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辺境伯との出会い

 城門前で馬車を降りるとリオナは御者が下ろしてくれたトランクを両手に門番に声をかけた。

「コユール伯爵家長女リオナです。グランバール辺境伯様と面談の約束があるのですが通していただけますか?」

 鎖帷子を着た門番に先程と同じグランバール辺境伯の封蝋が押された封筒を見せる。

「コユール伯爵家のリオナ様ですね。確かに確認しました。ようこそ、グランバール城へ。今使いの者をやりますので、しばらくお待ちください」

 リオナは門番が用意してくれた椅子に腰かけた。城門の詰め所には5人おり、交代で門番をしているようだ。リオナに水を出してくれた門番がリオナに話しかけて来た。

「王都からようこそ。城内は男ばかりなのでむさ苦しいかもしれませんがどうか辛抱ください」

「女性はいないのですか?」

「おりますよ。侍女長と侍女2名に洗濯メイド2名の計5名です。洗濯メイドといっても我々の分は交代で自分たちでするので、彼女たちが担当しているのは辺境伯家の分です」

「たったそれだけの人数ですか?」

「ええ。事務仕事も兵士の担当ですし、その他の仕事は侍従がやりますから。と言っても侍従も3名しかおりませんが。ちなみに掃除は兵士が交代で行います」

 門から見ただけでも大きな城内なのに、その掃除を兵士がしていると聞いてリオナは驚いた。

「驚かれましたか?自分も掃除をしますよ。交代制でするので負担はありません。寧ろ鍛錬より楽ですから。人数もそれなりにいますしね」

「そうですよ。鍛錬より掃除の日の方がずっと楽です。それに警備も兼ねているんです」

「なるほど」

 リオナは頷いた。確かに城の敷地内のあちこちに掃除の為に兵士がいれば、わざわざ警備担当を常に配置する必要はない。しかも、兵士が掃除をするなら掃除担当のメイドを雇う必要もないから経費が浮く。その分を通常時の兵士の給金に充てれば良い。よく考えられていると感心した。

「庭の手入れも兵士がするんですよ。そっちは担当が固定していますけどね。やはりそういったのが得意な人間とそうでない人間がいますから。植物との相性があるらしいですよ」

「そうなんですね」

 植物の世話をするのは案外難しい。ただ手入れをするのではなく、美的感覚も必要になるからだ。それに繊細に扱わなければならない植物もある。合う合わない、器用不器用がわかりやすいのだろう。

 それにしても、城まで距離がある。門を通してもらって歩こうと思っていたのだが、門番が馬車を呼んでくれたとのことでリオナはそれを待っていた。

 門をくぐった直ぐ両脇は庭になっているが、その向こうには鍛錬施設が並んでいる。聞いたところによると、弓、剣、槍、体術、それぞれ鍛錬場が違うらしい。武具の保管庫もあり、また広い馬場もあるそうだ。

 リオナの目には見えないが、その向こうがまた庭園らしい。そしてその奥が城で、両脇に兵舎がある。グランバール辺境伯の家族や侍女と執事などの使用人が住む場所は城の裏とのこと。侍従は兵舎を利用しているらしい。

