普通だったら、良かったのに
2025.10.14 誤字訂正しました。
"イオが傍にいる時の方が、魔法がうまく発動できた"――そんな話、今までにしたことがあっただろうか。
一瞬、否定しかけた。でも脳裏のどこかで何かが引っかかり、言葉を飲み込む。
何日前だったか、ぽつぽつと滲む――夢の切れ端みたいな、煙みたいに掴めない曖昧な記憶の日。
「……ルーリが演習に出た日、私らって何か話したかな? ごめん、記憶が少し曖昧で……」
記憶の狭間に、考え込むイオの姿がちらりと映った。でも映像に焦点が合わない。
――どこか懐かしくて甘い香りが、鼻の奥をくすぐった気がした。
「魔法の発動に関する話はしていないと思いますが……すみません。俺も少し、記憶が薄くて」
「え、イオが?」
記憶力のいい彼にしては珍しい。イオは目を伏せ、申し訳なさそうに言う。
「あなたが目を覚ました夕方頃までは、はっきり覚えてます。でもその後が曖昧で……夜からは覚えてるんですが」
記憶が曖昧なことに――私も最初は違和感を覚えていた。
でも、私はもともと忘れっぽいし……少しくらい曖昧でも、そういうものかと気に留めなくて、そして数日が経つうちに「違和感があったこと」さえも薄れていく。
だけど、なぜか――まるで足元に、見えない大きな影が伸びている気がした。
「……ナギノ様?」
落ちてきた声にハッとする。
無意識に身を強張らせていた私を心配そうに見つめ、イオはやわらかく微笑む。
「俺の方でも確認してみます。……俺の勘違いかもしれませんし」
その穏やかで優しい声に、張りつめていた力が、少しずつほどけていった。
「じゃあそろそろ、幕へ戻りましょう」
「……うん」
返事をしようとして、言葉が遅れる。
――この優しくて安心できる時間が終わってしまうのが、惜しい。
乾いた喉に唾を飲み込んだ。
「……また、一緒に散歩してくれる?」
出た声は、少し掠れていた。イオが「え?」と目を瞬く。
「私、あんまり自分から質問しないし、無関心に思われても仕方ないんだけど……。
でも、本当はみんなのこともっと知りたいし、仲良くなりたい」
指先をきゅっと握る。俯きそうな顔をぐっと上げ、まっすぐ見つめた。
「だから……イオのことも、知りたい。もっと話、聞きたいな」
静かに話を聞いていたイオは一瞬、目を見開いた。
それから少し眉を下げ、柔らかく笑う。
「はい。また、ぜひ。……俺も、あなたのこと、もっと知りたいです」
その真っ直ぐな言葉と熱を帯びた声に、胸が跳ねる――本気で勘違いしそうだ。
顔も、心臓も、熱い。それでも、その眼差しから目を逸らせない。
自分の鼓動が耳の奥で響いて、うるさい。
「……ふっ。ふふ……っ」
不意にイオが息を漏らすように笑った。
少しだけ照れたように顔を逸らす彼に、私もつられて頬が緩む。
――イオは、よく笑ってくれる。こういうところ、……いいなぁ。
「行きましょう。……馬の世話係に、長居を詫びないと」
「あ、ごめん……!」
気を遣って離れてくれていた兵士に頭を下げ、慌ててトルユエとエフィナの元へ戻る。
2人はにまにまとした顔で、こちらを見ていた。
「散歩って言ってたのに、随分長い立ち話だったな?」
「本当ですねぇ。うふふ」
トルユエの軽口に、エフィナも楽しげに笑う。
気恥ずかしくて、私もイオも2人から目を逸らして、足早に幕へ戻った。
******
――一時的に指令所として使われている漁村の集会所には、小さな礼拝室がある。
青いガラス越しの光が木造の壁に落ち、静かな空気を染めていた。
その窓を背に、スーウェン様の低い声が響く。
「……我々はナギノ様と共に、敵の渡河地点へ移動する。
私が先導し、トルユエは補佐だ。イオは指示に従うように。……いいか?」
