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第95話 本来導線の声

 観測点が青く返事をした。


 その記録は、村の中で思っていた以上に静かな重みを持った。


 黒石祠の黒紫の光とは違う。

 濁りや停滞の反応とも違う。

 ほんの一瞬、石蓋の中央印に灯った青い光。


 それが何を意味するのか、まだ断定はできない。


 けれど、完全に壊れていないことだけは分かった。


 だからこそ、誰も軽々しく「開けよう」とは言わなかった。


 翌朝、村長宅の机には三種類の小瓶が並べられた。


 一つ目は中央井戸の水。


 二つ目は旧水路下流の水。


 三つ目は薬草予定地の土をほんの少し湿らせた水。


 セリアが丁寧に札をつけている。


『中央井戸水』

『旧水路下流水』

『薬草予定地土壌水』


 トマがそれを見て、妙な顔をした。


「土壌水って、なんか飲みたくない名前だな」


「飲むものではありません」


 セリアは真面目に答えた。


「観測点が何に反応するかを見るための確認用です」


「石が水の味見するみたいだな」


「味見ではありません」


「分かってるって」


 ニコルはすでに記録板を開いていた。


「今日の目的は、旧地域結界補助線観測点の本来導線を特定すること。開封不可。同期根切断不可。低濃度浄化水の使用も原則なし。確認水は石蓋に直接かけず、周辺土壌の外縁に一滴ずつ置く」


