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「鑑定しかできない無能」と追放された俺、実は壊れた才能を直せる唯一の神職でした〜捨てられ聖女と辺境村を修理していたら、勇者より先に国を救ってしまった〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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第194話 逃がし線の地図

 地図は命令ではない。


 中枢室がそう表示したせいで、広間の机の上に置かれた白紙は、ただの白紙ではなくなった。


 何も描かれていないのに、もう危ない。


 線を引けば、人はその線に従いたくなる。

 印をつければ、人はそこへ行きたくなる。

 空欄があれば、人は埋めたくなる。


 だから、逃がし線の地図を作る朝、村長はまず白紙の上に木札を置いた。


『地図は命令ではない』


 その隣に、もう一枚。


『線を見て動かすな』


 さらに一枚。


『空欄を埋めるな』


 トマがそれを見て、ぼそっと言った。


「地図作る前から、地図に怒ってますね」


 村長は静かに返した。


「怒っておるのではない。釘を刺しておる」


「三本くらい刺さってます」


「足りぬかもしれん」


 ダリオさんが豆を噛みながら頷いた。


「足りないな。王都相手なら、木札をもう十枚ほど吊るした方がいい」


 ニコルが筆を持って聞く。


「増やしますか?」


「冗談だ」


「少し本気でしたね」


「かなり本気だった」


 トマが苦笑する。


「王都の地図職人さん、来る前から悪者みたいになってますけど」


 ダリオさんは肩をすくめた。


「地図職人が悪いのではない。地図を見て現場を動かしたがる者が悪い」


 セリアが薬草予定地の記録束を置いた。


「地図に根を描く時は、気をつけてください。根は見えないまま働いています。見えないものを、見える線で描きすぎると、分かった気になります」


 ニコルはすぐ書く。


『見えないものを、見える線で描きすぎない』


 トマが覗き込む。


「今日の注意だけで一冊できそうだな」


「できるかもしれません」


「冗談だったんだけど」


「必要なら作ります」


「ニコルの必要は強い」


 朝の中央井戸では、副記録係がいつもの報告を終えた。


「朝。中央井戸、水温正常。水面揺れなし。濁りなし。匂いなし。外縁逃がし線仮地図作成予定日、継続異常なし」


 ニコルが頷いた。


「よいです」


 トマは井戸の水面を眺めていた。


「井戸を地図に描くなら、丸でいいんですかね」


 井戸番から通信が入る。


『丸でいいが、丸だけ見るなよ。水面が仕事してるんだ。縁だけ描いて終わりにするな』


 トマがすぐ返す。


『了解です。井戸縁じゃなく、水面逸流ですね』


 井戸番は満足そうに言った。


『そうだ。井戸は穴じゃない。水面だ』


 ニコルが記録する。


『ハルマ古井戸:穴ではなく、水面逸流点として記録』


 ダリオさんが頷いた。


「いい。王都の地図では、井戸はただの丸になりやすい。そこを先に直す」


 そこへ王都から通信が届いた。


『王都地図職人班、リベル村中枢室との共同作業準備完了。仮地図作成に入ります。現地報告を順に受領したい』


 声は若かった。


 緊張しているのが分かる。


 トマが小声で言う。


「悪い人じゃなさそう」


 ダリオさんが小声で返す。


「悪い人じゃなくても、線は危ない」


 ニコルが通信へ応じた。


『リベル村より。最初に確認します。この地図は操作命令ではありません。現地の井戸、石、薬草、水量板、青根布箱を動かす根拠にはしません。未確認空欄は未確認のまま残します』


