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 そもそも、悪夢の始まりはどこであったか……心当たりは色々あるが、どれか一つと言われれば、やはり切っ掛けは昨年2月とすべきだろう。


 その日も剣吾はあてがわれた離れで、夜を徹しての自宅警備に励んでいた。

 ネットの海にダイブして、世の情勢をくまなく精査し意見し炎上させ、自分セレクトのアニメや映画をソムリエの目でひたすらに鑑賞し、手ずから湯を注いだ即席麺に舌鼓を打つ。

 忘れちゃいけない自己鍛錬、蛍光灯の紐を相手にシャドーボクシングで体を温める。珍しく興が乗り、久方ぶりに木刀を構えた。上段、天の構え──…黙想。

 閉じられた瞼の裏で一体誰と戦っているのか、『人喰鮫の目』と呼ばれた三白眼をかっと見開き、真っ向唐竹うち下ろした。


「チェイ!」パリン。


 ちょっと失敗。剣先を蛍光灯に引っ掛け、割れたガラスがパラパラと降り注いだ。

 黙々と割れたガラスを片づけ、気を取り直すと、一日の締めくくりに自家発電。

 何から何まで自宅でできるもん! と悠々自適な風情であった。


 汗だくの頭を一撫ですれば、近頃とみに増えた抜け毛が爪の間に絡みつく。栄養不足のひじきのように、頼りない感触であった。


「……」


 すっかり慣れっこになった光景である為、特に感慨もない。

 ともあれ齢二十歳を迎えたばかりの青年にしては、いささか老けこみすぎた容姿であることは否めない。


 まあ、それはいい。今さら黒星が一つ増えたとて、人生のトータル収支には何ら影響は無い。

 ハゲるハゲないは時の運、もしハゲたのなら下手にいじらず、ただ時の流れるままに風化を待てばよい。


 無為自然──老荘思想まで持ちだした諦観と悟りの間の中に己を置き、朝日に背を向け床についたその時だった。


「剣吾ぉー。(わえ)じゃ。俺俺。部屋ぁ上げちゃってくれぇ」


 ワエワエと新ジャンルの詐欺っぽい声を上げながら、表の引き戸を遠慮なしに叩く者があった。

 朝早く、しかもこのクソ寒い中どこのどいつだ──舌打ち一つ、三白眼に怒りを滲ませ、階下へと降りていく。

 不機嫌全開で開け放ってみれば、黄色い朝日を背負った壮年男性が一人。


「よう、剣吾。今日はもハゲとるな!」


 失礼極まりない挨拶に、剣吾はこめかみに青筋を浮かべた。



 ◆



 訪ねてきたのは那津浦一帯の大地主であり、剣の師でもある叔父・新名亮司であった。

 ついでに言うと、剣吾の住処の本来の家主でもある。

 他のものならいざしらず、追い返すわけにも行かない。

 そこだけはきっちり偽装を施されたリビングに通し、茶と菓子の準備にとりかかる。

 叔父はその間も上機嫌な様子で、剣吾の背中に語りかけた。


 ──どうだ、調子は。

 ──ま、まあまあだ。


 ──不自由はねぇか?

 ──全然。快適だ。


 ──……頭、剃ったらどうだ。

 ──……まあ、そのうちに。


 妙に上辺な内容に、『何かある』と踏んだ剣吾は、軽く心胆を整える。

 一体どういう要件だろう。『部屋を出て行け』か、『そろそろ働け』だろうか。どちらにも切り返すすべを持たない剣吾は、内心の慄きを押し殺しつつ、叔父の対面に腰を下ろした。



