家族より大切な人と過ごす時間
マフィージ王国は大陸の西南に位置し、領土の半分が海に面している為海産物が豊富である。また王都には大きな港があり、温暖な気候もあって年中海に入ることが出来る為、観光客も多く訪れる港町でもある。
海もあり山もあり高原もありと、一国で気温差がかなり違うのがこの国の特色だ。
そんな中、一人の女性が墓前で祈りを捧げていた。
女性の名はリオナ。コユール伯爵家の長女である。
金色の髪に琥珀色の目。愁いを帯びたその目は寂しそうで、それでいて近寄りがたい雰囲気をまとっていた。
「お母様。毎日私は元気に過ごしています。心配せずに眠っていてください」
リオナは手にしていた紫色の花を墓前に捧げた。
「さて、もう行きますね。また来ます」
リオナは背を向けるとその場を後にした。伯爵家の令嬢だというのに付き人はいない。一人で乗って来た馬車に乗り込むと御者に行先を告げた。
走り出した馬車から見える景色は一面草原で、その向こうに海が見える。王都は海から丘陵地帯へと続いており、その丘陵地帯にリオナの母が眠る墓地がある。さわさわと風の音が聞こえるような景色を見ているうちに、いつの間にか住宅街へと馬車は入って行った。そして馬車が止まる。
「ありがとう。これで好きな物を買って先に帰っていてね。私は帰りは送ってもらうから」
リオナは馬車を降り、御者へ数枚のコインを渡した。御者はいつものことなので黙って受け取ると頭を下げて去って行く。リオナがやってきたのは友人の邸だ。
馬車を待たせても良いのだが、義母が使いたい時に馬車がないと怒りだすのでいつも先に帰している。その方がリオナもゆっくりできるし、友人はそれをわかっていていつも帰りの馬車を用意してくれる。
一台しか馬車がないわけではないのだが、リオナのすることが気に入らないのだろう。何故か一緒に怒られる御者に申し訳なくて先に帰らせるようになったのは何年前だっただろうか。
一度辻馬車を使おうとしたら、伯爵家の顔に泥を塗る気かと怒られたのもあって、行きは使うが帰りは使わないことにした。
街に出かけた時は帰りは貸し馬車を使えば怒られないし、幸いにもこうやって遊びに来た時は、リオナのことをわかってくれている友人が送ってくれるので、ずっとそれに甘えて頼っているのが現状だ。
「リオナ。いらっしゃい。今日は天気が良いからガゼボでお茶にしましょうよ」
友人の名はルリバーラ。ハンバー侯爵家の長女だ。紫色の目はキラキラと光り、明るいルリバーラの印象を少しだけお淑やかにしている。
「お母様のところに行っていたの?リグランの香りがするわ」
リグランは母が好きだった花で、芳醇な甘い香りがする紫色の花だ。甘さだけではないスッキリとした香りは、庭に咲いている時が一番気持ちよく感じられる。風と緑の香りと一緒になることで、目でも鼻でも楽しめる美しい花だ。
リオナの亡き母はリグランが大好きだった。なので墓前にはいつもリグランを供えているのだが、それを知っているルリバーラだから直ぐに気づくことができたのだろう。
「ええ。今日はとてもいい天気だったしね。一緒におじい様のお墓にも行って来たわ」
「そう。邸にリグランを植えられたら良いのにね」
ガゼボに着き座るとお茶が淹れられた。机には焼き菓子と果物が並んでいる。リオナはカップを持つと眉尻を下げた。
「それはとっくに諦めているの。お義母様が嫌がるから」
「わかっているわ。でも、リグランを庭に植える人は多いのにって。余程なんでしょうね。亡くなった方への哀悼の気持ちはないのかって」
「ないわよ」
「わかってるの、わかってるの。でもね。言いたくなるのよ。私が口に出すことじゃないのはわかっているんだけど」
「ありがとう。そうやって言ってくれる人がいるから私は助かっているの。本当よ。だって家では言えないもの」
