古い習わしの影、静かな行軍の検証
一度目の休憩地を出た後、遅めの昼食を小さな村でとっていた時。
「ええ? 今夜、野営せずにそのまま行くの?」
「はい。夜に出発して、明日の朝に目的地へ到着します」
休めるうちに休めということらしいが、ルーリの説明に、私は思わず目を瞬かせた。
「……全員が馬に乗ってるわけじゃないし、歩いてる人もたくさんいるよね。相当しんどそう……」
何か手伝えたらいいんだけどな、と思いつつ、しょっぱいスープをすすった。
――
村を出て、静まり返った夜道を、隊列は何度も休憩を挟みながらゆっくり進んでいく。
浅い眠りを繰り返すうち、馬車が止まり、外からトルユエや誰かの声がした。おそらく、また休憩地点なのだろう。
向かいで眠るエフィナは、安らかな寝息を立てている。
――コンコン。
窓を叩く音に目を開け、カーテンを少し開けると、スーウェンが立っていた。
「起こしてしまい申し訳ありません。少し、来ていただけますか」
潜めた声に、咄嗟にエフィナへ目をやると、彼は「彼女はそのままで結構です」と言った。なるべく物音を立てないように、馬車を降りる。
湿った夜気と、木々に囲まれた森。辺りは暗く、隊列の青白い灯りが周囲をぼんやりと照らしている。
鳥の声も聞こえず、馬の鼻息だけが静寂に響いていた。
兵士や騎士たちが道の脇で休む中、眠い目をこすりながらスーウェンの後を追う。私の後ろに続こうとするトルユエを、彼が声で制した。
「ナギノ様と機密事項を話す。少し離れて待て」
隊列から少し離れた所で、スーウェンは倒木の上に布を広げた。そこに座るよう促すと、自らは横に跪く。
地面に置いた灯りで、彼の精悍な顔が浮かび上がっていた。
「あと2時間もかからず現地に到着します。慣れない移動は、辛いでしょう」
「あ、いえ。私は寝ているだけですから……他の人たちのことを思えば、全然」
振動で熟睡できないので正直しんどいけれど、贅沢は言えない。
スーウェンは小さく息を吐き、申し訳なさそうに声を落とした。
「……希望されていた作戦開示の件ですが、まだかかりそうです。承認がなかなか下りなくて」
「そ、そうなんですか?」
「はい。何度か連絡はしていますが……再度、連絡しておきます」
「いや、大丈夫です、すみません!」
慌てて首を振る。別にスーウェンが悪いわけじゃないのに、彼を責めてるみたいだ。
だけどがっかりした気持ちは否めなくて、疑問を投げかける。
「そもそも……何でそんな“知らせない習わし”なんてあるんですか?」
「――サホノ様がそう望まれていたからです。
作戦に限らず……基本的に、最低限以上の情報はお伝えしないと決まっています」
あっさりと答えが返ってきて、一気に眠気が吹き飛んだ。
「えぇっ……!? なんでサホノ様は……困ったら周りに聞けばいい、ってことですか?」
「存じません。普段から『必要外の接触を避けるように』と、周囲との関わりを断っておられたそうです」
――なんてことだ。じゃあ、私が放置されがちだったのも、そのせい?
「どうにも変だと思っていたけど……サホノ様の頃の決まりのせいだったのか……」
納得できたような、できないような。……じゃあ本当に困った時は、一体どうしたらいいんだろう?
「ーーところで、先日お預かりした本ですが。お返しは、もう少しお待ちいただけますか」
スーウェンが話題を切り替える。
……そういえば、統制院へサホノ様の本を貸し出していたんだった。
「何か分かったんですか?」
「本そのものに関しては何も。しかし魔法発動について、仮定が出されました」
仮定?と首を捻ると、モスグリーン色の瞳が私をじっと見つめる。
「ナギノ様は何度も発動に成功されていますね。それは具体的に、どのように行っているのですか?」
逆に問い返され、咄嗟に答えられず口ごもる。
「……な、何となく? こんな風になったらいいなって考えて、『治りますように』って口に出したり……絶対じゃないんですけど」
スーウェンは表情を変えずに聞いていたが、目を逸らした。……自分でもふんわりとした表現しかできない、曖昧すぎる答えが、期待外れだったのかもしれない。
小さく咳払いをして、彼は言葉を続ける。
「……魔石と同じく、前提として"『願い』を想像し、口にする"ことは必要だとします。しかし過去の言動から考えて、それだけでは発動しないのでしょう?」
確かに――初めの頃なんて全く発動できなかったし、最近でもなかなか発動しない時はあった。私は深く頷く。
「成功する時とそうでない時で、ナギノ様が無意識にしている違いがあるはずです。
それが『願い』に加えた違う要素なのか、あるいは魔石以上に『願い』の想像が必要なのか。
――例えばですが、過去の出来事を連想してみるのはどうでしょう?」
……連想?
