夕食への招待
お菓子を食べたアルベルトは、話しているうちにそのままリオナの膝を枕に眠ってしまった。こんなに可愛い子を残して亡くなってしまったアルベルトの母を思う。
リオナの手を握る母の手からどんどん力が抜けていくのを感じたあの日。リオナは必死に母の手を握り返しもっと一緒にいてほしいと願った。しかし願いは叶うことはなかった。あの時母はどんな思いだったのだろうか。
アルベルトは両親を失っている。代わりになることはできない。けれど近しい存在にならなれるかもしれない。
そんな思いが溢れてくる。確かに少し我儘なところもあるが、言えば直ぐに聞いてくれる。そもそも優しい子なのだろう。リオナはそっとお茶を注いだ。ミントを使ったお茶はスッキリとした味わいで心を穏やかにしてくれる。
これからやっていけるだろうかという不安は消え失せ、やらなければならないへと変わった。アルベルトは既にリオナの特別な存在である。
この子を守りたい。銀色の美しい髪を撫で健やかな寝息を聞いているとリオナの方が落ち着いて来る。
その柔らかい髪を心地よく撫でているとノックが聞こえたので返事をするとミリアが入って来た。
「まさか眠られたのですか?」
「ええ。ぐっすりです。夜眠れなくなるかもしれませんから起こした方が良いですか?」
「そうですね。もう少ししたら起こしましょう。
リオナ様。申し訳ございません。到着早々にアルベルト様のお相手をさせてしまって。デルフィーノ様からは明日からと言われておりましたのに。旅の疲れがあるだろうから今日はゆっくり休んでいただくようにとのことだったのです」
「良いんですよ。とても楽しかったですし。丁度荷物も片付いてすることがなかったのでかえって良かったです」
「そうおっしゃっていただけるとありがたいです。改めまして、よろしくお願いいたします。
デルフィーノ様からのご伝言をお伝えに参りました。
今夜からアルベルト様と一緒に食事をしていただきたいとのことです」
「え!」
「デルフィーノ様がお忙しいので毎日一緒に食事を摂ることができないので、アルベルト様が寂しがられていたんです。私どもは同じ机につくことはできませんので、側にはおりますがお一人で召し上がることが多いんです。その為デルフィーノ様がお戻りになるまで食事を召し上がらない日もありまして。
ですから元々そういったこともお任せすることになっていたのですよ」
「そうなんですね。一緒に召し上がってくだされば良いのですが」
「このご様子なら心配はいりません。アルベルト様は喜ばれると思いますよ。それに今夜はデルフィーノ様も遅れますが一緒に召し上がるそうなので、なおのことお喜びになるでしょう」
まさか辺境伯家と一緒に食事を摂ることになるとは思っていなかった。想像していた待遇と違い過ぎて戸惑ってしまう。この部屋ですら恐れ多いのに。
この国では辺境伯家は王家の次の位だ。もう一つ国境にある領地は王家直轄地の為、ある意味王家と対等に言葉を交わすことができる唯一の存在なのだ。そんな辺境伯家と一緒に食事を摂るなどリオナは思ってもみなかった。使用人として働く。ただそれだけのつもりだったのだ。
「どうかされましたか?」
「いえ。驚いてしまって。私は働きに来ただけなのですが」
「全てアルベルト様の為だと思われてください。それにしても、本当はアルベルト様が慣れてきたらということになっておりましたので、実は私どもも正直驚いているんですよ。アルベルト様は人見知りなところがありまして、これまでに何人も侍女が変わったんです。
何が嫌なのかわかりませんが言葉を発しないこともありましたし。やっと最近ラーラとエイミーで固定したんですけど」
「幼い子ほど敏感なこともあると聞いておりますから、何か思われることがあったんでしょうね」
「ええ。ですから、会って直ぐにこのようなことになるなんて思ってもみなかったのです。デルフィーノ様もいい加減に人慣れさせたいとおっしゃられて、侍女と違って秘書は簡単に変えられませんから、来られたら時間をかけて関係を築いて行けるようにしたいとおっしゃられていたんです。
