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旅立ちの日

 ふと目が覚めたリオナは起き上がると分厚いカーテンを開けた。

「とうとうこの日が来たのね」

 リオナが振り返り時計を見ると起きる予定の30分前だった。既に外は朝日が昇り始めている。

 今日、いよいよグランバール領へと向かう。荷物は詰め終わった。トランク1個分。後は手持ちの鞄だけ。

 ベッドシーツや枕カバーを剥ぎ床に置く。洗面台に行くと、昨日のうちに用意しておいた水で洗顔をした。普段は簡単に着替えて水を取りに行くのだが、今日は朝早い為昨夜のうちに準備しておいたのだ。

 伯爵家の娘が自分だけで身支度を整えるなど本来ない。普通はメイドに水を持ってきてもらうものだが、この邸でリオナが自由にメイドを使えるわけがないので、いつもリオナは自分で水を汲みに行っていた。

 さすがにお風呂に入る為の湯は、リオナが運んでいるとメイドたちが自主的に手伝ってくれる。それも義母が見ていなければだが。家令がリオナを尊重してくれているの見ているからなので感謝している。

 鏡を見ながら簡単に化粧をしていく。肩より長い金色の髪は梳かすだけ。その櫛と化粧品、脱いだ夜着をトランクに入れ、一枚だけ出しておいたワンピースを着て古びた靴を履けば準備完了だ。

 結局宝飾品は髪留め一つさえ残らなかった。一つくらいは隠し金庫に入れようかと思ったが、出立する時に見つかれば結局取られてしまうだろうと止めたのだ。

 荷物を詰めたトランクには何度も開けられた形跡もあった。リオナがこの部屋を出れば、隠し金庫の場所を知る人間がいなくなる。殺風景な部屋を見回すと祖父を思い出した。

 リオナがこの部屋に来た時とほぼ変わらない部屋に戻した。祖父が大切にしていたものはグランバール領に送ってある為より質素かもしれない。重厚な家具が逆に浮いて見えるほどに。

 ノックの音が聞こえたので応えると家令だった。

「お嬢様。馬車が来ております」

 家令はローラに対してはローラお嬢様なのに対してリオナのことはお嬢様と呼ぶ。これは幼い頃からの名残だ。この家の娘はリオナだけだったのだから。

「ありがとう。準備はできているからもう行くわ」

 リオナのトランクを家令が持ってくれる。馬車止に向かうと貸し馬車が扉を開けて待っていてくれた。義母が邸の馬車を貸してくれるはずもなく、リオナが家令に頼んで貸し馬車の予約をしてもらった。一日を終える度に馬車を乗り換えていく。護衛もなければもちろん付き人もいない。

 万が一道中襲われても助けてくれる人もいない。しかし伯父たちには伯爵家の馬車で行くと言ってある。さすがにグランバール領まで送って欲しいとは申し訳なくて言えなかったからだ。それに、言えば快く貸してくれただろうが、独り立ちを目指すのだからと頭を切り替えたのだ。

 グランバール領まではゆっくり向かえば2日。急げは1日で着くことも可能だが、それには良い馬車を使う必要がある。グランバール領に着く日を計算すると、しなければならないことを考えた結果今日の出立が最良と判断した。

「じゃあ行くわね。皆元気でね」

「お嬢様。お体をお大事に。私たちはお嬢様のお戻りをお待ちしております」

「ごめんね。それはできないわ。もう戻らないと思って欲しい」

「わかっております。それでも、私たちはお嬢様のお戻りを待ちたいのです」

「困ったわね。でもそれを口に出したらダメよ。さあ、行くわ。みんな見送りありがとう」

 リオナは御者に行先を告げて馬車に乗り込んだ。見送りに来ていたのは家令と数名の使用人。リオナが幼い頃から伯爵家で働いている人たちだ。あれから少し年を重ねた使用人たちに手を振る。門をくぐり道に出た馬車の背に寄り掛かる。

 ふと馬車についている棚を見つけ開けると、果実水とオレンジのマフィンが入っていた。それにリオナは涙を浮かべた。

 オレンジのマフィンはリオナが子どもの頃好きだった菓子で、料理長に教えてもらいながら母と一緒に作った菓子でもある。手紙が入っていて、自宅で作った物だから心配しないで欲しいと書かれていた。邸で作れば義母が雇った使用人に見つかった場合処罰されるからだろう。

 義母たちが来て間もない頃、リオナが碌な食べ物を食べられていない日を気にした料理長が作ってくれたことがある。生で食べられる野菜をこっそり食べているリオナを心配したのだ。

 しかしそれを別の使用人が義母に報告したのだ。料理長を解雇しようとした義母だったが、リオナが泣きながら無理矢理作らせたのだから解雇しないで欲しいと頼んだことで、初めてリオナが泣いているのを見た義母は溜飲が下がったのか解雇されずに済んだ。リオナの弱点だと思ったのかもしれない。

