表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

60/64

幕の向こうから名前を呼ぶ声

 夕食後の、静かなひととき。

 私はエフィナと並んで茶器を磨いていた。


「……今日もずっと幕の中だったね。いつまで続くんだろ……」

 ぼやくと、エフィナも苦笑しながら頷く。

「気が滅入っちゃいますね」


 はぁ、と溜め息をついて手元のコップを磨きながら、今朝のことを思い出す。


 ――スーウェンさん、急にどうしちゃったんだろう。


 護衛騎士のまとめ役もしている、冷静で頼りになる人。

 無表情の奥には、何を考えているか読めない。笑うと妙に妖しい色気があって、うっかりすると吞まれそうだ。

 大人の彼が、子どもっぽい私なんか本気で相手するとはもちろん思えない。……けれどあの時の触れ方は、どう考えてもおかしかった。


「……スーウェンさん、どうしちゃったんだろ……」

 小さく、ぼそりと漏らす。


「――お呼びですか」


 低く澄んだ声が響き、入口の幕が動いた。

「ひゃあっ!?」

 悲鳴とともにコップを落としかけた私の手を、エフィナが慌てて押さえる。

 幕の隙間から、当のスーウェンが顔を覗かせていた。


「な、何か用ですかっ!?」

「名前を呼ばれたので。ちょうど外で護衛中でしたから」


 ……聞こえてたの!?

 入口は閉まっていたのに。というか、彼が護衛中だとは知らなかった。タイミング……!


 慌てる私の隣で、エフィナが「不用意に開けないでください」と注意する。

 しかし彼は、いつも通り淡々と「失礼しました」と返すだけ。

 まるで朝の出来事などなかったかのように、いつものスーウェンだ。


 磨いていた茶器をそっと置いて、少しでも動揺を隠そうと、咄嗟に思いついた話題を振る。


「あ、あの。承認待ちだった件って、どうなりました?」

 作戦を教えてほしいと願い出ていた件だ。ああ、と彼は何でもないように返す。

「残念ながら、最終的に団長判断で却下されました」

「ゴルジョさんが? やっぱり慣例だから……?」

「いえ。……ただ、ナギノ様が本当に気にされているのは"作戦"より――以前お話しされていた『圧倒的な魔法』を使う時機のほうでは?」

 スーウェンの声が、少し低く沈む。


 ……以前、「魔法を見せつけたら、みんな怖がって退いてくれるかな」と話したとき、彼はあまり良い顔をしなかった。よく考えたら、それとなく『圧倒的な魔法なら』と表現したのは彼だったか。

 ――子どもじみた考えだとしても、人に向かって魔法を放つのだけは、私は絶対に嫌だ。


 ごくりと唾を飲み込み、彼を真っ直ぐ見つめる。


「……そうです。できれば最初の段階で使えたらいいなって。そのためにも、作戦とか全体の動きを知っておきたかったんですけど……」


 私の言葉をじっと聞いていたスーウェンの視線が、エフィナへ向く。

「少し外で待機を」

「は、はい」

 エフィナが幕の外へ出ると、スーウェンが静かに中へ入った。


 正面で跪いた彼を前に、動揺を悟られないように背筋を正す。


「……作戦とは別に、私が"今だ"と判断した時、ナギノ様にお声がけします。護衛としても、私はお傍を離れる予定はありませんから」


「あ、ありがとうございます……」


 胸の奥がざわついて、返事がぎこちなくなる。言葉は頼もしいのに、朝の出来事が頭をよぎって、素直に受け止められない。

 私の反応を見て、彼は小さく息を吐いた。


「私だけなくイオも同様に、お傍を離れませんよ」

「え……イオ?」


「はい。ナギノ様の魔法は――イオが近くにいる時のほうが安定していますから」


 淡々と放たれた言葉に、思わずぽかんとする。


 ……そう言われてみれば、魔法が成功したとき、イオはいつも傍にいた?

 "気持ち"や"イメージ"ばかり意識して、周囲の"人"を条件として考えたことなんてなかったけど……え、本当に?


 考え込みそうになった瞬間、スーウェンがふっと立ち上がろうとする。ただそれだけなのに、私はびくりと肩を震わせた。

 立ち上がりかけた彼は動きを止め、過敏に反応してしまった私をしばらく見つめて……ふっと口角を緩める。


「また、いつでも名前を呼んでください」

「よ、用のある時には……」

「はい。……どうぞ、遠慮なく」


 スーウェンは艶っぽい微笑みを浮かべ――そのまま何も言わず、幕の外へ去って行った。


 入れ替わりで戻ってきたエフィナは、緊張でがちがちに固まったままの私を見るなり、目を丸くする。

「どうされました?」

「……な、なんでもない……」

 急にどっと全身から力が抜け、倒れ込むように私は大きく息を吐いた。


 ――その後、今夜から同じ幕で眠ることになったルーリがやって来たり、医療官が入眠の助けにとチャピを一口分だけ渡してくれた。

 他にすることもなく早めに支度を終え、寝具へ横たわる。

 灯りで薄くぼんやりと照らされた天井を眺めながら、私は考察の続きをした。


 ……どうしてイオが傍にいると、魔法の調子が良くなるんだろう。


 それに休憩地で言われた"思い出を意識しろ"って、一体なんでなんだろう。

 そんなの、聞いたことない。……すごく、変わってる。


 ――そういえば休憩地で、私……何を思い出したんだっけ……?


