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そして、静寂は破られた

*****



 月のない未明の空に、星だけが瞬いていた。

 星明かりの下、ゆるやかに蛇行する大河。その細長い橋のたもとに設けられた陣地を、松明の炎がゆらゆらと照らしている。


「……霧が出てきたな」

 見張りに立つ兵の声が、闇に吸い込まれた。

 森と岩山が迫る川面には、うっすらと白い霧が静かに流れている。


 隣の兵が口元をほころばせる。

「お前の親父さんが言ってたっけな。『霧は戦の前触れ』だって」

「またその話か……。ロアンは親父の話をよく聞いてくれて助かるよ」

 同郷の仲間にロアンが笑い返す。今は同じく徴兵された身だが、互いの顔を見れば、不安よりも気丈な笑みが浮かぶ。


 松明の明かりは橋の手前と中州をわずかに照らすだけで、霧の向こうは深い闇に沈んでいる。

 川のせせらぎと、自分たちの呼吸音だけが夜の中に響いた。


「静かだな……」

 ロアンの掠れた声が、夜気に溶ける。


 ――その瞬間。対岸の闇の中で、きらりと閃光が走った。



*****



 遠くで、雷が落ちたような音がした気がした。


 ぼんやりと意識が浮かび上がる。次の瞬間、誰かに肩を激しく揺さぶられた。

「ナギノ様、起きてください!」


「なに……?」と目をこすりながら上体を起こすと、ルーリの声が張りつめていた。

「――敵に動きがあったそうです。すぐにご準備を!」

 その一言で、夢の残滓が一気に吹き飛んだ。



 慌てて支度を整え、幕の外へ出る。外では「点呼!」と叫ぶ声や、馬の嘶き、走る足音が交錯していた。

 まだ夜明け前で、空は真っ暗。けれど松明と照明が焚かれ、村全体がざわめきに包まれていた。


 幕の前では、トルユエ、イオ、イリサグがすでに待機していた。

 ばちっとイリサグと目が合う――が、一昨日の侵入の件が脳裏をよぎって、どう顔を向ければいいか分からない。先に目を逸らしたのは、彼の方だった。


「……何か用ですか?」

 ぶっきらぼうな声。左右のイオとトルユエの眼光が、鋭く光る。

「おい。お前、言うことあるんじゃねぇのか」

 トルユエの低く刺すような声に、イリサグがわずかに眉をひそめた。

「……一昨日は、申し訳ありませんでした」

 私を一瞥し、早口で短く言葉を残す。


 ――彼はただ、話したかっただけだ。私がすぐ起きていれば、あんな大事にはならなかったのに。

「私も、」と口を開きかけた瞬間、イリサグが舌打ちして睨んできて、慌てて口を閉じる。

「謝ったら怒りますよ。……ほら、スーウェン様が来ました」


 苛立った彼の言葉通り、規律正しい足音が近づく。

 スーウェンが現れると、全員の顔を順に見渡し、私に視線を止めた。


「――複数地点で、帝国の動きが確認されました。

 ナギノ様には、これより中央小橋へ移動していただきます。一部はすでに先発しました」


 彼の声に緊張が走る。

「先に馬を」と短く告げると、スーウェン以外のみんなは素早く駆けていく。

 すると幕の中のエフィナが「ナギノ様、忘れ物!」と叫び、私の手に木製の小さな耳栓を押し付けた。


「わ、ありがとう! 持ってくの忘れるところだった!」

「もう、危なかったですね。どうかお気をつけて」


 くしゃっと笑ったエフィナに「行ってくるね」と告げ、スーウェンと共に幕を後にし、ルーリ達の向かった方へ歩く。

 いくらも進まないうちに、スーウェンが立ち止まり、身をかがめて耳元で声を落とした。


「――『イオが傍に居る方が、魔法が安定して発動する』という話。誰かに、話しましたか?」

「え? は、はい。イオにだけ……」

 ふっと、スーウェンは小さく笑う。影で表情は見えないが、耳に触れた吐息に、ぞくりとした。

「恥ずかしがり屋のあなたが、こんなに早く口外するのも、本人へ直接話すのも、少し意外でした。……他の者には、言わないでください」

「どうし……」

「――ところで。ナギノ様は一人で馬に乗れないでしょう。私と相乗りしますから、そのおつもりで」

「……ええ!?」


 疑問が吃驚で吹き飛ぶ。スーウェンはもう身を離し、いつもの無表情に戻っていた。


「同性だし、ルーリとじゃダメですか……!?」

「ルーリとイオは衛騎士で、魔石の使用が認められていません。最も安全なのは、私の傍です。移動距離も短いですから」


 顔を引きつらせて苦言を呈してみるも、きっぱりと否定され、彼はさっさと踵を返した。


 ……最近のスーウェンの言動を考えると、正直、ためらう気持ちが大きい。

 けれど文句を言っている暇もない。私は小さく息を吐き、彼の後ろを足早に追った。



-----



 私と護衛騎士たち以外にも20人の騎士が同行し、青白い灯りを頼りに、川沿いの暗い森を進む。

 松明の光が木々の影をゆらめかせ、蹄の音だけが静寂を刻んでいた。


 突如――雷が落ちたような轟音が、連続して鳴り響いた。

「きゃ……!」

 全身がびくりと震え、馬上で体のバランスが崩れかける。でもすぐ後ろでスーウェンの腕と太腿が支え、動きを固定した。

「……魔石による破裂音でしょう。敵の攻撃かと思われます」

