初めての視察②
ココルの町に着いたのは予定より少し遅れて七時半だった。宿泊所に入ると温かい笑顔の店主が迎えてくれる。
「ようこそ、お越しくださいました。視察は明日からと伺っております。今夜はゆっくりとお休みください」
丁寧なお辞儀をする店員に促されリオナは後に続いた。この後部屋で食事をすることになっている。
「アルベルト様はこちらのお部屋をお使いください」
大きな扉の前で止まった店主が扉を開ける。
「え!ぼく、リオナと一緒の部屋が良いな」
アルベルトの言葉に戸惑ったように店主がリオナを見てくる。リオナは膝を付きアルベルトに視線を合わせた。
「アルベルト様。後でこちらに参りますから、先に中でお休みください」
「わかった」
ポツリと呟きしょんぼりとした背中が扉の中に消えるのを見送るとリオナは自分の部屋に案内してもらい簡単に荷ほどきをすると急いでアルベルトの元に向かった。
「アルベルト様」
「リオナ!」
部屋の中に立ち尽くしていたアルベルトがリオナを見て駆け寄って来たのを受け止めると頭をリオナに押し付けて来た。その背中をポンポンと叩く
「長い移動でお疲れでしょう。食事が運ばれてくるまでソファに座りませんか?」
「うん」
リオナの袖口を握るアルベルトを促し腰かけると寄り掛かって来た。銀色の前髪がサラリと流れてリオナの腕にかかる。
「ねえ、リオナ。一緒に寝たらダメなの?」
「そうですね。いつも通りお眠りになるまでお側におりますよ」
「どうしてもダメ?」
「アルベルト様は視察で来られているのです。たくさん見て体験して学んで。邸に戻った時の成長した姿をデルフィーノ様が待ってますよ」
「視察に行ったらリオナと一緒に寝れるって思ってたんだ。だってデルがいないから怒られないって思って」
リオナに寄り掛かりパタパタと足動かすアルベルトはどうやら拗ねているようだ。アルベルトはデルフィーノとの約束を守り初日以来リオナの部屋で寝たことはない。夜中に起きることもなくなり顔色が以前よりよくなったと侍女長たちが喜んでいた。
けれどどこかに不安や怖さがまだ残っているのだろう。それを取り除くために一緒に寝ても良いのだが、それではアルベルトの成長が遅れてしまう。
「アルベルト様。良いですか?」
「なに?」
「アルベルト様はいずれこの地を治める領主、所謂辺境伯になられます」
「うん。わかってるよ」
「この宿泊所の方を信用していないわけではないのですが、視察に来られたアルベルト様が私にべたっりくっついて寝る時も一緒なお姿を見たら、立派な領主になられるか不安になって他の人たちに言って回るかもしれません」
「何て言うの?」
「次期辺境伯は甘えん坊でまだ一人で寝ることもできない。次期辺境伯として立派にやっていけるのか心配だ、などと言う人が出て来るかもしれませんね」
「ぼくまだ5歳だよ」
拗ねた口調のままボソリとアルベルトが言う。甘えたい盛りなのはわかるのだがデルフィーノの考えもわかっているのでリオナはそっとアルベルトの頭を撫でた。
「そうですね。まだアルベルト様5歳です。でも私は5歳の頃にはもう一人で寝ていましたよ」
「え!そうなの?みんなそうなの?」
「それはわかりません。でも私は一人で寝ていました。初めて一人で寝た時は大人に一歩近づいたなって思いましたよ」
「大人?」
「そうです。アルベルト様は領民の方々に将来を期待される存在です。安心してアルベルト様にこの地を任せられると思ってもらわなければなりません。
その為には5歳ながらも堂々と振舞うことです。それは傲慢なふるまいや我儘をいうこととは別ですよ。安心してアルベルト様が次代を担うであろうと思ってもらうのです」
「ふーん」
アルベルトが人差し指を顎に当てて考えだした。これはデルフィーノもよくする仕草だ。考え事をしている時の仕草で、デルフィーノの少し下げた顎から首の線が男性特有の艶を放っていると感じたことがある。
以前はそんなことを気にしたことはなかった。しかし友人たちと夜会や学園での休憩時間にそんな話をしたことが幾度となくある。
男性のどんなところに『ときめく』か。
友人たちが言っていたのだ。節のある長い指が好きだとか、いや手全体だとか、いやいや手首だとか、はたまた伏せた目元の影が良いとか、スッと整った鼻筋が好きだとか、下唇に色香を感じるだとか。
こっそり色々見ているものだなとリオナは二人の観察眼に驚きながらいつも聞いてた。それでも結局二人は最後に言うのだ。好きな人ができたらその人の手が目が唇が好きになるだろうと。
