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「鑑定しかできない無能」と追放された俺、実は壊れた才能を直せる唯一の神職でした〜捨てられ聖女と辺境村を修理していたら、勇者より先に国を救ってしまった〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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第216話 ゆるみを作る

 破るのではなく、ゆるめる。


 その言葉は、思っていたよりも頼りなかった。


 破る、なら分かる。


 強い。

 速い。

 目に見える。

 成功か失敗かも、たぶん分かりやすい。


 けれど、ゆるめる、は違う。


 どこまでゆるめればいいのか。

 ゆるめすぎたらどうなるのか。

 そもそも、ゆるんだことをどう確認するのか。


 強く握られた紐をほどく時、力任せに引けば結び目は固くなる。


 だから、少し押す。

 少し戻す。

 指先で探る。

 ほどけた気がしても、すぐ引かない。


 命令核分離第一仮手順は、そんな面倒なところへ入ろうとしていた。


 朝の中央井戸で、副記録係が読み上げた。


「朝。中央井戸、水温正常。水面揺れなし。濁りなし。匂いなし。封じ破り操作不採用登録後、継続異常なし。浮かせる前のゆるみ、新語登録候補」


 ニコルが頷いた。


「よいです」


 トマは井戸の水面を見ながら、眉間にしわを寄せていた。


 ダリオさんが豆を噛む。


「また顔が詰まっている」


「今日は詰まりますよ。ゆるみって、分かったようで全然分からないんです」


「分からないなら、いい顔だ」


「分からない顔がいいんですか」


「分かった顔で触るよりいい」


 井戸番が通信越しに笑った。


『そりゃそうだ。分かった顔の若い奴ほど、井戸の縄を変に引く』


 トマが少し不服そうに言う。


「若い奴代表みたいに言わないでください」


『代表だろ』


「否定しにくい」


 セリアが薬草茶を持って来た。


「ゆるみは、分かりにくいです。薬草でも、土が少し柔らかくなったからといって、根が楽になったとは限りません」


 ハンナが頷く。


「表面だけふかふかで、中が固い時ありますよね」


 ミラが記録板を構える。


「表面だけゆるい、危険候補」


 セリアが苦笑した。


「はい。表面だけゆるいと、余計に根が動いて傷むこともあります」


 トマが顔をしかめる。


「ゆるめるのも怖いですね」


 ダリオさんは頷いた。


「だから、“ゆるめる作業”ではない。“ゆるみ確認”だ。そこを間違えるな」


 ニコルがすぐ赤字で書いた。


『ゆるめる作業ではない。ゆるみ確認』


 村長が井戸の水面を見たまま言う。


「作ると言っても、手で作るな。条件を並べて、勝手にゆるむ余地を見る」


 トマが小さく呟く。


「ゆるみを作るのに、手で作らない……」


 ダリオさんが言った。


「矛盾して聞こえるだろう」


「はい。かなり」


「いい。矛盾して聞こえるうちは、まだ手が止まる」


 広間へ戻ると、机の上には大紙が三枚並んでいた。


 一枚目。


『命令核戻り癖・仮定義』


 二枚目。


『外縁逃がし線確認順』


 三枚目。


『中止条件表・第一稿』


 この三枚を、初めて重ねて見る日だった。


 ニコルが見出しを読み上げる。


『浮かせる前のゆるみ確認・構築前整理』


 その下に、ダリオさんが昨日言った言葉が書かれている。


『破るのではなく、ゆるみを確認する』


 トマが三枚の紙を見比べて、少し緊張した顔をした。


「これ、全部つなげるんですか」


「つなげるというより、重ねる」


 ダリオさんは椅子に座り、豆の椀を少し脇へ寄せた。


「戻り癖を外すには、戻し経路を断つ必要がある。ただし、逃がしなく断てば封印層を噛む。だから、外縁逃がし状態が保たれているかを先に確認する。その確認中に、命令圧のゆるみ候補が出るかを見る」