 ダリオさんが満足そうに頷いた。


「いい。完璧に面倒くさい」


「褒め言葉ですか?」


「もちろんだ。面倒くささは安全の友だ」


 リーゼさんが剣帯を締めながら言う。


「王都にいた時より、皆の言葉が役人じみてきたな」


「嫌ですか」


 俺が聞くと、リーゼさんは少し考えた。


「いや。守るための言葉なら、悪くない」


 セリアは中央井戸水の小瓶を両手で持った。


「本来導線というのは、観測点がもともと見ていた線、ということですよね」


「そうです」


 俺は地図を広げた。


 昨日の調査で、観測点は黒石祠からの同期信号に反応していた。

 だが、その反応の中に青い光が混じった。


 黒石祠のものではない。


 観測点本来の、かすかな応答。


「本来導線が分かれば、黒石祠に乗っ取られている線と、本来地域を守っていた線を分けられるかもしれません」


 ダリオさんが続ける。


「全部まとめて切ったら駄目だ。黒石祠の同期だけ切って、本来導線は残す。いや、できれば戻す」


 トマが腕を組む。


「糸が絡まってるのを、必要な糸だけ残してほどく感じか」


「珍しく良い例えだ」


「珍しくって何だよ」


「褒めてる」


「褒め方が雑!」


 軽口はある。


 けれど、今日の作業が危険であることは全員分かっていた。


 特に、観測点は昨日、黒石祠の同期信号に反応していた。


 下手に刺激すれば、黒石祠本体が反応する可能性がある。


 だから、今日の合言葉は「聞く」だった。


 動かすのではなく、聞く。

 開けるのではなく、返事を見る。

 直す前に、壊さない道を探す。


 森へ入る前、セリアはいつものように薬草予定地へ寄った。


 傷洗い草の芽は、もう「点」ではなく「小さな苗」と呼んでもいいほどになっていた。まだ頼りない。けれど、葉の色は昨日より少し濃い。


 セリアはしゃがんで、薄い布の端を整えた。


「今日は、あなたの土の水も借ります」


 トマが後ろから覗き込む。


「芽に許可取ってるのか?」


「はい」


「返事は?」


「枯れていないので、たぶん大丈夫です」


 セリアの返しに、トマは少し目を丸くした。


「セリア、たまに強いな」


「たまにです」


 リーゼさんが小さく笑った。


「いや、最近はかなりだ」


 セリアは耳を赤くして、小瓶を大事そうに布で包んだ。


 祠班は、俺、ダリオさん、リーゼさん、そして今日はセリアも同行する。


 ただし、セリアは観測点へ近づきすぎない。


 確認水の扱いと、反応が癒やし系統か抑制系統かを見るための同行だった。


 トマは水路班。

 ニコルは中央記録。

 村長は井戸と村内結界札の監視。


 森は静かだった。


 昨日よりも、鳥の声が少しだけ戻っている。


 それでも、黒石祠へ近づくにつれて空気は冷たくなった。


 祠本体は、低く黒紫に光っている。


 昨日ほど強くはない。

 だが、眠ってはいない。


 ダリオさんは祠の方を見ずに、観測点へ続く道を指した。


「今日は祠本体は無視する。見たくなるが、見ない」


「見ていますよ」


 リーゼさんが言う。


「今のは、技術的な意味でだ」


「便利な言い訳だな」


「王都で覚えた」


 観測点へ着くと、昨日の石粉と布の目印がそのまま残っていた。


 古い石蓋。

 中央の薄い管理印。

 周囲に絡む黒紫の筋。


 そして、その奥で眠るはずの青い本来反応。


 俺はまず鑑定した。


《旧地域結界補助線観測点》

《状態:封鎖》

《黒石祠同期:断続》

《残存本来機能:微弱》

《開封:不可》

《本来導線:未特定》

《推奨:外縁反応試験》


「外縁反応試験が推奨されています。石蓋本体には触れません」


 ダリオさんが三歩離れた場所へ石粉で円を描いた。


「この円の外側へ一滴。内側には入れない」


 セリアが頷く。


「最初は中央井戸水でいいですか」


「いい。浄化水じゃないのが大事だ」


「はい。村の水ですね」


 その言い方に、少し胸が温かくなった。


 村の水。


 ただの水ではない。


 中央井戸は、リベル村の暮らしそのものだ。


 セリアは小瓶を開けた。


 手は震えていない。


 いや、ほんの少し震えている。

