了解した」

「お、応っ……!」

 ゆとりの掛け声に、三人は一斉に原稿に取り掛かった。辛く、苦しいはずの原稿であるにも関わらずゆとりの顔は笑顔で満ち溢れていた。きっと、龍聖と向い合って漫画を描くことこそ、ゆとりの夢だったのだろう。今日ばかりはお邪魔虫がいるが。

「うう……ゆとり……」

「もう……あんま泣くもんじゃないよ」

 扉の隙間から、三人を見詰める視線が二つ。はつみと雄烈だった。雄烈の眼からはまだ烈火の如く血涙がボタボタと溢れ、廊下を赤く染めていた。

「女の子はさ、お嫁に行っちまうもんなのさ」

「そんなことは解っておる……しかし、早過ぎるではないか……」

「あたしたちの孫が早く出来るってだけの話しよ」

「孫、か……」

「さ、あたしたちも若いもんには負けてらんないわ」

「負けてられない、とは……うおッ!」

「あたしたちも、いちゃいちゃしよ……」

 狼狽える雄烈。はつみは、それが当たり前であるかのように雄烈の腕に自分の腕を絡ませていた。龍聖とゆとりがそうであるように、はつみと雄烈の時間もまた、ゆっくりと動き出していた。

                   ・

「ほう……これが東京ジャイアントサイトか」

 龍聖は思わず嘆息を漏らした。話には聞いていたが、眼の前にはアーチ型の建築物。その名の通り此処まで巨大だとは。

 東京ジャイアントサイト、東京都の埋立地に建てられた国内最大級の総合展示場で、一年を通じて様々なイベントが行われている。ゆとりの目的である、コミックカーニバルもこの東京ジャイアントサイトで開催されていた。

「びっくりしてるとこ悪いけど、あれはただの門よ。あの奥に西と東ってあってね。そりゃもう広いんだから」

 まるで我がことのように誇らし気なゆとりだ。だが、この光景を見れば、そういう言葉が飛び出すのも無理は無いだろう。正門の前には地平線の彼方まで敷き詰められているかのような錯覚を起こすほどの人、人、人。

「いや、しかしすげえな。これだけの人が入るんだもんなぁ……ところで、今からこの列に並ぶのか?」

「ううん、私たちはサークル参加だから、他の入り口から早く入れるのよ」

「それなら安心だ。こんな炎天下で並んでたら干からびちまう」

 ゆとりから名刺大の紙片を受け取る龍聖。いわゆる、サークルチケットというやつだ。今並んでいる連中からしてみれば、喉から手が出るほど欲しい一枚だろう。

「ほら、クーデルちゃんも」

「うん……」

 クーデルにも一枚を差し出すゆとり、だが当のクーデルはもじもじとしたまま歯切れが悪い。まるで、二人の前に出るのを拒否しているかのようだった。

「ははっ、それにしてもすげえ格好だな、お前ら」

「いっ……言うなッ! ボクだって好き好んでこんなかっこうしている訳じゃないッ……!」

 クーデルの顔が真っ赤なのは、灼け付くような陽射しだけのせいでは無いだろう。ウイッグでも着けているのだろう、銀髪は背中まで長さを伸ばしていた。着ているのは胸元のぱっくりと開いた、ふりふりのリボンが可愛らしいコスチューム。着けていな方がマシと思えるほどの、花びらを模したスカートからは真っ白い太ももが覗く。

「ゆとりのくれた服も女の子っぽくて趣味じゃないが、これは輪を掛けてひどいッ……!」

 鉄面皮のクーデルには珍しく、瞳いっぱいに涙を浮かべて抗議の言葉を繰り返していた。よっぽど恥ずかしいのだろう。だが、龍聖はそんなクーデルが可愛くて思わずにやけてしまう。

