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アルベルトとの出会い

 荷物を全て片付けソファーに座ったのは3時だった。案外かかったなと部屋を見渡す。荷物は多くないが、母の絵姿を飾る場所に悩んだのだ。今までは見ることも極力避けていた為、いざ飾るとなるとどこが良いか迷ってしまった。

 寝室に持って行ったり、リビングの棚に置いてみたりを繰り返し、結局リビングの棚の上に置いた。そんな腰より少し上の高さの棚の中身は空だ。これから物が増えるかもしれないが、持ってきた殆んどの物がクローゼットルームに収まり、更にまだ余裕があるほどだ。

 母の絵姿の隣には祖父の花瓶。そのうち花を生けたい。窓から小さな庭園が見える。あの中から分けてもらえないだろうか?そんなことを考えている時だった。カチャリと扉が開く音が聞こえ、リオナは顔を向けた。

 扉から小さな子どもが顔を覗かせている。銀色の髪に紫の目。

「アルベルト様でらっしゃいますか?」

 リオナは笑いかけた。

「うん。お姉さんが今度からお城で働く人?『ひしょ』って言うんでしょ?デルに聞いたの」

 そのままアルベルトが部屋に入って来てちょこんとリオナの隣に座る。サラサラの髪は美しく、大きな目が好奇心旺盛に見上げて来る。

「リオナと申します。よろしくお願いいたします」

「よろしくね、リオナ。リオナはぼくと遊んだりもしてくれるんでしょ?何して遊ぶ?」

「そうですね。ではかくれんぼをしましょうか?」

「わーい!やったー!しようしよう!」

 アルベルトがリオナの手を引く。しかし先に確認しなければならないことがある。

「かくれんぼをする前にお聞きしますが、私の部屋に来ることをお付きの方に言ってきましたか?」

 するとアルベルトが視線を逸らす。やはりだ。

「今から一緒に遊ぶための許可をもらいましょう」

「え!ばあやがきっとダメっていうんもん!」

「どうしてですか?」

「ばあやは最近腰が痛いの。だからかくれんぼ禁止になってね、お絵描きばっかりでつまらなかったの。ラーラとエイミーもいつも他の事をしようって言うし」

「でも今回は私とするんですから大丈夫ですよ」

「本当?」

「ええ、聞いてみましょう」

 リオナがアルベルトの手を引き廊下に出ると侍女が3人廊下を右往左往している。そしてアルベルトに気付くと駆け寄って来た。

「アルベルト様!勝手にお部屋を出ないでください。私は毎日気が気じゃないですよ」

「今日『ひしょ』が来るってデルが言ってたから」

「申し訳ございませんリオナ様。私共の不注意です」

 真っ先に頭を下げたのがマクシムの妻であり侍女長だろう。アルベルトがばあやと呼ぶほど懐いているのがわかる。若い侍女も直ぐに慌てて頭を下げている。

「いえ、謝られることではありませんよ。改めまして、リオナと申します。これからよろしくお願いいたします」

「侍女長のミリアでございます。それからラーラとエイミーです。お越しいただきありがとうございます。私たちはアルベルト様の侍女ではありますが、リオナ様も何かあれば遠慮なくおっしゃってください」

「ありがとうございます。ところで、アルベルト様とかくれんぼをすることになったのですがよろしいですか?」

 リオナの言葉に3人が顔を見合わせている。

「ダメでしょうか?」

 リオナが尋ねると困った顔をしている。

「ぼくね、隠れるの得意なんだ!」

「本当になさいますか?アルベルト様がおっしゃる通り、大変隠れるのがお上手ですよ」

「それは楽しみですね。では、アルベルト様。一つ私と約束をしてください」

「なに?」

「この邸から絶対に出ないでください。城内は広いですから私一人では探せませんので」

「うんわかった。いつもそうだから大丈夫!じゃあ30数えてね!」

 アルベルトがリオナの手を離し駆け出していく。

「リオナ様。本当に大変なんです。最近邸の中だけなのに見つからないんですよ。1時間経っても見つからなくて、結局降参と叫ぶとどこからかひょっこり出て来られるんです」

 それはミリアたちが嫌がるのも無理はない。だがやると言ったからには探し出したい。

「頑張ってみます。入っては行けない場所はありますか?」

「そういった場所は鍵がかかっておりますので大丈夫です。扉が開けば入って良い部屋だと思ってください」

「わかりました。そろそろですね。では行ってきます」

 リオナはまずアルベルトが走って行った方に向かった。階段を下りたのは分かっているので、リオナは1階に向かうと一部屋ずつ扉を開けて行く。ざっと見たが、1階は食堂と応接室が並んでおり、客室も3部屋あった。どの扉も鍵が閉まっておらず容易にリオナが入ることができる。

 他にはピアノが置いてある広い部屋があったが、きっとダンスの練習もそこでするのだろう。奥には浴場へと繋がっている扉があり、手前の脱衣場しか見ていないが、湯上りにゆったりと寛げるようにかソファーが置いてあった。

