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「鑑定しかできない無能」と追放された俺、実は壊れた才能を直せる唯一の神職でした〜捨てられ聖女と辺境村を修理していたら、勇者より先に国を救ってしまった〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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第178話 黒薔薇工房へ渡すな

 赤い文字は、黒い墨よりも長く残ることがある。


 それは色の話ではない。


 誰かが、どうしても残したかった警告の話だ。


 王都で開かれた木箱の中、古い冊子の表紙裏に書かれていた短い朱書き。


『黒薔薇工房へ渡すな』


 その一文は、外縁覚書の最初の本文よりも、広間の空気を重くした。


 外縁は封印を囲む柵にあらず。

 水と土に逃げ道を与える支えなり。


 その一文で、リベル村と周辺三村が守ってきた生活技術は、確かに古い技法と繋がった。


 ハルマの井戸が揺れた意味。

 北沢の石列が冷えを受けた意味。

 ミードの薬草帯が根で受け、根で逃がした意味。

 旧水路で青根布一枚が逃げる時間を買った意味。


 それらが、ようやく言葉を持ち始めた。


 だが、そのすぐ横に、朱で書かれていた。


 黒薔薇工房へ渡すな。


 オルド・ロッサは、黒薔薇工房に関わっていた人物として王都資料に名が残っている。


 水脈封印補助主任。


 なのに、覚書には渡すなとある。


 関わっていたのか。

 警戒していたのか。

 内側から止めようとしていたのか。

 それとも、自分の技法を奪われたくなかっただけなのか。


 分からない。


 だからこそ、朝の広間には誰も軽い顔をしていなかった。


 中央井戸の記録は、いつも通りだった。


「朝。中央井戸、水温正常。水面揺れなし。濁りなし。匂いなし。青反応、微弱安定。外縁覚書初回開封後、継続異常なし」


 副記録係が読み上げると、ニコルは頷いた。


「よいです」


 トマは井戸から一歩離れ、腕を組んでいた。


「井戸は落ち着いてるな」


「はい」


「でも紙は落ち着いてない」


「はい」


 ニコルは記録板を抱え直した。


「今日は朱書きの整理です」


「黒薔薇工房へ渡すな、か」


 トマは井戸の水面を見た。


「オルドって、黒薔薇工房の人だったんだよな?」


「名簿上はそうです」


「なのに渡すなって、変だよな」


「変です。だから、関わった事実と、加担したかどうかを分けます」


 トマは少しだけ黙った。


「関与と加担、だっけ」


「はい」


「俺、前なら同じだと思ってたかも。関わってるなら同罪だろって」


「そう思いたくなる時はあります」


「でも、黒薔薇工房の中にいて止めようとした人がいたなら、同じにはできない」


 ニコルはその言葉を記録した。


『関わっていることと、止めようとしていた可能性は同時に存在し得る』


 トマが苦笑した。


「俺の言葉、だんだん難しく記録されるな」


「重要です」


「そっか」


 広間では、すでに昨日の記録が広げられていた。


 王都覚書開封室の報告。

 外縁覚書の表紙確認。

 オルド・ロッサの記名。

 最初の一文。

 朱書き。


 そして、黒薔薇工房名簿の写し。


 そこには確かに、オルド・ロッサの名があった。


『水脈封印補助主任 オルド・ロッサ』


 トマがそれを見て、顔をしかめる。


「主任じゃないですか」


 ダリオさんは豆の椀を横に置いたまま答えた。


「そうだ。端の人間じゃない。中にいた」


「それで、渡すな?」


「ああ」


「じゃあ、内部で揉めてた?」


「可能性はある」


 ダリオさんは、名簿と朱書きの記録を並べた。


「だが、可能性止まりだ。昨日の一文だけで決めるな」


 村長が頷く。


