悪役令嬢だったらしいけど、何も始まらなかった件
「さて、わが妹よ。君には選択肢が二つある」
私の目の前には三十代に入ったであろう男が、私に向かって指を二つ立てていた。
ちなみに私は九歳になったばかりであり、年齢差は親子ほど離れている。
それも貴族ならよくある事……なのだろうか? よくわからない。
そして私は先代公爵、つまり目の前にいる男の父親だが、その人が作った子である。
だから目の前の男の妹というのは正しい。
父である先代公爵は目の前の男に爵位を譲ったあと別宅で隠居生活していたが、無聊を慰めるために妾として平民の若い娘を孕ませた。その娘が生んだ子が私である。
なお母親は当時十四歳、なんだただのロリコン爺かよ。
ただ母親は私を生んだ一年後くらいにお亡くなりになった模様。
十四歳で妾って事は、私を生んだ時は十五歳くらいでしょ? まだ成長期だった可能性高いよね。
そんな身体で赤子なんて生んだら、医療技術が進んだ前世の現代社会ならともかく、根性と気合で乗り切るような今世じゃ危険だよ。
そうなのだ。私は日本という国で生まれた記憶を持っていたりする。
なお、記憶がよみがえったのがたぶん一歳くらいかな? 母親がお亡くなりになった直後辺り。
それまでは母親が私を育てていたらしいのだが、お亡くなりになったあとは割と放置された。
大貴族の妾とはいえ所詮平民だし、その娘の扱いには侍女たちも困っただろう。
こういう時、父親である先代公爵が動いてくれるべきなのだが、母親がお亡くなりになった悲しみで、ずっと引きこもってたらしい。
先代公爵からの指示はないし、かといって本邸にいる公爵に指示を仰ごうにも、向こうからすれば私は私生児だ。適当に育てろ、くらいしか指示がなかっただろう。
こうして私は実家権力が一番低い侍女に育てられた。分かるよ、面倒な事は一番下っ端にお仕事が回ってくるんだよね。
しかしどう見ても十代にしか見えない侍女だ。翻って私は前世では四十代くらいまで生きていた記憶がある。自分の娘くらいの女の子に面倒みられるのは非常に困る。
このため、可能な限り面倒かけないよう、大人しく生きてきた。
食事、衣類の用意とお風呂の準備、他には暇つぶしの本くらいをお願いして、それ以外はなるべく自分でやった。
さすがに掃除洗濯は断られたが。そもそも幼女ボディじゃ掃除洗濯などという肉体労働は無理だろうけどさ。
また食事などは、侍女と一緒に食べることをお願いし、食べ方を見よう見まねしたし、なるべく侍女たちの動きを真似てマナーっぽいことを学んだ。
割と苦労したけど、それでも衣食住が揃っていたし、この年になるまで生きていられたのだ。
感謝、非常に感謝である。
そして悲しみのあまり引きこもってた父親が、つい先日老衰でお亡くなりとなった……らしい。
最初に思ったのは「ふーん」だった。
だってね、記憶が甦ってから一度も父親と会ったことがないのだ。そりゃそう思ってしまっても仕方ない。
こうして父親の葬儀が終わったあと兄上、つまり現公爵に呼ばれて選択肢を突きつけられているのだ。
「一つ目は、我が公爵家へ正式な籍を入れ、私の妹として貴族として暮らす事」
あ、ないです。お断りします。無理ですムリムリ。
だって前世はバリバリの平民よ?
今世だって一人の侍女さんに育てられてただけの女よ?