「いや、可愛い可愛い。これがコスプレってヤツか……ハマるヤツがいるのも頷ける。そんで、これはなんてキャラなんだ?」

「知らないッ! ゆとりが着せたんだからゆとりに聞きなよッ!」

 頬を膨らましてそっぽを向くクーデル。しかし、もはやそんな仕草までが余りに可憐。その容姿とコスチュームに、通りゆく人々も足を止めるほどだ。まさに、モニターの中から飛び出した、という表現が相応しいだろう。

「これはね、魔法JCミーナのコスなのよッ!」

「JC? ジャパンカップか?」

「女子中学生の略よ。普通の女子中学生だった瑞魚が妖精と契約して魔法JCミーナになっちゃって、地球征服を企む悪いヤツらをバッタバッタと薙ぎ倒す魔法活劇ッ! 今やってんのに、龍聖観てないの?」

「女の子向けのアニメを俺が観てる訳ないだろ……」

「あら、最近はおっきなお友達にも人気があるのよ? ほら、クーデルちゃんのミーナコスを見れば少しはその気持がわかるでしょ」

「うむ……確かに……」

「ほ~らクーデルちゃん、そんなしかめっ面してちゃダメよ。龍聖が見てるわよ~」

 龍聖以上に、にやにやとした顔でクーデルに水を向けるゆとり。当然、これは先日柚木組の屋敷で龍聖と寝ている、なんて聞かされたことへの意趣返しだった。

「笑えるわけないじゃないかッ! だいたいなんでゆとりはそんなかっこうで平然としていられるんだッ!」

「あら、コスプレはコミカの華よ☆」

 うっふん、と色っぽいポーズを取るゆとり。その身に纏っているのは、クーデルと同じような魔法少女的コスチューム。だが、その露出はクーデルのそれより遥かに激しい。

「むふふ、これはね、ミーナのお姉さんキャラで、魔法JKキャナルのコスなのよ。どう、龍聖? 似合う?」

「む……」

 顔面に血液が昇るのを、龍聖は自分でもハッキリと感じていた。普段のゆとりと違う、あられもない格好。確かに、以前に裸は見ているが、この破壊力はそれ以上だった。だが、ここで可愛いだの似合うだの言ってしまえばゆとりが調子に乗ることは明白だ。

「ああ、もうちょっと胸に、こう、ボリュームがあればな」

「ムカッ! 人の顔見りゃどいつもこいつも乳の話ばっかしやがってッ!」

「中学生のころから成長してないんじゃないのか? ちったあクーデルに分けてもらったらどうだ?」

「うるさいうるさいッ! このやろう、とっちめてやるッ! 行くよ、クーデルちゃんッ!」

 クーデルまでも巻き込んで、龍聖をぶっ倒そうとするゆとり。だが、龍聖はその金色の身体を動かそうともしない。そう、金色に輝くその身体を。

「町内の平和を乱すモノ……この俺が許さんッ! 町内特警ジークスッ!」

 そう、ゆとりやクーデルと同じく、龍聖もまたコスプレをしていた。全身を包む黄金の甲冑。町内特警ジークスの勇姿が朝日を跳ね返し、神々しく輝く。

「いやあ、しかしよくもまぁこんなもの作ったわね……」

 呆れ気味に言ったのはゆとりだった。確かに、ミーナのコスもキャナルのコスも自分で作ったものだ。だが、ジークスのような大掛かりなモノを作ろうなんて、発想からして存在していなかった。

「こっちに持ち込んだ資材が余っていたんでな」

「ほんと、なんでも出来るのね、クーデルちゃんは……」

「装甲には三十六層強化プラスチック、全身を廻るチューブには絶えず冷却剤が流れ居住性も十二分。全身を覆う特殊塗料はステルス機能によりレーダーに映ることも無い。我ながら良い出来だよ」

 つい先程まで自身を襲っていた羞恥も忘れて、クーデルは満足気に頷いていた。出来が良い、というのも上機嫌の理由だが、愛しの龍聖が自分の作ったスーツを着てくれている。それが何よりも嬉しかった。

