仕事開始①
朝目覚めると、アルベルトが半分ベッドから落ちそうになっていた。寝相はあまり良くないようだ。リオナはそっと内側に戻すとベッドから下りた。
すっかり朝の準備を整えて時計を見ると、まだ起きるには早い時間だった。しかし、温泉効果か疲れもなく体がいつもより軽く感じる。
今日のリオナの服は昨日買ったばかりの白のブラウスにベージュのスカート。髪はまとめて結び、小さな髪飾りを着ける。ブラウスは肌触りが良く着心地が良い。あの値段でこれはお買い得だなとリオナは改めて絹布の産地の力を知った。
窓から見える小さな庭園には青い小鳥がいて朝露を飲んでいるようだ。リオナは昨日の残りのハーブティーを飲むと母の絵姿を見た。流れるような金色の長い髪と茶色の目はリオナと同じ。リオナを産んで間もない頃に画かれた絵姿は今のリオナに少し似ている。母に笑いかけるとリオナは視線を逸らした。
いよいよ今日から仕事だ。不安と緊張はある。一体どんな仕事をするのだろうか?
余計なことを考えないようにと机に置いてあった本を開き文字を追っていくが、段々不安が勝ってしまって内容が頭に入らない。落ち着かない気持ちでただただしばしページをめくる。キリがないので深呼吸をしてから体を伸ばし腕を回すと少し落ち着いてきた。
澄み切った空はリオナを明るい気持ちにしてくれる。不安を感じてはダメ。きっと大丈夫。この場所にいられるようにしなくてはならない。デルフィーノに認めてもらう。誠実に仕事をすればきっと結果が付いて来る。リオナは自分に言い聞かせもう一度冷めたハーブティーをを飲んだ。
ノックが聞こえ応えるとミリアが入って来た。
「リオナ様。申し訳ございません。アルベルト様がこちらにいらっしゃるとのことで」
「気にしないでください。昨夜泣き声が聞こえたので廊下に出たらアルベルト様が泣いてらっしゃったのでお連れしただけです。私の方こそ勝手なことをしてしまって申し訳ございません」
「とんでもない。いつもは部屋で泣いてらっしゃるのです。それで定期的に私たちが様子を見に行ってるんですが、まさか廊下に出られるとは思いませんでした」
「デルフィーノ様からアルベルト様が夜お泣きになられるとは聞いておりましたし、そういったことにも対応して欲しいと言われておりましたから大丈夫ですよ。それより、毎日泣かれているんですか?」
「いえ毎日ではないんです。時々怖い夢を見られるようで、そう言った時に泣かれます」
「そうなんですね。真っ暗な場所で怖いものがいたとおっしゃってましたが」
「毎回そうおっしゃっています。どうにかして差し上げたいのですが、原因がわかりませんのでなんとも。色々試してみたのです。良く眠れる香とか、剣術の稽古時間を増やすとか。それでも時々そうやって泣かれるのです。泣きだしたら中々お眠りになることができず、翌日に影響がある時もありまして。
リオナ様は今日からお仕事ですのにご負担をおかけしてしまいました」
「そんなことありませんよ。それに昨夜は直ぐにお眠りになられましたし」
「え!それなら良かったのですが、いつもなら眠るのが怖いとおっしゃられて」
困惑した様子のミリアにリオナは笑いかけた。
「これからは私もアルベルト様のご様子を見ますから一緒に改善されるようにしていきましょう」
「ありがとうございます。リオナ様がお優しい方で本当に良かったです。正直どんな方が来られるのかわかりませんでしたから少し不安だったのです」
「それはそうだと思いますよ。面接を受けたわけでもありませんしね。少しずつ良好な関係を築けるよう努めますのでよろしくお願いします」
「いいえ、こちらこそよろしくお願いします」
ミリアが安心したように笑みを浮かべるのにリオナが訊ねた。
「そろそろアルベルト様を起こした方が良いですか?」
「はい。寝室に入ってもよろしいですか?」
「ええ構いませんよ」
リオナはミリアと一緒に寝室へ向かった。アルベルトはまだ気持ち良さそうに寝ていて片足が布団からはみ出ている。
「アルベルト様。起きてください。朝ですよ」
ミリアが声をかける。
「うーん・・・」
「アルベルト様。朝ですよ」
再度声をかけるとぱちりと目が開いた。
「ばあやおはよう」
目をこすりながらアルベルトが体を起こす。
「あ!リオナ!おはよう!」
