神かどうかなんて関係なく、
「この前、トルマティ様が謁見したあと……"特別"なんて、変なこと言ってごめん」
出てきた声は、自分でも情けないほど弱い。けれどイオは、なぜかきょとんとしている。
「……どうして、ナギノ様が謝るんですか?」
思いがけない返しに、今度は私の方が呆気にとられた。
「え? だって……そのせいで、最近ちょっとよそよそしかったのかなって。
何か言いたそうなのに、言わなかったりとか……」
「それは――」
一瞬、息を飲むような間が空く。
イオは少しだけ言葉を探して、静かに続けた。
「……すみません。でも、あなたのせいじゃなくて……スーウェン様に注意されたんです」
意味が分からず「注意?」と聞き返すと、イオは目を伏せたまま、間をあけて話す。
「『主に、個人の事情で迷惑をかけないように』と。
……それから、『自制心を持て』とも言われました」
「自制心? イオは、すごく落ち着いてると思うけど……。
なにか、我慢しなきゃいけないようなことでもあったの?」
いつも穏やかで優しいし。それとも私が知らないだけで、実はどこかで喧嘩したりしてるとか?
イオは視線を逸らした。少し自嘲ぎみに、小さく笑う。
「……ありますよ。それに俺は、あなたが思うほど冷静じゃない。そう取り繕ってるだけです。
騎士や家の立場があるから、衝動的になるのを抑えてるだけ。……だけど最近は、それも上手くいかなくて……」
語尾が小さくなって、少し聞き取りにくくなる。……何か、色々と溜め込んでるのかもしれない。
――プライベートなことを尋ねるのは、すごく苦手だし、勇気もいる。
でも……このまま黙って見てるのは、もっと嫌だ。だけどこんな時、どう言えばいいんだろう。
「……あの。何か、しんどいこと、ある?
私で良ければ、ただの壁だと思って……話してくれて、いいからね」
たどたどしい言葉しか出てこない。……不器用な言い方しか出来ない自分が、恨めしい。
イオは無言だ。ひゅう、と河の方向から少し湿った風が吹いて、彼の髪を揺らした。
「……じゃあ、情けない愚痴を、吐いてもいいですか」
「うん」と私が頷くと、イオは深呼吸をする。何拍も間を置いて、静かに口が開いた。
「……以前、イリサグ様の件を『俺が説明します』と豪語したでしょう。なのに、結局ほとんど話したのはスーウェン様だった。……あれ、実はすごく悔しくて情けなかったんです」
……ず、随分前の話だな? 全く気にも留めてなかった。
「結婚の……家のことだって、結局、俺は何もできない。あなたに迷惑ばかりかけてるのに」
「そんなこと、」
気にしなくてもいいよ、と口にしかけて、ぐっと口を閉じる。……いけない、私は壁なんだ。
イオは私をちらりと見た。そして私の言おうとしたことが分かったようで、苦笑する。
「気にします。……いっそ立場なんて関係なく、言いたいことが全部言えたらいいのに」
――私の知らない所で、想像よりも沢山、我慢していることがあるのかもしれない。
「早とちりもするし。頭もぐちゃぐちゃで、余裕もなくて……本当に、格好悪い」
溢れ出すように言葉をこぼし、イオは深く息を吐いて、項垂れる。
……イオって、そんなこと考えてたんだ。
静かさが不思議と心地よい。数頭向こうの馬がぶるんと鼻を鳴らし、息づかいと風の音だけが、ゆっくりと流れていく。
――私が好きだった"伊織"は、いつも完璧で、弱音らしい弱音なんて吐かなかった。
余裕があって、憧れるだけで精一杯で。ある意味……神様みたいな人。
だけど今、目の前のイオは。真っ直ぐで、たくさん悩みもあって、不器用な――普通の人なんだ。
大きな馬たちに囲まれた小さな空間で、隣のイオの横顔だけが鮮明に見える。
――幼馴染みと瓜二つだけど、全然違う。
当たり前なのに。……私、イオのことを全然知らなかったんだな。
「……ごめん」
小さく呟く。伏せていた彼の顔がこちらへ向いて、こげ茶の瞳が不思議そうに私を見た。
「何がですか?」
「ううん、私の話……ごめんなさい」
情けないのか寂しいのか、この感情をどう表現していいか分からない。
上手く言葉に出せず、ただ、今までちゃんと向き合ってなかったことに、謝るしか出来ない。――けれどイオは、喉の奥で小さく笑った。
「ナギノ様は、よく謝りますね。どうしてですか?」
「あ、ごめ……ほぼ無意識かも。あはは……」
「ほら。その笑い方も、よくされます」
ぎくり、と体が固まる。自覚している癖でも、指摘されると恥ずかしい。
けれどイオの声は、叱るでも責めるでもなく、柔らかい。
「俺相手に、謝ったり、誤魔化し笑いをする必要なんてありませんよ」
「よ、よく見てるね。ごめ……いや、ありがとうございます……?」
恥ずかしさで頭が混乱してくる。イオはくすくすと笑って、続けた。
「見てますよ。そうやってちょっと緊張すると言葉が詰まるところも。
だから、この前のミリティ様との対決は、本当に驚いたんです」
その声が妙に優しくて、胸の奥がくすぐったい。
イオは笑みを深めながら、私へ静かに語りかける。
「……あなたは少し向こう見ずだけど、正義感があって、今だって……優しい。
もっと自信を持てばいいのに、どうしてそんなに誤魔化すんです?」
耳が熱くなる。柔らかい声のまま、真正面から褒められて――思わず息を呑んだ。
「そ、そんな立派じゃないよ。た、ただの悪癖だから。
波風立てたくないだけというか……とにかく、大したことじゃないよ」
ぎゅっと口を閉じる。