視線がイオ――俺へ向けられ、「承知しました」と答える。
――対岸の『ガルメザル帝国の渡河が近い』と明言されたのは、2日前。
騎士や兵たちは"南部の港"や"河に架かる橋"、そして"拠点"であるこの漁村を中心に、分散して配置を終えている。敵が動けば、すぐ連絡が入るそうだ。
朝の散歩の後、ナギノ様を幕へ送り届け――そのまま俺とトルユエ様は打ち合わせに呼び出された。
情報共有がひと段落すると、隣のトルユエ様が地図をスーウェン様に差し出す。
「……補佐役は、イリサグじゃなくて俺でいいんですか?」
地図を巻きながら、スーウェン様は淡々と答えた。
「お前の方が適任だ。……立場を気にしているなら、主であるナギノ様が『気にしていない』と言ったのだろう? なら、私が気にする方がおかしい」
さらりとした言葉に、トルユエ様は顔をしかめて俺を見る。目が合うと、はぁ、とため息を吐かれた。
「イリサグを赦すことといい、俺のことといい。あいつは懐が深いというか……気にしなさすぎだろ」
頭を搔きながらぶつぶつとこぼすぼやきに、思わず苦笑が漏れる。
――ナギノ様にトルユエ様を推薦した時、俺の中に打算が全く無かったとは言えない。
だからイリサグ様に「神を利用した」と指摘された時、何も言い返せなかった。
それでも彼女はトルユエ様の解任を否定した。俺のことは……そもそも気にかけてもいなさそうだな。
……また今度、ちゃんと話をしよう。
「主を"あいつ"呼ばわりするな。――話は以上だ、出ていい」
スーウェン様は静かに言い、巻いた地図を窓辺の台に置いた。
トルユエ様は扉へ向かい、俺はスーウェン様へ歩み寄る。
「別件で少し、お伺いしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
軽く目元を揉む彼に、努めてさらりと尋ねた。
「ナギノ様の魔法の発動に、"俺が近くにいること"が関係していると聞いたのですが……何かご存知ですか?」
2人の動きが、一瞬ぴたりと止まった。
しかし扉の取っ手に手をかけていたトルユエ様は、躊躇いなく部屋を出ていく。
スーウェン様は目元を押さえたまま、扉が閉まるのを最後まで見届けると、ゆっくりと俺へ視線を移した。
細めた目で、静かに窺う眼差しは――吹雪でも吹いているように、ぞっとするほど冷たい。
「ナギノ様が、仰っていたのか?」
「……はい」
……視線だけで、皮膚の奥まで凍らされそうだ。
沈黙が落ちて、薄い壁越しに、隣室のゴルジョ様や指揮官たちの声がくぐもって聞こえた。
冷ややかな視線に怯まないように、意識してまっすぐ見返す。
やがてスーウェン様が小さく息を吐いた。
「……そうだな。どうやら首脳陣も同じ考えらしい。
だからどんな戦況になろうとも、お前はナギノ様の傍を離れないように」
わずかに言葉を溜めてから、目元から手を離し、静かに言葉を紡ぐ。
先ほどまでの威圧感もなくなり、もういつもと変わらない落ち着いた様子だ。それでも、息が深く吸える雰囲気ではない。
「……何故なんでしょう。ナギノ様も分からないようでしたが……」
「私の与り知るところではない。……話は終わりか?」
訊きたいことは色々ある。だが、この場は一旦引いた方が良い気がした。
「はい」と短く答え、頭を下げて扉へ踵を返す。
「――ところで、散歩は楽しかったか?」
息が詰まった。
……さっきナギノ様を幕の外に連れ出したことを、まだ報告していない。
振り返ると、温度を感じない視線に再び貫かれる。黙って見られるだけなのに、ぎゅっと、はらわたを掴んで絞られるような心地がした。
「……申し訳ありません。報告が遅れました。ナギノ様の気分転換になればと思って……」
「そうか。しかし、私に一言もないのは業務上、迷惑だ。