 淡々と告げるスーウェンは、まるで動じていない。けれど私の心臓はばくばくと暴れ続けていた。


 慌ててエフィナから渡された耳栓を取り出そうとすると、すかさずスーウェンの声が飛ぶ。

「侍女から何を受け取っていました?」

「あ、耳栓です。私、大きい音が苦手なので……」

「――渡してください」

 ぴしゃりと、冷ややかな声。彼は片手で手綱を操りながら、空いた手を差し出した。


 言われるままに渡すと、スーウェンは「トルユエ!」と隣へ呼び、そのまま彼へ投げ渡した。

「え!? あ、あの!」

「装着されては困ります。私の指示が聞こえなくなりますから」

「そ、それは分かってますけどっ……! でも、ほんとに苦手で!」

「問題ありません。すぐに、怖くなくなりますから」


 ――音に慣れるってこと? いや、それができたら苦労しないよ……!


 淡々とした口調に、涙目で心の中で叫ぶ。だが返してくれそうにない。

 がっくりと肩を落とし、反論の言葉を飲み込んだ。


「落ち着けよ。出発の挨拶の時は、平然としてたじゃねぇか」

 並走するトルユエが、からかうように笑う。

「いや、正直怖かったです。でも、あの時はまだ想像できたから……。こんな突発的なのは、ほんとに苦手で……!」


 ――小学3年生の時の記憶がよみがえる。剣道場の先生の、雷が落ちて爆発したような大声。

『……怖いものは怖いから。無理しない方がいいよ』

 伊織の言葉が脳裏を掠めた。あの大声が原因になって、大きな音は全般的に怖い。


 視線を落とすと、馬の足取りがゆるやかな坂道を登っていることに気付いた。

「……あれ? 橋に向かってるんですよね?」

「はい。ただ我々のみ、少し寄り道をします。間もなく合流地点です」

 首を傾げていると、やがて隊列が止まり、馬を降りた。


 しばらくも経たない内に、森の向こうから一人の兵士が現れ、私の前で膝をついた。

「ロアンと申します。本物の神様とお会いできて光栄です」

兵士は顔を上げる。四十代ほどの、よく日焼けした肌の男性。

「彼は地元民です。ここからは彼の案内で進みます」

 スーウェンが説明すると、ロアンはにっと笑う。深く皺が刻まれて、親しみやすそうだ。


「橋の状況は?」とスーウェンが尋ねると、彼は表情を硬くする。

「敵の攻撃は音と光ばかりで、まだ目立った被害はありません」

「聞いていた状況と変化はないな。早速、案内を」

 頷いたロアンが立ち上がる。私と護衛騎士たちだけが彼の後に続き、暗い森へ進んで行った。



 ――轟音がだんだん近付く中、頼りない灯りしかないのに、ロアンはまるで昼のようにすいすいと進む。時折、心配そうに振り返った。

「神様、大丈夫ですか? もうすぐ着きますから」

「は、はい……」

 私は――冷や汗だらけで、ずっと血の気が引いた状態だ。音に慣れる気配は、全くない。


「……この辺りは岩山が川の近くまで迫っていて、上からは中央小橋がよく見えるんです。

 俺は漁師でしてね、魚もよく獲れるし、川も綺麗ですよ」

 緊張を和らげようとしてか、ロアンは気さくに話しかけてくれる。気遣いが温かくて嬉しいのに、返事がぎこちなくなる。

「そ、そうなんですね。落ち着いた時に、ゆっくり見てみたいです」

「ぜひ! トーのみんなで案内します」

 聞けば、"トー"とは私たちが拠点として利用している漁村の名前で、ロアンは村の住民だそうだ。徴兵された者以外の人は近隣の町や村へ避難しているらしい。


 スーウェンが軽く咳払いをすると、ロアンは慌てて前へ向き直し、歩調を速めた。

 やがて足が止まり、ロアンは前方を指差した。

「この上です。ここなら川からは見えません」

 灯りを向けると、ごつごつとした岩肌が段々に重なり、上へと続いている。

「音が止んでいる間に登りましょう。足元に気をつけて」

 スーウェンが促す。確かに今、周囲は静かだ。……登っている最中に、また音が鳴りませんように。


 ロアン、ルーリ、スーウェンに続いて岩場へ手をかけた。傾斜はきつくないものの、みんなが腰に提げている腰の灯りだけでは足元がよく見えない。

 列の前後から心配されながら、慎重に、なるべく急いで登る。――その時、唸るような轟音が夜気を震わせた。

「――っ!」

 体が跳ね、足が滑る。咄嗟にイオとイリサグが両側から支えた。

「ちょっと、気をつけてください」

 イリサグの声に、「ご、ごめん……」と謝る。

「……音、大丈夫ですか? 苦手でしたよね」

 反対側のイオが小声で尋ねてきた。


 ――平時なら、イオはきっと「無理しない方がいい」と言ってくれるんだろう。

 でも今は違う。不安でたまらないけれど、我が儘なんて言っていられない。


「き、気合いでなんとか……する!」

 震える声で言うと、イオは苦笑して頷いた。

「……頑張って」

 彼の手が、そっと背中を押す。

 岩肌の冷たさよりも、掌の温もりが確かに伝わった。


 私は息を吸い込み、再び手足に力を込めて――夜の岩場を登り始めた。



更新が遅くなりました。やっと出発できました。

次はどかーんとしていきます。

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