「おはようございます。よくお眠りでしたね」
「うん!何だかよく眠れたよ!」
「それは良かったです。さあ、朝の支度をしましょう」
「うん!リオナ!朝食は一緒に食べるよね?」
「ええ。ご一緒しますよ」
「じゃあ後で!」
元気に立ち上がったアルベルトがミリアに手を引かれながらリオナに手を振る。それに手を振り返すとリオナはソファーに座った。そこへラーラがお茶を持って入って来た。
「おはようございます。リオナ様」
「おはようございます。すみません、お茶を淹れていただいて」
「いいえ。まだ朝食まで時間がありますから寛がれてください」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」
リオナはカップを手に持った。
「アルベルト様があんなに朝から元気なのを私は初めてみました」
「そうなんですか?」
「はい。夜に泣かれて充分な睡眠がとれない日が多いのです。適度に昼寝をすることで体調は持っているんですが、夜泣かない日でも眠りが浅いのか朝はぼやっとしてらっしゃいますね」
「お可哀想に。幼いのに。やはりご両親が亡くなられて不安があるのかもしれませんね」
「ええ。デルフィーノ様もそれを気にされていたんです。侍女長や私たちが交代で様子を見に行くんですけど、成長に害があっては遅いから何とかしたいと。
デルフィーノ様も時々見に行かれるんですが、お忙しいので私たちが先に見に行くことが多いんですよ」
「私が増えたことで皆さんのご負担が減ると良いのですが」
「とんでもない。昨日から既に助かっております!」
「そう言ってくれると嬉しいです。やりがいが出てきます」
二人で笑いあっているとエイミーが部屋にやってきた。
「リオナ様。お食事の準備ができました」
「ありがとうございます。今行きます」
リオナは立ち上がると部屋を後にした。
「リオナ!」
食堂に入ると既にアルベルトが座っていた。リオナは昨日と同じ席に座るとアルベルトを見た。やはり元気そうだ。そこへデルフィーノが入って来た。
「おはよう、デル!」
「おはようございます。デルフィーノ様」
「ああ、おはよう二人とも」
デルフィーノが座ると料理が運ばれて来た。そして精霊に恵みを感謝して食事が始まる。
パンとタマネギのスープ。サラダとスクランブルエッグとハム。それからニンジンとクリームチーズを和えたもの。今朝もニンジン料理が出て来たなとリオナはアルベルトを見た。するとアルベルトもこちらを見ていたのでリオナはフォークを手にした。
「アルベルト様。召し上がってみますか?」
「・・・うん」
アルベルトの口元にニンジンを持って行き口の中に入れる。アルベルトは目を閉じたまま黙って咀嚼をしている。
「いかがですか?」
「うん。たぶん大丈夫!自分で食べてみる!」
アルベルトがフォークを手にし自分で口の中に入れる。もぐもぐと食べている頬が可愛らしい。
「うん!美味しいかもしれない」
「かもしれない、ですか?」
「美味しい!で良い?」
見上げて来る目は仕方ないなと言った目だ。リオナはその目を見つめた。
「それは良かったです」
「ぼくだってちゃんとできるんだから」
そんなアルベルトに笑みを返えした。もうニンジンは大丈夫そうだ。これから少しずつ食べられるものを増やしていかなければならない。第一段階は無事終えたようなので、リオナは自分の料理に手を付けた。
クタクタになるまで煮込まれたタマネギのスープは甘味と塩味が程よいバランスで美味しい。分厚く切られたハムもサラダにかけられた酸味の効いたドレッシングもどれも美味しかった。
アルベルトも美味しそうに食べている。
「アルベルト様。デルフィーノ様のお食事の仕方を真似てみましょう」
「デルの真似をするの?」
「はい。全部ではなくても良いので、フォークの使い方とかを見ながら食べてみましょうね」
「うん。わかった。やってみる!」
デルフィーノを見ると目が合ったが何も言わないので同意と捉えることにした。アルベルトは何とか真似をしているが、時折こぼしてしまうのをリオナはフキンで拭きながら見守る。
「何だか難しいね」
「そうですね。まだ難しいとは思いますが、今の内から慣れておいた方が良いですよ」
「そうなの?ん~。じゃあ頑張る」