 けれど、動きは丁寧だった。


 石粉の円の外側、黒紫の筋に直接触れない位置へ、一滴落とす。


 水滴が土へ染み込む。


 しばらく何も起きなかった。


 トマなら「失敗か?」と言ったかもしれない。


 だが、誰も喋らない。


 待つ。


 聞く。


 やがて、石蓋中央の印が、淡く青く光った。


 一度。


 そして、もう一度。


 黒紫の筋は強まらない。


 祠本体の反応も、ほとんど変わらない。


 青い光だけが、静かに二度返った。


 セリアが小さく息を呑む。


「返事……しました」


 俺は鑑定する。


《外縁反応試験:中央井戸水》

《黒石祠同期反応:微弱》

《観測点本来反応:中》

《反応色:青》

《推定:本来導線に近い水質》


「中央井戸水に、本来反応が中。黒石祠側の反応は微弱です」


 ダリオさんの顔が変わった。


「やっぱり、村の井戸を見てたんだ」


「本来は、中央井戸か村の水脈を守るための観測点だった可能性が高いですね」


 リーゼさんが静かに言う。


「見張るためではなく、見守るためか」


「はい」


 セリアは小瓶を胸に抱いた。


 少しだけ、嬉しそうだった。


 次に、旧水路下流の水を使った。


 同じように、石粉の円の外へ一滴。


 今度は反応が違った。


 土に染み込んだ瞬間、黒紫の筋がぴくりと震える。祠本体の光も一瞬だけ強まった。


 青い光は遅れて一度だけ出たが、弱い。


 俺はすぐに鑑定する。


《外縁反応試験:旧水路下流水》

《黒石祠同期反応:小》

《観測点本来反応:弱》

《残滓干渉:あり》

《推定:黒石祠同期線に近い汚染水質》


「旧水路下流の水は、黒石祠側の反応が出ます。青い反応は弱い。残滓干渉あり」


 ダリオさんは頷いた。


「水路下流は、まだ祠側に引っ張られてる。昨日より薄いが、完全じゃない」


 リーゼさんが石蓋を見る。


「中央井戸にはよく返事をし、水路下流には苦しそうに返す」


「設備の表現としては変ですが、感覚としては近いです」


 俺は記録した。


 最後に、薬草予定地土壌水を使う。


 セリアは少し迷った。


「これ、反応が強かったら」


「すぐ中止します」


 俺は答えた。


「一滴だけ。もし祠本体が強く反応したら、以後使いません」


「はい」


 セリアは、薬草予定地の土を湿らせた水を一滴落とした。


 水が土に触れる。


 反応は、中央井戸水より遅かった。


 けれど、石蓋の中央印が、ふわりと青く光った。


 今度は二度ではない。


 細く、長く。


 まるで眠っていたものが、ゆっくり目を開けるような光だった。


 同時に、森の空気が少しだけ変わった。


 冷たさが和らぐ。


 黒紫の筋は強まらない。


 祠本体も、ほぼ反応しない。


 セリアの目が潤んだ。


「……この反応、嫌な感じがしません」


 俺も鑑定する。


《外縁反応試験:薬草予定地土壌水》

《黒石祠同期反応:極微弱》

《観測点本来反応:中〜強》

《反応色:青》

《性質:水脈安定/土壌保持/微弱結界補助》

《推定:本来導線候補》


「本来導線候補です」


 声に出した瞬間、全員の空気が変わった。


「薬草予定地の土壌水に、観測点本来反応が中から強。水脈安定、土壌保持、微弱結界補助の性質があります」


 ダリオさんが地面に膝をつき、石蓋を見つめた。


「そうか……こいつ、畑や薬草地の土も見てたのか」


 リーゼさんが言う。


「村の水と土を守る目だった」


「たぶんな」


 ダリオさんの声は低い。


「黒石祠は、それを逆に使った。土の湿りを抜き、水の流れを止め、村を弱らせるために」


 セリアは薬草土壌水の小瓶を見つめていた。


「傷洗い草の芽が、返事を届けてくれたみたいです」


 その言い方は、技術的には正確ではないのかもしれない。


 けれど、誰も否定しなかった。


 観測点は、薬草予定地の土に強く反応した。


 それは、村の未来に反応したようにも見えた。


 ダリオさんは慎重に周囲を確認した。


「本来導線は、中央井戸と薬草予定地側に近い。黒石祠同期線は旧水路下流側に寄ってる。つまり、切り離すなら、本来導線を中央井戸と土壌保持側へ逃がしてから、祠側だけ弱める」


