秘書との出会い
「マクシム、どう思った?」
デルフィーノはリオナが出て行った扉を見つめながら問いかけた。
「そうですね。良い方だと思いますよ」
「それはおまえの主観だろ。客観的に率直な意見を聞きたい」
デルフィーノはリオナが署名を拒んだ書面を手に持ち首を傾げた。
「そちらの書面を断ったということはあまり欲がない方なのでしょう。貴族家の女性としては荷物も大変少なかったのもありますし。
あとは伯爵家のご令嬢であるにも関わらず、仕事をすることをお選びになるのには理由があるのでしょう」
「そうだろうな。コユール伯爵からの手紙には娘が結婚はしたくない、働きたがっているとあったが、家族関係を考えると本当にそうだか疑わしい。そもそも伯父であるアクリオン公爵がこんなことを許すとは思えない」
「しかし実際に働く為に来たとご本人がおっしゃっていましたし、アクリオン公爵家にも話が通っているでしょうね。それかお母様が亡くなられてから交流がないか」
「ならどう捉える?」
「お母様を幼くして亡くし、その後義母君が来て妹君までおられるとなると、邸に居辛いというのがあったのではないでしょうか?」
「こちらから採用しておいてなんだが、それでも働くことを選ぶか?」
「王宮女官には伯爵家の方もおられますよ」
「それは行儀見習いのようなものだろ?彼女は長女だぞ」
「家族構成的にはそうでしょうが、義母君の実子が跡継ぎとなるのはよくあることです。良いではありませんか。こちらとしては大変貴重な方が来られたと思いますよ。
ご友人の公爵家のご令嬢は隣国クレメンタール王国の王太子妃ですからね。今も国境を挟んだ王家直轄地とは良好な関係を築けておりますが、リオナ様がいらっしゃることでより良好になれば危険はありませんし」
「だがこちら側に都合が良すぎないか?給金も安く済んだし」
「運が良かったと思われてください。それにその金額を受け入れていたらデルフィーノ様は追い返すおつもりでしたよね?金遣いが荒いか、金銭的に問題を抱えているのではないかと疑って。そのような方にアルベルト様を任せるおつもりではそもそもなかったのではありませんか?」
確かにそうだ。マクシムには言っていなかったが、アルベルトを任せるのだから常識的な考えの人間ではないと困るのだ。だからこのままの金額を受け入れる人間だったら適正なしと判断するつもりだった。それだけの金額を提示したつもりだ。
「しかし、そのまま受け入れるか多過ぎると言われるのを想定した金額だったとしても、向こう側からの提示額が10分の1とはさすがに少なくないか?」
「そうですね。仕事内容を考えますと少ないですね。相場をご存じないのでしょう。ですが、リオナ様の働きぶりをご覧になって、徐々に適正額にして行けばよろしいのではありませんか?理由を伝えればリオナ様もご納得されるでしょうし」
デルフィーノは腕を組み息を吐いた。
「そうだな。まず一か月見てみよう」
「それがよろしいかと。ではお茶をお淹れしましょう」
マクシムが出て行くとデルフィーノはリオナが拒否した書面を破り捨て代わりに作った書面を引き出しに片付ける。そして途中になっていた仕事を再開した。
とにかく事務作業が多い。兄がいた頃は自分は一兵士として鍛錬ばかりしていた。時々任される事務仕事もあったが、それは他の事務仕事を担当している兵士と変わらない量だった。
2年前、引き継ぎもなく辺境伯を継いだ当初は、己の未熟さを思い知らされその重圧に押しつぶされそうにだった。家族の死を悼む暇もなく仕事を始め、知識不足を補うために夜遅くまで勉強をした。
それでも兄によく似たアルベルトを見ていると、亡き兄が見守ってくれていると感じ頑張ることができた。アルベルトを守るのは自分の役目とこれまで必死にやってきたが、3か月前にアルベルトが長期間寝込んでしまった。
熱が高い日が続き、固形物を食べることもできなくなったのだ。そんなアルベルトに側にいて欲しいと言われ、ベッドの横で仕事をしていたデルフィーノだったが、アルベルトが治ったと同時に今度はデルフィーノが倒れてしまったのだ。
以前からマクシムたちに働き過ぎを指摘されていた。ダルムには疲れが溜まっていたのだから当たり前だと言われる始末。
そしてマクシムたちと相談して決めたのが秘書を雇うことだった。前から気になっていた領内の視察を頼むこともできるし、アルベルトの支えにもなる人物を今からアルベルトの側に置いておけば、万が一デルフィーノに何かあっても困ることはないだろう。
そう考えて王都の新聞社に募集記事を掲載してもらった。そしていくつもあった募集からリオナを選んだのだ。コユール伯爵家が金銭的に困っているという噂は聞いたことがなかったし、リオナの伯父はアクリオン公爵だ。友人には侯爵家の令嬢もおり、学院での成績も良かったと書かれていた。