その後もアルベルトはデルフィーノを見ながら食事をし、何とか終える頃には少しは形になっていた。それでもまだ慣れない為に食べにくそうだ。
「いかがでしたか?」
「難しかったけど楽しかった。デルがいると嬉しいし、真似をするのもなんだかおもしろいよ」
「それは良かったです。少しずつデルフィーノ様みたいに食べられるようになりましょうね」
「うん!リオナが褒めてくれるなら頑張るよ!」
リオナはアルベルトの頭を撫でた。気持ち良さそうにしている顔が可愛らしい。
「アルベルト。昨夜はリオナの部屋で寝たそうだな」
そこへデルフィーノが話しかけきた。
「うん。怖くてね廊下に出たの。そしたらリオナが来てくれて一緒に寝てくれたの。リオナが一緒だと怖くないんだよ。ねえリオナ。今日も一緒に寝てくれる?」
「ダメだ」
リオナが答えるより先にデルフィーノが遮った。それにリオナが驚く。怒っているわけではなさそうだが、低く響く声は聞く者の体を止まらせる。
「何で?」
涙を浮かべたアルベルトがデルフィーノを見る。
「毎日一緒に寝ていてはリオナの疲れが取れない。それにもう5歳だ。一人で寝ることができるようにならなければならない」
「酷いよデル!ぼくリオナと一緒が良い!リオナと一緒だと怖くないのに!」
「ダメなものはダメだ。リオナが疲れて倒れても良いのか?」
「それは・・・。リオナが倒れるのは嫌だけど。リオナ、どうしよう?」
アルベルトがリオナを見て来る。リオナは一緒に寝ても良いのだが、デルフィーノにはデルフィーノの考え方があるのだろう。夜泣きするアルベルトの対応もするようにということだったが、それは一人で泣かずに朝まで眠れるようにして欲しいということなのかもしれない。
「アルベルト様。でしたら、アルベルト様がお眠りになるまで、私がお側にいましょう」
「うん・・・。本当は一緒に寝たいけどリオナが倒れたら嫌だから仕方ないよね」
「それは考えないようにしてください。ですから、もしまた夜中に目が覚めて怖くなったら私の部屋に来て良いんですよ。でも、できるだけお一人で眠ることができるようにやってみましょう」
「うん。わかった。ねえデル。リオナが良いって言ってるから、頑張ってダメならリオナのところに行っても良い?」
デルフィーノが難しい顔をしてリオナを見ている。目が合ったがリオナは黙ってデルフィーノの言葉を待った。
「仕方ないな。だが、初めからリオナのところには行くな。できるだけ一人で眠れるようにするんだぞ。約束できるか?」
「うん!ちゃんと一人で寝てみるよ!」
元気の良い返事にリオナは笑みを浮かべた。
「リオナ。迷惑をかけて申し訳ない」
「とんでもない。アルベルト様がよくお眠りになられることが重要なので私は大丈夫です」
「そうだよね!リオナの横で寝るとね、温かくて気持ち良いのになあ。デルは知らないからそんなことが言えるんだよ」
アルベルトの言葉にリオナとデルフィーノが固まる。互いに一瞬目が合い、さっと反らした。
「とにかく、ダメなものはダメだ。一人で寝るんだぞ」
「わかってるよ~。ぼくだってリオナが倒れるのは嫌だもん。ねえリオナ」
そんなアルベルトの頭を撫でると、嬉しそうに目を細めている。まだ幼いのだから急ぐ必要はない。その手伝いを少しずつしていこう。デルフィーノを見ると微妙な笑みを浮かべていた。そんな二人の姿は年の離れた兄弟の様で、見ていて羨ましくなった。
自分にも仲の良い兄妹がいたら何か違ったのかもしれない。そんなことを言い出したら切りがないのに、リオナはいない存在に焦がれた。
しばらくしてデルフィーノが仕事に向かい、リオナも部屋に戻るとお気に入りのペンを持って迎えに来たダルムの案内で城の執務室へと向かった。
このペンは、義妹に伯父からもらったペンを取られた後自分で買ったものだ。同じものは買えなかったので色々探して選んだのだ。
書いてみると伯父からもらった物よりは劣るがそこそこ書きやすい。何より気に入ったのがペンの色だ。持ち手が黒色の物が主流だが、このペンは鮮やかな水色なのだ。可愛いさも相まって購入し、隠し金庫に入れて保管していたのを鞄の中に潜ませ持ってきたのだ。
「リオナ様。こちらの部屋をお使いください。ただいまデルフィーノ様のご様子を確認してまいります」
