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 どうしてこうなった──剣吾はもう何度目かの愚痴を呟く。

 炎天下、夏の海。何が悲しゅうて着ぐるみなんぞを着させられているのか。


「仕事じゃからねぇ、キツイじゃろけど、もうちょい気張りや」


 無責任かつ脳天気な調子で、ボランティア代表のおっさんが応えた。


 剣吾にあてがわれた仕事。それは昔懐かしいマグロイドの中の人だった。

 人出の多いこの隙に、存分に那津浦をアピールする腹づもりだろう。この格好で島中を連れ回されて、今ようやく休憩に入ったところだった。

 時刻は12時。『ブルギルフェス』のライブの開演が15:30。那津子島ホールまでは運営本部から徒歩10分。今少し猶予はあるが、さりとてのんびりしてられない。

 どう切り出すべきかと悩んでいると、おっさん何かを思いついた。


「そう言えばおんしゃ、ヤットウ(剣術)かなりイケるンじゃろ?」

「はぁ……もうだいぶ前の話じゃけど」


 何故だろう、答えた後に嫌な予感が胸中をよぎる。おっさん、また仕事を増やす気か──。


「せっかくじゃ。ちとこの、マグロの解体やってみっか」

「は!?」

「剣蔵の息子じゃろ? 出来る出来る。 いいか、こう、ザバーッと刃入れで、スカーッと開ぐ、ンで最後に……」


 期せずしておっさんの解体講座が始まった。ギラリと光る刃を持たされ、ついつい剣吾もそれに乗せられる。


「こ、こうスか?」

「お! 筋がいいな! でももうちょっとここはズイッと!」


 ……おっさんの教えを極め、その太刀筋を披露する頃には、既に時刻は14時を指していた。


 ◆


 剣吾が無駄に新たな技能を身につけた後、慌てて会場入りしたのは、15時を少し回ったところだった。

 着の身着のまま、生臭いゆるキャラの登場にわずかに観客が振り返る。そういえば、腰には包丁が刺さったままだ。……衣装の一部とみなされたのだろうか。


 ステージ上のスクリーンでは、件のアニメが上映会が行われていた。熱心に見入るものも居たが、もう何度も見たであろう映像に、大本のものは適当散ってくつろいでいた。

 もう直にクライマックスを終え、セットチェンジと休憩を挟めば、いよいよ幕があがる。

 剣吾は一人、壁に背を預けてその時を待った。


 ◆



 本命の登場を待つ間、会場全体の空気も変わった。

 散漫に散らばり、各々好き勝手をやっていた客達が、一人、また一人と前へと詰めより、空間を埋めていく。

 ほの暗い空間の中でおしめきひしめき、所々で些細ながらも苦痛混じりの罵声が聞こえる。オイ押すな。そこ、荷物置いてんじゃねー。テメェ、何割り込んでんだよ、死ねタコ。

 しかしそれさえ祭りの華と言うように、喧噪はまるで生き物のように膨れ上がっていく。特に最前列付近の空気ときたら、そこはまるで──。


(せ、戦場みてぇだ)