好都合過ぎる申し込みに賭けたのはデルフィーノ自身だ。もちろん会って適正なしと判断したら即日帰ってもらうつもりで。
部屋に戻って来たダルムがお茶を淹れてくれる。
「その書類の山もこれからはリオナ様に手伝っていただけますので良かったです。片付けても片付けても減りませんでしたからね。
先代も奥様と分担されてましたし、ダンテオール様も加わってからはそんな書類の山になることはありませんでしたよ」
ダンテオールとは兄だ。義姉の名はフルラ。前団長の娘だった。幼馴染として育った二人は年頃になると自然と婚約し結婚に至った。仲睦まじい二人の間に生まれたアルベルトは皆に愛され、デルフィーノも可愛がっていた。生まれたばかりのアルベルトがデルフィーノの小指を握った瞬間、デルフィーノにとって守り続ける存在となったのだ。
そんな話をしているとダルムが戻ってきた。
「いやあ、思慮深い方ですね」
「何かあったのか?」
「部屋に案内しようとしたら、自分は使用人と同じで良いとおっしゃいました。普通なら喜びそうですがね」
貴族家の娘でありながら使用人と同じ建物に住むと言うとは確かに珍しい。仕事内容を聞いたのだから、豪奢な部屋を用意して欲しいと言っても良い程だ。
「それで?」
「はっきりとお伝えしました。アルベルト様の側にいて欲しいからであることや、夜お泣きになるアルベルト様にも対応して欲しいと」
「それを受け入れたか?」
「はい。それでも入浴は使用人ですると言われましたが」
「そうか。やって行けそうか?」
「そうですね。大丈夫なんじゃないですか?色々と説明しましたが、諾々と聞いてらっしゃいましたし」
「質問はなかったのか?」
「これと言ってありません。まあ無いように説明もしましたからね。今はお一人で荷ほどきをされています。手伝いに侍女が欲しいとかも一切ありません。お茶を淹れて欲しいとも言われませんでした。何でも言って欲しいと言ったんですがね。良い方が来られたんじゃないですか?」
侍女を欲しがるのは貴族家の娘としては当然のはずなのだがそれもないとは。言われれば用意するつもりでいた。今アルベルトに付いている侍女を一人リオナの担当にし、一人新しく雇えば良いと思っていたのだ。
「伯爵家の娘だぞ?身支度とかを手伝う侍女が必要だとかないのか?」
「だからありませんて。ご自分でされるんじゃないですか?一切そう言った話はありませんでしたよ」
「わざわざ一人でできるよう練習をしてきたということか・・・」
「どうですかね?ちょっと違う気がします。なんて言うんですかね。この状況を当たり前と思っているような気がしました。おかしいと違和感を感じていないとでも言いますか」
「そういった生活をしてきたということか?」
「そんな感じがしました。コユール伯爵家って貧しくはないんですがね。少し調べましたが領地経営もそれなりに上手くやっているようですし、他にも小さいですが商会も経営していますからね」
「そうだったな。それにしては、」
「細かったですね」
デルフィーノが言う前にマクシムが言う。不健康とまでは言わないが、少し痩せすぎの様に感じたのは事実だ。アルベルトの侍女より断然細い。
「体質もあるのかもしれませんから一概には言えませんが」
付け加えたダルムも同じことを感じたのだろう。
「ですが力はありますよ。貴族家の令嬢が一人でトランク二個を持つなんて普通ありませんよ。てっきり伯爵家の馬車で来るだろうと思っていたのですが、門番から聞いた話ではグランバール領の貸し馬車で来られたらしいですし。あれは乗り継いできたんじゃないですか?」
「王都からか?」
「ええ。私もそう思いました。伯爵家の馬車を使っているのならそのまま城まで来れたはずです。わざわざ領内で馬車に乗り換える必要はありません。しかも付き人もおりませんでした。
これからここで働くとしても、ここに来るまでの世話をする付き人くらいいても良さそうですが、そんな感じは一切ありませんでした。それに、私たちが動く前に御者が下ろしたトランクをご自分で持たれましたし」
「あれは常にやっていた感じがありましたよね」
部屋に沈黙が落ちる。マクシムもダルムも思うことがあるのだろう。
「そうか。しばらく様子を見よう」
やってきた女性は不思議な人だった。アルベルトの良き理解者になってくれれば良いのだが。
デルフィーノは窓の外を見た。もうすぐ秋がやってくる。この季節はアルベルトの好きなアップルパイを一緒に作るのが恒例行事となっている。
彼女も一緒にやってくれれば良いのだが。そんな考えが頭を過り、デルフィーノは頭を振った。