リオナは案内された執務室に足を踏み入れた。白い床に温かみのある木製の家具。脇の本棚にはたくさんの本が詰まっている。リオナは執務机にペンを置くと本棚へと向かった。
見たことがない本がたくさんあって中々おもしろそうだ。休憩時間に少しずつ読んでみよう。一冊手に取ると、休憩用のソファーセットまで行くと腰かけた。
その本はマフィージ王国各領地の特産品について書かれている本だった。これを読めばマフィージ王国の産業がわかるようになっているのだろう。そこへダルムが戻って来た。
「リオナ様。デルフィーノ様の元にご案内します」
リオナは本を机に置くとダルムの後に続いた。隣の部屋へは数歩で着く。
「リオナ様をお連れしました」
ダルムが扉を開けリオナは中に入った。昨日と同じで執務机に向かって仕事をしていたようだ。リオナは礼の姿勢を取ると挨拶をした。
「改めまして、本日よりよろしくお願いいたします」
「そう固くならなくても良い」
デルフィーノの言葉でリオナは礼の姿勢を解く。
「リオナに頼みたいのは基本的に二つ。午前中は私の仕事の補佐。午後はアルベルトと一緒にに過ごすこと。仕事はこちらで選別して、徐々にリオナに任せられるもの増やしていきたいと思っている。視察に関してももちろん都合は聞くが、必要時に追ってまた伝える。場合によっては、現地で泊ってもらうことも出て来るが、危険や不安がないように準備をするから向かってほしい」
「はい。かしこまりました」
「それからアルベルトが昨夜は面倒をかけた。申し訳ない」
「いいえ、初めからそう言ったお話は聞いておりましたので」
「いや、廊下まで出るとは想定外だった。交代制でミリアたちに見に行ってもらっているから、リオナにはその中に入ってもらうつもりだったんだが、まさか一緒に寝なくてはならないとは思っていなかった」
「本当に大丈夫ですよ。ですが、今朝デルフィーノ様がおっしゃっていたように、お一人で眠れるようになられた方が良いとは思いますので、アルベルト様が安眠できるようお手伝いさせていただきます」
「そうか」
少し不思議そうな目でデルフィーノが見て来る。変なことを言っただろうか?と思い見つめ返すとスッと視線を逸らされた。言いたいことがあるなら言ってくれたら良いのにと思いながらも、まだそこまで踏み込むことは躊躇われ、リオナは黙って次の言葉を待った。
「まずは書類の分類をしてもらいたい。毎日色々な書類が来るのだが、次々積まれて行くから思考があちこち行ってしまう。効率が悪いのは分かっているが、忙しくて分類に割く時間もなくこれまで来てしまった。
リオナには部門ごとに書類を分けてわかりやすくしてもらいたい。まずは今ある分を執務室に運ばせるからそう言った仕事から始めて欲しい。
それからアルベルトとの過ごし方はリオナに任せる。ピアノの修理は頼んであるからしばらくピアノの講義はない。もちろん、講師も変える予定だ。気づいてくれて感謝する」
「とんでもございません。そもそもアルベルト様がお気づきになったのです」
「いや、私では同じことを言われても気づかなっただろう。では、仕事にとりかかってくれ」
「かしこまりました。では失礼致します」
リオナはデルフィーノの元を後にすると執務室へと戻った。そこへマクシムが書類の山を抱えて入って来る。
「リオナ様。昨日来られたばかりで恐縮ですが、少しずつ仕事に慣れていただければと思います。わからないことがありましたら私でもデルフィーノ様でもどちらでも構いませんのでお聞きください」
「はい。とにかくやってみないことには何もわかりませんのでやってみます。わからなくなったらお聞きしますね」
「ありがとうございます。リオナ様が来られてデルフィーノ様が少しでも休めるようになれたらいいのですが」
「お休みは取られないのですか?」
「はい。事務処理と視察で予定がいっぱいなのが現状です。視察先も時間がないので近場が多いですし。休憩を勧めると体を動かした方が良いとおっしゃって鍛錬をされますからね。またお倒れになると心配しておりました」
困った顔をしたマクシムにリオナは笑みを浮かべた。
「お力になれるように頑張りますね」
「王都とは少し気候も違いますから、リオナ様も無理をなさらないでください。少しの事で体調が悪くなることもありますので」
「ええ、わかりました。出来る範囲からやっていって、少しでも早く慣れるようにしますね」
