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7

 絶叫がホール中を駆け抜けた時、夢の舞台は終わりを告げた。


 塗り替えられる演目。始まりしは地獄の晩餐。惨殺。虐殺──…そして鏖殺。

 飛び散る血潮、宙を舞う首。奏でられる殺戮の音色。


 ──何だ、コレは。一体何が起きている。アレは一体なんだ。


 血煙舞う中、誰しもが理性を飛ばしていた。

 その光景はあまりにも理不尽で、夢とするには生々しい。

 また一人、逃げ込んできた女がなぎ倒された。どくどくと溢れたモノが足下をしとどに濡らしていく。

 生暖かいその感触は、夢などではあり得ない。


『これは現実なのだ』……そう気づけた者はごくわずか。


 剣吾と、そしてもう一人。


「──にげろッ!」


 鋭くで吠えるものがあった。この期に及んでなお、強さを失わぬ声。

 皆が仰ぎ見れば壇上でただ一人、彼らの女王が毅然と振舞っていた。普段と全く変わらぬ様子に、一同唖然と見上げてしまう。恐るべき胆力だ。


「早く! 逃げろって言ってんの! あたしの言うこと聞きけないのかッ!?」


 これまたいつもと変わらぬ不遜な物言い──その一言に、彼女の従順なM奴隷たちは、頭ではなく本能で従った。

 それぞれがそれぞれの現実を認識、死にものぐるいで出口を目指す。それが一時、津波にも似た威力を発揮して『彼ら』を外へと押し流した。


 あとに残るは夢の残骸、伽藍の洞──そこに時折、弱々しいうめき声が響く。逃げ遅れた者達が下敷きにされて、今や虫の息になっていた。

 それでもどうにか、助けられるものはいないか──薄暗がりに頭を突っ込み、ようやく一人見つけ出した時、


「そこのキモいの! 後ろ!」


 その声に反応し、剣吾はとっさに身を伏せ転がった。顔を上げ、愕然とする。

 元いた場所には既に『彼ら』が戻っており、剣吾が助けるはずだった女を食っている。

 安堵と恐怖、両方が背筋を震わせる。息を詰めて立ち上がり、転身──そこにまた一匹、更に奥から2匹。

 完全に狙い剣吾に定め、獲物の隙を伺い始める。剣吾の頬に冷や汗が伝う。拮抗状態──それを破ったのは、またしても紫だ。


「もういいから! 逃げろっつーの!」


 紫が命令とも罵声とも付かない叫びを上げながら、手当たり次第に物を投げてけん制する。

 マイクにスタンド、ギターにベース。意外にパワフル──流石にアンプは一人で持てずに舌打ち一つ。

 どこまでもマイペースに振る舞う紫であったが、いかんせん目立ちすぎだ。後ろの二匹が視線を移す。より極上の獲物めがけて、大きく跳躍した。


(アホが、お前が逃げんか!)


 声なき罵声を上げながら、剣吾の理性が一瞬にして沸騰、白んじた思考の中で身体が勝手に動き出す。

 サイリウムを逆手に持ち直し、化け物の眼窩めがけて深々と突き刺した。身の竦む絶叫と共に、化け物がのた打ち回る。

 しかし剣吾は振り返らず、ただ衝動のままに踵を返す。今しがた

 己の繰る足が、身体が、こんなにも重たい事に愕然とした。

 せめて稽古を欠かさなかったら──悔やんでも悔やみきれぬ想念に囚われ、それがかえって火をつけた。


「邪魔じゃ、おのれらァッ!!」


 憤怒の怒号が空気をしたたかに打ち震わせ、紫を囲む『彼ら』の気勢をそぐ。

 その隙に剣吾はステージ上へと一足飛びで駆け上り、満身の力を込めた鉄拳を見舞う。

 拳の先に何かが砕ける気配、それを感ずるよりも早く手を伸ばす──手を握る。


「来い!」


 返事も待たず抱き寄せて、そこから先は無我夢中であった。


 ◆


 とにかく走った。走りながら、行く先々で地獄を、死を垣間見た。

 垣間見ながら、生きるために目を凝らす。そこには僅かにでも生き残るヒントがあるはずで、実際いくつかの特徴は見いだせた。


 奴らは獰猛で貪欲だが、しかし知性には乏しいようだった。

 群れはするが、それを活かす事をしない。各々勝手に獲物を見定め、遅い、血肉はおろか、骨の一本、髪の一房までをもしゃぶりつくした。

 よほどに美味であるのか、仲間同士でさえ醜く戦果を奪いあう。浅ましいことこの上ない。だが、その隙を付けば逃げるのは容易かった。


 他にも様々な要因が剣吾の道行きを助けた。

 たまたま人気のない所に逃げられた事、ほとんどの異形が港へ向かっていた事。

 朧気ながら土地勘が残っていた事。彼らの飢えが満たされ始めていたという事。


 何より、紫が側に居た事。彼女が側にいるうちは、剣吾は死ぬ訳にはいかなかった。


 ◆


 …──惨劇から数刻たった窓の外、雲間に覗く月の光。


 眼下一杯に、未だひしめく化け物の群がある。遠目に数えてざっと二、三百。しかもこれで全てという保証はない。

 その他に動くものは何一つなく、風は凪いで海は穏やか、空には星がいくばくか舞う。滅びの美とでも言うべき、恐ろしくも美しい光景だった。


 剣吾はその光景に眼を細めながら、重たい頭を巡らせる。


「……紫。話がある」


 紫が重たげに顔を上げる。剣吾の顔には、覚悟の色が見て取れた。


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