貴族らしいことなんて全然習ってないしやってない、見よう見まねで覚えたマナーは侍女用のだ。公爵家という最高位の貴族のお嬢様が覚えるものではないはずだ。
高いドレスなんか着ておーっほっほっほ、とか高笑いなんて出来るわけがない。
偏見かもしれないが。
第一私は公爵家の娘とはいえ、半分平民なのだ。絶対嫌がらせとかあるよ。
偏見かもしれないが。
ということで、この選択肢はあり得ない。
「もう一つは、我が公爵領にて平民として生きていく事。ただ結婚は出来ないと思ってくれ。その代わり成人までは面倒を見よう。もちろん平民として生きていけるだけの教育はするし、成人後は公爵領で役人になる道も用意しよう」
もう一つは平民になることね。
しかも成人までは衣食住に加え教育までしてくれて、尚且つ成人後のお仕事の斡旋、しかも公爵領の役人ってことは公務員にもなれるのか。
元の世界で言えば親方日の丸である。老後まで心配なく暮らしていけるだろう。
貴族からすると半分平民だが、平民視点からだと元公爵家のお嬢様なのだ。いじめとかもないだろうし、職場だって役人ってことは公爵家のお屋敷やその関連施設だろう。
あれ? めちゃくちゃ好待遇じゃね?
結婚は出来ないというデメリットはあるものの、そもそも結婚願望が無いからそこは問題ない。
ちなみに結婚できない理由は分かっている。それは私が王家の証である、アメジストアイ持ちだからだ。
王家にはたまに紫色した瞳を持つ子が生まれる。
そしてわが公爵家は王家の分家であり、王家の血筋が途絶えたときに備えて、定期的に王家から降嫁してくるのだ。
実際私の祖母も王女だったらしい。
ただ証といっても特に何があるわけでもなく、降嫁先だってうちの公爵家だけじゃなく、他の高位貴族にも降嫁してるから、そこまで珍しいって訳でもない……らしい。
この情報は侍女から聞いた話になるので実際珍しくないかは判断付かないけど、仮にも公爵家に勤めている侍女だ、それなりの家格のある貴族だろうし、たぶんきっと合ってると思う。
しかし珍しくないとはいえ、問題はその証なのだ。
高位貴族として生きていくならいいけど、流石に王家の証を持つ子を平民に落とし、なおかつ子供まで作られると、当然我が子や孫に現れる可能性がある。
それは問題だろう。
何十年か何百年か将来に平民の子が、実は俺、王家の血筋なんだ、などという小説でよくある展開になる可能性も無きにしも非ずなのだ。貴族からすると非常に面倒くさい事になるのが見えてくる。
だからこそ、結婚ダメ、って言われてる。
ま、結婚がダメなのではなく、子を産むのがダメ、が正解だろうけどね。
とにかく結婚できないというデメリットは問題ない。むしろありがたい。
ということで…
「わたくしは……平民になります」
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「ちょっとあんた! コランティーヌ゠カルデニア゠クルーミル!」
あれから十年が経過した。
つい先年成人を迎えた私は、約束通り公爵領の役人となっていた。
お仕事の内容は前世でいう特定地域だけを見る税務署っぽい事だ。公爵領内の税金を取りまとめ、国へ提出するのがメインである。
しかも二年目にしてその所長代理である。ざっくりいえば所長がいて次長がいて、その次が所長代理。上から三番目。
さすが元公爵家ご令嬢、縁故採用ばりばりである。
おそらく数年もすれば代理の肩書が消えて、所長になるのだろう。
そんな中、私はお昼休みに近所のパスタ屋で、トマトパスタを食べていると、突然すぐそばから怒鳴り声が鳴り響いた。
怒鳴ってる人物を見ると、ピンク色の髪をした私と同じくらいの年の女性だった。
ただその女性は非常に小柄であり、顔つきも男性受けしそうな、いかにも守ってやりたいと思わせる雰囲気であり、正直怒鳴ってても全く怖くない。
小鳥がぴーちくぱーちくさえずってるようなものである。
「……どなた?」
なお、私はすでに貴族ではないので、カルデニアとかクルーミルとかいう家名はつかず、ただのコランティーヌだ。
って、カルデニアって王家の家名じゃん。そんなもの付けるなんて、不敬で捕まってもおかしくない。
「あんた、何で学園に来なかったのよ! 皇子殿下もいないし、攻略対象も全く見かけない。おかげでゲームが始まらなかったじゃない!」
……ゲーム? なんて?