「はい。急がなくても構いません。少しずつ慣れていただければと。お茶を所望される時はベルを鳴らしてください。近くで警備をしている兵士が来ます」
「え!自分でできますよ」
「いいえ。リオナ様はお仕事をされてください。それにこの階を担当している隊は皆お茶を淹れるのが得意ですよ。是非お任せください」
そう言われると味が気になってしまう。
「わかりました。では遠慮なく淹れてもらいますね」
「ええ。隊員たちが喜びますよ。昨日からそわそわしていましたから」
「そうなんですか?」
「お綺麗な方が来られたと士気が上がっております」
そんなことを言われたことのないリオナは顔が熱くなるのを感じた。
「私ごときでそんな。と、とりあえず仕事を始めます」
慌ててリオナは書類の山の一枚目を手に取った。そっと一礼をしたマクシムが部屋を出て行く。
「きっと女性を見慣れていなんだわ」
リオナは独り言を言いながら次々と書類を分類して行った。
リオナはある程度分類が終わったところで厨房からトレイを借りてきて、部門ごとに再度中身を確認しながらトレイに分けて入れて行く。
書類の中身は多岐にわたる。辺境伯城の内部での書類だけでも数種類に分類しなければならない。使用人の給金はもちろんのこと、城の維持費、隊員たちの宿舎の経費、装備品の手入れに至るまで。更に領内全ての最終管理者はどれもこれもデルフィーノなのだから大変だ。
リオナも領地経営をしていたが、こんなに膨大な書類ではなかった。そもそも領地の規模が違う。産業も多いし、国境警備に割く費用も人も多い。
そして収入も多いが支出も多い。国境の壁の保全は常にどこかでやっているようで、次々工事の許可申請が上がってきている。更に医師、看護師の育成にも力を入れているようだ。子ど向けの剣術指南所などもあり、如何に辺境伯領として国境警備に力を注いでいるのかがわかる。
書類の分類を終えるとトレイにどこの部門か札を貼って行く。積み上がったトレイの数は実に20。これでもその他の分類を使って抑えたほどで、部門の中でも緊急性が高いものや、早めの決定が必要なものを上にした。
リオナはトレイを5枚抱えるとデルフィーノの元へと向かった。
「書類の分類が終わりました」
「ああ。ありがとう。ここに置いておいてもらえるか?」
「はい」
リオナは執務机の隅にトレイを置く。その後も残りを行き来して持って来るとデルフィーノが驚いた顔をした。
「一応部門ごとに分類したのですが、結構な量になりました。細かくし過ぎたかもしれませんので、改善点がありましたらおっしゃってください」
デルフィーノがトレイを見ながら顎に手を当てた。
「こんな短時間に。急がせてしまい申し訳ない。もっと時間がかかってもよかったのだが」
「いいえ。夢中になっていたから時間の間隔がありませんでした。それに予定より早かったならよかったです」
「そうか。それなら良いのだが、無理はしないように。
そう言っておきながら申し訳ないが、この確認済みの書類を部門別にして各部門に届けてほしい」
「わかりました。城内を知る機会にもなりますしちょうど良いですね」
リオナはデルフィーノの執務室から書類を運び出すと、再び自分の執務室に戻り書類の束を前に椅子に腰かける。
今度の敵もかなり多い。しかし届けるのだから、間違って別の部門に行かないようにしなくてはならない。
よし、と気合を入れると書類を手に取りまずざっくりと分ける。下の欄には美しいデルフィーノの署名がある。どれもデルフィーノの署名がなくてはならいものばかりだ。無くしたり汚したりしてはいけない。次はざっくり分けた中から更に細かく分けて行く。
そこへマクシムがお茶を手に入って来た。
「少し休憩されませんか?初日ですからね。あまり根詰めてなさっては倒れてしまいますよ」
「ありがとうございます。そうですね。折角ですからお茶をいただきます」
リオナはカップを受け取るとお茶を口にした。さっぱりとした香りを感じマクシムを見た。
「これはリンゴですか?」
「はい。この領地の特産品のリンゴ茶です。茶葉にリンゴから抽出した香りを吹きかけて乾燥させるんですよ。リンゴ特有の甘味や酸味はありませんが、香りを楽しめます。それに、体から余分な毒素を出してくれる効果もあるので女性に人気ですよ」