「いやあ、それにしても凄い出来ね……私も、次はジークスの女幹部のコスにしようかしら」

「ダメ」

「え?」

「女幹部のコスはボクが着るの」

 龍聖が好きだった、ということもあって、クーデルは町内特警ジークスのDVDをマラソン完走していた。しかも三周も。町内特警ジークス、その名の通り、町内を悪の組織から守る、如何にも子供向けの特撮番組であったが、影のテーマは、ジークスと女幹部のロミオとジュリエットとでも言うべき許されざるラブロマンス。クーデルは、その女幹部に自分を重ねていた。

「クーデルちゃん、意外に独占欲強いのね」

「負けたくは、ないからな……」

 俄に飛び散る火花。恋する乙女にとって、戦場など何処でもいい。そこに愛する男がいれば、何処でも血生臭い戦場へと変わるのだ。だが、当の愛する男は、そんなことお構い無しに歩を進める。

「おい、準備があるんだろ。早く行かないと」

 ガチャガチャとジークスの装甲を揺らしてジャイアントサイトへと向かう龍聖。それを、ゆとりとクーデルは憮然とした表情で冷たい視線を送っていた。

「お互い苦労するわね」

「ああ……」

 ここ一番で鈍い龍聖。奇妙な三角関係はどうなってしまうのか。それは、神のみぞ知る、ということなのだろうか。兎にも角にも、こうして、三人のコミックカーニバルは始まったのである。

                   ・

「ふう、ざっとこんなものでいいのかな」

 龍聖がコクコク、と頷く。長机の半分にはパッチワークのテーブルクロス。そして、その上にはB5サイズの冊子が並ぶ。いわゆる、同人誌というやつだ。

「うん、上出来。龍聖、こういう才能も有るのね」

「店じゃあ俺がレイアウトやってるからな、こういうのは得意なんだ」

 きっと、得意気な顔をしているのだろうが、ジークスのヘルメットに隠されてその表情を伺うことは出来無い。だが、それでもゆとりの胸にある感情は幸せ一色だった。おしどり夫婦が仲良く二人で一緒に店をやっているような、そんな妄想に囚われてしまう。そう今この場所には二人しかいない。

「そういや、クーデルはどこ行ったんだ?」

「欲しい本があるからって、西館に行ったわよ」

「そうか、このクソ暑い中、元気なもんだな」

「クーデルちゃん、最近明るくなったね」

「そうだな、こっちに来たばっかのときとは全然違う。感謝してるぜ」

「感謝……?」

「ああ、感謝。ゆとりが良くしてくれるから、クーデルも明るくなったんだ」

「鈍感、ねぇ……」

 ゆとりは呆れ顔で深い溜息を付いた。コイツは昔からそうだった。あからさまな好意を向けたって、解っているのか解っていないのか暖簾に腕押し。かと思うと、裸を見られた日みたいに素っ頓狂な告白をしたりする。ヘンな方向に思い切りが良いのだ。