「今日は、分ける日じゃ」


 ニコルが新しい紙を出した。


『オルド・ロッサ整理:関与と加担』


 ダリオさんが言った。


「まず、関与」


 ニコルが筆を構える。


「はい」


「黒薔薇工房名簿に、オルド・ロッサの名がある。役職は水脈封印補助主任。これは関与だ」


 ニコルが書く。


 一、黒薔薇工房名簿に名あり。水脈封印補助主任。関与は確認。


「次に、技術関与。外縁覚書はオルドの記名がある。外縁技法を記した人物、または少なくとも関係者と見てよい」


 二、外縁覚書にオルド・ロッサ記名。外縁技法の記録者または関係者。


「次に、警戒」


 ダリオさんは少し声を低くした。


「表紙裏に朱書き。“黒薔薇工房へ渡すな”。これは、黒薔薇工房へ無条件に渡す立場ではなかったことを示す可能性がある」


 三、朱書き“黒薔薇工房へ渡すな”。黒薔薇工房への警戒または制限意図。


「ただし、誰が書いたかは未確認」


 ニコルがすぐ書き足す。


 四、朱書き筆者未確定。オルド本人、同時期の別人、後年の追記、いずれも未確定。


 セリアが静かに言った。


「加担の有無は?」


 ダリオさんは首を横に振る。


「まだ分からん。黒薔薇工房で何をしたか、外縁技法がどう使われたか、どこで歪められたか。それを読まないと判断できない」


 ニコルが見出しを追加する。


『加担未確定』


 トマがその文字を見つめる。


「関与は確認。でも、加担は未確定」


「そうだ」


 ダリオさんは短く答えた。


「関わったから同罪とは限らん。だが、無関係とも言えない」


 ニコルがそのまま書いた。


 トマは何度も小さく頷いた。


「これ、大事ですね」


「大事だ。特に、怒っている時ほどな」


 ダリオさんの視線が、一瞬だけカリムの記録へ向いた。


 オルドだけではない。


 カリムも同じだ。


 関わった。

 補修した可能性がある。

 でも、何を守ろうとしていたのかは分からない。


 この物語は、誰が悪人かを簡単に決めさせてくれない。


 それが苛立たしい。


 だが、だからこそ記録する。


 王都へ、次の確認を入れることになった。


 朱書きについて。


 一、筆跡確認。

 二、朱書きの時期確認。

 三、オルド本人の筆か。

 四、黒薔薇工房名簿との関係。

 五、外縁覚書が黒薔薇工房へ渡った記録の有無。

 六、覚書がローゼン侯爵家別邸へ収蔵された経緯。


 ニコルが文面を作る。


『朱書き“黒薔薇工房へ渡すな”について、筆跡および記入時期の照合を求める。

オルド・ロッサ本人の筆跡資料がある場合、比較を希望。

また、黒薔薇工房名簿にオルドが水脈封印補助主任として記載されていることとの関係を整理されたい。

リベル村は、現段階でオルドの関与を確認するが、加担については未確定として扱う』


 村長は頷いた。


「よい。関与と加担を分けると明記せよ」


「はい」


 その時、王都からの通信が入った。


 昨日の開封室からだ。


 王都側も、表紙裏の朱書きを受けて、早朝から保存官と外部監査部が確認を続けていたらしい。


『王都覚書開封室より。

朱書き部分について、保存官の初見。

朱は本文墨よりやや新しい可能性。ただし大きな時代差は未確定。

筆圧は強く、急いで書かれたものと見られる。

朱書き部周辺に擦過痕あり。後に消そうとした形跡の可能性』


 広間が静まった。


 トマが低く言う。


「消そうとした?」


 ニコルの筆が止まりかける。


 ダリオさんが顔を上げた。


「消そうとして、消しきれなかったのか」


 俺は中枢室へ通信を繋ぐ準備をした。


 村長が言う。


「中枢室で反応を見る。ただし、深くは読まぬ」


 地下工房で、俺とダリオさんが表示を見る。


 登録する文は最小限。


『外縁覚書表紙裏朱書き。“黒薔薇工房へ渡すな”。本文墨よりやや新しい可能性。筆圧強。急筆。周辺に擦過痕。消去未遂可能性』