 ふと胸の奥がざわりと揺れた。でも――チャピの効果か、急に瞼が重くなってくる。

 そして思考の続きは、いつの間にか静かな闇の中へ沈んでいった。



 ――



 翌日。

 朝の騒がしい時間帯が一段落した今、幕の外からは人の声が遠く響くだけ。

 よく晴れた空気が漂っているのに、相変わらず私は幕の中で、重くため息を吐いた。


「――ナギノ様。今、よろしいですか?」


 鬱々とした気分のところへ、幕の外から名前を呼ぶ声が届く。……イオの声?

「いいよ」と返すと、エフィナが幕の入口を開けた。外にはイオとトルユエが並んでいて、イオが少し躊躇いがちに口を開く。


「その……もし良ければ、散歩でもしませんか?」

「え、散歩?」


 ……願ってもない誘いだけど、スーウェンは「なるべく幕の中で過ごすように」と言っていた。

 返事をためらう私の横で、トルユエがからかうようにイオを指差した。


「こいつがな、お前のことをずっと心配しててな。鬱陶しいんだよ」

「ちょ、トルユエ様……!」


 ……イオが私を心配?


 イオはトルユエをわずかに睨むと、気まずそうに視線を逸らす。


「……ずっと幕の中では、しんどくないかと思いまして。少しだけになりますが……」


 そして逸らした視線が、ゆっくりと私に戻る。

 その眼差しと共に柔らかい笑みが浮かんで――思わず、声も心も弾んだ。


「ありがとう! うん、すっごく行きたい!」


 外に出られる喜びよりも――イオの優しさと、久しぶりに正面から見れたイオの笑顔に、蕩けたように頬が緩んだ。

 でもすぐにハッと我に返り、慌てて表情を引き締める。


 ……い、いけない。浮かれ過ぎだよ、わたし……!


 変に思われなかっただろうかと、内心だらだらと汗をかく。イオは、わずかに目を見開いていた。

 その横で、トルユエが笑いを堪えきれず、イオの背中をばんばん叩く。


「スーウェンへの言い訳はナギノ様がしてくれよ。ほら、お前も良かったな!」

「は、い……」とイオは衝撃に顔を引きつらせながら苦笑し、「行きましょう」と道を譲ってくれた。



 ――到着した時は暗くてよく見えなかったけれど、この村は大きな川に面していた。対岸には深い森が小さく見える。

 ここは漁村だそうで、桟橋にはいくつもの舟が繋がれ、少し先には大きな白い橋が架かっている。


「川へは近づくな」とトルユエから言われ、私たちは反対側の方向へ。見張り台の脇を通り抜け、倉庫として使われている民家の裏へ回ると、十頭以上の馬が並んでいた。


「わぁ……たくさん! 近づいてもいいかな?」


 何本も並んで打たれた杭に繋がれているのは荷車を曳く馬たちのようで、どれもずっしりと逞しい体躯だ。毛並みは銀灰や赤茶、どれも陽の光を弾くように艶めいている。

 その中に、私の馬車を曳いてくれた白毛の馬を見つけた。


 数頭先で、まとめて馬の世話をしている兵士に声をかけ、干し草を食む白毛の馬へそっと近づく。

「こんにちは。……わぁ、綺麗」

 そっと馬の肩に手を添えると、イオが傍で首を傾げた。


「馬はお好きですか?」

「うん、動物はみんな好き! イオは?」

「……俺も好きです。なんでも」


 イオは目を伏せ、静かに馬の首筋を軽く撫でた。ゆったりとした仕草に、馬も穏やかに瞬きを返す。

 彼の横顔を見て、胸が和らいだ。


 ……イオと普通に話せるの、嬉しいな。


 昨日のスーウェンの妖しい雰囲気を思い出すと、余計に彼の穏やかさが沁みて、落ち着く。


「……あれ、トルユエとエフィナは?」

 さっきまで近くにいたはずなのに。周囲を見回すと、少し離れた場所で談笑している2人の姿が見えた。トルユエは私と目が合うと、軽く肩をすくめた。……エフィナと2人で話したいのかな?


「あの2人、仲いいね」と言って、イオとくすくす笑う。

 ふと、イオの視線が馬を撫でる私の手に留まった。

「……腕の赤みは、もう無くなりましたか?」

「え? うん、全然平気。ルーリやエフィナも冷やしてくれたし、ほら」

 イリサグに掴まれた手首を見せようと袖をまくる。が――イオはすぐに目を逸らし、下から私の手をそっと支え、袖を元に戻した。


「それなら良かった。……それと、肌はあまり見せないでください」


 やや不満げに、低く落とした声。

 すると支えた手が、ほんの一瞬だけ――私の手をやさしく包み込んだ。


 どくん、と心臓が跳ねる。けれどその手はすぐに離れて、胸が波立つように静かに疼く。


 ……あの時みたい。


 トルマティの謁見後、イオが数歩下がって行った――距離と沈黙を、彷彿とさせた。


 ――私のせいで、避けてるんだろうな。


 胸の奥がずくりと痛む。でも、宙に残された手をぎゅっと握りしめた。


 ……ちゃんと、謝ろう。


 無意識に息を止めていた。すうっと息を吸って、喉に詰まる空気をゆっくり吐き出した。



思いのほかスーウェンとの会話が長くなっちゃって、イオの話まで入りませんでした…。げふぅ。

次こそ。ちゃんと正直に話すの、大事。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