「鈍感?」

「こっちの話しよ。それより、はつみさんとウチのパパ、合ってるみたいよ、良いの?」

「良いのも何も、俺らが口を挟むことでも無いだろ」

「結構物分かりが良いのね。ボクの父さんを裏切ったなッ! とか言わないのね」

「んー、俺がちっさいときに死んだから、あんま親父のことは知らないんだよね。ずっと女手ひとつで俺を育ててくれたしさ、楽出来るならそっちの方が良いよ」

「ウチもおんなじようなものね。お母さん、写真でしか知らない」

「それよりも、ゆとりがヤクザの親分の子供だった方が意外だよ。俺、お前との付き合い結構長いけど全然知らんかったぞ」

「そ、そりゃあ隠してたから……」

「ま、そりゃそうだよな。でも、ゆとりの親父さんが俺のこと知ってるのも驚いたわ。知らんうちに結構な恨みを買ってたみたいで……」

「逆恨みもいいとこよね……昔の恋敵の息子だからって、わざわざ組の若い衆使って調べさせてたんだから。我が親ながら恥ずかしいわ……」

「それだけ、ゆとりのことを可愛く思ってんだよ」

「そうね……ま、今はつみさんとウチのパパが仲良くしてるならそれでいっか」

 そう言うと、ゆとりは腕時計に目をやった。時刻は九時半。開場までまだ幾分かの時間がある。間に流れるのは穏やかな空気。最近はクーデルも共に行動することが多かったから、久し振りに二人っきりの時間だ。クーデルには悪いが、この僅かな時間、楽しませてもらおう。ゆとりが、龍聖の手に自分の手を重ねようとした、そのときだった。

「ん? なんだありゃあ」

 龍聖が指を差した先には、既に黒山の人集りが出来上がっていた。開場前にも関わらず、だ。熱気というか殺気というか、物々しい雰囲気が俄に辺りに漂う。

「サークル参加してる連中だけで、あんな列が出来てるっていうのかッ!?」

「ちょっと待って、調べるから」

 ゆとりが取り出したのは電話帳ほども厚みのある冊子だった。いわゆるカタログというやつで、これに三日間全てのサークルが記載されている。素早い手付きでページを捲り、そのサークルを探し出す。

「うーんと……あったあった。カリカトラ……どこかで聞いたことがあるような、無いような……」

 眉間に皺を寄せたまま、カリカトラ、というサークルの方を見るゆとり。黒山の人集りに、誰がいるのかなんて確認することすら出来無い。壁に配置されるほどの人気サークルなら、ゆとりが知らないハズは無いのだが。

「う~ん……?」

 なんとか記憶をほじくり返そうと脳味噌をフル回転させるゆとり。だが、そんな努力も近付く喧騒に掻き消されることとなる。雷が落ちたかのようなどよめきの中心にいるその男は脇目も振らずゆとりたちのスペースへと颯爽と歩を進める。

「きゃあああッ! マリノア王子ッ!」

「はぁ? マリノア王子、だぁ?」

「そうよッ! マリノア王子ッ! ピンチに陥ったミーナを助けてくれるお兄さんキャラで、女の子にも一番人気なのッ!」

 ゆとりの興奮は尋常ならざるものだった。それもそのはず、眼の前にいるのは金髪碧眼の美少年。中世の騎士にも似た軽甲冑に身を包んでいる。浮かべるは爽やかな笑顔。龍聖とは百八十度違うと言っても過言では無いだろう。

「こんなところで、キャナルに会えるなんて思いもしませんでしたよ」

 その声も、とても落ち着いたものだった。その瞳に見詰められれば何も言葉を紡ぐことが出来無い。ゆとりはただ、目を白黒とさせてあたふたと狼狽えるだけだった。嬉しいのか、戸惑っているのか、全く解らない。眼の前に、大好きな、あの大好きなマリノア王子がいるのだ。この感情、いったいどう表現すればいいのか。

「ふふ……どうか……落ち着いて……」

「あ……」

 マリノアコスの男は、ゆとりの手を取り、その唇で触れようとした。だが、それを許す龍聖では無い。怒りのまま装甲をゆらし、男の手を捻り上げた。

「ぐッ……!」

「よう兄ちゃん、あんたの国じゃ挨拶かも知れんが、日本で挨拶するときはまず自分の名前から名乗るんだな」

 龍聖の声は、ヘルメット越しのせいか、くぐもって非常にドスの効いたモノとなっていた。いや、それだけではないだろう。明確な敵意が、その声に現れていた。

「ホラ、最初からやり直せ」

「くッ……さすが、キャナルのナイトだけのことはありますね……!」

 ドン、と押されたマリノアコスの男は、よろめきながらも取り巻きの女どもに支えられる。取り巻きの女どもは非難の視線を龍聖に向けるが、ヘルメット越しにも解る龍聖の威圧感に黙るしか無かった。