 体中に巻き付けたベルトに無数の光。既にして焚かれたサイリウムの明かりが、群となって踊り狂っている。

 その隣では無心に準備体操をするもの、円陣を組んで気勢を上げるもの、淡々と振り付けを繰り返すもの。

 皆それぞれが歴戦の戦士のような顔つきで、今なお姿を現さぬ彼らの女神に祈りを捧げている。


 剣吾は、彼らの様子に道場での試合前の空気を思い出した。

 騒然たる会場の中、剣士達のざわめき。あるものは顔色を無くし、あるものは興奮に静かに酔う。剣気に当てられ怯えるものもいる。


 始まる前は様々だが、いざ試合うとなれば彼らは果敢に身を投げ出し、勝利を信じて互いに火花を散らす。そういう空気だ。


 これから始まるものは『勝負』なのだと、剣吾は理解した。

 彼らの気配は文字通り、真剣そのもの。この一時のために集った、ファンと言う名の侍たち。彼らを相手を勤めるのはただ一人。

 はたしてあの紫に、そんな事が出来るのか──未だ実感をもてぬまま、剣吾はただじっと佇んでいた。


 場内を薄く流れていたSEが、徐々に大きく膨らんでいき、観客達はいよいよもっていきり立つ。照明が徐々に落ちていき、聴衆の姿を暗やみに包んでいく。



 やがて完全なる暗転──爆音。



 観客の意識を無理矢理蹴りつけるような、強烈な重低音が開幕の合図だった。

 男達が怒号する。鯨波と呼ぶに相応しい、狂乱を含んだ大音声。打ち込みのドラムに乗せて、一心不乱の合唱がわき起こる。

 気づけば各々、それぞれの手の中に無数の光。それぞれに趣向を凝らした振り付けでもって、主が訪なうのを希うかのように虚空をかき混ぜた。


 満を持して、とはこの事を言うのだろう。


 天空より三条の光。虚空を切り裂くスポットライトが観客の頭上をかすめて激しく乱舞。互いに絡まりあい、一つの光の柱となって、ある一点めがけて降り注ぎ──そこに、紫が立っていた。

 傲岸不遜、エゴイスティックにほくそ笑む様が露わになるや、ときの声に眉を顰めていた女性客までもが絶叫をあげた。奇しくも闇を切り裂く黄光と重なり合って、雷鳴のように響き渡る。


 紫はそんな彼ら、あるいは彼女らに一瞥すらくれず、しなやかに延びた二本の足をくゆらせ、花道を艶然と歩き出す。亜麻色の長い髪に小麦色の肌を惜しげもなく晒したステージ衣装。

 圧倒的な量感を誇るバストを弾ませ、くびれた腰からなだらかに流れるヒップラインを誇示。

 隅々まで意識が行き届き、頭からつま先一つに至るまで完璧にコントロールされている。彼女のすべてが、見られる為に作られていた。


 何より纏う空気が違う。

 数多の視線を一身に引き受けながら、聴衆を煽ることすらせずに颯爽とただ、歩く。

 女豹の如き堂々たる闊歩。それだけの事で、彼女を讃えずには居られない。

 しかし彼女は応えない。そうあって当然、とでも言うようにただ歩く。呼吸も視線も、思いのままに操ってみせる。


 そうしてたっぷりとじらしにじらした挙げ句に、ようやく中央についた。めいめい観客を煽っていた演奏陣が沈黙。ステージ上、動くモノはただ一人。

 艶めかしい手つきでスタンドマイクを握りしめた彼女は、大きく背をのけぞらせ、息吹を一つ。


 ──独唱。


 阿婆擦れ(ビッチ)その物の姿からは及びもつかない、高く透き通った歌声。

 狂奔していた客達が、一瞬にして耳目を奪われる。


 ぞくりと総毛立つ感触。しかしそれが心地よい。目も耳も、全身の肌も、それを『快』として認識した。


(なんだベ、コレ)


 今自分が受けている衝撃の正体がさっぱりつかめず、剣吾は当惑する。

 度肝を抜かれ棒立ちになったところへ、後ろで控えていた演奏陣が、一斉に音を放ち出す。

 甲高く嘶くようなギターの音色、、うねくり波打つベースの響き。身体の芯で打ち抜くようなドラムス。

 狭間にひらめくキーボードの旋律。それぞれが競うようにせめぎ合い、一斉に疾走──再びの絶唱とともに静謐が反転、これまでで最大の狂騒が始まった。


 剣吾の視界一杯、影絵芝居が広がっている。光が乱舞し、その上で彼らの女神が舞い歌う。


 棒立ちになる剣吾の背をどやしつけ、後方の観衆が前へ前へと押し寄せた。

 やがて剣吾の眼前でモッシュが生まれた。突如発生した人みの渦巻きに巻き込まれ、弾かれ、気づけば最後方に押しやられていた。


 それでも剣吾は動かない。いや、動けなかった。


 何だコレは。こんなモノは知らない。

 いや、知ってはいる。彼女のことなら、動画で何度も見た。

 歌なら諳んじられるほどに聞き込んだ。

 それでも、コレは知らない光景だ。


(紫……おんしゃ、すげぇな)


