本当は怖いYouTubee
§1
「ふうーっ、一丁あがり。」
木村和輝は、出来上がった広告効果分析報告書資料その9の保存ボタンを押すと、椅子に腰掛けている背中をそらし、大きく伸びをした。
「あーあ」
その大きな声に少し離れた席の同僚が数人振り返り、小さく噴き出す。しかし、藤原麗華だけはその美しい目にきらっと怒りの色を浮かべた。
和輝は、名前を出されたら誰もが「ああ、あそこね」とうなづく某家電メーカーの販売事業本部の大きなオフィスで入社4年目を迎えていた。
以前は本部長の机は別室だったが、今は意志疎通のため大部屋の窓際にある。そして藤原麗華は実力で26歳にして課長に抜擢されたエリートであり、その美貌もインタビューの載った社内報がオークションで高値で売れたというので、週刊誌が取材に来たほどだ。
和輝は席を立つと、部屋を出た廊下の片隅にある自販機まで行き、ホットチョコの砂糖増量、クリーム増量、氷入りをボタンで押し、完了ランプを待つ。
そこへエレベーターから降りてやってきたのは、一期上ながら同郷ということで親しくしている香西夏実。夏実は自販機の点灯してるボタンを見て声を上げる。
「やだー、木村君、ホットチョコに砂糖入れて氷入れるの?」
和輝は当然という声で、
「うん、ちょっと一服したい時は、これがいいんだよね」
「だって、それじゃあ砂糖溶けないでしょーが」
「その溶けないところがまたいいの」
和輝はドアを開けて、氷入りホットチョコ満杯の紙カップを取り出した。
「木村君って、とことんマイペースだよね」
「もしかして夏実さん、俺に惚れてる?」
夏実は和輝の痛い台詞を首を左右にふって払う。
「はぁあ、あんたって、痛すぎだわ」
夏実はそう言ってカフェオレを手に取るとさっさとオフィスに戻り、和輝はホットチョコを手にゆっくりと席に戻った。
和輝はパソコンのブラウザを立ち上げ、お気に入りに登録してるお笑い特選動画というサイトをクリックした。
実はこのサイトは和輝が自分で気に入ったものをすぐ見るために自分で作ったブログなのだった。動画の入れ替えは和輝の気分次第。YouTubeeの人気動画をチェックしてさらに面白いものがあれば入れ替えるし、なければそのまま。
現在、サイトにはみっつのYouTubeeお笑い動画がリンクされている。
和輝は氷の入ったホットチョコをちびちび飲みながら、スタートボタンを押す。
するとブランコで遊んでいる少年の動画が始まる。
ブランコは前後に大きく揺れて、少年は楽しそうに笑って手を振り、カメラ目線をこちらに投げかけている。
おそらく親が撮影してるんだろう、のどかで平和な風景だ。
と、次の瞬間、ブランコの板の部分が抜けて、少年は激しく落下し、地面にお尻を打ちつけて大声を上げ、泣き出す。
撮影していた親は命に別状ないから安心して、噴き出したらしく画面が小刻みに揺れる。
「クーッ、ククククッ」
和輝はそれでも大声にならないよう気をつけ、机を叩いて自分の笑いをこらえる。
「最高、幸せ」
次のスタートボタンをクリックすると、今度は新聞を読みながら歩いている男が映る。
男は前方に消火栓があることに気付かない。
ぶつかるぞと思いながら見ていると、男はこちらの期待に答えるかのように、消火栓に激しく脛をぶつけて、脛を押さえてぴょんぴょんと跳躍する。
「ヒー、フフッ」
和輝が笑いをこらえて眺めていると、跳躍を続けた男は、ひと息つこうと思ったらしく脇の柵につかまる。
しかし、今度は柵がいきなりあちら側に倒れて、男は向こう側に落ちてしまう。
カメラが歩いて柵の向こうを覗き込むと、男は水溜りで尻餅をついて放心状態だ。
「シャーシャシャ、最高」
和輝は大声にならないよう押さえて笑いをこらえた。
みっつ目のスタートボタンを押すと、吹き抜けから二階を撮影している。
ターゲットの猫が二階のテーブルに乗る……。
不意に、自分のパソコンを見ていた藤原麗華が立ち上がると、本部長の机に行き、和輝を一瞬振り返ってなにやら話しかけた。本部長がうなづくと、麗華は本部長のパソコンを操作してやる。本部長は眉をしかめた。
その時、和輝の携帯にメールが入った。
(大奥と本部長があんたのエロ画面見てるっぽい)
