閉ざされた幕の中で、試す
「――間もなく到着します。あそこが拠点地です」
コンコンと馬車の窓が叩かれ、顔を上げると、騎乗したルーリが前方を指差していた。夜明け前の薄闇の中、灯りに照らされた村が浮かび上がっているのが見える。
霧のかかる川沿いを抜けて敷地へ入ると、「荷物はこっち!」などの声が怒号のように飛び交った。びくりと肩が跳ね、馬車が止まる。扉を開けると若い騎士の姿があった。
「長旅お疲れ様でした。侍女は荷ほどきを。ナギノ様はもう少し、この場でお待ちください」
エフィナだけが降り、一旦扉を閉める。待つ間、ぼんやりと窓の外を眺めた。
元は小さな村なのか、家屋の数はあまり多くない。しかし木造の家屋の合間には無数のテントが張られ、荷を下ろす人や、馬を引く人、あちこち忙しなく人々が行き交っていた。視線は鋭く、漂う緊張感が肌に突き刺さり――胸がざわつく。
しばらく待つと、スーウェンが扉を開けた。
「お待たせしました。ナギノ様の幕へご案内します」
彼の後に続き、集会所のような木造の建物の裏手へ回る。
小型のゲルのようなテントがあった。幕とはテントのことのようで、中では既にエフィナが荷ほどきを始めていた。
「安全のため、なるべくこの幕の中でお過ごしください。護衛騎士ですが――」
護衛騎士は常時2人、夜は交替で見張りを置くという。大勢の騎士団員らの幕とも近く、この敷地内では最も安全らしい。
私への説明を終えた後も、彼はそのまま私の後ろにいるルーリとイオにも「何かあればすぐ報告するように」と淡々と指示を出す。
その姿を見ていると、何となくファレンの姿が重なった。……しばらく会っていないけれど、彼女は元気にしているだろうか?
――柱が一本立つだけの幕の中は思ったより狭く、エフィナの荷ほどきを手伝い終えると、特にすることがなくなってしまった。
時々トイレで外へ出ることがあっても、食事も運ばれてくるので、ずっと幕の中で過ごす。
外では人々が忙しく動き、馬の嘶きや金具の音が絶えない。じっとしていると、その不安がじわじわ膨らんでいくようだった。
「……私にも手伝えること、ないのかなぁ」
膝を抱えて座り込む。柱の傍に置いたローテーブル越しに、エフィナが苦笑した。
「あたしは待つだけですけど、ナギノ様はいざとなったら戦場へ呼ばれるんでしょう? のんびり休んでてください」
「でも、この雰囲気で休むって……」
お茶を注いでくれる彼女の手元を眺めながら、私は膝に顔を乗せてぼんやり考える。
……そもそも戦争っていうもの自体、全然現実感がない。私が大学生だから?
「……今からでも話し合いで解決できないかな。それか前にも話したけど、空に特大の魔法でも放ったら、みんな退いてくれないかなぁ……」
ぼやく私にエフィナは何も言わず、複雑な面持ちでお茶をそっと差し出す。すっかり飲み慣れたここのお茶も、いつもなら少し甘味を感じるのに、心なしか味気なく感じられた。
「……私、嫌だよ。人に向かって放つなんて……」
吐き出した息に、幕の中の空気は一層重くなった。
――夕食と入浴を済ませた頃、「医療官です」と名乗る女性がやって来た。
「慣れない環境でお疲れでしょう。こちらをどうぞ」
手に持った盆には御猪口のような器が一つ載っていて、薄い緑茶のような液体が揺れている。
「これは?」と尋ねると、医療官は笑った。
「騎士団だけで扱っている“チャピ”と呼ばれる薬草を、煎じたものです。鎮静効果があって、落ち着きますよ」
エフィナがさっと手に取り、匂いを確かめ一口含む。一瞬考えた後、表情を緩めた。
「爽やかでいいですね。どうぞ」
毒見してくれたのかなと思い「ありがとう」と伝えて、私も口をつける。
――瞬間、喉と鼻にツーンと強烈な清涼感が突き抜けた。思わず顔が歪む。
「わぁ……ミントみたい。すみません、ちょっと苦手です……」
「えー、勿体ない」
歯磨き粉を飲んでるみたいな味だ。でも私とは対照的にエフィナには好評のようで、唇を尖らせている。
「飲みたかったら、いいよ」と器を彼女へ差し出すと、「じゃあいただきます」と言ってぐいっと飲み干した。医療官は目を丸めたあと、肩をすくめて笑う。
「仕方ありませんね。一口でも効果はありますから」
医療官が去り、やがて就寝の支度を整え終わる。ローテーブルの上に青白い明かりを一つを残し、布団に横たわった。
3日ぶりに身体を伸ばして寝るからだろうか。ふわあ、と大きなあくびが出て、あっという間に瞼がゆっくり落ちていった。
ふ……と意識が浮上する。誰かに、肩を揺さぶられていた。
掠れた声で「なに……」と呟き、重たい瞼を開く。しかしまだ目の前は暗い。――青白い灯りが逆光になり、浮かび上がる人影が眼前にいた。
一気に眠気が吹き飛んで、息を呑む――同時に、人影に口元をがっしりと覆われた。しーっと口元に指を立て、静かに合図される。
「……初めはちゃんと外から呼んでたんですよ。でも、あなたも侍女も全然起きないから」
潜めた、聞き覚えのある声が落ちる。人影をよく見ると――イリサグだった。
思わず隣のエフィナへ目を向けるが、彼女はどうやら寝ているらしい。静寂の中、イリサグが囁いた。
「話が、したいんです」
心臓はバクバクと脈打っていたが、それでも正体と目的が分かったので、私は小さく頷く。
覆っていた手が離れ、彼も少し身を引いた。ほっとして身体を起こし、「話って……?」と恐る恐る尋ねる。
彼は跪いたまま、真っ直ぐこちらを見据えた。
「あんまり持ち場を離れると怪しまれるので、手短に。――この前の夜、私が渡した花。何色でしたか?」
……花? イリサグさんから?