そしてそれぞれが思う人に出会い口々に話したのだ。あの大きな手で頬に触れられると心臓が煩くなると言ったのはシルフィアで、繋いだ時に感じた手の大きさを思い出すだけでもときめくらしい。
ルリバーラは目元を赤く染めた伏し目がちな目で「好きだ」と言って来るのが可愛くて堪らなくて「私も!」と抱きつきたくなる気持ちを必死に抑え、いつも優雅に笑みを浮かべるようにしているとかなんとか。
普通に好きだと返したらどうか?と言うと、それでは本当は自分の方がもっと大好きだと思っていることがバレてしまいそうでおもしろくないらしい。その気持ちは理解できなかったが、そう言ったルリバーラはとても可愛かったのを覚えている。
リオナはそういう風に意識して男性をみたことがなかった為、ただ二人の話を楽しく聞いているだけだったのだが、今はちょっと違う。
顎から首にかけて、リオナにはない首の小さな膨らみまで、好きかもしれない、と今なら二人に聞かれたら言うだろう。改めてじっと男性を間近で見たのはデルフィーノが初めてだ。伯父や従兄たちはもちろん知っているが彼らは男性というよりリオナを守ってくれる存在だったし、リオナには縁がないことと気にしたこともなかった。
ただ、ふと思ったのだ。じっと考えているデルフィーノの横顔を見ている時に。
リオナは首を振った。いけない。こんなんじゃこれから男性の首をちらちら見るようになってしまうかも。でも無防備に美しい首を見せているデルフィーノがいけないのだ、とルリバーラなら言いそうだ。そんなことを考えるとリオナは自然と笑みが浮かんだ。まだ一か月なのにもう友人が恋しいのかもしれない。
気持ちを切り替えようとアルベルトの肩をとんとんと叩く。アルベルトはまだ真剣に考えているようだ。デルフィーノがこんな時は、リオナは話しかけずそっとしておくのが既にいつもになっている。集中したデルフィーノに話しかけづらいのもあるが、自分も領地のことで真剣に考えている時はそっとしておいてほしいと思っていたからだ。
しかしそんな時は大抵義母たちによって邪魔されるのだが。何を察知しているのかはわからないが、リオナがより集中して考えている時に限ってやってくるのだ。義母たちの用件はどうでもいいことばかりで、リオナを邪魔しに来ているとしか思えなかった。義母は全くに領地経営についてやる気がなかったし、父も同じで、夫婦揃って怠惰に日々の暮らしを楽しんでいた。当然ローラもだ。父は口出ししたいところだけ口を出し残りはリオナに丸投げで、それでもリオナに任せていると思っているようには感じなかった。父は時々口出すことで経営をしていると思っている節があったのだ。
寂しさと苛立ちを感じたあの日々の事を思えば、デルフィーノにしてもアルベルトにしても、リオナは静かに待つだけだ。それでいい。
「わかった。一人で寝る。でも寝るまでいつもみたいに側にいてくれるよね?」
顔を上げたアルベルトの頭をそっと撫でる。
「もちろんですよ。でもできないことはできないとちゃんと言ってくださいね。無理のし過ぎはよくありません。それこそアルベルト様はまだ5歳なのですから」
「うん。ありがとうリオナ。ぼくね、思ったんだ。領民のみんなにぼくとかデルとか、あとリオナのことをちゃんと知ってもらうためには、ぼくがきちんと挨拶したり、お話したりしないといけないなって。
だってデルとリオナがぼくをきょういくしているってみんな知っているでしょ?」
「そうですね、デルフィーノ様がですね。私は教育担当ではありませんよ。アルベルト様のお相手をさせていただいているだけです」
「ううん。デルとリオナなの。だから、二人のためにぼくは頑張らないと。みんなと仲良くなって、いっぱいお話して、安心できるなって思ってもらわないとね」
もう照れながら笑っているアルベルトはさすがというべきか。気持ちの切り替えが早いのはアルベルトの良いところだ。怒られても悲しいことがあっても引きずらず、きちんと自分の心の中で考えて答えを出して次を見据える。領民思いの良い領主になるだろう。
ただまだ両親を亡くしたことだけは心が付いて行っていない。ほとんど覚えていないながらも心のに潜んでいる何かに苦しんでいるのだ。
何とかしてあげたい、苦しみから解放してあげたいと強く思う。
リオナはアルベルトの成長をできるだけ長く側で見ていられるようにと願った。