先程今日のかくれんぼについてご報告したら、大変驚かれて、ならば今日からでも一緒に食事をとのことでした。よろしいでしょうか?」
「もちろんです。驚きましたが、アルベルト様とお食事ができるのは嬉しいです」
リオナが話していると膝のあたりがもぞもぞし始めた。
「う、うん・・・」
どうやらアルベルトが起きてしまったようだ。
「アルベルト様。起きられますか?」
目をこすりながらアルベルトがリオナの膝に額を押し付ける。
「起きる・・・」
リオナはアルベルト支えながらソファーに座らせた。
「よくお眠りでしたね」
「リオナだ!よかった。リオナと遊んだの夢かと思ったの」
「いいえ。ここにいますよ」
リオナは額にかかる前髪を優しくかき上げて目を覗いた。
「ふふ。ああ、よかった」
「アルベルト様。気持ち良さそうにお眠りでしたね」
「ばあや!ねえばあや、リオナと一緒に食事したらダメ?デルに聞いてくれる?」
「今夜からリオナ様と一緒にお食事ですよ」
「ほんとう?やったー!リオナ、一緒に食べようよ!」
キラキラと向けられる目には喜びが溢れている。こんなに喜んでくれるならリオナだって嬉しい。
「一緒にお食事をしましょうね。今日はデルフィーノ様もご一緒だそうですよ」
くるりとアルベルトがミリアを見る。
「デルも一緒なの?」
「ええ。遅れるとの事でしたが一緒に召し上がられるそうですよ」
「久しぶりだ!ねえ、リオナの席はぼくの隣ね!」
アルベルトが腕にしがみついて来る。
「はい。かしこまりました」
「ばあや、ニンジン出しても良いよ!ぼく食べられる気がする!」
少し驚いてからミリアが笑みを浮かべた。
「ではボルガに伝えておきますね。本当に召し上がってくださいよ」
「食べられるもん!リオナはニンジン食べられる?」
「ええ。好きですよ。私は嫌いな食べ物がないんです」
「凄い!!あのね、ぼくはいっぱいあるんだ」
「では少しずつ食べられるようになりましょうね」
「う~~~ん。じゃあ、リオナが食べさせてくれたら食べる」
そう言って首を傾げる姿は愛らしい。
「本当ですか?では毎日少しずつ試しましょうね」
「うん!ばあや、ボルガにお願いしてね!」
「かしこまりました。デルフィーノ様みたいに大きくなりましょうね」
「うん!ねえリオナ。デルに会ったよね?」
「はい。ご挨拶をさせていただきましたよ」
「デルはね、カッコイイの。背が高くてね、肩車をしてもらった凄く高いんだよ」
「私はまだお座りになっている姿しか拝見しておりませんから何とも言えませんが、きっとアルベルト様も大きくなられますよ」
「そうだよね!ぼく今は小さいけどデルみたいに大きくなるよね!」
「ええ。お顔立ちも似てらっしゃいますし、大きくなられますよ」
リオナが頭を撫でると嬉しそうにアルベルトが目を閉じる。
「さあ、アルベルト様。リオナ様は今日到着されたばかりですよ。少しお休みいただくためにお部屋に戻りましょう」
アルベルトがちらりとリオナを見た。
「そうだよね。リオナは明日もいるんだし。ゆっくり休んでね。またあとで!」
ラーラが開けた扉からアルベルトが出て行くのをリオナは見送った。
「あんなにあっさりお部屋に戻られるとと思いませんでした。てっきり嫌がると思ったのですが」
ミリアが言うには、アルベルトは大概の事を一回拒否するらしい。起きる、顔を洗う。そういったことも一回嫌だというので困っていたそうだ。それが始まったのは4歳になった頃で、何故こうなったかわからないまま対応してきたらしい。
「私ができることはやっていきますので、おっしゃってくださいね」
「リオナ様も遠慮なくお申し付けください。それでは失礼いたします」
ミリアが出て行くとリオナは冷めたお茶を一口飲んだ。環境が変われば人も変わるというが、リオナも変わって行きたい。
アルベルトと過ごす日々は楽しそうだし、広大な領地のどこに視察に行くのかも楽しみだ。
これから始まる新しい生活はどんな風だろう。きっと上手くいくはず。そんな気がした。伯父に手紙を書こう。無事に着いたことを知らせなければならない。その時にこの状況を書いたら驚くに違いない。だが、きっと喜んでくれる。
そんな期待を胸に、リオナはペンを持った。




