お菓子と世界とホームシックと
(2025.8.2 一部誤字訂正しました)
部屋へ戻り、お茶とお菓子をわくわくしながら椅子に座って待つ。
お茶の好みを聞かれたけど、よく分からないので「おすすめで」とお願いすると、ほどなくして色とりどりのお菓子が盛られたプレートが運ばれてきた。
ケーキは、様々な果物をジャムで巻いたロールケーキのようで、クッキーは分厚く、キャラメルのようなものを間に挟んだサンド型だ。冷たい氷菓子はアイスクリームを想像していたけど、ドライフルーツやナッツ類がふんだんに入った、テリーヌっぽい。
目の前のスイーツに心を躍らせていると、繊細な花柄の描かれた可愛いマグカップが目の前に置かれる。中には淡い黄色のお茶が入っていて、香りも良いし、ハーブティーみたいなものだと思う。
……というか、マグカップなのか。こういうのって小さいティーカップで出てくるイメージだったから驚いた。でも喉も乾いているし、たっぷり飲めるのはむしろありがたい。
さあ、いただきます――と手を伸ばしかけた瞬間、ぴたりと手を止める。
「……食べる時の挨拶って、『いただきます』でいいですか?」
ここは異世界だ。きっと、マナーや習慣も違う。
一人きりなら気にせず食べられるけど、こうして大勢の人に囲まれて食べるとなると、さすがに色々と気になる。
「私どもであれば、『神の愛と御力に感謝します』と申しますが……ナギノ様の場合は、神そのものでいらっしゃいますから」
侍女達は互いに顔を合わせる。するとその中のひとり、年配で白髪まじりのベテランらしき侍女がぽつりと話す。
「……サホノ様は、特に何も仰っていませんでした。静かに召し上がり、終わるとすぐにお休みになられていた印象です」
……神様、食っちゃ寝してたの!?
虫歯も太る心配もなかったのかな。神様ってすごい。……でもちょっとイメージダウンだ。
とりあえず私は「いただきます」と手を合わせて、ケーキにフォークを刺した。
ーーその後、思っていた以上にお菓子が甘くて重くて。まだ半分以上残っているけど、お腹がいっぱいになってしまった。
でも、残すのは申し訳ないよな……と内心で困っていた時、侍女が近づいてくる。
「お食事中に失礼いたします。
パルシーニ様が、ナギノ様の体調がよろしいときに少しお話をと、面会を希望されております。いかがなさいますか?」
「あっ、今で大丈夫です。でも、この部屋ですよね? まだ食べかけで……」
「今、こちらへですか?」
侍女がなぜか驚いた顔をしつつ、「これからすぐお呼びします。お皿は下げますので、ご心配なく」と言って、お皿を片付けてくれた。
最初はすごく美味しかったのにな……残してごめんなさい……。
お茶を飲んで一息ついていると、チリンと鈴の音が響いた。
そしてニコニコおばあさんこと、パルシーニがにこやかに入室してくる。
「面会のお許しをくださり、ありがとうございます。
ナギノ様、お疲れは出ていませんか?」
「大丈夫です。手厚くお世話していただいてるので。ありがとうございます。
……ところで、お話って何ですか?」
パルシーニは私の向かいに座り、お茶を一口すすると、穏やかに口を開いた。
「いくつかお話ししたいことがありますが、まずは今後のご予定や、こちらの世界について少しご説明を。よろしいですか?」
「はい、お願いします」
「まず予定からですが、本日はこのまま、ゆっくりお休みください。
明日は午前に“神前奏上の儀”を執り行い、午後からはナギノ様にお話を伺えたらと考えております」
「シンゼンソウジョウ……? って何ですか?」
「“神前奏上の儀”は、三大機関が事前会議で決定した内容について、神――つまりナギノ様へ“お願い”するための儀式です」
「えっ、私、何かしないといけませんか?」
カンペとか用意しなきゃいけないかな、と焦る私を安心させるように、パルシーニはやわらかく微笑んだ。
「いいえ、大丈夫です。我々がすべて進めますので。