 王都地図職人班は、一拍置いてから答えた。


『了解しました。地図は操作命令ではない。未確認空欄を埋めない』


 トマが少し笑った。


「復唱した」


 ニコルは真面目に言う。


「よいことです」


 まず、ハルマ古井戸から始めた。


 地図職人班は、ハルマ村の位置を示し、古井戸を小さな円で描いた。


 その瞬間、井戸番が通信で言った。


『円の横に、水面逸流と書いてくれ』


 王都側。


『水面逸流……井戸の機能名として記載します』


『あと、“触るな”も書いてくれ』


『地図上にですか?』


『地図を見る奴が触りに来るなら、地図に書くしかないだろう』


 広間でトマが笑いをこらえた。


 地図職人班は少し困ったような声で答えた。


『注記欄に、井戸縁印接触不可と記載します』


 井戸番は納得した。


『それでいい』


 次は北沢石列だった。


 地図職人班が、北沢の林縁に沿って曲線を描く。


 北沢からマルタの声が飛んだ。


『もっと曲げな』


 王都側が戸惑う。


『しかし、現地地形図上では、この程度の曲線で林縁と一致します』


『地形図じゃなくて、石を見な。石はそこまで上品に曲がってない』


 王都側が少し詰まる。


『現地石列は、不規則な曲線ということでしょうか』


『不規則じゃない。石にとっては規則がある。王都の線にとって不規則なだけだよ』


 トマが思わず言った。


「強い」


 ダリオさんが頷く。


「マルタは今日も正しい」


 王都地図職人班は、やや慎重に言った。


『了解しました。北沢石列は、直線化せず、現位置の曲がりを優先して記録します』


 マルタが即座に返す。


『現位置維持も書きな』


『はい。曲がり角一石、現位置維持。古図位置へ戻さない』


『よし』


 ニコルは記録した。


『北沢石列:冷却逸らし石列。現位置の曲がりを優先。古図位置へ戻さない。石は真っすぐ並ぶために生きていない』


 ダリオさんがニコルを見る。


「最後のは王都向けには外せ」


「現場語彙欄です」


「なら残せ」


 次はミード旧薬草緩衝帯。


 地図職人班は、薬草帯を緑の帯として描こうとした。


 その瞬間、ミードの老女が通信に入った。


『緑に塗りつぶすな』


 王都側が戸惑う。


『薬草帯を示すため、範囲を塗る必要が』


『塗りつぶすと、全部使えるみたいに見えるだろう。そこは休んでる根もある。灰を帯びて眠ってる根もある。葉が立ってるだけで精一杯のところもある』


 セリアが静かに援護した。


「ミード旧薬草帯は、一面の使用可能範囲ではありません。浅根受圧、横根逃がし、休止区画、接触禁止区画を分けてください」


 王都側が息を呑む。


『区画が細かいですね』


 老女が鼻で笑う。


『根はもっと細かいよ』


 トマが小さく言った。


「今日、王都地図職人さんの胃も変になってそう」


 ニコルが返す。


「でも、ここで変になってもらう方が安全です」


 薬草帯は、単純な緑の帯ではなく、点線と薄い印で示された。


 使用可能地ではない。


 休止しながら逃がす帯。


 セリアはその記載を見て、ようやく頷いた。


「はい。これなら、薬草に働けと命じる地図にはなりません」


 ハンナが横から言う。


「地図にまで薬草の休みを書いたの、初めて見ました」


 セリアは真顔で答えた。


「必要です」


 ミラも真面目に頷いた。


「声かけ程度は可も入れますか?」


「入れません」


 即答だった。


 広間に少し笑いが生まれる。


 次は旧水路。


 トマが通信札の前へ出た。


「旧水路班より。旧水路上流、浅層緩衝線は水路内ではなく、水路脇の浅い土です。青根布を常設しているわけではありません。旧水量板は未操作。水量板の裏面施工者痕は証拠として保存。触りません」