リオナが笑みを浮かべるとルリバーラはフィナンシェを渡してくれた。リオナが好きな焼き菓子だ。ルリバーラの邸のフィナンシェは格別に美味しい。喜んでリオナは受け取り頬張った。
「シルフィアはどうしているかしら?まああの子なら元気にやっていると思うけど」
シルフィアはルリバーラとリオナの共通の友人だ。同い年で刺繍が好きという共通点で知り合った関係である。
10歳の時に国の刺繡大会に出品し、その時に1位だったのがルリバーラ。3位だったのがシルフィア。リオナは2位だった。友人がいなかったリオナにとって初めてできた友人だ。
ルリバーラは侯爵家令嬢。シルフィアは公爵家令嬢。爵位の差はあれど、同じことが好きであるということから始まった友人関係は、刺繍を抜きにしても気が合う楽しい時間を過ごせる存在に変化し、あれから10年経った今も直、かけがえのない存在である。
そんなシルフィアは数か月前に隣国の王太子妃になる為に嫁いだ。中々会えなくなるのは寂しいが、シルフィアの幸せを思えば喜ばしいことで、結婚式に出席した時は感動で涙を流した。
「ルリバーラはイザーク様との関係はどうなの?上手くいってるの?」
「まあまあね」
つれない態度だが、頬が赤い。上手く行っているのだろう。愛情表現が下手なのか、ルリバーラはいつもこんな感じで婚約者に対して素っ気ない。それでも本当は仲が良いのはわかっているので、来年行われる結婚式が楽しみだ。
そんなイザークはシルフィアの弟でもある。ルリバーラは公爵夫人になるべく、今正に猛勉強中だ。辛いと愚痴をこぼすこともあるが、ちゃんと日々勉強していることがもう直ぐ実を結ぼうとしている。
そんなルリバーラには幸せになって欲しい。リオナの心からの願いである。ルリバーラとシルフィアはいつもリオナのことを心配してくれいていた。
刺繡大会で仲良くなったとは言え、当初は遊びに誘われても行くのを躊躇っていた。二人はそんなリオナに何通も手紙をくれ、なんとかリオナがルリバーラやシルフィアの邸などに遊びに行けるようにしてくれた。
外の世界は楽しくて、眩しくて、リオナの気持ちを明るくしてくれた。リオナにとって、この友人二人がいたから今を楽しく過ごせていると思っている。
「そんなこと言って。この前見たわ。5番街を手を繋いで歩いているところを」
「!!」
「やっぱり気づいてなかったのね。私、カフェの窓から見てたわよ。仲睦まじいなって」
「声をかけてよ!」
「嫌よ。私は伯父様と一緒だったんだもの。また色々言われちゃうわ」
「伯父様はリオナを心配しているのよ」
「わかっているわ。でもね、こればっかりは仕方ないもの」
「それはそうだけど」
「さあ、この話は終わりにしましょう。ルリバーラの結婚式にはシルフィアは帰って来るんでしょ?」
リオナは話題を変える為に敢えて明るく別の話をふった。
「早めに連絡したおかげで予定が組めたらしいわ。王太子殿下が付いて来ようとしたのを止めたらしいけど。愛よね~。離れたくないなんて」
「シルフィアがそんなこと書いてくるわけないじゃない」
「あら、わかる?書いてあったのは付いて来ようとしたのを止めたってことだけ。でも、絶対離れたくないって駄々こねそうじゃない?」
「ふふ。まあね。それだけ仲が良いってことよ。あと数か月で子供も生まれるし」
「そうね。楽しみだわ。だって信じられる?友達の子どもがそのうち隣国の国王になるのよ?」
「それに、ルリバーラの場合は自分の子どもが隣国の国王と従兄になるし。人って何があるかわからないわ。数か月前は誰もこんな未来想像してなかったんだもの」
「私もよ。だから、リオナも何があるかわからないってこと。良いわね」
そこに着地するのかとリオナは苦笑した。
「もう、まあそうね。未来なんて誰もわからないわよね」
「そうよ。それに自分のことは自分で決めるって約束したじゃない」