イリサグといい……勝手な行動は慎め。先に相談するように」
淡々とした口調。正論で、反論の余地などない。
――イリサグ様は、普通なら解任か処罰を受けているはずだ。でもそうならないのは、ナギノ様のおかげと言うより、"誰かの介入"があるのだろう。
自身も護衛騎士で、まとめ役も務めるスーウェン様は各所との間で、恐らく相当に苦労していると思う。
「申し訳ありません」と再び頭を下げると、彼は息を吐いた。
「もういい。……ただし、安全のため、もう連れ出すな。
そして魔法の件は、誰にも口外しないように。――ナギノ様へは、私からしっかり話しておく」
いつもなら、素直に頷いて終わるところだ。
「……承知しました」
だが何故か、言葉が喉に引っかかった。――彼は冷ややかな眼差しを向けたまま、ゆっくり首を捻る。
「何か言いたいことがあるか?」
「いえ。別に、何も」
「……そうか」
呟くように小さく言うと、スーウェン様は窓の方へ振り返った。
「……失礼します」と静かに頭を下げて、俺は足早にその場を後にする。
廊下を歩きながら、無意識に息を吐いた。
――スーウェン様は、いつも泰然としている。
表情には乏しいが、暁騎士の肩書に胡坐をかくこともなく、淡々と職務をこなす尊敬できる方だ。
……でも、どうしても胸の奥がもやもやとざわつく。
彼がナギノ様に触れたときの光景が、頭をよぎる。
撫でた髪、握られた手、顎をそっとすくう指――その度に戸惑って、頬を赤らめる彼女の姿。
あれはときめきじゃなく、ただ驚いているだけ……とは思うのだが。
……スーウェン様も、やけに彼女と距離が近くないだろうか。
妙に対抗意識が働く自分が、ひどく子どもっぽくて馬鹿らしい。感情がぐちゃぐちゃと渦巻いた。
「……いっそ、神じゃなければ良かったのに」
その独り言は、自分でも気づかないうちに、唇からこぼれ落ちていた。
外へ出ると、夏の陽射しが降り注ぎ、眩しくて暑い。
その中、先に出ていたトルユエ様が俺を待ち構えるように、出入口の正面に立っていた。
「トルユエ様?」
「……変なことに、首突っ込むなよ」
唐突に話しかけられる。……"変なこと"とは、さっき話していた魔法の発動条件の話だろうか。
しかし何を指すのか分からない。返答に迷っていると、苦い顔をしていた彼は諦めたように、大きくため息をついた。
「そういや、ナギノ様にも早いとこ言い訳してもらわねぇと。俺らの報告だけじゃ、スーウェンにどやされるぞ」
「……もう、先ほど注意されました。『もう連れ出すな』と」
そう言うと、彼は「げっ」と顔を引きつらせる。
「今さら言い訳してもらっても手遅れか……。悪かったな、俺が後押ししたせいだってスーウェンに言っとく」
「いえ、俺にも責任があります。……それより、ナギノ様に悪いことをしました。
また散歩に行きたいと仰ってたのに……」
目を伏せる。
朝の彼女の表情や仕草が脳裏に浮かぶ。その一つひとつが、胸の奥をじんわりと温めた。
――いつか落ち着いたら、ゆっくり話をしたい。
そう思った瞬間、無意識に頬が緩む。
すぐに我に返って前を向くと、トルユエ様は複雑そうに、微笑んでいた。
「……普通だったら、良かったのにな」
ぽつりと、独り言のように呟く。目元に、なぜか憂いが浮かんで見えた。
何のことなのか、誰のことなのか――真意を測りかねて、何と反応すべきか分からない。
「ほら、もう行くぞ」
問い返す前に、トルユエ様は俺の肩を叩き、背中をやたら力強く押し出した。躓きそうになるのを堪え、足早に歩く。
川から吹く少し湿った風が、夏の日差しの中に溶けていった。
実際には15分くらいの会話かなぁと思うんですが。会話が多いと、話全体が長くなってしまう……。
次からは、ばちばちしていきます。