「コホン……失礼をしました。私はサークルカリカトラの主催をしております、ピョートル・ヴェデルニコフ申します。以後、お見知り置きを……」

「え、あ、ひゃいっ! わたわたわた、私は柚木ゆとりといいますっ!」

 すっかり舞い上がってしまったゆとり。今まで龍聖のことしか見て来なかったものだから、恋愛経験というか、男性に対する免疫は全くのゼロだった。それが、眼の前に大好きなキャラと寸分違わぬ王子様が現れたのだ、仕方の無いことだろう。そんなゆとりの心境を察してか、ピョートルは優しく、軟らかな口調で話を続ける。

「ミスゆとり、日本は素晴らしいですね。私の国では、つい四ヶ月前まで、自由にコミックを描くことも、読むことも出来ませんでした」

「え……それってもしかして……ガンドルフ?」

「ご存知でしたか。ガンドルフでは良識派によるクーデターでロシアからの独立が叶いました。私も以前から日本のコミックが好きで……今日、ようやく堂々とコミックカーニバルに参加出来たのです」

「そんな自由も、日本人は自分で壊そうとしている……」

 嬉々としたゆとりの表情は、ピョートルの言葉に曇ったものへと変わっていた。まるで、この世界に終わりでも訪れたかのような、それほどまでに暗い表情だった。

「壊そうとしてる、っていったいどういうことだ?」

 ゆとりとピョートル、二人の様子に嫉妬した、という訳ではないが、龍聖は二人の会話に割って入った形となる。

「表現規制、のことよ……児童ポルノ禁止法とか、青少年健全育成法とか……漫画には悪影響があるって決めつけて、この世から無くそうとしているの……」

「なんだよ、そりゃあ。俺だって漫画は読むが、悪いことなんか一回もしたこと無いぜ」

「そんなこと、当然よッ! でも、頭の固い政治家たちは、漫画を一方的に悪者にして……!」

 ゆとりは、衆目に晒されているにも関わらず、自身の感情を爆発させていた。化粧が落ちるほどの号泣。その黒い涙は、ゆとりの怒りをそのまま表しているようだった。

「ゆとり……」

 取り乱すゆとりに、龍聖は為す術無く立ち竦むしか無かった。どうすれば良いのか解らない、なんて言葉を掛ければ良いのか、答えが見つからない。それは、当然のことだった。龍聖にとって、漫画なんてものはただの暇潰しに過ぎ無い。だが、ゆとりは違う。文字通り、漫画に生命を賭けている。そして、生命を賭けたモノの想いは、同じく生命を賭けたモノにしか解らないのだ。

「ミスゆとり、どうか泣かないで……」

 取り出した純白のハンカチが汚れるの構わず、ピョートルはゆとりの涙を拭っていた。その慈しみに満ちた手付き。今までに触れられたことも無い男の指に、ゆとりの瞳はうっとりとした目付きに変わる。

「ふふ……」

 だが、初心なゆとりは気付いていなかった。ピョートルの瞳の奥に鈍く光る、邪な眼差しを。獲物を狙う、猛禽類のような眼を。

「そこまでにしてもらおうか、それは俺の仕事だ」

 龍聖はピョートルのハンカチを奪い取り、そのまま顔目掛けて投げ付ける。龍聖だけは気付いていた、この男は危険だ、と。

「へぇ……白のハンカチを投げる……決闘の申し込みだと、知っているのかな……?」

「知らんッ! だが、丁度良いなッ!」

 一触即発。火花なんて言うのが生易しく思えるほどの、敵意の炎が龍聖とピョートルの間に燃え盛る。雄と雄が、雌を巡って優劣を決する。それは極めて自然なことなのかも知れない。

「こらぁ~ッ! なにやってるんですかぁ~ッ! 開場前の列は禁止です~ッ!」

 だが、ここは法に統治された近代国家だ。遥か彼方から、黄色い怒声が張り上がる。腕に付けた緑の腕章、コミックカーニバルを取り仕切るボランティアスタッフだ。どうやら、この騒ぎを目敏く見つけたらしい。