 驚いたのが、城の裏には果樹園や畑もあるそうだ。そちらの手入れも兵士が行っていて、いざという時に立てこもる為の食料になるらしい。

 確かに敷地が広いようだ。軽々しく散歩に出れば迷子になりかねない。

 そんな話をしているうちに馬車が到着した。門番が荷台に荷物を乗せてくれる。リオナは感謝を伝え馬車に乗り込んだ。


「ようこそ、グランバール城へ。初めまして。執事のマクシムでございます」

「初めまして。コユール伯爵家長女リオナです。よろしくお願いいたします」

 優しい笑みを浮かべたマクシムは年のころは50代といったところか。

「初めまして。執事補佐のダルムでございます」

「初めまして。よろしくお願いいたします」

 ダルムは20代だろう。マクシムの息子なのか目のあたりが似ている。

「マクシム様とダルム様は親子でらっしゃいますか?」

「ええ、まだ未熟者の息子でございます。それより私どもに敬称は必要ございませんよ」

「そのような訳には。私も使用人の一人になるのですし」

「いいえ。お立場が私たちは少し違いますのでご理解ください」

 そう言われるとリオナは引くしかない。

「わかりました。マクシムさん、ダルムさん、よろしくお願いいたします」

 二人が困ったような顔をしている。しかしこれがリオナの妥協点だ。それを察したのかそのままにしてくれるようだ。

「ではデルフィーノ様の執務室にご案内いたします」

 マクシムの言葉でダルムがリオナから荷物を受け取り前を歩き始める。

「荷物はお使いになられる部屋に運んでおきますね」

「ありがとうございます」

「先に送られた荷物も既に運んでありますので後程ご確認ください」

 ダルムがお辞儀をしてマクシムと別の通路を進んで行った。

「ご令嬢。お疲れでしょう。デルフィーノ様にご挨拶されましたら、本日はお休みください」

「リオナで構いませんよ。これからはこちらで働くのですから」

 マクシムが一瞬驚いた顔をした。

「おかしなことを言いましたか?」

「いえ。ではリオナ様とお呼び致します」

「わかりました。それでお願い致します。城内で働いている皆さんも私に気を使わなくて構わないとお伝えください」

「かしこまりました。皆にそのように伝えます」

 背筋の伸びたマクシムの後ろを歩いていると自然とリオナの背筋も伸びてくる。階段を上がり、3階についたところで廊下を歩き始めた。この階が辺境伯の執務室など重要業務を行う部屋が並んでいるのだろう。

 兵士が掃除をしていると言っていたが、どこも埃一つなく綺麗だ。両開きの扉の前に止まるとマクシムがノックをした。

「デルフィーノ様。コユール伯爵家のリオナ様をお連れしました」

 中から入室を許可する声が聞こえる。マクシムが扉を開けてくれたのでリオナは部屋に入ると執務室に座る辺境伯に礼の姿勢をとった。

「コユール伯爵家長女リオナでございます。まだまだ未熟な点はございますが、懸命に務めさせていただきます」

「ご令嬢。顔をあげなさい」

 リオナはそっと体を戻すと辺境伯を見た。窓から射しこむ光に輝く銀色の髪、静けさを湛えた紫色の目。精悍な顔立ちの辺境伯の声は、低めで感情が読み取れない。

「ご令嬢にやって欲しいことを簡単に説明をする」

「辺境伯様。その前に私は伯爵家の娘としてではなく働きに来たのでリオナとお呼びください」

「わかった。リオナ嬢でよいか?」

「辺境伯様はマクシムさんのことを何とお呼びでらっしゃいますか?」

「マクシム、だな」

「では私もリオナでかまいません。同じとは言いませんが、立場的には使用人だと思っておりますので」

 一瞬不思議なものを見るようにリオナを見た辺境伯がマクシムを見たのがわかった。

「わかった。ではリオナも私の事を名前で呼ぶように」

「かしこまりました。デルフィーノ様」

 マクシムと同じように呼ぶとデルフィーノが頷いてくれた。きっと城内では皆こうなのだろう。

「まずはリオナは私の家族については知っているか?」

 いきなりの質問にリオナは一瞬ためらった。それでも言わなければならないだろう。

「はい。ご両親とお兄様、お兄様の奥様を2年前に事故で亡くされて、幼い甥御様とお二人で生活をされていると聞いております」

「そうだ。リオナもここに来る途中に山を通っただろ?王都に向かっていた4人はあの山の急な天気の悪化で雷が近くの木に落ちて、それに驚いた馬が暴れて馬車もろとも崖下に落ちた。

 助かったのは、途中の木に引っかかった御者と、騎馬で護衛をしていた団員のみ。城で留守番をしていた私はその知らせを聞いて駆け付けたが、遺体を引き上げるのにも時間がかかり、甥のアルベルトは当時3歳でそのことをちゃんと理解できなかった」

「お辛いことだと思います」

「私は尊敬していた兄の足元にも及ばない。まだ辺境伯として勉強中だ。しかし、アルベルトが成長するまでの間に領内を廃らせるわけにはいかないからグランバール領を守っていくと決めている。これは理解して欲しい」

 そのことは知っている。両親たちの死後、デルフィーノの元にたくさんの縁談が持ち込まれたが、全て断ったそうだ。それでも何度も持ち込まれる縁談話にとうとう結婚しない宣言をしたのだ。アルベルトに爵位を継がせるからと。そうなると我が子が爵位を継げないのならとピタリと縁談を持ち込む家がなくなったというのは有名な話だ。