確かにした。あれは出会ってから2年経った頃だった。いつも同じワンピースを着ているリオナに二人が聞いたのだ。着丈が合ってないんじゃないかと。更にそれだけ気に入っているのかと。
その頃のリオナは新しい服を着ていると義母からいつも怒られていたので、伯父からもらった服の中から1着だけ選んで着ていた。それは他にも伯父からもらっていることを隠しているのもあったが、何より怒られるのが嫌だったから。義母とはできるだけ話したくもなかった。
そんなリオナに二人は言ったのだ。義母など放っておけと。
リオナの物はリオナの物。着て怒られる謂われはない。伯爵家のお金を使ったわけではなく、伯父からもらったものを着ているのだからとやかく言われる筋合いはない。
堂々と他の服を着れば良い。やりたいこともすれば良い。全部が無理でも、例え押し付けられたことでも、リオナが納得がいくことをする。リオナ自身が自分の意思で決める。
リオナはそんな考え方をしたことがなかった為驚いたものの、新しい考え方を目の前に出され戸惑いながらも約束したのだ。どんなことでも、リオナが自分で決めると。
「そうね。したわね」
「その約束はまだ有効でしょ?」
「ええ、もちろん」
「伯父が公爵家当主で、友人の一人はもう直ぐ公爵家に嫁入り。もう一人は隣国とはいえ王太子妃。最強じゃない?そんなリオナを蔑ろにするなんて、普通の思考の持ち主なら絶対にしないわ。
まあ、そこをやっちゃうのがあの女なんだけどね。頭がおかしいとしか言いようがないわ」
ルリバーラが呆れたように言っている。確かにリオナは周囲に恵まれている。
母の実家はアクリオン公爵家だ。伯父はそこの当主で、次の当主は従兄。ルリバーラは公爵家に嫁ぐし、シルフィアは隣国の王太子妃。周囲がいつもリオナを助け、守ってくれている。リオナを好きだと言ってくれている。それがどれだけリオナの生きる力になったことか。
いつもリオナは感謝していた。刺繍を始めたのも母がきっかけだった。刺繍が得意だった母から教わり、母が亡くなった後も、リオナを表現するものとして刺繍があった。
そしてその刺繍のおかげで大切な友人に出会った。伯父も従兄たちもリオナを大切にしてくれた。
「お母様のおかげね」
「違うわよ。リオナが良い子だからよ。リオナのお母様がどれだけ良い人でも、リオナがそうじゃなかったら誰もリオナを見ないわ。
もちろん、お母さまのおかげでリオナが良い子に育ったってのもあるだろうけど、結局リオナ自身に魅力がないとね。リオナは良い子。そして魅力的。優しくて、本当は強い。落ち込むこともいっぱいあるけど、ちゃんと自分の力で最後は立ち上がる。
そんな子を好きにならないわけがないでしょ?ひとつ言えば、もう少し自分に自信を持って欲しい。リオナと会って話せば、その魅力は必ず伝わるんだから」
ルリバーラの言葉は優しくリオナを包んでくれる。ここに居て良いと。もっと自分を愛せと言ってくれる。
「ありがとう。本当に私は恵まれているわ。だからもっと自分に自信を持てるようにならないと」
「そうよ。さあ、どんどん食べて。家でお菓子なんて食べられないんでしょ?何だろう、どんどんムカついて来るんだけど。ああ、もう!イライラする!」
ルリバーラがゴクゴクとお茶を飲み干すと自分で注ぎ足している。リオナの為に怒ってくれているのだが、そんなルリバーラを見ていると微笑ましいと思ってしまう。
この明るさにどれだけ救われたか。シルフィアだってそう。その強さと優しさにたくさんリオナは救われたのだ。出会えて良かった。出会わせてくれた母に感謝し、そしてリオナを助けてくれる全ての人に感謝する。リオナの一生は感謝し続けることになるだろう。
それで良いのだ。助けてもらうのが当たり前になる人生は送りたくない。助けてもらった分、自分も周囲を、誰かを助ける人間でありたい。そう強く思った。