 ◆



「町興し……ですか」

「おぉ。ここらで一発、デケェ花火あげねぇと。那津浦は寂れてく一方だしよぅ」

「はぁ……」


 叔父の喜色と野性味あふれた笑顔を前に、剣吾は曖昧に頷き返すしか出来なかった。

 こんな事を言い出すのは、覚えているだけでも過去に二度。そろそろ懲りてもいいと思うのだが……。



 一度目は、剣吾がまだ子供の頃の話だ。

 地元の過疎化を憂う叔父が、ある日突然『ロックフェスをやろう』と説いてまわり、彼が音頭を取ることになった。

 近隣の役場や関係各所に挨拶して回り、ついでに金をばら撒き準備は万端。

 開催は那津浦の海が最も映える8月頭、タイトルは地元の名産を冠して『Mag'rock Fest』とした。


 ──来たれ、若人!! 鼻息あらく待ち受ける那津浦の面々であったが──結果は惨憺たる有様だった。

 敗因は明らかだった。主催の企画力不足。それに尽きる。


 そもそも始まりが思いつきである。各所にオファーをかける頃には時既に遅く、有名アーティストのスケジュールは抑えられていた。

 残されたのはV系・アングラ・プログレ等々、イマイチこう……ぱっとしない面々ばかり。

 ……いや、決して彼らがダメだというわけではない。ただ集客を見込むには彼らのジャンルはパイが小さすぎたのである。

 おまけに会場は僻地、しかも真夏の海。彼らにとって、どう見てもアウェー。

 炎天下、ガラガラのステージ。それでもこの場に集った日陰者達は、果敢に、健気に過疎に立ち向かい──別の意味でマグロと化した。

 かくして『Mag'rock』は、ある意味伝説のフェスとして人々の記憶にその名を刻んだのである。1アウト。



 二度目は敗戦の記憶も癒えかけた数年前。ブームに後乗りしてゆるキャラに手を出した。

 そう、後乗りだ。叔父含む町の首脳陣はその辺りを見誤った。

 後発組にもかかわらず、『個性的なマスコットなら何でもいいだろう』という甘い見通しで計画を開始。

 彼らのノープランぶりは、戦国時代のゆるキャラ界に、全裸で飛び込むようなものであった。失敗から何も学んでいない。


 案の定、勝手もわからず右往左往し、結局広告会社にぶん投げた挙句、爆誕あそばしたのはリアル路線のマグロの頭、身体はいかつい漁師のクリーチャー。……その名もマグロイド。