よくよくその女性の言葉を解釈して理解すると、こうだった。
私はいわゆる悪役令嬢であり、半分平民ながら王家の証を色濃く受け継いでたので、王家の養女になったようだ。
十歳のお披露目パーティーで隣国の第二皇子が私に一目ぼれをし、十二歳から始まる貴族学園へ留学生として来るんですって。
もちろん第二皇子だけが留学するのではなく、その取り巻き含めて五人が攻略対象だのなんとかかんとかで。
当初第二皇子と私は婚約者同士だったが、そこへ平民から貴族になった彼女が第二皇子を奪い取り、卒業パーティで婚約破棄がどうのこうので。
とまあ、よくわからないストーリーを語ってくれた。
っていうかさ、その第二皇子って私に一目ぼれして婚約し更に留学までしにきたのに、最終的に他の女を選ぶって正直クズだよね。
あっ、そうか。
もしかすると私の記憶が戻らなかった場合、九歳の幼女に兄である公爵は、貴族として家にいるか成人して家を出ていくかの二択を突きつけることになるのか。
そりゃ子供だから、家を出て生活していくなんて思いつかないだろう。家にずっといたい、貴族になるって言うと思う。
そうなった場合、私は公爵家のお嬢様として生きて行く事になる。
王家の証があり、尚且つ半分とはいえ王家の分家筋である公爵家の女なのだ。流石に隣国の第一皇子、つまり皇太子は家格的に無理だが第二皇子となら婚約はあり得る。
箔をつけるために王家の養女にするというのも、確かにあり得る話だ。
でも私はあの選択肢で平民になる事を選んだ。
正直正解だったと思う。こんなゴタゴタに巻き込まれるなんて、絶対無理。途中でキレる自信あるわ。
だってお前のこと好きだ惚れた嫁になれって婚約までして、最終的にやっぱ他の女にするわ、でしょ?
私でなくともキレない?
ああ、だから悪役令嬢なわけね。
ま、今私はばりばりのキャリアウーマンですし、どうでもいいけど。
「どうしてくれるのよ! あたしの皇族生活がなくなったじゃない!」
「でもあなたって貴族でしょ? よほどの事がない限り平民よりはいい暮らしできるんじゃないの? 結婚だって皇族と比べたら落ちるだろうけどゼロじゃないはずだし」
「それは……その……学園で色々とあってその……家を追い出されたのよ!」
どうやら彼女は攻略対象が全くいないことに腹を立てて、存在しない私の悪口をさんざん言いまくっていたらしい。
この子の爵位は分からないけど、私相手に悪口って事は公爵家に喧嘩売ってる事になるのよ? しかもミドルネームに王家の家名まで入ってるのよ?
高位貴族でもやばいだろ。
家を追い出されたって当たり前だし、むしろよく不敬で処分されなかったな、とまで思う。
で、そんな見かけない私を探しまくって、ここ公爵領まで流れてきたと。
ご苦労様である。
「あ、そういえばあなたって前世の記憶持ってるのよね」
「……あるわよ」
「四則演算は出来る?」
「馬鹿にしてるの!? 大学生だったしそれくらい出来るわよ!」
ほう、四則演算が出来れば十分だわ。
この世界の税は前世に比べ非常に簡素である。
人頭税と所得税の二本だけだ。税率は農家や商家などで分かれてくるけど、それだけだ。つまり金額が分かれば計算は非常に楽なのである。
国に治める税だって全体収入の四割って決まっているし。
さすが公爵領って感じで領内の人口が多いので、その計算が大変なのだけどね。
そしてわが部署には計算できる人が少ないのだ。所長代理の私が一番計算していると思う。
でも前世で大学生やってたなら、これくらいは出来るだろう。
「あなたさ、今お仕事なくて困ってるんでしょ? なら、うちで働かない? 私結構偉いんで、あなた一人くらいなら採用できるわよ」
「……どういうこと? 詳しく」
ということで、無事スカウト出来た。
悪役令嬢とか婚約破棄とやらは無かったけど、これはこれで楽しい人生だと思う。