大奥というのが、女ながら権力のある麗華を差す隠語だというのは、つい最近、同僚に質問して知っていた。
和輝は返信する。
(大丈夫です、机が離れてるから )
(そうじゃなくて、大奥は監視ソフトで見てる、閉じな)
(へえ、監視ソフトか。でもエロじゃないから、YouTubeeで息抜きですよ)
(あんたって、痛すぎだw、早く閉じろ)
和輝はブラウザを閉じると、ちょっと背伸びして夏実の席を探し、指でOKマークを作ってみせる。夏実は目立たないよう思い切り頭を下げた
本部長とうなづきあった藤原麗華課長は和輝の席に歩いて来た。黒っぽいスーツに膝上10センチぐらいのミニスカート、むだにフリルのついたブラウスの前で腕組みをしたまま、和輝を睨んだ。
「ちょっと、木村君」
「はい、課長」
「会社のパソコンの私用は禁止という規則、知ってるわね」
「え、使用禁止じゃ仕事になりませんよ」
「チッ、そうじゃなくて、プライベートに使ってはいけないという規則」
「いや、知りませんでした、規則の何条ですか?」
麗華課長は思わず「このうすのろ」と怒りかけたが、またすぐ普通の口調に戻って
「今度、見てたら、査問にかけて、クビにしますからね」
そう言い放つと、腕を組んだままの姿勢で自分の席に戻った。
§2
翌日のこと、和輝が大きなクッション入り封筒を持ってエレベーターが開くのを待っていると、開いたドアから夏実が出てきた。
「あ、木村君、どこか行くの?」
「うん、大宮支店に書類を届けに行くんだ」
夏実はあれっと思った。
書類は業者を使った社内便のネットワークが一日三便あるから、よほどの重要書類でなければ足で届けはしない。
夏実は陰謀の匂いをかぎつけて、エレベーターの中に戻った。
「あれ、降りないの」
「うん」
夏実は1階のボタンを押して、聞く。
「その書類、誰に頼まれたの?」
「藤原課長だよ」
「やっぱり」
「やっぱりって?」
「気をつけなよ、それ、大奥課長の罠かもよ」
「なんで?」
「大奥課長は、あんたを嫌いなのよ、だからあんたにミスさせてクビにしようって陰謀かもよ」
「え、そんなあ」
「気をつけてね」
エレベーターは1階に着いて、ドアが開いた。
「ありがとう、夏実さん、もしかして俺に気があったり」
「気はないっ、シッシッ」
和輝は追い払われるように会社を出た。
大宮支店で和輝はちょっと心配しながら書類を差し出したが、なんの問題もなくデリバリーは終わった。
和輝はすぐに引き返すため電車に乗った。
電車は立っている人間もいたのだが、和輝は補助席に空きを見つけて近寄った。補助席というのは通勤時間帯は壁面に折りたたまれていて、時間帯がすぎると押し下げて座れるという席だ。
そこには体格のいい、アロハシャツを着てサングラスをしたちょっと怖そうな男が一人腕組みして座っている。その左脇にどうにか一人分のスペースがある。
和輝は空きスペースの前に立ち、座るために体をひねった。
そして、和輝が腰をおろそうとする瞬間、怖そうな男が腰を浮かして席を壁面に押しあげ、立ち上がってしまった。
腰の高度が下がるのに、いつまでたってもシートの感触がない。
「あ」
代わりに硬い床の衝撃が和輝の尾てい骨を叩いた。
「イッテッテーッ」
和輝は思わず声を上げた。
続いて恨めしそうに怖そうな男を振り向いたが、そいつはじっと和輝を睨み返し、和輝は慌てて目を伏せた。
その時はただの尻餅の痛みだった。
しかし、自宅でいつものようにYouTubeeの人気の動画をチェックした時、それは新たな衝撃を加えた。
和輝がさっき電車で尻餅をついた様子が投稿公開されていたのだ。
『今日一番不運な男』というテロップが流れて、くたびれた会社員が補助椅子にかけようとする瞬間、座っていた広域暴力団若頭補佐風の男が丁寧に椅子をたたんで立ち上がった。
和輝が尻餅をつく映像が流れ、車内から失笑がもれる。
和輝が怖そうな男に視線を向け、睨み返されて、慌てて俯くところまでしっかりと撮影されていたのだ。
ショックだった。
自分がこんな目に遭うとは思ってなかった。
和輝は慌てて夏実に携帯でメールする
(夏実さん、YouTubeeの人気の動画に夕方話した俺の尻餅が出ちゃったよ)
(今、ノートパソコン開いてみる、YouTubeeの人気の動画ね)
(どう?)