 ようやく、それだけを思った。


 誰もが紫に夢中になっていた。

 見渡す限りの人々が、目を輝かせて頬を紅潮させ、美声に酔いしれている。男女の区別なく、観客たちは一つの生き物のようだった。

 紫と彼らが紡ぐこの光景に、剣吾は入れずにいる。遠巻きに見守りながら、感嘆の溜め息をつく他なかった。


 それに引き換え、己ときたら──……。

 彼女を快く送り出すことも出来ず、さりとて吹っ切れもせず。

 紫が側に居ないだけで、世界は灰色だった。何もかもが味気なくつまらないものに映った。以来、ただ諦観の中に生きた。

 剣を捨て、矜持も捨てた、燃やしどころを見失った命。それが己だ。


 壇上で女王然と振る舞う紫の姿はどうだ。

 未だかすかに少女の面差しを残したまま、しっかりと己の力でこの勝負に立ち向かっている。もてる力のすべてを賭けて無数の観客を存分に操り、魅了する。

 体の隅々まで鋭気が走り、乱舞する光の中で思うさま躍動していた。


 これほどの存在に上り詰めるまでに、どれほどの研鑽を積んだのだろう。

 たった一人で飛び出して、右も左もわからぬ土地で、どれほど苦労をしただろう。

 周囲には無数のライバル。中には彼女より秀でた才を持つ物もいただろう。

 打ち勝つために黙々と稽古を続けても、そもそもチャンスを得ることさえ能わない、そんな日々が続いたはずだ。


 それでも、彼女は勝ち抜いた。


 元より声だけは並外れて美しかった。

 そこらの歌手など相手にならぬ。紡ぐ音は天上の響きを持っていた。

 その頃の紫でさえ、今ある姿にはほど遠い。


 ただ、彼女がそういう原石であることは、剣吾は心のどこかで知っていたはずだ。

 それ故に手放し難く思い、惜しんだ結果が言の葉を鏃へと変えた。


 分かっていた事だ。既に道は分かたれていて、二度と交わることはない。

 何度も何度も自分に言い聞かせていたはずだった。だが心のほんの片隅、あの垢抜けず山出しだった頃の姿があり、何時まで経っても消えてはくれなかった。


 けれども今、ハッキリと理解した──己は己の弱さに打ち負けて、彼女は彼女自身に勝った。

 それだけの事だ。それだけの事だが、誰に勝つよりも難しい、偉業である事も知っている。それこそが上辺の強さではない、本当の強さなのだと、心の底で理解した。


 浅ましい思いををかき消すに足る光景が、心の底からの納得が、胸中に満ちていく。

 心のなかに一陣の風が吹き、燃えカスのように堆積し続けていた劣等感をも吹き散らした。

 心を洗われるとは、こう言う事か──いつの間にか溢れていた涙を拭うこともせず、ただただ彼女の歌に、聞き入っていた。


(……よし)