 トマは眉間を押さえた。


「すみません。一回で全部入ってこないです」


「正常だ」


 ダリオさんは紙に指を置いた。


「まず一つ目。命令核を浮かせようとしない」


 ニコルが書く。


『一、命令核を浮かせようとしない』


「二つ目。癒着を破ろうとしない」


『二、癒着を破ろうとしない』


「三つ目。戻し経路を探して切る、という発想もまだしない」


 トマが顔を上げる。


「それもまだしないんですか」


「まだだ。切る、は強い。今は“戻し経路が強まっていないか”“逃がし状態が閉じていないか”“ゆるみらしき反応が自然に出るか”を見る」


 ニコルが筆を走らせる。


『三、戻し経路を切る前に、逃がし状態と自然なゆるみ反応を見る』


 セリアが言った。


「薬草で言うと、根をほどく前に、土の湿り、虫の動き、葉の角度を見るようなものです」


 ハンナが頷く。


「根を触る前に、周りを見る」


 ミラが記録する。


『根を触る前に、周りを見る』


 トマが少し息を吐いた。


「その例だと、少し分かります」


 ダリオさんが言う。


「なら、今日は薬草で考えろ。命令核を根だと思うな。だが、手順の考え方は借りる」


「命令核を根だと思うな、でも考え方は借りる」


「そうだ。比喩は便利だが、住みつくと危ない」


 ニコルが赤字で書いた。


『比喩は便利。住みつくと危ない』


 そこへ王都との通信が開いた。


 再審査室、外部監査部、防衛局、地図職人班。


 今日は保存官は待機のみ。


 王都金属資料を開けない日だからだ。


『王都再審査室です。命令核分離第一仮手順、浮かせる前のゆるみ確認について、リベル村側整理を確認します』


 ニコルが答える。


「リベル村整理。これは作業手順ではありません。実施手順ではありません。試験ではありません。観測準備前の構築整理です」


 防衛局が、少し疲れたような声で言った。


『その前置きは、毎回必要ですか』


 トマが一呼吸置いてから答えた。


「必要です。毎回言わないと、だんだん実施っぽくなるので」


 外部監査部がすぐ言う。


『外部監査部、リベル村前置きを支持。記録します』


 防衛局はそれ以上言わなかった。


 ダリオさんが地図を広げる。


「ゆるみ確認の第一観測点は、旧水路浅層緩衝線に置く」


 その瞬間、トマの背筋が伸びた。


 伸びすぎた。


 ダリオさんがすぐ見る。


「肩」


「え?」


「接触欲肩ではない。責任負いすぎ肩だ」


 トマがぎくりとする。


「そんな肩もあるんですか」


「今できた」


 ニコルが書こうとする。


「書かないでください」


「重要です」


「重要でも嫌です」


 セリアが柔らかく言う。


「でも、今のトマさんは少し背負いすぎています」


 トマは黙った。


 旧水路浅層緩衝線。


 そこは、トマたち旧水路班が守ってきた場所だ。


 水量板を動かさなかった。

 青根布を使った。

 水へ戻さず、土へ返さず、乾燥隔離した。

 結節点候補になった。

 そして今、ゆるみ確認の第一観測点になる。


 嬉しくないはずがない。


 怖くないはずもない。


 トマは小さく言った。


「旧水路が、最初なんですね」


 ダリオさんは頷いた。


「操作点ではない。観測点だ」


 ニコルが即座に赤字で書く。


『旧水路浅層緩衝線は観測点であり、操作点ではない』


 トマはその字をじっと見た。


「観測点であり、操作点ではない」


「声に出しておけ」


 ダリオさんが言う。


 トマは少し恥ずかしそうに、でも真面目に繰り返した。


「旧水路浅層緩衝線は、観測点であり、操作点ではない」


 ニコルが頷く。


「よいです」


 防衛局が聞いた。


『なぜ第一観測点が旧水路なのですか。中央井戸、黒石祠、中枢室ではなく』


 ダリオさんが答える。


「中央井戸は全体監視だ。始点ではない。黒石祠は封印層に近すぎる。中枢室は表示点であって現地外縁ではない。旧水路浅層緩衝線は、外縁逃がし線の結節点候補であり、青根布使用後も水へ戻さず、浅層土壌で灰青を留めた実績がある。加えて、水量板未操作。つまり、未操作指標が残っている」