『これサハギンだろ』というのが第一印象で、そしてそれ以外に無かった。頑張りどころを間違えすぎだ。これにて2アウト。


 そして三度目。今度は何を言い出すのやら──…。


「あ、あんまし、乗り気じゃねぇみてぇだな」


 出された茶にも手を付けず、叔父は苦笑いを浮かべている。剣吾は自分の湯のみを傾けてから、砂漠化が進む頭を掻きつつ慎重に言葉を選ぶ。


「……や、やめといた方がいいとは、お、思う。また痛い目にあうのがオチだ。今度やらかしたら、なんぼ何でも立ち直れねぇでしょう?」

「まぁ聞けって。策がなきゃ、こんな事は言わねぇよォ」


『トラスト・ミー』と前置きしてから、剣吾を手招き耳元に口を寄せた。些か仰々しい様子に剣吾は辟易する。

 そうまでして打ち明けたい、叔父の腹案とは……。



 ◆



「アニメ?」

「んだ。何でも最近、『ずんれい(・ ・ ・ ・)』っちゅーのが流行ってるって聞いたでよォ」


 ずんれい──巡礼か。

 要するに、ご当地アニメを作って那津浦を聖地化し、観光地として賑わせたいのだ──合点がいったが、それでも尚、剣吾の表情は晴れなかった。

 今までに比べれば、着眼点は遥かに良い……良いのだが、これまた周りに先んじられている。叔父が目を輝かすような目新しさは感じられない。


 アニメというものは、多くの人の手を経て作られる物だ。金を出すから今すぐ作れという訳にはいかないし、企画だけでもゴマンとある筈。

 よしんば企画が通り、作品が完成したとしても『当たる』とは限らない。


 そもそもオタクという人種は非常に神経質だ。美意識が高く、モノの善し悪しを純粋に見る故に、僅かにでも欲目が覗けば手を引いてしまう、そういう繊細な人々だ。

 今の叔父のように皮算用に執心では、彼らは手を引くどころか隠した牙をむく。美意識に反するものは悉く敵なのである。

 作り手側でさえ難色を示す者は多いだろう。その程度は剣吾でも分かる。


「……やっぱり、やめた方がいいっで。叔父さんぶっちゃけ、商売向いてねェもの」


 常になくきっぱりした物言いに、またもや叔父は苦く笑んだ。それきり黙りこむ。ここ5年でめっきり老けこみ、俯くさまが妙に淋しげだった。……少し灸が過ぎただろうか。

 その様子には胸が痛むが、剣吾にも言い分があった。


 剣吾の父、剣蔵はここより少しばかり離れた、那津小島で漁師を生業としていた。母の記憶はない。剣吾が2歳の時、肺炎を抉らせ亡くなった。

 剣蔵は男手一つで養うために身を粉にして働いた。雨の日も風の日も漁に出て、休日の大半は釣り客たちのために船を出す。およそ自分の時間をほとんど持たない男だった。


 数少ないプライベートは、一人息子の剣吾のために充てられた。

 母に似て線が細い息子を鍛えようと、義兄・亮司が営む剣術道場まで送り迎えをした。


 彼自身も『那津浦の鬼包丁』と呼ばれるほどの腕前であったから、大時化や不漁の時には手ずから指導した。

 幼い剣吾は初めのうちこそ痛みに怯えたが、どうやら筋は相当に良かったようだ。父よりも、更には岳父である叔父よりも、だ。

 そうとわかれば現金なもので、たちまちにのめり込んだ。


 ──賢くなくともよい。まず、強くあれ。


 いささか時代錯誤ではあるが、剣吾はその教えを深く胸に刻んだ。父のように強い男になるべく、ただ鍛錬に没頭し続ける日々。

 相変わらず貧しくはあったが、激しくそして幸福な日々。


 そんな日常が終わりを告げたのは、剣吾が七歳、小学1年生の秋のはじめの出来事だった。

 その年は台風が多く、一つ過ぎ去ればすぐにまた新たな台風が、更にまた次がやってくるという異常気象だった。

 後に『数珠台風』とも呼ばれたそれは、近在の漁師を大いに悩ませた。このままでは生活が立ち行かない──意を決した漁師たちは、比較的波の穏やかな頃合いを見計らって沖へと出る事にした。