「そうなんですね。確かに味はあまりしませんけど、風味を感じるというか。美味しいですね」
「それはようございました。年中飲めますからいつでもご所望ください。私は別の仕事をしてまいりますので、お茶のおかわりなどは近くの隊員に言っていただければ直ぐに持って上がりますので」
ではと部屋を出て行くマクシムを見送りリオナはお茶を更に飲んでみた。鼻から抜ける香りが癒してくれる。
「リンゴを食べた気分ね。さて、また頑張らないと」
リオナはお茶を飲み干すと仕事を再開した。机に分類されて積み上がっていく書類たち。部門宛のものもあれば、担当者に直接渡すものもある。リオナは間違えないよう何度も確認しながら分けて行く。
そして分け終わったのは1時間後だった。まずは城内向けの書類を抱えてリオナは立ち上がった。
できるだけにこやかに笑顔を浮かべる。それを心がけながら階を回る。一部屋ごとに挨拶しながら書類を渡し、手元がなくなると部屋に戻った。そして今度は城の外に出た。鍛錬場など外の施設に書類を配って回る。
どの場所でも快く挨拶をしてくれ、各所で少しだが会話をし、皆が親切にしてくれるのでリオナは嬉しくなった。穏やかな言葉のやりとりは、それだけで気持ちを落ち着かせてくれる。少なくとも歓迎されていないわけではない。寧ろ歓迎されていると言った方が良いかもしれない。
初めは兵士に一見怖そうな感じを受けて怖気づいてしまったが、話すと気さくで楽しい人たちだった。また、皆真剣に鍛錬をしていてその姿は頼もしい。
そんな明るく快活な人たちはリオナに元気をわけてくれる。全てを配り終え執務室に戻ると簡単に片づけをした。時間は12時。今日の城での仕事はこれで終わりだろうか。
そこへマクシムが入って来た。
「リオナ様。本日はお疲れ様でした」
「お役に立てたでしょうか?」
「はい。書類の整理は急務だったのです。デルフィーノ様が積まれた書類を黙々と処理されるだけだったので大変喜ばれてました。
これまでは部門ごとになっておりませんでしたから、頭をあちこちに切り替えながら処理をされるため、少々時間がかかっておりましたので、リオナ様に分類していただいたおかげでこれまでより早く書類が片付いているようですよ」
「それは良かったです。お役に立てたのなら安心しました」
「とんでもない。とても細かく分類されていてわかりやすいとデルフィーノ様がおっしゃってました。それでですね、実はデルフィーノ様の執務室には、書類を分類して入れることができる棚があります。近年使われておりませんでしたので、私も気が付くのが遅れまして面倒をおかけしました」
「そうなんですね。ではこれからはそちらに入れたら良いですか?」
「はい。棚には車輪がついておりますので、後程運ばせます。分類が終わりましたら近くの兵士にお声をかけていただければ、またデルフィーノ様の執務室に運びますのでおっしゃっていただければと」
「わかりました。でも兵士の方の負担になりませんか?車輪がついているのなら私が運びますよ」
「いえ大丈夫です。車輪が付いているといっても少々重いですし、デルフィーノ様もその方がリオナ様が楽だろうとおっしゃってますから」
「そうですか。明日からも同じような仕事ですか?」
「明日は会議がありますので、デルフィーノ様の横でメモを取りながら参加してください」
「え!」
リオナは戸惑った。リオナが辺境伯領の会議に出るなど思ってもみなかったから。
「リオナ様は秘書ですから、デルフィーノ様の横で会議に是非出席していただきたいのです。今後の仕事の参考にもなりますし」
そう言われると断りにくい。辺境伯領の会議なんて想像もできないが、少なくともリオナの家より規模は相当大きいだろう。
「わかりました」
「午後からはアルベルト様と一緒に遊んだりしていただければと。内容はリオナ様にお任せします。昼食もアルベルト様とご一緒してください」
「そうですね。アルベルト様とも約束しましたし」
「もちろん休日も早急に調整します。アルベルト様の講義の日程を踏まえて決めさせていただきますがよろしいですか?」
「もちろんです。ではアルベルト様の元に行きますね」
「はい。よろしくお願いいたします」
マクシムに見送られてリオナは城を後にした。