 ニコルが書く。


『旧水路浅層緩衝線:外縁逃がし線結節点候補。青根布使用後も水へ戻さず灰青を浅層土壌で留めた。水量板未操作。未操作指標あり』


 防衛局は少し間を置く。


『つまり、反応が出た場合、手を入れた結果ではなく、外縁状態の変化として読みやすい?』


 ダリオさんが頷いた。


「そうだ。だからこそ、触るな」


 トマが即座に言う。


「触りません」


 村長が見る。


「見にも行きすぎるな」


「……はい」


 トマの声は少し小さくなった。


 セリアが言う。


「見すぎることも圧になります」


 トマは苦笑した。


「今日、俺、見ても駄目、触っても駄目、背負っても駄目ですね」


 ダリオさんが言う。


「観測点の班長は、だいたいそうだ」


「班長って言われると、ちょっと嬉しくなるからやめてください」


「そこは嬉しがれ。小さめにな」


 トマは喜び小さめに失敗した。


 ニコルが書いた。


『トマ、喜び小さめ失敗。ただし接触欲なし』


「それは書くんですね」


「重要なので」


 午後、外縁逃がし線確認順と中止条件表を重ねる作業が始まった。


 ニコルが大紙に線を引く。


 最初は、こうだ。


『ゆるみ確認前・外縁逃がし状態確認順』


 一、中央井戸全体監視。水面揺れ、匂い、濁り、水面遅れ。

 二、旧水路浅層緩衝線。水量板未操作確認。灰青再発なし。青根布箱湿り戻りなし。

 三、ハルマ古井戸水面逸流。井戸縁印接触不可。

 四、北沢石列曲部。冷え急上昇なし。曲がり角一石現位置維持。

 五、ミード薬草休止帯。根灰化進行なし。葉先巻きなし。

 六、青根布隔離箱。乾燥札確認。開封不可。

 七、森退避路。空白地帯回避維持。白冷え兆候なし。

 八、中枢室表示。命令網逆流なし。水腐れ封印層安定。


 トマが見て言う。


「旧水路、二番目なんですね」


 ダリオさんが頷く。


「中央井戸の次だ。誇れ。ただし、触るな」


「分かってます」


「誇りすぎるな」


「難しい」


 マルタが通信越しに笑う。


『石も四番で十分だよ。順番で偉くなると、動かしたがる馬鹿が出る』


 井戸番も言う。


『井戸は一番でも偉くない。見張りなだけだ』


 ミードの老女が続ける。


『薬草は五番で寝てる。起こすなよ』


 トマが笑った。


「外縁のみんな、順番に厳しい」


 村長が言った。


「順番は命令ではない。確認の並びじゃ」


 ニコルが赤字で書く。


『順番は命令ではない。確認の並び』


 次に、中止条件を横に置く。


 旧水路欄には、これまでの条件が並ぶ。


『旧水路中止条件:灰青再発。水量板周囲冷え。使用済み青根布箱湿り戻り。乾燥札変色。旧水路水面に灰青が戻る兆候。誰かが“念のため開けて確認しよう”と言う。班員が箱を見すぎる。トマが責任負いすぎ肩になる』


