#1 金木犀
ビルの隙間にキュッと肩を寄せたようにはまりこんでいる渋い喫茶店が一軒…。
軒先に張られた茜色のオーニングテントの下には、営業中の看板がぶら下がったアンティーク調の扉。
その扉には何やら張り紙が…。
___当店は一杯に少々お時間がかかります。お急ぎの方はご遠慮下さい。
「どんな一杯なんだろ…。」
吸い込んだ爽やかな秋風をふっとため息混じりに吐き出す。
カランコロン_
とスーツ姿の若い女性が重そうで軽い扉を開けると軽やかな音色と共にコーヒーの香りが漂ってくる。
「わあぁ…。」
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ。」
とエプロン姿でカウンターに立つ女性が優しい笑顔で迎え入れてくれる。
席に座り店内を見渡すとまず目に飛び込んでくるのは花…ではなく、壁にズラリと並ぶ色鮮やかなグラスやカップ達。
「当店のご利用は初めてですか?」
「あ…はい。ずっと気になってて、今日はここに来るために仕事はやく終わらせてきました。」
若い女性は少し恥ずかしそうに頬を染めながら肩を持ち上げる。
「それはそれは…ご来店有難うございます。ではご説明からさせていただきますね。当店ではまずあちらからお好きなカップを選んでいただきます。」
ふわりと微笑む店主は壁の方へ手のひらを向けゆっくりと話を進めていく。
「すごいたくさんありますね。どれも可愛くて綺麗で迷っちゃいます。」
カップやグラスにはそれぞれ花の絵が色鮮やかに描かれており、とてもじゃないがパッとは選べそうもない。
「ふふ。皆さんそうおっしゃいます。飲みたい物で選ぶ方もいらっしゃいますが、大体の方はお好きな"花"で選ぶ方が多いですかね。」
「確かにどれも素敵なお花が描かれてますね。」
「当店では選んだカップと一緒に描かれた花の"花言葉にちなんだ小さな物語"をお出ししております。」
「物語…ですか?」
「はい。もしよろしければカップをお選びになってみてください。」
「えぇ〜こんなにあると迷っちゃいますね。これは何のお花ですか?」
若い女性はオレンジ色の小さな花が散りばめられたカップを指差した。
「これは金木犀です。そろそろ香ってくる頃ですね。」
「あぁ、あの香り私好きです!じゃあこれでお願いします。」
「ホットになりますがよろしいですか?」
と言いながら店員はメニューを開きテーブルへと置いた。
「はい!ん〜じゃあブレンドでお願いします。」
「かしこまりました。ではご用意いたしますので、もしよろしければこちらをご覧になってみてください。」
と店主は同じく金木犀の描かれた薄い小さな本を手渡した。
「あ、これが花言葉の物語ですか?」
「はいそうです。では少々お待ちください。」
微笑みながらペコっと軽く頭を下げ店員はカウンターへと向かった。
「金木犀…可愛らしいお花ね。」
と表紙を見てホッと息をつき若い女性はゆっくりとその本を開いた。
カチャ_
その様子を見ていた店主は金木犀のカップを手に取り、彼女に流れはじめた時を見ながらそれに合わせるようにゆっくりゆっくりと準備をし始めた。
********『金木犀』********
俺は恋をした。
人生でたぶん初めての恋だ。
彼女は2つ上のバイト先の先輩で、
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ。」
いつもふわりと笑って優しくて、
「かしこまりました。いつもありがとうございます。少々お待ちくださいね。」
けど背筋はスッと伸びていて何をしていても綺麗で絵になって、
「鈴ちゃん、今のオーダーお願いできる?」
「はい!」
「よろしくね。」
厳しくて怖いマスターからコーヒーを任されることもしばしば…。
本当に何でもできる素晴らしい人だ。
(あぁ…コーヒーを淹れる真剣な顔も素敵だな。)
「おい、佑!なにボサっとしてるんだ。」
「あ、すんません。」
「これお願いな。」
「はい!」
俺はいつもマスターに怒られてばかりだが、彼女を見ているとそんなことはへっちゃらだ。
「これお願いできますか?」
「はい!」
(心を込めて大切に運ばせていただきます!)
スッと出された彼女の淹れたコーヒーを受け取りお客さんのところへと持っていく。
「お待たせしました。ブレンドになります。」
「ありがとう。」
「お、俺も鈴ちゃんが淹れたコーヒーもらおうかな。マスターのもいいけどさ、鈴ちゃんが淹れてくれたまろやかで優しいのもいいんだよな〜。」
「優しくなくて悪かったな!」
「ははは…。」
なんて騒がしく進む常連さん達とマスターとのやり取りに控えめに微笑む彼女。
そしてそれにまたグッと胸を掴まれる俺。
ここはいつも暖かくて少し酸素の薄い空気が漂っていた。
「お疲れ様です。お先失礼します。」
「お疲れ様でーす!…………。」
今日はなぜか鈴さんと帰るタイミングが一緒になった。
多分これは…駅まで一緒に帰る感じ……なのか?