 王都側。


『旧水路の逃がし線は、水路ではなく水路脇を通る、という理解でよろしいですか』


「はい。水へ戻さないためです」


 地図職人班が、旧水路の線の横へ、細い点線を引いた。


 その点線が、ハルマ古井戸と北沢石列、ミード薬草帯の線と繋がった時、中枢室が小さく反応した。


 俺は地下工房から表示を読み上げる。


《旧水路浅層緩衝線:結節点候補》

《水路復帰禁止:維持》

《外縁逃がし線:連結度上昇》


 トマが広間で目を見開いた。


「旧水路が結節点?」


 ダリオさんが頷く。


「意外ではあるが、筋は通る。水へ戻さず浅い土で受ける。井戸、石列、薬草帯の逃がしをつなぐ場所として働いている可能性がある」


 トマは少し黙ってから、旧水路副記録係を見た。


「水量板、触らなくてよかったな」


 副記録係は深く頷いた。


「はい」


 ニコルが記録する。


『旧水路浅層緩衝線:外縁逃がし線の結節点候補。旧水路班の未操作保存が継続条件』


 地図は、少しずつ形になっていった。


 ハルマ古井戸の水面逸流点。

 北沢石列の冷却逸らし線。

 ミード旧薬草帯の根系逸流帯。

 旧水路浅層緩衝線。

 薬草予定地の青根緩衝帯。

 使用済み青根布の乾燥隔離箱。

 森退避路の予備布除外地点。


 王都地図職人班は、何度も言葉を詰まらせた。


『……通常の封印施設地図とは、かなり異なります』


 ダリオさんが乾いた声で返す。


「通常の封印施設ではない」


『線が直線化できません』


「直線化するな」


『範囲が固定できません』


「固定するな」


『注記が多すぎます』


「それでも足りん」


 トマが小声で言う。


「ダリオさん、王都地図職人さんを鍛えてる」


 セリアが苦笑する。


「でも、必要です」


 王都側は、少し困り果てたように言った。


『不規則すぎます。これでは、上層部へ説明する際に、要点をまとめにくい』


 その言葉に、北沢のマルタが割り込んだ。


『要点? 要点は一つだよ。石は真っすぐ並ぶために生きてない』


 王都側が黙る。


 マルタは続けた。


『井戸も、薬草も、水路も同じだろう。王都の線に合わせるために村があるんじゃない。村が生きてきた跡を、あんたらが線にするんだ』


 広間が静まり返った。


 ニコルは、少しだけ目を輝かせて記録した。


『村が王都の線に合わせるのではない。村が生きてきた跡を線にする』


 ダリオさんが深く頷いた。


「今日の表紙にしてもいいな」


 トマが言う。


「地図の題名、それでいいんじゃないですか?」


 王都地図職人班は、少しだけ間を置いてから答えた。


『……理解しました。外縁逃がし線仮地図は、現地生活跡を基礎とする地図として作成します』


 マルタは満足そうに言った。


『最初からそう言えばいいんだよ』


 地図作成は午後まで続いた。


 線を一本引くたびに、誰かが止めた。


 ここは接触不可。

 ここは確認禁止。

 ここは休止中。

 ここは見えるが触らない。

 ここは昔と位置が違うが、戻さない。

 ここは地図には描くが、現地へ行くな。


 王都地図職人班は、だんだん口調が変わってきた。


 最初は「記載します」だった。


 途中から「記載してよろしいですか」になった。


 最後には「これは操作対象ではありませんね」と先に聞くようになった。


 トマが嬉しそうに言う。


「育ってきた」


 ダリオさんが豆を噛む。


「地図職人を薬草みたいに言うな」


 セリアが真面目に言う。


「でも、急がせない方が育ちます」


「否定しにくいことを言うな」


 夕方近く、仮地図の初版が広間の写し板に映された。


 誰もすぐに喋らなかった。


 美しい地図ではなかった。


 王都の地図のように、まっすぐな線と整った記号で構成されたものではない。


 曲がっている。


 途切れている。


 点線が多い。


 注記が多い。


 空欄もある。


 けれど、見ているうちに分かってくる。


 これは、封印施設の図ではない。


 村が生き延びるために、圧を逃がしてきた跡だ。


 井戸から水路へ。

 水路から浅い土へ。

 石列から林縁へ。

 薬草帯から横根へ。

 薬草予定地から布の隔離へ。

 森退避路へ。


 線は、命令のように一本で伸びていない。


 逃げ道のように、曲がり、避け、受け、休み、また繋がっている。


 中枢室が反応した。


《外縁逃がし線仮地図:初版受領》

《現地生活跡:反映》

《直線化なし:確認》

《操作対象外注記:有効》

《旧水路浅層緩衝線:結節点候補強化》

《外縁逃がし線:仮連結》


 俺は読み上げた。


「外縁逃がし線仮地図、初版受領。現地生活跡、反映。直線化なし、確認。操作対象外注記、有効。旧水路浅層緩衝線、結節点候補強化。外縁逃がし線、仮連結」