 そしてリオナは料理長にもう絶対に作らないように頼んだのだ。料理長の作る料理が好きだったリオナにとって、まともな食事ができる日だけがこの邸で暮らす楽しみだったのだから。

 リオナはマフィンを口にすると懐かしい味により涙が零れた。父も義母もローラも見送りにさえ出てこなかった。もちろんリオナが早朝に出ることを伝え見送りはいらないといったのもあるが、本当に父さえ見送りに出てこなかったのには失望を通り越して情けなくなった。

 昨日のうちに辺境伯に渡す書類はもらってある。だが、リオナだって父の娘なのだ。自分が決めた場所へ向かう娘に一言も別れの挨拶がないとは。二度と会えないかもしれないのに。だがそのおかげで家令たちに見送ってもらえたと思えばそれで良い。リオナに父はいない。そう心に決める。

 爽やかなオレンジの香りは、馴染みのある窓からの景色と共にリオナの記憶に焼き付いた。

 


「お母様。しばらくここに来れないんだけど、これからは絵姿があるからそれを見てお母様に話しかけるわ。心配しないでね。多分、私はちゃんとやれるから」

 邸を出てから一番にリオナは母の墓に来ていた。馬車の荷台に積んであったリグランの花を手向ける。

「多分じゃ心配?でも、わからないことばかりだから多分としか言えないの。でも次に来る時はもっと良い報告ができるようにするわ。

 ちゃんとやれているわよって。そうしたら私の決断を喜んでくれる?」

 もちろん返って来る言葉はないが、それでも母が頷いてくれたように感じてリオナは笑みを浮かべた。目を閉じると、朝の風が頬を撫でリグランの香りを運んでくれる。

 グランバール辺境伯の邸ではリオナの部屋があるだろう。さすがに他の使用人と相部屋ということはないと思っている。使用人に変わりはないが、秘書という肩書なのだから。

 その部屋に棚があれば母の絵姿を飾ろう。そして祖父の花瓶にリグランの花を活けて飾ろう。いつでも母や祖父のことを思い出せるように。


「リオナ。約束のフィナンシェよ」

 ルリバーラが渡してくれた籠の中からは焼き立ての菓子の良い香りがしている。

「ありがとう。ごめんね。まだ朝早いのに」

「良いのよ」

 ルリバーラがリオナの手を握ってくれる。

「元気でね。それから無理はしないでよ。酷いことを言われたり、後は理不尽なことをされたらさっさと戻って来るのよ。約束してね」

「ええ。でもできるだけやってみる。それに理不尽なことなんて要求されないわよ。辺境伯様に悪い噂なんてないし」

「わからないじゃない。滅多に王都に来ないんだもの。顔も覚えてないくらいよ。だから、もしかしたら、怒鳴るとか、暴力を振るうとかあるかもしれないでしょ?」

「大丈夫。ルリバーラは心配し過ぎよ」

「そんなことないわ。豹変する人っているじゃない。それにお酒を飲んだら性格が変わる人もいるって言うでしょ?泣くとかなら放っておけばいいけど、暴力的になる人もいるって聞いたわ。だから、気をつけるに越したことはないのよ。

 リオナは黙っていそうで心配だわ。何かあれば反撃も必要よ。もうリオナを縛り付けるものはないんだから」

 リオナはルリバーラが言わんとしていることがわかった。ルリバーラはリオナを優しいと言うが、リオナにしてみればルリバーラが優しいのだ。自分はちっとも優しくなんてない。逃げて見ないようにしていたことがたくさんある。そしていつも誰かが守ってくれるのに甘えていた。

 あの家に囚われていたリオナは今日から自由だ。いや、自ら囚われていたが、自らそこから抜け出すことにしたのだ。これからはコユール伯爵家の名を名乗ることも減るだろう。

「ルリバーラ、ありがとう。大好きよ。次に会えるのを楽しみにしてる」

「やだもう、何でそんなこと言うのよ。泣かないようにしようと思ってたのに」

 ルリバーラの目には涙が浮かんでいる。

「私頑張ってみるから」

「手紙を書きなさいよ」

「もちろん。また一緒にお茶会をしようね」

「そうね。もう二度と会えないわけじゃないんだもの。よし。リオナ、いってらっしゃい!」

 笑顔を作ったルリバーラが両手で肩を叩いてくれる。

「じゃあ行って来る。またね」

 リオナはルリバーラに別れを告げると馬車に乗り込んだ。

 

 一路グランバール領へと馬車は向かう。グランバール領の手前で1泊して翌日昼頃にはグランバール領に入ることができるだろう。

 それまでに行くところは満載だ。

 リオナは今度はフィナンシェを口にしながらもう直ぐの未来に思いを馳せた。

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