私にこれ以上話す気がないと察したのか、イオは小さく眉を寄せた。わずかに首を振り――静かに続ける。
「……もう一つ、訊きたいんです」
真剣な表情で、真っ直ぐに私を見た。
「さっきの話で、先日の"特別"のあと。どうして、あなたは泣いたんですか?」
「え……」
視線を逸らし、誤魔化すように白毛の馬のたてがみを撫でる。
するするとした毛並みの感触の中に、記憶が滲み出してくる。
伊織に大失恋した時を彷彿とさせられたのは後の話だ。だから、あの時は――。
「……『神だから大事』って言われたから。
当たり前なのに……今まで優しくしてもらってたのも、みんな"義務"だったのかなって思って。
……イオとすごく距離ができた気がして、ただすごく、悲しかっただけ」
私もイオに、ちゃんと向き合いたくて――ぽつりぽつりと、正直に言葉を吐く。
イオが、息を呑んだのが分かった。そして一瞬なにか言いかけて、途切れる。
でも私は言った傍から込み上げてきた恥ずかしさに、撫でる手を止め、思わず顔を伏せた。
沈黙の中で、自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。
――不意に、イオが距離を詰めた。
元から遠くなかった距離が、腕が触れそうなほどすぐ近くに、その気配が迫る。
身長差のせいで顔を大きく見上げると、彼の瞳が間近にあった。
イオはわずかに微笑みを浮かべ、私へ少し顔を寄せて、そっと囁き声を落とす。
「……傷つけて、ごめん。……騎士として、"神のナギノ様"が大事なのは本当。
でも――神かどうかなんて関係なく、俺は……"ナギノ"が大事だよ」
強調された名前と、熱のこもった吐息。
かあああ、と一瞬で全身に熱がのぼり、頭の中で血がごうごうと沸き立つ。
「い、言い方……! そんなふうに言われたら、勘違いしそうになるから、もう……!」
――伊織も言い方がいつも悪い人で、しょっちゅう勘違いさせられた。そのせいで何度も大失恋して散々懲りたから、このくらいの言葉でなんか、絶対に勘違いなんてしない。……したくないのに。
「だ、"大事"って、"友達として"みたいな意味だよね? そ、そういう誤解を招く言い方、ほんと良くないよ。
この前の謁見後だって、急に呼び捨てにするし……」
一瞬だけ、イオの顔に影が差したように見えた。
でも、今の私の脳は沸騰していて、とにかく鎮めるので精一杯だ。
「タメ口も前からお願いしてたけど、い、今そんなふうに言わなくても……。
わ、私ちょろいんだから。からかわないで……」
視線が泳ぎ、顔を両手で覆う。
懇願するように言ったあと、わずかに沈黙が落ちた。
「……ふ、ふふ……」
押し殺した笑いが聞こえた。
指のすき間から覗くと、イオが片手で口元を隠して、肩を震わせている。
「な、なに……!?」と睨みかけると、彼は眉を下げて柔らかく笑った。
「すみません。でもあなたは本当に……ふふ」
続きはなく、イオはまだ、おかしいのを堪えるように笑っている。
――私は真剣に言っているのに。やっぱり、からかってる。
むっとして、顔を覆っていた手を下ろす。
ひとしきり笑うとイオは一度小さく息をついた。そして、穏やかな眼差しでじっと見つめてくる。
こげ茶の瞳。吸い込まれそうなほど優しいのに、その奥の熱で、じりじりと焦げてしまいそう。
でも、目が逸らせない。
時間が……止まったような気がした。
――ひぃぃ、と馬がいなないた。
私もイオもびくっと跳ねて、反射的に半歩ずつ距離を取る。
……そうだ、ここは外だった……!
込み上げる恥ずかしさに、私は咄嗟に後ろを振り返る。
少し離れた場所で、エフィナとトルユエが反対側を向いて、肩を揺らし……2人とも堪えるように笑っているように見える。
こほん、とイオが隣で軽く咳払いした。
「聞いてくれて、ありがとうございます。……とにかく、あなたのことは全力で守りますから。
帝国との戦いがどれほどのものになるか分かりませんが、お役に立てるように務めます」
"戦い"という言葉に、胸がざわりとした。
せいぜい騎士団の訓練や、イリサグとの諍いくらいしか、戦いを連想するものを見たことがない。
この遠征地でも、私はずっと幕の中にいるだけで、戦いなんて現実味がない。
……まるで映画の中の話みたいで、想像すらできない。
考えるほど、不安が胸を占めていく。
それを振り払うように、私は引きつった笑みを浮かべた。
「そ、そういえばスーウェンさんがね。
私の魔法は『イオが近くにいる時のほうが安定している』って言ってたよ。だから、イオは私の傍にいるんだって」
「え? ……俺が、どうして?」
「いや、理由は分からないけど。
でも実際、そうなんじゃないかなって思うんだよね。
今まで魔法がうまくいった時って、いつもイオが傍にいたから」
――過去の魔法の記憶を辿りながら、誰がいたのか、どうだったのかを説明していく。
初めは半信半疑だったイオも、やがて表情を引き締め、口元に手を添えて考え込んだ。
「……確かに、俺は何度もナギノ様の魔法発動に立ち会いました。
でも、それ以外では全く発動しなかったんですか?」
「うん。……信じる?」
「当たり前です。本のこともありましたし、……」
ぴた、と言葉が途中で止まった。イオの顔から、すっと血の気が引く。
まるで、何か重大なことに気づいたかのように。
「……この話。前にも、話してくれましたか?」
その瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。
話し合うの大事。