 トマが小さく拳を握った。


「仮連結……」


 セリアもほっと息を吐く。


「ようやく、線として見えましたね」


 ニコルは静かに言った。


「見えたからこそ、触らないことも増えます」


 ダリオさんが頷く。


「その通りだ」


 その時、中枢室の表示が一つ増えた。


《注意:未照合空白あり》

《位置:リベル村—北沢間》

《古図記載:不明瞭》

《現地記録:不足》

《外縁逃がし線:断続》


 広間の空気が変わった。


 トマが地図を覗き込む。


「空白?」


 ニコルが写し板に近づいた。


 確かに、リベル村と北沢石列の間。


 古い雑木林があるあたりに、線が途切れていた。


 地図職人班の声も戸惑っている。


『該当地点は、王都古図では薄く塗られており、詳細記載なし。現行地図では雑木林。現地外縁記録には明確な施設記録なし』


 リーゼさんが壁際で、静かに目を細めた。


「そこは、森が黙っている」


 トマが振り返る。


「リーゼさん?」


 リーゼさんは地図を見たまま言った。


「退避路が、そこを避けている」


 セリアが息を呑む。


「森退避路が?」


 リーゼさんは頷いた。


「昔から、そこだけ道が少し膨らむ。近道なのに、通らない」


 ダリオさんの顔が険しくなる。


「なぜ今まで記録に出なかった」


 リーゼさんは短く答えた。


「危険ではなかった。だから、避けていただけ」


 トマが眉を寄せる。


「危険じゃないけど避けてた?」


「そう」


 ニコルがすぐ書く。


『リベル村—北沢間雑木林。森退避路が不自然に回避。危険記録なし。ただし通らない生活跡あり』


 村長が重く言った。


「行くな。今日は地図上の空白として残せ」


 トマが一瞬だけ何か言いかけた。


 だが、飲み込んだ。


「……はい。空欄を埋めない」


 中枢室の表示が最後に揺れた。


《未照合空白:登録》

《現地確認:延期推奨》

《単独接近禁止》

《注意:空白は欠落ではなく、避けた跡の可能性》


 俺は読み上げた。


「未照合空白、登録。現地確認、延期推奨。単独接近禁止。注意、空白は欠落ではなく、避けた跡の可能性」


 広間が静かになる。


 地図は完成しなかった。


 けれど、だからこそ意味があった。


 完成した地図なら、誰かがそれを命令にしたかもしれない。


 未完成の空白は、村に問いを残した。


 なぜ、そこを避けてきたのか。


 夜、俺は個人記録を書いた。


『外縁逃がし線仮地図初版を作成。

ハルマ古井戸は穴ではなく水面逸流点として記録。井戸縁印接触不可。

北沢石列は現位置の曲がりを優先。古図位置へ戻さない。曲がり角一石、現位置維持。

ミード旧薬草緩衝帯は使用可能範囲ではなく、浅根受圧、横根逃がし、休止区画、接触禁止区画として記録。

旧水路浅層緩衝線は、水路ではなく水路脇浅層土壌として記録。水量板未操作。青根布常設なし。

中枢室表示:旧水路浅層緩衝線、結節点候補。外縁逃がし線仮連結。

王都地図職人班は、当初“不規則すぎる”と困惑。マルタ発言:“村が王都の線に合わせるのではない。村が生きてきた跡を線にする”。

外縁逃がし線仮地図初版は、直線化なし、操作対象外注記有効。

ただし、リベル村—北沢間の古い雑木林に未照合空白あり。古図不明瞭、現地記録不足。森退避路がその地点を不自然に避けている可能性。単独接近禁止。空白は欠落ではなく、避けた跡の可能性』


 最後に書く。


『逃がし線の地図を作った。

美しい地図ではない。

曲がり、途切れ、注記が多く、空欄もある。

だが、それでいい。

外縁は王都の線に合わせて生きてきたのではない。

村が生きてきた跡を、王都が線にする。

井戸は丸ではなく、水面。

石列は直線ではなく、冷えを逃がす曲がり。

薬草帯は緑の塗りつぶしではなく、休む根を含む帯。

旧水路は水ではなく、浅い土の緩衝線。

青根布は常設される盾ではなく、眠る箱。

地図は命令ではない。

動かすためではなく、見失わないために作る。

その地図に、一つ空白が出た。

リベル村と北沢の間の雑木林。

古図にも曖昧で、現地記録にも薄い。

だが、森退避路はそこを避けている。

危険だから避けたのか。

危険ではないが、触らない方がよかったのか。

まだ分からない。

今日は行かない。

空欄を埋めない。

空白は欠落ではなく、誰かが避けた跡かもしれない。』


 地上では、水車が回っている。


 地図の上で、線は繋がった。


 けれど、一本だけ途切れた場所がある。


 その途切れた白さが、どの線よりも強く、こちらを見ている気がした。

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