癒しの光
(2025.8.2 一部誤字修正しました)
目の前にいる人は伊織に瓜二つだ。信じたくなかったけど、どうやら本当に別人らしい。本人や周囲の反応から見ても、それは明らかだった。
その事実を受け入れた途端、自分のいるこの場所が、本当に心細くて、ひどく不安定な場所に思えてくる。
言葉が通じるのが唯一の救いだけど、もしも知らない外国で一人迷子になったら、こんな感覚なんじゃないだろうか。
「……すみません。私が知っている人に、名前も顔もとてもよく似ていたので……間違えました。
イオ……さん? さっきは、助けてくれてありがとうございました。あの、怪我は……大丈夫ですか?」
イオの口元には小さな痣があるのが見える。あのおじさんに殴られた時のものだろう。
思わず心配すると、イオは少し驚いたようにしてから、ぱっと笑った。
「ご心配には及びません。このくらい、普段の訓練で慣れてますから」
「ええっ!? で、でも……」
暴力どころか格闘技すら縁のない私にとって、さっきの一連の出来事はかなり怖かった。
慣れるものなのか……。いや、慣れてても、痛いものは痛いんじゃないの……?
それに、あまり目立たないとはいえ、顔に痣があるのを見るのは、やっぱりちょっと痛々しい。
……そういえば小学生の時に、自宅前の坂道で一輪車の練習をしていて、側溝へ派手に落ちたことがあった。
勢いよくあちこち打って全身青アザだらけになり、私はもちろん、お姉ちゃんも怖かったのか大泣きするし、お母さんは私を見るなり「車にでも轢かれたの!?」と勘違いして、大慌てで病院へ連れて行ってくれた。
その夜、ちょっと高いけど大好きな店のチョコアイスを、「お見舞いだよ」と言ってお父さんが買って帰ってきてくれた。
そのチョコアイスも大好きだから嬉しかったんだけど、でも本当はそれよりも……何か、違うものが良かったような気がする。……何だったかな?
「……ナギノ様?」
イオの声で、我に返る。……そうだった。今は昔のことを思い出してる場合じゃない。ここは異世界だ。
だけど、あの時に食べたチョコアイス美味しかったなぁ……と未練がましく思い出しながら、私はイオへ手を伸ばした。
もちろん、触れられるような距離じゃない。
でも、彼の頬に残る痣が痛々しくて、気づいたら、そっと宙に手をかざしていた。
「庇ったせいで……本当にすみません。早く、治るといいんですが……」
ーーふわり、と光の粒が宙に舞う。
突然の出来事に、私は「え!?」と驚いて、慌てて手を引っ込めた。
イオも、周囲に控えていた侍女や騎士たちも、みんな目を見開いて宙に舞う光の粒を見つめている。
きらきらと輝いていたのは多分10秒もないほんの短い時間だったけれど、光の粒が消えた時、イオの頬からも痣が消えていた。
彼自身も何か感じるものがあったのか、手を痣のあった頬に添える。
「……わざわざ癒しを与えてくださり、ありがとうございます。神の愛と御力に感謝いたします」
戸惑いながらも、穏やかに目を細めて笑うイオに、私は「よ、良かったです……」と曖昧に返しておいた。
よく分からないまま、とりあえず場は解散、という流れになった。
退室の間際、イオがふいに真剣な顔で、私をじっと見つめてくる。何だろうと思うと、イオが声を静め、口を開いた。
「……俺なんかが差し出がましいですが、あまりご無理のないように。お身体をお大事になさってください」
意味がよく分からず、とりあえず「ご心配ありがとうございます」と返して、退室を見送る。入れ替わるように、控えていた侍女がそっと近づいてきた。
「ナギノ様。この後ですが、パルシーニ様より、くれぐれもお身体にご負担のないように……と仰せつかっております。
お部屋でお休みなさいますか? お茶やお菓子なども、ご用意できますよ」
……異世界のお茶やお菓子!?
別に今、すごくお腹が空いているわけじゃないけれど、喉は乾いている。
それに、スイーツ好きとしては、お菓子と聞いたら興味しかない。
「はい! ぜひ、お願いします!」
私の分かりやすい反応に、侍女がふふ、と優しく微笑む。
「かしこまりました。では、お部屋にお茶とお菓子のご用意をいたします。
ナギノ様は、どのようなお菓子がお好きですか? ケーキやクッキー、冷たい氷菓子などもありますよ」
わあ、選び放題! 氷菓子ってアイスみたいな感じかな?
どれにしよう、お菓子で一番好きなのは…………あれ、何だったっけ?
ケーキを最後に食べたのは、6月の陽菜の誕生日? 大学の近くにあるカフェでお祝いしたんだよね。
アイスは昨日の夜に、家の冷凍庫にチョコ味とソーダ味があって、何となくチョコの方にしたんだっけ。お風呂上りで暑かったんだし、ソーダ味にすれば良かったのに、変だなあ。
……あれ? 私、今日の大学帰り、伊織とどこに行ってたんだっけ……?
ぽつぽつと考え込む私を見て、どうやら一つに決めきかねていると判断したのか、侍女が「では全てを少しずつ、盛り合わせましょうか」と非常に魅力的な提案をしてくれる。
「はい! 是非それでお願いします!」
「まあ私、忘れっぽいからな」と適当に理由をつけて、私はさっき感じかけていた違和感を、心の外へそっと追いやった。