 他にも使用人の休憩室や洗濯室、物置部屋がずらりと並び、最後にたどり着いたのは厨房だった。

 中では4名の料理人が下ごしらえをしている。その中の一人がリオナに気付いたので声をかけた。

「お疲れ様です。今日からお世話になるリオナと申します。よろしくお願いいたします」

「料理長のボルガです。こちらこそよろしくお願いいたします。リオナ様は召し上がれない物はございますか?」

「これといってありません」

「ではお好きな物はありますか?」

「そうですね。フィナンシェが好きです。お菓子になってしまいましたね」

 リオナが笑うとボルガも笑みを浮かべる。優しそうな人で良かった。

「わかりました。時々フィナンシェをお作りしますね。ところでどうされたのですか?」

「アルベルト様とかくれんぼをしているんです」

「なるほど。それは大変ですね。侍女長の頭を悩ませるほど隠れるのがお上手だと聞いております」

「皆さんご存じなのですね」

「ええ。見つからないと言って厨房も調べられましたからね」

「そうなんですね。ではお邪魔しました。頑張って探してきます」

 リオナは厨房を後にすると立ち止まり考えた。隠れられそうなところはたくさんあった。それはミリアたちもわかっていて探しているはず。それでも見つからない場所とは一体どんな場所なのか。

 次々扉を開け見て行った部屋を思い出す。するとふと違和感を感じた場所があったのに気付いた。

 リオナは来た道を戻り一つの部屋の扉を開ける。

「やっぱりおかしいわ」

 リオナは違和感を持った場所へと向かうと蓋を開ける。

「なんでわかったの!?」

 リオナはアルベルトを抱き上げると床に下ろした。

「アルベルト様。ピアノが壊れてしまいます」

 そう、アルベルトがいたのはピアノの中だった。僅かな狭い場所に入っていたのだ。幼子ならではの隠れ場所だが、蓋が閉まっていたことを考えると命の危険がある。リオナは膝を付きアルベルトと視線を交わす。

「アルベルト様。よく聞いてください。この場所を見つけたことは素晴らしいです。ですが、ピアノの蓋を閉めるといずれ息ができなくなります。今までは1時間ほどでミリアさんたちが降参していた為大事に至らなかっただけで、もっと長い時間こういった場所にいると、息が苦しくなりいずれ意識をなくし、命を落としてしまうことになります」

「じゃあ1時間なら隠れても良いってことだよね!お願い!ばあやたちには秘密にして」

「ダメです。それだけではありません。先程も申し上げましたが、いくらアルベルト様がまだお小さいとはいえ、ピアノが壊れてしまう可能性があります。ピアノが痛いと悲鳴をあげていますよ」

「そうなの?」

「はい。ですから、ピアノでもソファーでも大切に使わなければなりません」

「みんな痛いの?」

「例え声が聞こえなくても、物を使う時は、痛いと言っていないか気にかけてあげなくてはなりません。このピアノは職人の手によって作られております。長い時間をかけてピアノを弾く人、聞く人に喜んでもらう。そんな気持ちを込めて作られた物ですから、きっとピアノにも気持ちがあります。大切に使ってあげると喜びますよ」

「じゃあぼくはピアノに嫌われてるから上手にならないのかな?最近弾いてて楽しくないんだ。何だか変な音もするし」

 アルベルトがリオナの袖を掴んでくる。

「仲直りすれば良いんですよ」

「ごめんなさいするってこと?」

「そうです。できますか?」

「うん。ごめんさない。もう中に入らないから許して」

 リオナはそっとピアノに手を当てた。

「仲直りしたいってピアノが言ってますよ」

「本当?」

「ええ。でも、壊れていないか調べて欲しいって言ってますよ」

「やっぱり痛いところあるんだ!ばあやにお願いするから待っててね!」

 リオナは良くできましたととアルベルトの頭を撫でてから立ち上がる。

「さあ、お部屋に戻りましょう」

「うん。リオナの部屋でお菓子を食べようよ」

「では私が持ってきたお菓子を食べますか?」

「食べる!いこう!」

 アルベルトがリオナの手を引き扉へと向かう。リオナはそれに合わせた速度で歩きながらピアノを振り返った。リオナが違和感を感じたのはピアノの椅子の位置だった。少し斜めになっていたのだ。ちょうど勢いを付けて上ったかのように。

 リオナもピアノは弾ける。母が教えてくれたのだ。だが弾くことができたのは伯父の邸だけ。自邸で弾けば義母が煩いと怒るからだ。そんなリオナの為に時々伯父が弾かせてくれたのだ。母の死後誰かに習ったわけではないので難しい曲は弾けないし、長い時間弾くこともない。母を思い出すために弾いていただけ。 

 そんな母に教えられたのだ。次に使う人の為に真っ直ぐに整えておけば気持ちがいいから、弾き終わったら椅子の位置を元に戻すようにと。

 母のおかげでちょっとした違和感に気付くことができた。感謝しなければならない。

 アルベルトと共に2階に着くとミリアたちが驚いた顔をした。

「見つけられたのですか?!」

「うん。見つかっちゃった。リオナは凄いんだよ。ぼく絶対に見つからないって思ってたのに」

「ピアノの中に入っておられました」

「ピアノの中!」

「はい。二度と入らないようにお伝えしましたら、もう入らないと約束してくださいました。そうですよね?アルベルト様」

「うん!ピアノが痛い痛いってなるからね!」

 ミリアが不思議そうな顔をしている。

「ピアノが少し壊れている可能性がありますので修理を頼んでいただけますか?」

「もちろんです。デルフィーノ様のお母様がお輿入れの際にお持ちになられたもので、是非学ばせたいとおっしゃられたんです。ですから思い入れのあるものなのだと思いますので直ぐに手配します」