「ピョートル様、会場内での揉め事は御法度です。ここは……」

 龍聖とピョートルの間を遮ったのは、凛然とした女性の声だった。艶のある金髪に、表情を隠すかのようなサングラス。長身を威圧感すら覚えさせる黒のスーツが包む。

「解っている、リューシャッ! 私に命令をするなッ!」

 リューシャの身体を、苛立たし気に振り払うピョートル。だが、その敵愾心は未だ衰えていない。龍聖を睨み付けるその眼、素人が持つそれでは明らかに無い。

「龍聖もッ! 失礼にも程があるわよッ!」

 身を乗り出す龍聖を抑えようとするゆとり。だが、装甲越しにも解る、龍聖の苛立ち。何故此処まで怒りに身を震わせているのか、今のゆとりには理解しかねることだった。

「ミスゆとり……今日は本当に失礼をしました……私はこれからサークルの準備をしなければいけませんが……きっとまた直ぐに逢えるでしょう」

 それまでの憎悪を微笑みの仮面で覆い、やわらかな視線をゆとりへと向けるピョートル。その視線に、ゆとりはまたもやメロメロになってしまう。掴む龍聖の腕が、いっそう震えていることに気付くことなど出来やしなかった。

「それでは……」

 来たときと同じように、颯爽とした足取りで自分のスペースへと戻るピョートル。ゆとりのスペースには、開場前の静けさが戻る。だが、龍聖とゆとりの間に流れる雰囲気は、平穏なんてものではなかった。

「龍聖……なんであんな態度取ったのよ」

 重く、冷たい声だった。龍聖は知っている。ゆとりがこの声を出すときは、本当に心の奥底からブチ切れているときだと。だが、龍聖も引くことは出来無い。

「あんな男にデレデレしてんじゃねえよ」

「何よ龍聖、妬いてんの?」

 一瞬、ゆとりの顔に光が戻るが、それに気付けるほど龍聖は冷静ではなかった。売り言葉に買い言葉。血の昇った頭はただ暴言を返すだけにしか働いていない。

「誰が妬くかよッ……!」

「龍聖がさ、ハッキリしてくれたら、私だって……」

「む、ぐ……」

 確かに、ゆとりの裸を見たあの日、龍聖は責任を取ると明言した。好きな男なんていないと、誤解も解けた。だが、それから何の進展も見られない。その原因は、たった一つだ。

「クーデルちゃん、でしょ」

「う、ぐ……」

 冷たく言い放つゆとり。龍聖は何も言い返すことが出来無かった。その言葉通り、ゆとりに対して積極的になれないのはクーデルが、何時も側にいるからだった。一緒に暮らし始めてから、妹のように可愛がってきたクーデル。まだ、それが恋だと気付いていないのかもしれない。いや、気付かない振りをしているだけかもしれない。だが、クーデルの存在が、ゆとりとの一線を超えられない一因となっていることは自分でも解っていた。

「私だって、素敵な王子様にさらわれることを、夢見ることだってあるわ……!」

 ゆとりの、静かな、しかし深い慟哭。龍聖は俯いたままのゆとりに何か言い返すことも出来無かった。ゆとりの表情が、明確な拒絶を物語っている。それだけははっきりと解っていた。気不味い、なんてものではない沈黙。だが、その沈黙を破ったのは、二人の間にある火種そのものだった。

「遅れてしまって申し訳ない。なんだか帰りに写真を撮られてしまって……ってどうしたんだ、二人とも?」

 ようやく買い物から戻って来たクーデルが見たのは憮然とした表情のまま並んで座る二人だった。事情の知らないクーデルにとっては何がなんだか解るハズもない。

「本当に、どうしたんだ……?」

 クーデルの言葉は二人の耳には届かない。クーデルさえも狼狽えるこの表情。こんな凍て付いた場所に誰が客として来るだろうか。この日、ゆとりのサークルはコミカ参加以来最低の売上を叩き出してしまったという。


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