 辺境伯の地位は高い。その夫人の座を狙う家はたくさんあっただろう。しかしアルベルトを後継にというなら話は違って来るのだ。

「はい。かしこまりました」

「君のご家族は?」

「母は私が8歳の時に他界しました。その後は、父と義母と妹で暮らしておりました」

「確かにそのように書かれていたな。君は長女だろ?何故後継者にならなかった?」

「確かに長女ですが、義母の実子である妹が継ぐことになっておりますので」

「それでも他家に嫁入りするという判断があったのではないか?君の母君のご実家はアクリオン公爵家と聞いている。あちこちから話が来たのではないか?」

 父から先に色々と話が通っているのだろう。これは齟齬がないか確認されているとリオナは感じた。

「私は以前から王宮勤めなどをして、一人で生計を立てて行こうと思っておりましたので、今回のお話は大変ありがたいことでした」

 父のことだから、リオナ自身が望んでいることにしているだろうと判断して答えた。

「なるほど。珍しいな」

「そうかもしれません。けれど、働きたい気持ちは変わりませんので、よろしくお願いいたします」

 しばらく室内に静寂が流れた。

「わかった。では仕事の話をしよう」

「はい」

「まずして欲しいことは、アルベルトの相手だ」

「アルベルト様ですか?」

「そうだ。マクシムの妻でもある侍女長たちが付いているが、勉強以外のことを教えたり、遊び相手になってやって欲しい。

 侍女では貴族間での振る舞いや考え方などが教えられない。王都にタウンハウスが一応あるんだが、私が長期間領地を離れるわけに行かないのもあって連れて行ったことはない。

 だから同年代の貴族の友人もいない。これではいざという時に困るだろ?そろそろ隣接する領地の領主家の子どもたちと顔合わせもさせたい。だから貴族の令嬢でそういったことを教えることができる人物を探していた。

 中々難しいだろうと思っていたが、君の父上が是非にと連絡をくれたんだが、そう言った事情だったんだな。

 他にも応募はあったんだが、君のご友人の中には公爵家の令嬢などがいると聞いている。高位貴族の振る舞い方を教えてやって欲しい」

 確かにそうだ。使用人との付き合い方と貴族との付き合い方は全く違う。高位貴族との関係があればあるほど適任だと判断されリオナが選ばれたのか。

「かしこまりました」

「遊び相手もして欲しい。アルベルトには愛情を持って接しているつもりだが、私では中々難しいこともある。侍女たちは甘やかしてしまうことが多くなってしまっているのもある。時折厳しく接する相手も必要だと判断した」

 デルフィーノはまだ24歳だったはず。急に辺境伯を継いだだけではなく、子育ての経験もないのに父親代わりになったのだから大変なこともあるのだろう。リオナにしても子育ての経験はないが、養護施設で子どもたちとはよく遊んでいた。やれることはやってみたい。

「はい。かしこまりました」

「それから、私の秘書業務だな」

「具体的にはどのようなことを?」

「私が仕事で忙しい為に領内の視察に中々行けていないのが現状だ。私が行けない場所には君に視察に行ってもらいたい。私の秘書という肩書があれば名代を務めることができる」

 確かにそうかもしれない。リオナも父の代わりに領地の視察に行っていた。領主一家の視察がある方が領民は喜ぶ。しかしデルフィーノには代役を務める人間がいないから秘書としてリオナが行くことで、領主が気にかけてくれていると領民に感じてもらいたいということだろう。

「かしこまりました」

「他にも適度に書類の整理や作成もあるが、秘書として私に同行もしてもらいたい」

「同行ですか?」

「そうだ。たまに私自身が視察に行くのだが、その際に同行し、領民の意見を一緒に聞いてもらいたい。私はいずれアルベルトに爵位を譲る。その時に領内の事を理解し、アルベルトに助言できる人間が必要だと判断した。そういったことも頼みたい」

 それは何とも大変な任務だ。次期辺境伯に助言できる立場とはかなり難易度が高い。今の知識では圧倒的に足りないだろう。

 そんなリオナの不安を感じとったのかデルフィーノが一枚書類を出した。

「難しいことだとは思う。この領地について、立場について、任務について、これから勉強してもらうことがたくさんあるだろう。次期グランバール領の領主を育てるということだから。

 もちろん専門知識は専門家に任せるが、アルベルトに必要なのは側で支える人間だと考えている。頼めるだろうか?」

 デルフィーノが真っ直ぐリオナを見つめて来る。リオナが受けなければ別の誰かがこの仕事をすることになる。咄嗟にリオナはそれは嫌だと強く思った。何故かはわからない。しかし、自分がやるべきことだと感じたのだ。

 それにアルベルトに爵位を譲った後デルフィーノはどうするのかも気になった。今の話では、アルベルトが成人すれば即継がせるつもりだということになる。それについても知りたい。

