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 私、新名紫は、本当のところ那津浦(このまち)が大嫌いだった。

 母も叔母も、そして叔父の剣蔵も亡く、僅かな身寄りだけしかいない我が家を彼らがどう見ていたか──それを思うと、少なくとも好きにはなれなかった。


 故に、剣吾のことは人一倍気にかけて、気づけば彼のことが何より大事になっていた。……それもこれも、あの日、互いにすれ違うまでの話だが。

 それから先は、ただ己を磨き上げることにだけ情熱を注いだ。


 正直なところ、誰にも負けぬつもりでいた──…しかし実際のところ、上には幾らでも上がいた。『声だけは天使』だと褒められたが、私はどこにでも居る、の女の子に過ぎなかった。


 思い出されるあの日の言葉──『勝負事は甘くない』『甘く考えるな』。癪な話だが、実際そのとおりだったわけだ。

 何度も泣いて、何度も帰ろうと思った。その都度、憎くてたまらぬはずのあの声が蘇り、紫の萎えた心を叱咤した。


『負けたら終いじゃ。勝たねばならん』


 その言葉を裏返せば、『勝つまで辞めるな』ということになる。勝手な解釈だが、これは中々気に入っていた。

 そうだ。あの窮屈だった町も、口さがない人々も、ガキ丸出しで私を傷つけたアイツも、見返すまではやめられない。


 成功するまで帰らない──そんな決意でがむしゃらに日々を生き、とうとう故郷に錦を飾る時が来た。そのはずなのに。


 何故この男は、尽く私の期待を裏切るのだろう。

 何故、いつもいつも、私の心をかき乱すのだろう。


 腹がたって仕方がなかった。

 アレだけ啖呵を切っておきながら、彼は惨めに落ちぶれていた。ハゲ散って、デブっていた。少し北の総書記に似ていた。

 私の、思い出の中の剣吾はもうどこにもいなかった。理想の剣吾像はとてもお見せできない。今の剣吾は、私の妄想に失礼だった。

 再開した日の夜、こんなのは違う、消えてしまえと何度も願った──でも、だからと言って。



 ねえ、剣吾。この土壇場で、そんな顔をしないでよ。

 それじゃ、まるで本当に──。




 ◆


『電波が届く場所へ行こう』。


 その事自体に、紫も異存はない。

 異存はないのだが、ここを出るという選択には反対だ。反対なのだが、


「……SPじゃぞ。無理じゃ」


 こう言われては仕方がない。


 話の続きは、こうだ。

 まずはここを突破し、電波の良い場所を探す。見つかったら叔父と警察に連絡を取り、島の状況を伝える。その後で、迎えを寄越してもらう。


「……時間を待って、フェリーに乗ったらええんじゃないのか?」

「ならん。何の準備もできとらんのに合流すれば、犠牲が増える。最悪、全員死ぬ」


「なら……迎えはどうするんじゃ」

「一応、考えてはある。……ただ、」

「ただ?」


 それまでキチンと喋れていた剣吾が、急にまたしょぼくれた。

 散々に文字ついた挙句に額の汗を拭い、それをまたシャツで拭ってから、おずおずと右手を差し出した。


「昨日みたいな真似は、やめてくれると、た、助かる……んじゃが……」


 まだ色々とわだかまりはあったが、紫はその右手の先を、ほんの少しだけつまむ──『まだ許していない』。そういう意思表示のつもりであろうが、それでも剣吾は、ひどく救われる想いがした。