「あの…その……鈴さんってお家どこら辺でしたっけ?」
「私はひとつ隣の〇〇駅だよ。」
「じゃあ、俺と反対っすね…。俺△△駅なんで…。」
「そうなんだ。」
「はい………。」
(あ、マズイ話が終わっちゃった…。何話そう…。)
「あの…え、駅までご一緒してもいいっすか?」
「私でよければ…?」
「あ、そりゃもう!…あの…はい、こちらこそ俺でよければって感じですけど。はは…。」
「ふふ…。今日もまあまあ忙しかったね。」
「そうっすね………。」
(あぁ、またこれじゃ続かないだろ!せっかく鈴さんが話振ってくれたんだから…。)
「あの…今度俺にも淹れてくれませんか?」
「え…?」
「鈴さんのコーヒー…俺も飲んでみたいっす!」
「えぇ〜?マスターが淹れてくれたコーヒーの方が美味しいよ?」
「飲んでみたいっす!鈴さんって本当に凄いですよね。いつも笑顔で何でもできて…。俺なんてコーヒー淹れてみるかって言われるけど、マスター怖いからいつも無理っす!って断ってます。はは…。」
「そんな凄くなんてないよ?私、NOって言うの苦手で…。マスターに言われるがままやってたらできるようになっただけで…。今だって淹れるの少し緊張するんだから。」
と下を向いて笑う彼女はまた可愛らしくて、
「だからNOってハッキリ言える祐くんが羨ましいな。」
「ッ!…………。」
彼女の悲しげな笑みは外の空気でさえも薄くし、俺の胸をギュッと締め付けた。
そしてこの時俺は思った。
彼女が心穏やかにNOと言えるようになれたらいいな…
いや、言えなくてもいい。俺が彼女のNOの代わりに…
ん?なんだそれ…。
なんかよくわからないけどとりあえず彼女の笑顔を守りたいと思った。
いや、守りたいなんてそんな俺にできるのかもわからないし、そもそも俺に守られたいなんて彼女は思ってないだろう…きっと。
うん…結局よくわからないが少しでも彼女の力になれたらと、そんな風に思ったんだ。
「あの…鈴さん…。」
「ん?」
「今度もしよかったら休みの日、俺とどっか出かけません?」
「え…?」
「あ、いや!ほんとイヤだったら全然NOって言ってください!ただ…その…もっと鈴さんといろんなお話したいなって…。これが好き〜とか将来何がしたい〜とか?はは…。」
「ふふ。私最近夢?ってほどではないかもしれないけど、いいな〜と思うことがあって…。」
「なんなんですか?」
「また、今度お出かけの時に聞いてくれる?」
「え…あ、はい!」
「ふふ…。」
とまた笑う彼女に胸はうるさくなって。
俺はこの日から、この笑顔の為に生きようと心に決めたのだ。
たぶん…。
それを忘れないように、ここに記しておく。
彼女の1番好きな金木犀と共に…。
金木犀の花言葉:『謙虚』『初恋』『真実』『気高い人』『陶酔』
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カチャ___
「あ、ありがとうございます。」
ふぅ…と一気に読み溜まっていた息を吐いた時、目の前には湯気の揺れるコーヒーが置かれた。
「お楽しみいただけました?」
「え!もうこんな時間たってたんですね…。」
「ふふ。暖かいうちにどうぞ?」
「はぁ〜すごくまろやかで美味しいです。」
「ありがとうございます。」
とにこにこ微笑む店主さんの横でコーヒーを楽しんでいると、
カランコロン___
と入り口のベルが鳴った。
「只今戻りました〜。あ、いらっしゃいませ。」
と大きな箱を持ちながら男性がひとり入ってくると微笑みながらこちらに向けペコっと頭を下げた。
「お疲れ様。ありがとう。」
と店主は笑顔でカウンターに向かう男性の後を追いかける。
「ねぇ鈴花さん…素敵なカップを見つけたんだけど、向日葵なんてどう?」
(え…"りんかさん"?)
「え〜私は藤の花がいいと思うけど。」
「わかったよ。なら藤の花にしようかな…。」
「お願いね。」
その男性は真っ白なカップを手にお店の中へ入って行った。
「あの〜…。」
「はい、おかわりお持ちしましょうか?」
「あ、いやその…このお話ってどなたが書いたんですか?」
「これはさっきいた私の旦那が書いたものです。」
「あ、そうなんですか。」
「お花によって旦那が書いたり私が書いたりしてるんですけど、なぜかこのお話だけは絶対に読まないでって言われてるんです。だからこのお話読んだことがなくて。金木犀は私が1番好きな花なので本当は私が書きたかったんですけど…。面白かったですか?それ…。」
と店主は机の上にある金木犀の描かれた本を指差す。
「ふふ…。そうなんですね。とっても素敵でしたよ?」
「あら、それなら今度また読んでいいか聞いてみようかしら…。」
「是非聞いてみてください。」
と楽しそうに笑う店主に若い女性が微笑んだ。
「あ、まだお時間大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。」
「もしよろしければお客様の好きな花や思い出の花を教えていただいてもよろしいですか?」
「思い出の花…ですか?」
「はい。この物語はいろいろな方のお話から作られているんです。参考にさせていただけたらなと…。」
「そんな私物語になるようなエピソードないですよ?」
「皆さんそうおしゃいます。好きなお花やなぜその花がお好きなのか…それだけでも構いませんから…。」
「ん〜そうですね…。私向日葵が好きです!視界いっぱいの向日葵畑に一度は行ってみたいですね!」
「それは素敵ですね。」
「あ!そういえば…」
なんて話をしながらその若い女性は気づけば日々の喧騒を忘れ、ゆったりと流れる空間と優しいコーヒーを楽しんでいた。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
好きな花や道端で見つけた花から浮かんだお話を形にしたいなと思い始めてみました。
これからも思いついたお話をのんびり更新していこうと思いますので、よろしければまたのご来店をお待ちしております。