「かしこまりました。お任せくださいとはまだ言えませんが、仕事をしながら勉強に励みます」

「そうか。ではこちらの書面に署名をしてもらいたい」

 ペンを取り署名をしようとした手が止まる。

「このような書面に署名はできません」

「何故だ?どこに不満がある?」

「金額が多過ぎます。住む場所を与えてもらい食事も出していただけるのに、この金額は明らかに多いと思います。一年分ならわかりますが」

 書面には、使用人に払うには多過ぎる金額が提示されていた。執事でさえこんな金額をもらうことはないだろう。

「だが、任せる仕事の重要性を考えればそれくらになるだろう」

「それは私の仕事を見てからお決めになってください」

 一歩も引く気はないとリオナは首を振った。

「ならいくらなら納得する?」

 そう言われても秘書の相場はわからない。だが、多過ぎるのは間違いない。

「10分の1で」

「それでは少ないだろう」

「王宮女官の平均給金がそのぐらいです。それから始めてください。まずは私の仕事をしているのをご覧になってください。私も初めて仕事をしますので、できるだけご期待に沿えるよう努めますが、この金額では恐れ多いです。私はまだグランバール領についての見識も足りませんし」

 デルフィーノが腕を組み考えるように目を閉じた。

「わかった。リオナの意見を尊重しよう。金額は追々考える。書面を作りなおすから待つように」

 リオナは黙ってペンを走らせるデルフィーノを見た。大きすぎる期待は逆に辛い。少しずつ評価して欲しい。しばらく待つとデルフィーノがペンを置いた。

「これで良いか?」

 リオナは確認すると頷き署名した。

「本日からよろしくお願いいたします」

 お辞儀をするとクスリと笑い声が聞こえた。何かおかしかっただろうかとマクシムの方を見る。

「何でもございません。良い方が来られたと思っただけです」

「気にするな。欲がない君に驚いただけだろう。それから、今日はもう部屋で休むように。夕食は部屋に準備させるからそれまで荷解きをすると良い。仕事は明日の朝からにしよう」

「かしこまりました。では失礼致します」

 リオナはお辞儀をするとデルフィーノの執務室を後にした。部屋の外に出るとダルムが待っていた。

「リオナ様。お部屋にご案内いたします。移動しながら城の簡単な説明をさせていただきます」

「よろしくお願いいたします」

 リオナはダルムの後に続いた。

「リオナ様の執務室の中は明日ご案内しますがこちらです」

 歩き出して直ぐにダルムが足を止めた。そこはデルフィーノの執務室の隣だ。ダルムを見るとにこりと笑っている。予想よりかなり良い待遇のようだ。ダルムが歩き出したのにリオナも歩き始めた。

「この階の他の部屋は現在使われておりません。4階には図書室を中心に見張り所がありまして、そこから国境を監視します。2階は事務作業をする部屋が部署ごとに並んでいます。グランバール領の会議室も2階です。そこでは軍会議も行われますよ」

 1階まで降りて来るとダルムが奥へと向かう。

「兵士や侍従の居住区域は城の両側です。1階は客人を迎える場所です。客室もありますし、簡単な晩餐会なら行えます。それでですね、実はグランバール城内には湯が湧く場所があります」

「そうなんですか?温泉があるとは聞いていません」

「湧くのは城内だけなんです。温泉があるとなれば観光地化できるのですが、地理的に大勢が来るのは避けたいというのが歴代辺境伯のお考えです」

「そうなんですね。いざという時に大勢観光客がいれば守り切れないということですね。収益よりも守護を選ばれているのが素晴らしいです」

「そう言っていただけると嬉しいです。兵舎には広い浴場があるんですよ。怪我が治りやすい泉質なのでちょうど良いですね」

 そう言ってダルムが笑った。

「打ってつけの場所というわけですね」

「はい。あ、こちらです」

 ダルムが城を出たところで左の方へと進んだ。左は右より建物が立派だ。

「あ、あの、右ではないのですか?」

「はい。リオナ様にはアルベルト様のお部屋の近くにお部屋をご用意しております」

 リオナは目を見開いた。それでは辺境伯家と同じ建物になってしまう。

「困ります。私は仕事をしに来ているのですから、ダルムさんたちと同じ居住にしていただかないと」

「それはできません。父からも言われておりますし。リオナ様はアルベルト様のお側にいていただかないと。先にお伝えせずに申し訳ございませんが、アルベルト様は時折一人で眠れず泣くことがあるので、そう言った対応もしていただきたいのです」

 それはもはや秘書ではなくアルベルトの母親代わりではと思いながらも、確かにアルベルトをこれから支えていくにはそこから始めないとならないとも思った。信頼関係を築かなければ次期辺境伯の支えにはなれない。