 まずはここから、どう出るか。それを練る必要があった。



 ◆



 手に手をとって──とは行かないが、二人の息は合っていた。

 昨日の焼き直しのごとくに森へ分け入り、『彼ら』の目をくらます。追手の気配があれば息を潜めてやり過ごす。

 最悪見つかった時にだけ、剣吾が刃を抜き放ち、『彼ら』とやりあった。

『彼ら』は手強いが、群れでなければ何とかなった。


「うう……キモい……クサい……」


 一息入れる間にボヤいたのは紫だ。

 二人は、ホテルで仕留めた敵の血を頭から被っていた。そうした上で彼らの動きを見まね、ホテルの裏口からそっと顔を出す。

 そこにも『彼ら』は居るには居たが、何とか『仲間』と認識してくれたらしい。一か八かの作戦が見事図に当たった格好だ。……もう一度やれというのは、さすがに御免被るが。


「気持ちは分かるが、もうちょいじゃ。我慢せぇ」


 うんざりしながらも紫は無言で頷いた。先刻以来、泣き言一つ漏らしていない。

 剣吾に持たされた携帯をにらみ、しきりに角度を変えてみる。


「……ダメじゃ。もっと本土に寄った方がいいかも」

「とすると、浜辺の方か……」


 剣吾も紫も、頭を抱えたくなった。

 本土側に面した那津小浜は、先ほど二人が目指した場所だ。

 ただしそこは開けすぎていて、月の光に晒される。見つかればひとたまりもないだろう。


「港の方は?」


 紫の提案に、剣吾は眉間に皺を寄せる。


「一晩考えたんじゃが、生き残りがおれば、そこから皆逃げたはずじゃ。そしたら今頃、本土でも騒ぎになっちょらんとおかしい。ところが救助はともかく、船さえ見えん。……もう何時間も過ぎてるのにな」