和輝は情けない気持ちで返信を待っていたが、まもなく
(ハハハッ、笑えるね、最高!お気に入りに入れとくね)
(そうじゃなくて、これって課長の罠かな?)
(これだけじゃあ、断言できないでしょ)
(ひどいよね)
(どうしたのよ、元気出しなさいよ)
(でも、もしかしたら課長の陰謀なんだろう?)
(あんまり、考えすぎないで)
夏実はそうメールして、余計なこと言わなきゃよかったと後悔した。
でも動画は何度か繰り返し見て笑った。
§3
翌日、和輝は藤原麗華課長から貿易関連公益法人の事務所へ行き、資料をもらってくるという仕事を頼まれた。
そこは六本木にある巨大なビルで、メイン通路を兼ねた大きな中庭があり、脇には人工の小川の流れがあり、両脇には花壇が堤防のような感じで延びている。
和輝が心洗われる気分でひとときベンチで休みした。
それから仕事を思い出して歩いてゆくと、前方から黒いシャツに白いスーツをはおり、サングラスをした男が、後ろにも子分らしき影を引き連れて近づいてくる。
一瞬、昨日の電車の男かと思ったが、体格はひとまわり小さいかもしれない。
その代わり顎を撫でる小指の先がなかった。
うわあ、どんどん近づいてくるよ。
和輝は君子危うきに近寄らずだと、道を開けるようによけた。
ところがヤクザも同じ分横にずれて寄ってくる。
和輝はさらに端によけるのだが、ヤクザも端に寄ってくる、つまりどんどん和輝の正面に寄って近づいてくるのだ。
「おい、あんちゃん、ふらふらして花を踏むなよ、ボケ」
ヤクザが足元を指さして急に怒鳴った。
いや彼にしたら普通に喋っただけなのかもしれないが、それは和輝には、いきなり刃物を突きつけられたように響いた。
そこで和輝は足元に迫っていた花壇にハッと気付き、踏まないよう慌てて跳ねた。
ボチャッ。
着地したところは小川の中だ。
しかも小川の中は意外に大きな石がごろごろしていて、和輝はバランスを崩した。
「ア、アアッ」
そのまま尻を小川の中に着いて、勢いよく水しぶきをあげた。
「このアホが、花には優しく水をかけんかい」
ヤクザは和輝を叱ると、花壇の花にかかった水をハンカチで拭い始めた。
子分たちも同じようにハンカチを取り出し、指が四本か三本しかない手で拭き始める。
「よし、だいぶいいだろ、行くぜ」
しばらくしてヤクザが言うと、子分も揃って立ち上がった。
「都会の真ん中でも、花があると心が和むのう」
「へい、まったくで」
ヤクザたちが完全に立ち去るまで和輝はそこから動けなかった。
その時はただズブ濡れになっただけだった。
しかし、自宅でYouTubeeの人気の動画を開いた時、またもや新たな衝撃に襲われた。
和輝が六本木の中庭で尻を濡らしている様子が投稿公開されていたのだ。
またもや、『今日一番不運な男』というテロップが流れて、和輝がヤクザにびびってよけようと、じりじり通路の端に寄り、ヤクザに怒鳴られて、跳ね上がって小川の中に尻をついてしまい、ヤクザたちが花の水をハンカチで拭いてる間中、和輝は小川につかって動けない一部始終が撮影されている。
ショックだ。
自分が二日続けてこんな目に遭うなんておかしい。
和輝は急いで夏実に携帯でメールする
(夏実さん、YouTubeeの人気の動画に昼の俺のザブン事件がまた出ちゃってる)
(え、二日続けて、木村君もしかしてレギュラー?)