唐突で意味が分からず、頭が真っ白になる。
「い、いつのことですか……? すみません、覚えてないです」
私の答えに、彼のつり目が細く鋭くなった。
「私を吹き飛ばしかけた時、あなた、私に何て言いました?」
「覚えてないです……」
以前にエフィナ達が、"最低限の情報"としてイリサグとのやり取りを教えてくれた――でも、その中に答えが無い。
語気が弱まる私に、彼の表情は硬さを増していく。
「初めて会った日。訓練場で魔法の練習の合間に、茶葉の話をしましたよね。……あなたが話してたパサメは、今もお好きなんですか?」
パサメ? 茶葉?
さっきの質問もそうだが、訓練場での会話となると、エフィナも近くにはいない。私と彼で、何の話をしたんだろう?
……そもそも"パサメ"が何か分からない。「今も好きか」と言うのなら、私はあれこれ飲んだことがないので、もしかすると普段よく飲むお茶のことかもしれない、と推論した。
「う、うん。多分……好きです」
必死に考えを巡らせ、ゆっくり頷く。するとイリサグは顔を仰ぎ、深く息を吐いた。
数秒の沈黙のあと、再び鋭い眼光で私を射抜く。
「……そんな話、してません。パサメは薬草です。――やっぱり、私のこと忘れてますよね」
さぁっと血の気が引いた。
「な、なんのこと……」
「取り繕っても無駄です」
冷え切った声が容赦なく降りかかる。
「近付くなと言われるのは理解します。でも、スーウェンだけでなくトルユエ達まで妙にこそこそと……あなたの反応も明らかに変わりましたし。……一体どういうことです?」
息が詰まって、全身が硬直する。
――まさか、2人きりで問い詰められるとは予想してなかった……!
この状況では、スーウェンが言ってたように「無視する」なんて出来ない。
とにかくエフィナを起こそうと、寝息の聞こえる彼女に呼びかけようとして――口を開いた瞬間、彼の手に塞がれた。顎ごと掴まれ、息が詰まる。
「待て。答えを聞いてません」
イリサグの視線は、刃のように鋭い。浴びているだけで切り傷を負いそうだ。
必死に身をよじり、手を振りほどこうとするものの、呼吸が苦しくなってきて、無理やり立ち上がろうとした瞬間――どさり、と押し倒された。
本能的な危機を感じ、必死に足をばたつかせ、掛け布団を蹴り飛ばす。ローテーブル上の灯りがガタンと倒れたが、足もすぐに絡め取られ、全身を押さえ込まれてしまった。
「落ち着け……! 危害を加える気は一切ない……!」
言い聞かすように、静かに声が落ちる。
やがて口を覆っていた手がゆっくり外れたが、警戒しているのか、そのまま両手首を強く押さえられた。
至近距離で、彼の視線は揺らぎもせず私を貫いている。
――騎士を相手に、抵抗しても無駄だ。大丈夫、話すだけ……!
必死に自分を落ち着かせ、覚悟を決める。でも口から出た声は、情けなく震えていた。
「す、すみません。話します……」
「……ほら、また。『謝るな』って言ったことも忘れてる」
また?と引っかかったけれど、彼は呆れた表情を向けるだけだ。気にせず、私は口を開く。
「原因は分からないんです。でも、私……記憶の一部分を失くしたみたいで」
「……は? 記憶喪失ってことですか?」
一瞬、胡散臭そうな目を向ける。だが私が真剣に頷くのを見て、再び鋭さを取り戻した。
「で? ――オレのことだけ忘れた? 他の奴らのことも忘れたのか?」
彼の口調が荒っぽいものに変わった。私は正直に言葉を続ける。
「いいえ、他の人のことは覚えてます」
「はぁ……? 都合よくオレのことだけ忘れる記憶喪失なんて、あり得ないだろ」
もっともな疑問だ。でも私が答えずに黙っているのを見て、彼の顔が苦渋に歪み――手首に、ぎりぎりと痛みが走った。
「い、痛っ……!」
握り潰されるような力。熱を帯びた声が、震えて落ちる。
「魔石の件だけじゃなく……オレの存在ごと、「なかったこと」にしたってのか」
閉じられていた瞼が見開かれる。
アイスブルーの瞳の奥が、燃え盛るように揺れていた。
「なんだよそれ……いい加減にしろよ……!」
彼の言い分はごもっとも。
次はいっぱい話し合い。