「心配されるのはわかります。ですが、アルベルト様と良好な関係を築いていただきたいのです」

 ダルムが困った顔をしている。それだけ切実なものがあるのかもしれない。

「わかりました」

「ご理解いただけて感謝いたします。事前の情報に入れておらず申し訳ございません。

 次期辺境伯のアルベルト様の補佐であり、尚且つデルフィーノ様と同じ建物に住むということを事前情報に出してしまうと、よからぬ考えの人間が応募してくる可能性がありましたので、敢えてデルフィーノ様の仕事を手伝う秘書ということしか出しておりませんでした」

 それはそうだろう。デルフィーノが結婚をしないと公表していても、実際この状況を先に知れば賭けてみようという貴族家が出て来るのは間違いない。仕事をしようというつもりがない人たちの申し込みが増えることになる。

 リオナが察したのを理解したのかダルムが笑顔を浮かべた。

「リオナ様のようにあの条件のみで受けるご令嬢は多くはなかったんですよ。それにいたとしても下位貴族だったこともあって、リオナ様しか最終候補に残りませんでした」

「そうなんですね。では皆さんのご期待に応えられるよう頑張らないといけませんね」

 邸内に入り階段を上るとダルムが扉の前で止まった。

「こちらをお使いください」

 扉が開かれ、中を見たリオナは驚いた。リオナが使っていた部屋よりも圧倒的に広いのだ。まずリビングがあり、奥に見える扉が寝室に繋がっていることがわかる。ダルムを見ると笑顔のままだ。

 否が応でも期待されているのがわかる。黙々と働くつもりでいたが目に見えて厚遇過ぎる事実にリオナは戸惑った。身に余るものは毒にもなる。気を引き締めていかなければならない。

 大理石であろう床は美しく磨かれまるで鏡のようだ。

「リオナ様の部屋の掃除は今洗濯専門で行っているメイドが担当することになっておりますのでご安心ください。無骨な兵士にさせるわけにはいきませんからね」

「ご配慮ありがとうございます。ただ、素晴らしい部屋なので驚き過ぎまして」

「この部屋は、デルフィーノ様の大叔母様が使われていた部屋で、長い間使われておりませんでした。今回リオナ様が来られるのが決まって直ぐに大掃除したんです」

 温かい色の木目の家具は古さを感じさせない。使われていなかったとしても常に掃除がされていたのだろう。

「それでですね、ご入浴なのですが、部屋には浴室がございません。こちらの邸にも広い浴場があるのですがどうされますか?」

 なるほど。温泉が湧くから部屋に湯を運ぶより浴場を使った方が良いのだろう。だがいくらなんでも辺境伯家の使う浴場を使うのには躊躇いがある。

「ダルムさんたちがお住まいの建物の方にもあるんですか?」

「はい。どちらかと言えばそちらの方が広いです。女性用と男性用に分かれてもおりますし」

「ではそちらを使います」

「でも、こちらには浴場から出た所にも浴槽があるんです。風に吹かれながらゆっくり入る湯も良いと思いますよ」

 それは興味深い。リオナは温泉に入ったことはない。だが以前シルフィアから行った時の話を聞いたことがある。自然を感じながら入る湯は頭が冷える為長い時間入ることができ、芯から疲れが取れる様だったと言っていた。しかしいくら魅力的な話でも断らざるを得ない。線引きは大切なのだから。

「いいえ、そちらを使います」

「そうですか。お気に召すかと思ったのですが残念です」

 本当に残念そうなダルムにリオナは苦笑した。

「入浴は時間が決まっていますか?」

「はい。湯がはられるのは3時からで、翌朝湯を抜いて掃除をしますので、深夜でも入れますよ。体を洗うだけでしたら掃除の時間を除けば何時でも大丈夫です」

「わかりました。これからよろしくお願いいたします」

「いえいえ、こちらこそよろしくお願いいたします。何か御用がありましたらおっしゃってください。私と父は1階の執務室におりますので。では失礼します」

 ダルムが去った後リオナは部屋を見て回った。やはり奥の部屋は寝室だった。リビングとは違い落ち着いた濃紺で整えられた部屋には窓からの光が射しこんでいる。天蓋付きのベッドは清潔に整えられ、サイドテーブルにはランプが置かれている。花の模様が透かし彫りされており夜になれば美しいだろう。

 リビングに戻り別の扉を開けると洗面室だった。化粧品などはここに置けそうだ。更に別の扉を開けると広いクローゼットルームで、そこにはリオナが先に送った荷物が入った箱が置かれていた。今からこれを開封しなければならない。

 リオナは箱を開けて少しずつ片付けて行く。一番大切な母の裁縫箱は手前の棚の上に置いた。もうこれをいつでも見ることができる。横にリオナの裁縫箱も並べる。母の隣に並んだようで嬉しさが込み上げしばらく見つめ続けた。

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