 当初、父は皆を諌める側だったという。彼にしては珍しく理をもって忍従を説いたが、誰もが限界を叫び聞き入れなかった。

 結局押し切られた父は、苦り切った顔で仲間と共に出港し──…そのまま皆、帰らぬ人となった。


 父の亡き後、叔父は何も言わずに剣吾を引き取った。

 我が子同然に面倒を見てくれたおかげで、父が存命していた頃よりも生活水準は上向いた。

 喪失の痛みを忘れるため、剣吾はますます剣に没頭した。一日の大半を道場で過ごすうち、剣はめきめき上達し、声変わりを迎える頃には大人をも打ち負かすほどになっていた。


 早くに親を亡くした、蓬髪(当時)の少年剣士──近在の女子から、熱い視線を受けないはずがない。

 もっとも当の剣吾は、故あって彼女らには見向きもしなかったのだが。今思うと、少し勿体無い。


 強くあればいい──父の言うとおりだった。

 さすれば誰もが認めてくれる。剣吾を頼り、慕ってくれる。


 失くしたものも多かったが、乗り越えた先には喜びが待っていた。


 だが、それを快く思わないものも大勢居た。

 同じ時、同じ場所で何もかもを失った者達。彼らは数年を経てもいまだ傷が癒えずに居た。

 大黒柱を失い、経済的にも精神的にも追い詰められ、ついには一家離散した家族もあった。

 彼らは思う──何故岩井だけ、と。何故剣吾だけがのうのうと暮らしているのだ。これほど苦しんでいるのに。まだ痛いのに。


 失意は悪意に変じ、表に滲んだそばから広がっていく。いつしか噂は尾ひれが付き、『あの日漁を扇動したのは剣蔵だ』という事にされていた。

 真に受けた人々は、剣吾から距離をとり始めた。剣友達の目つきもつり上がり、学校でも稽古でも数々の嫌がらせを受けた。

 剣吾は、黙って耐えた。それしか悲しみを癒せないのなら仕方がないとも思った。


 だが叔父は違う。ただ手を出し述べただけだ。

 彼は真っ直ぐな人なのだ。真っ直ぐに家族を愛し、街を、人を愛する。

 故に斜陽にあえぐ街を救おうと奔走し、不器用さ故に失敗した。

 良かれと思ってした事とはいえ、二度にわたる失策は、少なからず彼の評判を貶めた。今度もまたしくじれば、いよいよその名も地に落ちるだろう。


 白い目で見られるのは、己一人で十分──そんな思いが剣吾にはあった。


 亮司もまた、甥の気遣いは理解していて、だからこそ悩む様子だった。

 じっと床を見つめ、言葉を探っている。……ややあって、すっかり冷めた茶を啜ってから「剣吾」と名を呼んだ。


「おんしゃがウチに来てどんぐらいだ?」

「……12年」

「この12年……いや、もっと前からか。バブルが終わって、町は寂れてぐ一方だ。前はあんなに賑わってたってのによ……」


 窓の外、那津浦の港を懐かしそうに見やりながら、叔父は尚も語る。

 今は昔、那津子島の再開発に端を発する好景気。続々訪れる観光客、職を求めてやってくる若者たち。港は賑わい、常に人々で溢れかえっていた。朋輩、剣蔵と出会ったのもその頃だ。

 妹・朱音が彼に嫁ぐ際には派手に木刀でやりあった。敗れたのは後にも先にもこれっきり。今やそれもバカ話──…懐かしき黄金の日々。


 思えばずっと、叔父はその日のことばかりを考えていたのかもしれない。

 夢よもう一度──あの事故以来沈む一方の町の中、似たようなことを考えるものは多いのだろう。町中で見かける年寄りたちには、今の亮司と同じ目をしている。


 人は思い出に縛られ、時として思い出の為に殉じてしまう。愚かしい性だとは思うが、嗤おうとは思わない。

 剣吾自身も、思い出に縛られたままなのだから。


 父の事、離島での暮らし。事故の事。その後のいわれなき受難の事。

 そして陰日向に剣吾を支えてくれた、今この場にはいない者の事。



 ──何故じゃ、剣吾。なんでそんな事を言う。



 ふと蘇った悲痛な声に、胸を刺されたような痛みを覚えた。

 懐かしく、そして美しい声。未だに忘れえぬ声──……おそらくは、永遠に。


 可能であれば、もう一度会いたいと思う。この手に抱きたいとも。自らの境遇に置き換えてみれば、叔父の心境は理解できる。

 出来たからこそ、改めて思う──…不可能だと。


 よしんばその目があったとして、それはきっと、蜘蛛の糸より細く頼りない道で。

 博打に勝って得られるモノより、敗れて失われるモノの方が大きいように思えた。

 弱い選択だとは思う。それでも剣吾には、喪失に耐え切れるほどの強さは残っていなかった。


 その事を告げようと叔父の方を向けば、亮司もまた、じっと剣吾の方を見据えていた。コレまでと違う、鋭く険しい猛禽の目。

 久方ぶりに見る師匠の顔に、剣吾は無意識に居住まいを正す。しばし斬り合うような間をおいて、ふと叔父は目元を緩めた。


「おんしゃに木刀握らせた時、最初に教えた事を覚えちょるか?」

「……どうしても勝ちてぇ時には、命なんてねぇと思え」


 さらりと出てきた弟子の言葉に、歯を剥く笑いで師が応える。血縁を感じさせる、そっくりな笑い方だった。


「……俺も、次はねぇと思ってる。……けども俺は、もっぺん街が賑わうところが見てェんだ」

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