最後に『お願いします』と申し上げますので、その間、ナギノ様はただ座っていてくだされば結構です」
ほっとする……けど、同時に少し複雑な気分だ。
何もせずに座ってるだけって、完全なお飾りというか。いや、そうでないと私が困るんだけども。
「……すぐに終わりますから、気負わなくて大丈夫ですよ。
では次に、この国――聖サルフェリオについて、簡単にご説明をいたしましょう」
パルシーニはお茶をひと口すすり、話を続けた。
――ここ聖サルフェリオは、サホノ神を信仰する宗教国家。
国を支える三大機関として、「大聖院」「騎士団」「統制院」がある。
大聖院は宗教機関で、神官たちの総本山。パルシーニはその頂点に立つ人物らしい。
騎士団はその名の通り、武力を担う組織。イオはこの所属だろう。
統制院は主に魔石の管理を司る行政機関。様々な部門があり、その内の研究部門に、あのジョアがいるらしい。名前を聞いた瞬間、ぶるりと背筋が震えた。
そしてこの世界において、サホノ神は、かつて混沌の世に“魔法”と“魔石”をもたらし、世界を救った“救世主”なのだという。
聖サルフェリオではサホノ神は絶対的存在でありながら、実務には直接関わらないのだそうだ。
その点に関しては本当に良かった。正直、ここまでの情報だけでも頭がいっぱいだ。ノートにでも書き留めておきたい。
「……あれ? 私、鞄ってどうしたんだろ?」
今更ながら、学校帰りで鞄を持っていたことを思い出す。すっかり忘れていた。
スマホも鞄の中だし、お弁当箱や教科書、明後日提出のレポートの資料も入っていた。……もう提出は無理だけど。
「お鞄ですか? 特にそれらしいものは、ナギノ様はお持ちではありませんでしたが……」
いろいろ聞いてみても、どうやら私は何も持たずに召喚されたらしい。
……また忘れ物か。忘れ物常習者の私、ここでも忘れるのか……。
もし伊織がこのことを知ったら、きっと呆れたような顔をして、『あーあ。だからさっき言ったのに』って言うんだろうな。
それでいて、『ほら、俺の貸してやるから。手、出して』って、自分の持ち物から貸してくれたり、一緒に探してくれたりするんだろうな。
……会いたいな、伊織。
ちょっとだけしょんぼりする私をよそに、パルシーニとの面会はひとまず終了し、彼女は部屋をあとにした。
ーーこの世界の時計や一日の長さの考え方は、元の世界とあまり変わらないようだ。時間の感覚が同じなのは、ありがたい。
とはいえ18時半にはもうお腹がはち切れそうだったし、今日はとにかくいろんなことがありすぎて疲れた。
なので夕食は断って、着替えと寝る支度を整えてもらい、21時過ぎにはふかふかの寝台に身を沈めていた。
「……お布団、ふわふわ……。お花みたいな、いい香り……。
天蓋ベッドなんて、お姫様みたい。ほんとに……異世界転生ものみたい……」
この前まで読んでいたのは、悪役令嬢に転生する話だったな。他にも魔王や、人外なんてのもあったっけ。
ーーまさか、自分が“神様”になるなんて。お母さんたちが聞いたら、さぞかし驚くだろうな。
……そういえば、異世界転生した主人公たちって、ホームシックになる描写ってあんまりない気がする。
たいていは交通事故や病気で亡くなってるから、そんな感傷に浸ってる余裕もないのかもしれないけど……。
「……お母さん。お父さん。お姉ちゃん……。私、とんだ誕生日になっちゃったよ……」
お母さん、ケーキ買ってきてってお願いしたのに、ごめんなさい。
お父さん、“今日は一緒にお酒飲もう”って言ってくれたのに、ごめんなさい。
お姉ちゃん、日曜に一緒に買い物へ行く約束してたのに、ごめんなさい。
「……早く……家に帰りたいよ……」
カーテンに包まれた天蓋の中は、ほんのり薄暗い。
近くでそっと控えてくれている侍女たちにも憚りながら、私はひとり、枕に顔を押し付けて、嗚咽を漏らした。
ざざっと説明回。ちょっと長くなってしまいました。もっと盛り込みたかったのですが、また後日。
次は儀式に臨みます。