 トマが最後を見て叫んだ。


「入ってる!」


 ニコルが真顔で答える。


「入れました」


「やめてくださいよ。王都に送るんですか、これ」


 ダリオさんが言う。


「現場版には入れる。王都版には“旧水路班長の過負荷兆候”にしておく」


「それなら……いや、それも恥ずかしい」


 セリアが言う。


「恥ずかしい条件ほど、よく止めます」


 トマは両手で顔を覆った。


「最近、俺の恥ずかしさが村の安全に貢献してる」


 ニコルが書く。


『恥ずかしい条件ほど、よく止める』


「それも書くんですか!」


 広間に笑いが起きた。


 でも、その笑いの中で、旧水路が第一観測点になる重みは消えなかった。


 午後遅く、旧水路班から現地確認の通信が入った。


 班員は二名。


 トマは広間に残された。


 本人は少し不満そうだったが、村長が「観測点の班長は、最初に現場へ走らぬ」と言ったので、従った。


 旧水路班の若い男が読み上げる。


『旧水路浅層緩衝線、外縁確認。水量板、未操作。水面、灰青なし。匂いなし。青根布箱、外側乾燥維持。乾燥札、通常色。箱、開けていません』


 トマが思わず言う。


「よし」


 ダリオさんが見る。


「小さく」


「……よし」


 ニコルが記録する。


『トマ、よしを小さく修正』


 旧水路班が続ける。


『浅層土壌、表面乾き通常。踏み込みなし。水路脇、虫の動きあり。草、倒れなし。灰青反応なし』


 俺は中枢室側の表示を確認する。


《旧水路浅層緩衝線:照合》

《灰青反応:なし》

《水腐れ系微反応:なし》

《青根布箱:乾燥維持》

《未操作指標:維持》

《ゆるみ反応:未検出》


 俺が読み上げると、広間に少し安堵が流れた。


 だが、ダリオさんは手を上げた。


「安堵しすぎるな。未検出は良い反応ではない。未検出だ」


 ニコルが書く。


『未検出は良い反応ではない。未検出』


 旧水路班が、少し間を置いて言った。


『追加。水路脇の浅い土の影に……薄い揺れがあります』


 広間が一瞬で静まった。


 トマの顔から笑いが消える。


 ダリオさんの声が低くなる。


「色は」


『灰青ではありません』


「白冷えか」


『白くはないです。冷えも感じません』


 セリアが前に出る。


「草は倒れていますか」


『倒れていません。葉先も巻いていません』


 ニコルが筆を構える。


「表現を慎重に」


 旧水路班の若い男は、少し緊張した声で言った。


『淡い……青白い揺れ、に見えます。水ではなく、土の上の空気が、少しだけ揺れているような。灰青より薄いです。白冷えより温度がない感じです』


 広間は息を止めた。


 俺は中枢室を見る。


 表示は、まだ安定していない。


 何度か文字が揺れる。


 そして、出た。


《旧水路浅層緩衝線:微弱反応》

《灰青反応:不一致》

《白冷え:不一致》

《水腐れ系反応:不一致》

《命令網逆流:不検出》

《淡青白揺れ:未分類》

《ゆるみ反応候補:微弱》


 俺は、ゆっくり読み上げた。


「旧水路浅層緩衝線、微弱反応。灰青反応、不一致。白冷え、不一致。水腐れ系反応、不一致。命令網逆流、不検出。淡青白揺れ、未分類。ゆるみ反応候補、微弱」


 誰もすぐには喋らなかった。


 トマだけが、小さく息を吐いた。


「旧水路で……」


 ダリオさんがすぐ言う。


「喜ぶな」


「はい」


「怖がりすぎるな」


「はい」


「現地班へ。近づくな。踏み込むな。水量板を見るな。箱を見るな。今の位置から一呼吸だけ観察し、撤退」


 ニコルが通信へ伝える。


 旧水路班が答える。


『了解。一呼吸観察後、撤退します』


 セリアが言う。


「撤退後、班員の手足の冷え、匂い、目の疲れを確認してください」


 ハンナが付け足す。


「それと、見たくなる気持ちが残っているかも」


 ミラが記録する。


『淡青白揺れ確認後、見たくなる気持ちも確認』


 トマが両手を握っている。


 肩が硬い。


 ダリオさんが言った。


「トマ」


「はい」


「旧水路は、よくやった。だが、お前は何もするな」


 トマは、少しだけ笑った。


 泣きそうにも見えた。


「はい。何もしません」


 ニコルが赤字で書いた。


『旧水路はよくやった。トマは何もしない』


「それ、なんか俺だけ情けなくないですか」


 ダリオさんが答える。


「何もしないのが、今のお前の仕事だ」


 村長が頷く。


「触らぬ手にも仕事はある」


 その言葉に、トマは深く息を吐いた。


「はい」


 夕方、中枢室への仮登録は最小限にした。


 過剰入力不可。


 淡青白揺れを、名前として固定しすぎない。


 ゆるみ反応候補も、成功条件にしない。


 ニコルが一文字ずつ確認しながら、登録文を作る。


『旧水路浅層緩衝線に微弱な淡青白揺れ候補。灰青反応、白冷え、水腐れ系反応、命令網逆流とは不一致。未分類。ゆるみ反応候補、微弱。ただし成功条件ではない。再現試験不可。接近不可。旧水路は観測点であり操作点ではない。』