「アルベルト様にピアノを教えてらっしゃる講師はデルフィーノ様が決められたのですか?」

「はい。城下の職業紹介所に依頼しまして、受けに来た方の中から選ばれました」

「そうなんですね。できれば講師を変えることはできませんか?」

「それはデルフィーノ様にお聞きしてみないと。何かありましたか?」

「アルベルト様が練習中に変な音がするとおっしゃってました。ちょっとした異常を感じられたのでしょう。ですが、それに講師は気づいておりません。

 私はアルベルト様が間違っていることをおっしゃっているとは思いませんので、もし本当に修理が必要だったなら、ピアノの異常に気付かない講師に指導してもらうのは止めた方がよろしいかと」

 一様に三人が困った顔をしている。

「何かおかしなことを言いましたか?」

「実は、受けに来た方の中で唯一の男性だったのです」

「ああ、なるほど」

 デルフィーノは邸内に侍女以外の女性を入れたくはなかったのだろう。徹底して警戒したということだ。そこまでしなければならないことがあったのだろうか?

 しかし結果的にリオナを入れることになった。そこまで秘書の話は喫緊の課題だったということだ。

「ねえ。お菓子食べようよー」

 アルベルトが握ったリオナの手を揺する。

「申し訳ございませんが、私の部屋までアルベルト様がお好きな飲み物をお持ちいただいても良いですか?お菓子は私が持ってきた物をお出ししますので」

「わかりました。リオナ様にはお茶をご用意いたします。それから、ピアノの件はマクシムに相談いたします」

「はい。よろしくお願いいたします。ではアルベルト様、お菓子を食べましょう」

「やったー!早く行こうよ!」

 リオナはアルベルトと手を繋ぎ部屋に戻った。

 部屋に入るなり走ってソファーに座ったアルベルトだったが、慌てて立ち上がるとリオナを見た。

「ねえ。今のってソファーは痛いの?」

「そうですね。少し痛かったかもしれませんね。ゆっくり座りましょうね」

「うん!ごめんね。もうしないから」

 アルベルトがソファーを撫でてから座り直す。リオナは鞄から昨日料理長からもらったオレンジのマフィンを出した。一つずつ丁寧に油紙にくるまれているので明日くらいまでは持つ。

「私の大好きなお菓子なんです。オレンジは食べられますか?」

「うん。好き」

 アルベルトが手を出して来たのでその小さな手に載せる。アルベルトは油紙からマフィンを取り出すとガブリと頬張った。

「美味しい!!これ美味しいね!リオナはどこかで買ったの?」

「いいえ。昨日私の家の料理長からもらったんです。道中食べられるようにと。でも他にもお菓子があったものですから一つ残ってしまったのです」

「え!リオナの分はないの?」

「私は昨日たくさん食べましたから大丈夫ですよ」

「じゃあ半分こしようよ!」

「アルベルト様が召し上がってください。私は自分で作れますから」

「そうなの?今度作ってくれる?」

「ええ。思い出しながら作りますので全く同じものにはならないかもしれませんが」

「いいよ!リオナの作ったお菓子が食べられるなら。じゃあね、食べちゃうよ?」

 その笑顔が可愛らしい。

「はい。どうぞ」

 リオナはアルベルトの隣に座ると頬張る姿を眺めた。そこへエイミーが果実水とお茶を持って入って来た。

「ありがとうございます」

 リオナはトレーごと受け取ると机の上に置いた。

「アルベルト様。エイミーさんが果実水を持ってきてくれましたよ」

「うん」

「うん。ではありません。何かをしてもらったら感謝の言葉を伝えましょうね」

「そっか。そういう時も言うんだね。エイミーありがとう」

 エイミーが驚き一瞬リオナを見る。

「アルベルト様は直ぐに何でも覚えられるので素晴らしいです」

「そう?じゃあちゃんとばあやにもいつもありがとうって言わないとね」

「そうですね。気持ちを伝えるのは大切なことですよ」

「デルにも言わないと。そういえば、毎年リンゴの季節になるとデルとアップルパイを作るんだよ。今度はリオナも一緒に作ろうよ」

「楽しそうですね。私も混ぜてくださるんですか?」

「うん。でもね、デルはへたくそなの。あみあみがね、ボルガと違ってバラバラなんだよ。だからリオナが作ったほうが良いかも」

「料理長とデルフィーノ様を一緒にしてはいけません。きっとデルフィーノ様は滅多に作られないんですよ」

「くすくす。でもね、本当にへたくそなの。だってボルガもばあやも笑ってたもん」

 微笑ましい二人の姿を思い浮かべリオナは目を細めた。

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