ノルマ
「ゆうき君、おはよ。この前の部活の大会、優勝したらしいね。さすがだな」
おはよう。運が良かっただけだよ。そういう君こそ、最近部活で大活躍らしいね。校内新聞で見たよ。
「おいゆうき!昨日のアニメ見たか?超神回だったよな!」
ああ、それなら僕も見たよ。思わず感動して涙が出ちゃった。
「ゆうき先輩、おはようございます。今日の朝練一緒に行きましょうよ」
今日は日直の仕事があるから、ごめんね。また誘って欲しい。
今朝は登校するだけで15人と会話を交わした。もっとも、どの会話も中身が伴わない空虚なものだったが。登校途中にできるだけ多くの人と話す。それが僕のここ最近の日常である。
およそ二年前に、日本では少子化対策の一環として、コミュニケーション促進法が施行された。その内容は、全国民に毎日特定の人数以上と話すというノルマを課すものだ。ノルマを達成したかどうかは、国民の脳に埋め込まれたマイクロチップが管理し、ノルマを達成できなければ、ペナルティで罰金が発生する。この法律により、日本の人と人の距離が縮まり、少子化も回復傾向にあるという。
今日のノルマは30人なので、あと15人と話さなければならないが、ノルマがあるのはお互い様なので、普通にしていても誰かが話しかけてきてくれるだろう。
教室に荷物を置き、すでに登校していた数人と仕方なく話をした後、日直日誌を取りに職員室に向かった。
職員室に入り、日誌を取りに向かう。その途中、本来話す必要がない先生とも、最近の調子はどうだとか、今日の宿題はやってきたかなどの会話をした。似たような話題を何回も話した記憶があるが、そんな態度は決して見せない。
職員室を後にし、指折り会話した人数を数えながら、30人に達したことを確認すると、ヘッドフォンを付ける。
コミュニケーション促進法が施行されたときは、当然反発もあった。人と話すことが苦手な人間にとっては、この法律は苦痛でしかない。そんな人たちのささやかな抵抗が、このヘッドフォンである。誰かが決めたわけではないが、ヘッドフォンをつけている人には、話しかけてはならない。そんな暗黙の了解が、日本中に浸透していた。僕は人と話すのが苦手なわけではない。むしろ、この法律の施行前は積極的に友達と話をしていた。しかし、ノルマできてからというもの、僕は会話を楽しめなくなっていた。あるとき、大抵の会話がノルマのためだけに交わされた薄っぺらいものだと、気づいてしまったのだ。
教室に戻ると、先ほどよりも登校した生徒の数が増えていた。中にはすでにヘッドフォンをしている生徒もいる。
「なっちゃんなっちゃん、ここの問題教えてー」
「いや、なっちゃんは私に教えるの」
「......どっちも教えるから、順番にね」
ヘッドフォン越しに、クラスの女子たちの会話が聞こえてくる。なっちゃんと呼ばれているのは、春山夏美のことである。このクラスで1番の人気者で、まさに才色兼備といった言葉が似合う。それでいて気取らずに誰にでも優しいんだから、人気が出るのはある意味当然だ。
彼女たちは、一見楽しそうに会話をしているが、本音のところはわからない。もしかしたら誰かは、無理をして話をしているのかもしれない。
ガタンッ
突然大きな物音がした。反射的にそちらを向くと、春山さんが椅子から転げ落ち倒れていた。遠目からでも、息が荒いのがわかる。これはまずいんじゃないか。早く先生を呼ばないと。
先ほどまで春山さんと話していた女子たちを見やると、「どうしようね…」などと言ってオドオドしていた。周りの生徒たちも、ただ見ているだけだ。
「お前ら今まで散々なっちゃんと楽しく会話してただろ」
思わず出かかった言葉を寸前で飲み干し、ヘッドフォンを外して春山さんの元へ駆け寄った。
「大丈夫?息できる?」
春山さんは苦しそうに頷いた。こんな状態になっても友達は何もしてくれないなんて、世も末だな…。黒い感情が心に影を落としたが、今は気づかないふりをする。春山さんの命が大事だ。
あの後僕が救急車を呼んで、何とかことなきを得た。春山さんは喘息持ちで、たまたま重い発作が出てしまったのだという。僕は翌日の学校で春山さんからお礼を言われたが、そのお礼を心から受け止められる気はしなかった。
今朝もノルマを告げられ、いつも通り高校へ向かう。いつもと違うことがあるとするならば、それは僕の心がより深く閉ざしてしまっていることだろう。
「ゆうき君、おはよ。次の部活の大会っていつあるの?応援行きたいな」
「……。」
「おいゆうき!あのアニメ、2期が決定したらしいぞ!楽しみだな!」
「……。」
「ゆうき先輩、おはようございます。今日こそは、朝練一緒に行きましょうよ」
「……。」
ノルマのために交わされる会話に、意味なんてないのだ。