 中枢室の青白い線が、細く揺れる。


《朱書き注記:照合中》

《黒薔薇工房関連:警戒記録可能性》

《消去痕:後年干渉可能性》

《筆者:未確定》

《注意:関与/加担の区別を維持》


 俺は読み上げた。


「朱書き注記、照合中。黒薔薇工房関連、警戒記録可能性。消去痕、後年干渉可能性。筆者、未確定。注意、関与・加担の区別を維持」


 ダリオさんが苦く笑った。


「中枢室にも言われたな。区別しろ、と」


「はい」


「便利なようで、嫌な表示だ」


「でも、必要です」


「分かってる」


 広間へ戻ると、ニコルが中枢室表示を記録した。


 トマは「消去痕」の文字を見ていた。


「誰かが消そうとしたなら、その“渡すな”は都合が悪かったってことだよな」


 セリアが頷く。


「そう見えます。ただ、誰にとって都合が悪かったのかは分かりません」


「黒薔薇工房?」


「可能性はあります」


 ダリオさんが釘を刺す。


「可能性だ。ローゼン侯爵家にとって都合が悪かった可能性もある。後年、ロッサ家の誰かが消そうとした可能性もある。王都へ渡る前に誰かが削った可能性もある」


 ニコルが書く。


『消去痕の主体未確定。黒薔薇工房、ローゼン侯爵家、ロッサ関係者、その他の可能性』


 トマは頭を抱えた。


「分からないがまた増えた」


「増えたんじゃない。分かれて見えた」


 ニコルが言う。


 トマは少しだけ笑った。


「それ、最近のニコルの決め台詞だな」


「必要なので」


 昼前、王都から追加で本文確認の打診があった。


『表紙裏の朱書き確認後、二枚目の一部が目視可能。文書本体を取り出さず、めくり上げず、見える範囲のみ確認可能。実施するか判断を求める』


 広間で、全員が顔を見合わせた。


 二枚目。


 そこには、次の情報があるかもしれない。


 黒薔薇工房との関係。

 外縁杭の構造。

 ハルマ、北沢、ミードの記録。


 だが、めくりすぎれば文書を痛める。


 情報が欲しいから急ぐな。


 昨日も今日も繰り返してきたことだ。


 村長が言う。


「見える範囲のみなら許可する。動かすな。読めぬなら読まぬ」


 ダリオさんも頷く。


「二枚目全体をめくるな。表紙裏側から見える範囲だけだ」


 ニコルが王都へ返す。


『見える範囲のみ確認を許可。文書本体を箱から取り出さない。無理にめくらない。判読不可部分は判読不可として記録』


 王都側が応じる。


『了解。見える範囲のみ』


 通信札の向こうで、文書保存官の声がした。


『二枚目上部、図の一部あり。井戸状の円形。周囲に縁印らしき点列。文字は一部のみ。読める範囲を報告します』


 セリアが顔を上げた。


 トマも身を乗り出しかけ、すぐ座り直す。


 王都側の声。


『図は、井戸の縁に近い形状。円形の縁、四方に小印。右横に文字。“圧を水面に……”以降不明。下部に“嫌うと伝えよ”の文字が見える可能性』


 ハルマ古井戸。


 その名を、誰もすぐには言わなかった。


 だが、全員が思った。


 ニコルが震える手で書く。


『二枚目上部、井戸状図。円形縁、四方小印。“圧を水面に……” “嫌うと伝えよ”』


 トマが低く言う。


「腐り水を嫌う井戸……」


 セリアが静かに続けた。


「伝えよ……」


 ダリオさんの目が鋭くなった。


「言い伝えは、後から勝手に生まれたものじゃないかもしれん。技術者が、生活語として伝えさせた可能性がある」


 村長がゆっくり頷いた。


「井戸番へ伝えよ」


 ニコルがハルマへ通信を繋いだ。


『ハルマ古井戸へ。覚書二枚目に井戸状図の一部あり。円形縁、四方小印。“圧を水面に……” “嫌うと伝えよ”の文字が見える可能性』


 しばらく沈黙があった。


 やがて、井戸番の声が入る。


『……嫌うと伝えよ?』


 若い母親の声が小さく続く。


『腐り水を嫌う井戸って、誰かがそう伝えなさいって書いたんですか?』