「逃がす?」


 リーゼさんが聞く。


「線を移すわけじゃない。観測点が本来どこへ返事をするべきか、思い出させる感じだ」


 セリアが静かに頷いた。


「大声ではなく、知っている声で呼ぶ」


 ダリオさんが彼女を見た。


「そう。それが一番近い」


 俺は中枢室へ送るため、詳細に記録した。


 中央井戸水への反応。

 旧水路下流水への反応。

 薬草予定地土壌水への反応。


 それぞれの色、強さ、祠本体への影響。


 この三つが、本来導線と同期線を分ける鍵になる。


 その時、黒石祠本体が一度だけ強く脈打った。


 リーゼさんが即座に周囲を見る。


「反応した」


 俺は鑑定する。


《黒石祠本体》

《反応:一時上昇》

《原因:観測点本来導線反応検知》

《危険度:中》

《推奨:本日追加試験中止》


「本日追加試験中止です。黒石祠が、本来導線の反応を検知しました」


 ダリオさんはすぐ立ち上がった。


「撤収だ」


「早いですね」


「早い方がいい。向こうが気づいた」


 リーゼさんも頷く。


「戻る」


 セリアは小瓶をしっかり布で包んだ。


「はい」


 森の出口へ向かう途中、黒石祠の光は追ってこなかった。


 だが、背中を見られているような感覚はあった。


 村へ戻ると、トマが水路記録を持って駆け寄ってきた。


「何かあったか? こっち、水路下流が一瞬だけ濃くなって、今は戻った」


「祠が反応しました」


 俺は答えた。


「でも、追加試験は中止して戻りました」


 トマは大きく息を吐いた。


「戻ってきてよかった」


「はい」


 村長宅で中枢室へ記録を登録した。


《外縁反応試験結果:登録》

《中央井戸水:本来反応中》

《旧水路下流水:黒石祠同期反応小》

《薬草予定地土壌水:本来反応中〜強》

《本来導線候補:中央井戸/薬草予定地土壌保持線》

《黒石祠同期線候補:旧水路下流/停滞誘導線》

《推奨:本来導線保護》

《推奨:同期切断前に本来導線固定》

《警告:黒石祠、本来導線反応を検知》


 中枢室の表示を見て、ダリオさんが腕を組んだ。


「やっぱり順番がいるな」


「本来導線を固定してから、同期切断」


「そうだ。先に切ったら、観測点が壊れるかもしれん。まず中央井戸と薬草予定地側の反応を安定させる」


 セリアが言う。


「そのためには、薬草予定地をもっと守る必要がありますね」


「はい」


 俺は頷いた。


「観測点の本来導線は、土壌保持と関係しています。薬草予定地の状態が悪化すると、観測点の青い反応も弱まるかもしれません」


 トマが真顔になった。


「じゃあ、芽を守るのが観測点を助けることにもなるのか」


「その可能性があります」


 トマは薬草予定地の方を見た。


「責任重大じゃん、あの芽」


 セリアが少し笑った。


「でも、急に大きくなれとは言いません」


 リーゼさんが頷く。


「支えればいい」


 その日の午後、薬草予定地の周囲に新しい結界札を立てた。


 強い結界ではない。


 風除け、土の湿り保持、弱い外部残滓の遮断。


 セリアと俺が調整し、ダリオさんが土壌線を見て、トマが柵を補強した。


 ニコルは札の位置を記録する。


「薬草予定地、観測点本来導線候補として保護強化……」


 子供たちも手伝いたがったが、今回は柵の外から見守る役になった。


「触らない」


「踏まない」


「大きい声出さない」


 子供たちが自分たちで言い合っている。


 セリアはそれを聞いて、柔らかく笑った。


「ありがとうございます」


 夕方、薬草の芽はいつも通り小さく立っていた。


 だが、結界札を立てた後、土の湿りが少しだけ均一になった。


 中枢室の表示も変わる。


《薬草予定地土壌保持:安定》

《観測点本来導線反応:微弱安定》

《黒石祠同期干渉:監視継続》


 すぐに解決はしない。


 けれど、道は見えた。


 観測点を助けるには、黒石祠と戦うだけでは足りない。


 中央井戸を守る。

 薬草予定地を守る。

 土の湿りを守る。

 村の水と土を、観測点が思い出せるようにする。


 その夜、俺は記録を書いた。


『外縁反応試験を実施。

中央井戸水に対し、観測点本来反応中。

旧水路下流水に対し、黒石祠同期反応小、残滓干渉あり。

薬草予定地土壌水に対し、本来反応中〜強。性質は水脈安定、土壌保持、微弱結界補助。

本来導線候補は中央井戸および薬草予定地土壌保持線。

黒石祠同期線候補は旧水路下流および停滞誘導線。

黒石祠は本来導線反応を検知したため、本日追加試験中止。

薬草予定地の保護を強化。』


 最後に書く。


『観測点を助ける道は、森の奥だけにない。

村の井戸を守ること。

薬草の芽を守ること。

土の湿りを守ること。

それが、封じられた観測点へ本来の声を届けることになる。』


 地上では、夜風が薬草予定地の布をそっと揺らしている。


 森の奥で、黒石祠はまだこちらを見ている。


 だが、そのさらに奥で、観測点もまた、小さく青い返事を返している。


 その声を消さないこと。


 それが、次の戦いだった。

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