 中枢室は静かに表示した。


《淡青白揺れ:仮記録》

《ゆるみ反応候補:微弱》

《成功条件登録:不可》

《再現試験:不可》

《旧水路浅層緩衝線:観測点》

《操作点:不可》

《注意:淡い反応ほど、人は近づく》


 俺が読み上げると、広間が静かに沈んだ。


 淡い反応ほど、人は近づく。


 トマが苦笑する。


「中枢室、俺を見てます?」


 ダリオさんが言う。


「俺も見られている」


 セリアも頷く。


「私もです」


 ニコルが赤字で書く。


『淡い反応ほど、人は近づく』


 夜、俺は個人記録を書いた。


『浮かせる前のゆるみ確認について整理。

命令核を浮かせようとしない。癒着を破ろうとしない。戻し経路を切る前に、外縁逃がし状態と自然なゆるみ反応を見る。

第一観測点は旧水路浅層緩衝線。理由:外縁逃がし線結節点候補、青根布使用後も水へ戻さず灰青を浅層土壌で留めた、水量板未操作、未操作指標あり。中央井戸は全体監視。黒石祠は封印層に近すぎる。中枢室は表示点。

ニコル赤字:旧水路浅層緩衝線は観測点であり、操作点ではない。

外縁逃がし状態確認順と中止条件表を重ねる。順番は命令ではなく確認の並び。

旧水路現地確認:水量板未操作。灰青なし。青根布箱乾燥維持。乾燥札通常。浅層土壌、通常。

その後、旧水路浅層緩衝線に“淡い青白い揺れ”候補。灰青反応、白冷え、水腐れ系反応、命令網逆流とは不一致。中枢室表示:淡青白揺れ、未分類。ゆるみ反応候補、微弱。

現地班は一呼吸観察後、撤退。接近なし。水量板確認拡大なし。青根布箱確認拡大なし。

中枢室仮登録:淡青白揺れ、仮記録。ゆるみ反応候補、微弱。成功条件登録不可。再現試験不可。旧水路浅層緩衝線、観測点。操作点不可。注意、淡い反応ほど、人は近づく』


 最後に書く。


『ゆるみを作る。

今日、その言葉は少しだけ形を持った。

作ると言っても、手で作るのではない。

癒着を破るのではない。

命令核を浮かせようとするのでもない。

戻し経路を切る前に、外縁逃がし状態が保たれているかを見る。

自然にゆるみらしき反応が出るかを見る。

第一観測点は、旧水路浅層緩衝線。

旧水路が最初になった。

トマは誇らしそうで、怖そうで、少し泣きそうだった。

旧水路は観測点であり、操作点ではない。

ニコルが赤字で書いた。

トマは声に出して繰り返した。

旧水路浅層緩衝線は、観測点であり、操作点ではない。

その言葉がなければ、たぶん誰かの手が動く。

現地確認では、灰青は出なかった。

白冷えでもなかった。

水腐れ系でもない。

命令網逆流でもない。

代わりに、淡い青白い揺れが出た。

淡青白揺れ。

まだ名前にしてはいけない。

未分類。

ゆるみ反応候補、微弱。

成功条件ではない。

再現試験不可。

近づくな。

触るな。

見すぎるな。

それでも、胸は動いた。

ついに何かが出た、と思ってしまう。

旧水路が反応した、と喜びたくなる。

でも、中枢室は表示した。

淡い反応ほど、人は近づく。

本当にその通りだ。

強い警告なら、人は下がる。

淡い光は、人を呼ぶ。

だから今日は撤退した。

一呼吸だけ見て、戻った。

何もしないことが、今日の旧水路班の仕事だった。

ゆるみは、まだ分からない。

ただ、破る力を使わなくても、何かが微かに揺れる可能性が見えた。

次は、その淡い青白い揺れをどう扱うか。

好反応と呼ばず、成功と呼ばず、未分類のまま守れるか。

そこから始まる。』


 地上では、水車が回っている。


 旧水路の浅い土の上で、淡い青白い揺れが一呼吸だけ見えた。


 誰も触れなかった。


 誰も近づかなかった。


 だからこそ、その微かな揺れは、次の問いを残した。


 これは、ゆるみなのか。


 それとも、ゆるみと呼びたくなる人間の欲なのか。




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