 誰もすぐには答えられなかった。


 ダリオさんが通信へ入る。


「まだ断定できない。図の一部だ。だが、ハルマ古井戸と関係する可能性が高い」


 井戸番は少し黙ったあと、言った。


『じゃあ、うちの井戸の昔話は……ただの昔話じゃなかったんだな』


 ニコルがそれを記録する。


 広間の空気は、静かに熱を帯びていた。


 ローゼン侯爵家が「村落的比喩」と呼んだ言葉。


 腐り水を嫌う井戸。


 その言葉が、オルド外縁覚書の中に現れた可能性がある。


 まだ一部。


 まだ断定できない。


 それでも、大きい。


 王都側はさらに報告を続けた。


『本日の追加確認はここまでを推奨。保存官判断として、これ以上の視認は文書負荷が高い』


 村長が即答した。


『中止せよ。内布を戻し、箱内保全。次回は保存処理後じゃ』


 王都側。


『了解。二枚目全体は未確認。文書本体未取り出し。箱内保全へ』


 トマが椅子にもたれ、長く息を吐いた。


「一日一文どころか、今日は一部だけで頭がいっぱいだ」


 セリアも頷いた。


「でも、確実に繋がっています」


 ダリオさんは静かに言った。


「黒薔薇工房へ渡すな。そして、井戸には“嫌うと伝えよ”。オルドは、技術を隠したかったのか、生活の中へ逃がしたかったのか……」


 ニコルがその言葉を記録する。


『技術を隠したのか、生活の中へ逃がしたのか』


 夕方、三村へ正式な要旨を送った。


 ハルマへは、特に慎重に書いた。


『オルド外縁覚書二枚目上部に、井戸状図と“圧を水面に……”“嫌うと伝えよ”の文字が見える可能性。現段階では断定しない。ただし、ハルマ古井戸の言い伝えとの関連が疑われる。井戸へ触らず、通常観察を継続してください』


 井戸番からの返答は短かった。


『見る。触らない。井戸の昔話を、今日は少し丁寧に話す』


 北沢とミードにも、今日の確認内容が伝えられた。


 マルタは言った。


『井戸が出たなら、石もそのうち出るだろう。だから石は動かさない』


 老女は言った。


『井戸に“嫌うと伝えよ”なら、薬草には何と伝えたんだろうね。まあ、根は触るなよ』


 セリアはその言葉を聞いて、小さく笑った。


「やはり、老女さんは強いですね」


 夜、俺は個人記録を書いた。


『朱書き“黒薔薇工房へ渡すな”について整理。

黒薔薇工房名簿には、オルド・ロッサが水脈封印補助主任として記載。よって関与は確認。ただし、朱書きにより黒薔薇工房への警戒または制限意図が示唆される。加担は未確定。

王都保存官初見:朱は本文墨よりやや新しい可能性。筆圧強く、急筆。朱書き部周辺に擦過痕あり。消去未遂可能性。

中枢室表示:朱書き注記照合中。黒薔薇工房関連警戒記録可能性。消去痕は後年干渉可能性。筆者未確定。関与・加担の区別を維持。

二枚目上部に井戸状図の一部。円形縁、四方小印。“圧を水面に……” “嫌うと伝えよ”の文字が見える可能性。ハルマ古井戸との関連疑い。断定せず』


 最後に書く。


『黒薔薇工房へ渡すな。

オルド・ロッサは黒薔薇工房に名を連ねていた。

それなのに、覚書には渡すなとある。

関わったから同罪とは限らない。

だが、無関係とも言えない。

その間に、真実はある。

そして二枚目の端には、井戸の図が見えた。

“嫌うと伝えよ”。

ハルマの古井戸が腐り水を嫌うという言い伝えは、誰かが生活の言葉として残した技術だったのかもしれない。

まだ断定しない。

だが、村の迷信と呼ばれた言葉が、古い覚書の中から顔を出し始めた。

次は、井戸の正体を見る。

ただし、紙を急がせない。

古い技術も、薬草と同じく、無理に引き抜いてはいけない。』


 地上では、水車が回っている。


 その音は、昨日より少し深く聞こえた。


 水は、嫌っているのではない。


 もしかすると、受け流しているのかもしれない。

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