「……じゃあ、つまり」

「皆死んどる可能性のほうが高い。……もしかすると、連中泳げるのかもしれん」


 推論しておいてなんだが、これではあまりにも前途が暗い。

 希望に溺れるのもまずいが、悲観しすぎても生きる気力を失うだけだ。

 今度はつとめて、明るい声で慰めた。


「じゃから、港へ行くのは後回しじゃ。もう少し電波が拾えるか試して、それから当たろう」



 ◆



 森の中をさまようのは、意外なことに少し楽しくもあった。

 恐怖にも変に慣れてしまって、もう喚いたり騒いだりはしない。

 真夜中にやる鬼ごっこの気分──これは少し言い過ぎか。

 どうも奴らは、視覚よりも嗅覚を大事にしている様子だった。その次に聴覚。最後が視覚。

 その事を教えてくれたのは、他ならぬ剣吾だ。私が失意と絶望で不貞ている間、ずっとそんな事を考えていたらしい。

 流石は『勝利教』の信者というべきか。まだまだ全然、折れていない。


 ◆


 ところで携帯の反応はというと、全くのナシのつぶてだった。

 もう長いこと歩いているのに、アンテナ一本たちゃしない。


「や、山道だからな。思ったより距離が稼げてねぇ」


 そう言って剣吾は慰めるが、それは嘘だと分かった。狭い島なのだ。土地勘が薄くてもだいぶ歩きまわったのは分かる。

 やはり那津小浜か港の方へ行くべきだ──口にこそしなかったが、さっきからずっとそう思っていた。


 ◆


 ……とうとう見覚えのある建物が見えてしまった。ホテルだ。

 ぐるり一周、それでも電波はつながらない。

 ここに来て徒労感が一気に押し寄せ、暗い視界が更に暗くなった気がした。

 私はもう疲れきっていたし、剣吾の方はもっとだろう。このまま明日を待つというなら、またあの裏手に回らなければならない。

 しかしもう奴らの血は乾いているか汗で流され、偽装のしようがなかった。下手に近寄ると、今度こそ……。


 ここまで来て、お終いなのか。決して考えまいとしていた一言が、脳裏をよぎる。

 今度こそ絶望に沈みかけたその時、剣吾は私の方を振り向き、力強く語りかけた。


「……港へゆく。船を探そう」



 ◆



 那津浜港の景色は、もうすっかり闇に慣れきった私達にとって目に痛いほどだった。

 燦然と輝く月や星が、浜辺の景色を鮮やかに映し出している。

 だから希望も絶望も、その両方がはっきりと全てが見渡せた。


 森を抜けた矢先の断崖、私たちの足下に、視界一杯広がる波止場と海。

 一番奥の船着き場、奇跡的に無傷のボートが一隻──それが希望で、

 獲物を求めめてたむろする『彼ら』の群──それが絶望だった。


 その景色を眺望して、私と剣吾は言葉もなく佇んだ。


「どうする、剣吾?」

「そうさな……」


 言いながらも、剣吾の目に思考の色はない。既に胸中答えはあって、それをどう告げるべきか、そちらの方で迷っているようだった。


 この期に及んで、何を迷う事がある──自分のことを棚に上げ、じれったく思ったその時だ。


 よりにもよってこんな時に、しじまを切り裂く電子音。

 希望の鐘だと思っていた物が絶望の音色を奏でたとき、彼らがいっせいに振り向く。


 その目に、口に、満面の希望の色を浮かべて。


 ◆


「剣吾か!? そっちはどうなっとる!? 何があった!」


 焦燥に焼かれた父の声が耳朶を打つ。だがもう返す言葉もなかった。

 しかし剣吾は違った。呆ける私から携帯をむしり取り、大声で怒鳴り返す。


「とりあえず死にそうじゃ! 大至急で応援よこせ! 相手は化け物じゃ!」


 鋭く必要なことだけ言うと、再び私に携帯を押しつけた。

 同時に私の手を掴み、まっしぐらに断崖を駆けくだる。

 いよいよ狂ったかと思ったが、しかしそうではなかった。機先を制して「彼ら」の中に飛び込むや、抜刀一閃──一番手前の化け物の首が吹き飛ぶ。騒然とたたらを踏む彼らの間を突っ切り、ジグザグに走り抜る。目指す船着き場の影から、またしても彼らが2匹。それをも片手の一刀でなぎ払い、とうとう船着き場の前へ着く。



 そこで剣吾は私の手を離して背を向けた。

 抜き身の刃を構えたまま、視線はまっすぐ前方を見据え──背中越し、先刻迷った答えを告げた。


「ここでお別れじゃ、紫」



 吹っ切れた声が風に乗り、私の耳へと滑り込んだ。

 しかし意味づけることが出来ない。ただの音としてしか認識できない。

 ここで、お別れ──ここで? 


「…──え?」



 もうすぐそこに死が迫っているにも関わらず、私は呆けたまま動けなかった。



 ◆



 動けない私の様子に気づいたか、剣吾が背中越しにわずかに振り向く。広すぎる額に汗、必死の形相。


「お、お、俺はここさ残って、アイツらを止める。オメェは戻って、応援ば連れてこい。それまで、何とか持ちこたえっから」


 意味を解するのに数秒。やっと、頭が働く。言葉が漏れる。


「な……何言っとるん!? 馬鹿言ってないでさっさと、」

「ダメだ! 俺の言う事聞け!」


 常になく強い剣幕に、私は思わずすくみ上がった。

『すまん』と大声を詫びてから、私と化け物、双方の扱いを計りかねるように視線をさまよわせた。懸命に言葉を探し、紡ぎ上げる。


「か、考えて見ろ。まだアイツら、全部こっちに来ちゃいねえ。今が逃げ切るチャンスなんじゃ。 ……け、けど、ボートは小せぇ。俺が乗ったら、足が鈍る。そしたら二人共おしまいじゃ」


 真に我が身が大事なら、従うべきだ。ただそれだけの事でいい。

 そもそも、明日になれば東京へ戻るのだ。戻れば私には仕事がある。

 これから先、再び顔を合わすと保証もない。遅かれ早かれ、今生の別れは訪れる。


 では何故、こんなにも迷うのか……剣吾は戸惑う私を余所に、どうにか説き伏せようと思いあぐねる様子だった。いつしか分厚い手のひらが、私の肩に乗せられていて、三白眼に決死の色を滲ませ、


 更なる言葉を重ねてきた。


 ──お、俺と紫じゃ言葉の重みが違う。人を向かわせるなら、絶対にそっちの方がいい。

 ──そ、そもそも俺じゃ、言葉がつかえて仕方がねえ。

 ──出来るとしたら、せいぜい囮だ。す、少しは心得もあるしよ。


 よくもまあ口べたな男が頑張ったものだ。思わず『コイツこんなに喋れたっけ?』などと、場違いな感慨が浮かんでしまう。

 肩に置かれた手の熱さが、私の心を鷲掴む。ぐっと力が込められた。しっかりと私の目を見据える。


「どの道、アイツらは放っておけねぇ。適材適所なんだ。わ、わかるな?」


 どうしよう。どうすればいいのだろう。

 この期に及んで、私は──。


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