 これから先は、ただの一観客として楽しもう。このステージを見届けて、後は遠くからそっと見守ろう。

 決意も新たに、懐からサイリウム──恥ずかしながら持参していた──を取り出して、片っ端からポキポキと折っていく。無温の松明が灯る中、忘れて久しい感覚が蘇る。


 ──見てろよ、にわか共。どんだけ長いこと応援してるかしらねえけれども。

 ──こっちは、10年以上ファンやってんだ。


 そんな挑戦的な思いを懷いて、自らもまた一介の、そして最高のM男たらんと人波をかき分け、まさに今、最前列に飛び込んだその時。


 世界の変転を告げる絶叫が、後方より上がった。



 ◆◆◆



 最初に『彼』が現れたのは、コンサートホールの真裏、かつては石切場であった場所の坑道からであった。

『彼』は暮れなずむ残照に目を細め、『くるる』と喉を鳴らした。

 何だろう。妙に騒がしい。

 おまけに奇妙な臭いもする。常ならば濃い深緑の香りと潮の匂い、獲物の残した体臭程度。そのどれとも異質な匂いが、鼻孔を刺激してやまない。

 鼻翼をそよがせ首を傾げていると、続いて大きな音が『彼』の鼓膜を強く叩いた。驚きのあまり彼は思わずとびあがり、間抜けに尻餅をついた。


 鳴き声、だろうか。おそらくそうだ。『彼』が口にする獲物のどれとも違う不思議な声音。


 臭いと音の方へと、彼は歩む。道行く先に待っているのは何だろう。危険かもしれないし、そうでないかもしれない。ただ、確かめずには居られない。


 また一つ喉奥を鳴らし、『彼』は不確かな足取りでゆっくりと麓へ降り始めた。


 ◆


 ……『彼』が見たものは、とても奇妙な光景であった。

 二本の足で立つ奇妙な獣。己と姿形は似ているが、何やらそれぞれ、奇妙な肌の色をしていて、一つ所に固まって群れなしている。

 彼らが手に持つ物からは、不思議と食欲をそそる臭いがしていた。

 それを時折頬張りながら、獣達は一つ所に目を向けているようだった。目を向ける先にはやはり、同じような獣。ただしそれは大きく、平べったい。

 四角い箱に切り取られた空間の中、多くの獣達に讃えられていた。


 まあいい。そんな事はどうでもいい。今はただ、とにかく腹が減った。腹が、減っているのだ。何でもいいし、誰でもいい。


 のそりと立ち上がったそれは、静かに獲物に忍び寄る。まずは一口、食えるかどうか試したかった。



 ◆


『彼』がその姿を表した時、人々は『彼』を浮浪者か、あるいは何かのコスプレだと思った。

 しかしそれも無理からぬ事、その風体は異様の一言に尽きた。

 大きな頭に落ち窪んだ眼下、ひょろりと長い手足。赤子のように突き出た腹。肌は垢じみていてすえた臭いがする。

 二本の足で立つものの、背を丸めて膝を折り曲げ、いざるように歩く。


 例えようの無いおぞましさ──人々の思考は半瞬焼かれ、それが致命の隙となった。

 最初の犠牲者は、とある観光客の男であった。

 男が運悪く目をつけられた理由──たまたま一番近くにいて、たまたま太って美味そうだった。


 その細腕から想像もつかない力で獲物を引きずり倒すや、一息に柔らかそうな腹部めがけて歯を突き立てる。


 ──絶叫が。

 ──こだました。


 人々はそれでも動けなかった。動こうと意識することが出来なかった。

 あまりにも異様で、あまりにも理不尽な光景。今見ているものが現実とは思えなかった。

 一つの命が潰えるまでの一部始終──それをタップリと網膜に焼きつけているその間、『彼』は口に含んだ肉の滋味を、滴る血の甘さを心ゆくまで味わった。


 ──ああ。美味いなんてもんじゃあない。コレだ。コレこそが本来の(・ ・ ・)獲物の味だ。何で忘れていたんだろう。


 夢中で貪る。食ったそばから力が漲る。背筋が伸び、支えるのも億劫だった頭が持ち上がる。広がる視界いっぱいに、未だ慄く獲物の群れ。まだ食い足りない──だから、手を伸ばそう。


 ◆


『彼』が一体、何であるのか。

 観光客は勿論、島の人々も、彼自身も分からない。

 かつてそれを知る者や、調べた者が居た事も、今や誰も覚えていない。

 故に、彼が『彼ら』である事も皆知る由がない。


 彼らの国は、地下にあった。

 島の各地に大人一人がどうにか入れるか否かの洞穴があり、そこを深く辿った先に彼らは住んでいた。


 彼らは年を取らず、性別すら定かではない。じとり苔むす闇の中で、もう長いこと生きていた。

 手足は細く、腹は丸い。ただ五感は鋭く、いっかな光さすことのない中でも匂いと音で互いを認識し、地上へ出れば鷹のように鋭く獲物を見た。


『彼』が、表に向かって数刻。

『彼』の仲間たちは、未だ帰らぬ『彼』の身を案じていた。

 以前──…どれ程前かはもう定かではないが、彼らの仲間達が戻らぬ事があった。


 いくら待てども帰ってこず、『ああ、消えたのだ』と理解するには長い年月が必要だった。

 もし今また、それが起こっているのなら──防ごうとするのは、当然の行いと言えた。


 人知れず地下深くに住まう彼らの国を、先人たちは『根の国』と呼んだ。





 ──世界は裏返る。裏返り続ける。


 やがて『彼』の仲間が地表に現れ、同じように狩りを始めるまでの間。

 世界は、島は、ただひたすらに、裏返り続けた。

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