(勘弁してよ)
(ハハハッ、今、見てる、何、このヤクザ、笑えるね!)
(やっぱりこれっておかしいよね)
(そうね、偶然にしてはできすぎかも)
(課長の罠かな?)
(断言はできないな)
(どうして?)
(だって、木村君は動画見て笑ってたんでしょ?)
(はあ、ブログまで作って楽しんでます)
(ほうら、だから自分も同じ目に遭ったんだよ。
因果応報って恐ろしいのよ)
(そうなのかな)
(あんまりすぐ納得されても困るけど、なんか心当たりあるの)
(いや自分のサイトで公開してた動画と似てて不気味なんで。
ひとつめがブランコから落ちて尻餅で、ふたつめは水溜りに落ちてズブ濡れ)
(ふうん。じゃ、みっつめは?)
(テーブルクロスの端をもう一匹の猫が引っ張って、テーブルで眠ってた猫が階段から派手に落ちるんです。
だけど俺は猫じゃないから、足とか折ってしまいますよ)
(そうか、十分、気をつけてね)
(それだけ?)
(私は陰陽師じゃないっつの)
§4
翌日、和輝はびくびくしながら出勤した。
特に駅の階段は常にまわりに目を配り、足元に気を配り、一歩一歩、自分が亀になったような気分で昇り降りした。
会社に着くと、ロビーでちようど夏実と出くわした。
「おはよう、今のところ、足は大丈夫みたいね」
「勘弁してくださいよ」
一緒にエレベーターに乗り込むと和輝は言った。
「もし上に着いた後でエレベーターが故障で動かなくなったら、その時が一番怪しいと思うんですよ」
「そうね、その時は、いっそパラシュートで飛び降りたら」
「またまた、自分のことじゃないから、勝手なこと言うし」
エレベーターから出てオフィスに入ると、ざわついて何か異様な雰囲気がしていた。
見ると、藤原麗華課長のデスクを数人の黒っぽい背広の人間が調べていて、まわりを遠巻きに同僚たちが眺めている。
夏実が同僚をつかまえて聞き出す。
「何があったの?」
「大変なのよ、大奥課長が階段を踏み外して死んだんだって」
「あっ」「えーっ」
全身を痙攣が走った。
「それで一応刑事が調べに来てるの」
うわの空を同僚の声が渡ってゆく。
「それって」
和輝はハッとして言った。
夏実も言う。
「そうよ、あんたが言ってたみっつめの動画。
それが藤原麗華に出たのよ、彼女あなたのサイトの熱烈ファンだったりして」
「そんな」
「きっと彼女も他人の失敗を笑っていた、その報いよ」
「それじゃあ」
和輝は急いでパソコンをつけて、YouTubeeの人気の動画を開いた。
そこに、踊り場のドアを開けた直後らしい、赤いアイマスクに赤いコルセット、網タイツの女性が映っていた。
さらに靴は15センチぐらいの赤いハイヒールだ。
下にタイトルがあった。
『火災警報で飛び出し、非常階段を転げ落ちる女王様』
再生ボタンを押すと、女王様は踊り場で上を見上げ、次に少し身を乗り出して偶然、こちらに向いた。
その顔がアップになる。
それはアイマスクをしていても麗華に間違いなかった。
和輝はマウスを持つ腕にザーと鳥肌が立つのを感じる。
麗華女王が下を覗こうと少し動いた時、ハイヒールが階段を踏み外した。
音もなく、ころんと体を回転させて麗華女王は下の踊り場に激突した。
マウスを持つ手が震えて動かせなかった。 《了》
読みづらい点あったかと思いますが、おつきあいいただきまして、ありがとうございました。
感想、批評等ありましたら、いただけると嬉しいです。
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