「『癒し』なら、例えば同じ状態を過去に見たことがあれば、そのときの処置を思い出して想像する、といった具合に」
私は思わず口に手を当て、顔を伏せて考察する。
「ふぅん……記憶から考えるんですね。新しくイメージを膨らませるんじゃなくて」
とにかく、過去の経験からそれらしいものを引き出せばいいのか――と私は顔を上げて頷いた。
「そう言われると、成功した時って、何か思い出してた気はします。ただ覚えてないくらい些細なことですけど……何だったかなぁ」
私が唸ると、スーウェンはすっと立ち上がり、手を差し伸べた。
「では実際に試してみましょう。――全員に『癒し』をお願いします」
「え、今から?」
「夜間行軍で皆疲弊しています。現地に入る前に回復できれば助かります」
遠目に、隊列を見やる。
徴兵された兵士たちは特にぐったりと道端に座り込み、青白い灯りに照らされて、一層顔色が悪く見える。
騎士たちも表には出さないが、疲労の影は濃く、空気が重い。
私は頷き、差し出された手を取って立ち上がると、一旦馬車の前へと戻った。
しばらくすると、伝令を受けたゴルジョもやってきて、白い歯を見せて笑う。
「よろしくお願いします!」
相変わらずの大声だが、いつもより少し抑え気味だ。多分、彼も疲れているのだろう。
短い休憩が終わり、騎士や兵士たちが続々と持ち場に戻ってきた。私は緊張しながら道の脇へ下がる。
帯状に連なる隊列――私の馬車は前方寄りの中央にある。
馬や歩兵が2、3列に並び、暗い森の奥は霧が漂う。ぎりぎり、隊列の端の灯りが見えた。
私の横には護衛を交替したイオ、反対側にはゴルジョと側近の騎士。そしてスーウェンがすぐ隣に立ち、隊列を眺める私へ背後から声を落とした。
「願いは『癒し』ですね。この光景を見て、何か連想できそうですか?」
振り返り、唸るように答える。
「うーん……こんな中世の軍隊みたいなの、映画でしか見たことないです。処置とか想像できないかも……」
隊列から「何をするのか」と注がれる視線が痛い。ゴルジョも期待に目を輝かせている。
うーん、と思わず片手で頭を抱え、顔を伏せた。その拍子にちらりとイオを見ると、目が合う。首を傾げた彼の顔にも、疲労の色が浮かんでいる。
……いや、ここで弱音ばっかり言ってちゃ駄目だ。とにかく、何か思い出してみよう。
考えを巡らせて――ぽん、と手を打った。
「大勢が疲れてる、って意味なら……高校のマラソン大会! うちの学校、10キロも走らされたんですよ」
強制参加の行事で、完走と同時に倒れ込んだり、ぐったりと座りこむ生徒が多かった。
「私もぐったりで、動けなかったんです。配られた水がすごく美味しくて……でも結局、友達に教室まで引きずられていきました」
マラソン大会の意味は分からないようだけど、言いたいことは伝わったらしい。スーウェンが「なるほど」と無表情で頷き、横でイオがくすっと小さく笑った。――漏れた笑い声に、思わず少し顔が緩む。
「……では、その思い出を意識しながら。癒しの言葉を口にしてみてください」
スーウェンの言葉に「はい」と返し、隊列へ向き直る。注目されるのは慣れないが、薄暗いのでまだマシだ。軽く自分の頬を叩く。
――完走後の水は、乾いた喉に本当に沁みた。あんなふうに、みんなの疲れもすっと流れて消えるといいな。
ふぅ、と深呼吸。胸の前でぎゅっと手を握りしめ、ゆっくり言葉を紡ぐ。
「……楽になりますように」
――掌から青い光が滲み出る。指の隙間から零れた光は、地面に落ちることなく空気を滑るように広がっていく。
音もなく、ただ静かに鎧の隙間を通り抜け、肩を撫で、背を包んだ。
知らされていなかった者は一瞬身構え、馬車の中から顔を出す者もいた。だが誰も声を発せず、隊列の間を流れる光を、ただ呆然と見つめている。
やがて光は霧と溶け合うように消えていった。
……周りが静かすぎて、端まで届かなかったのかと不安がよぎる。途端、ゴルジョの声が静寂を破った。
「素晴らしい!! 身体が軽くなりました、ナギノ様!」
感激した勢いで迫ってきて、「わ……!」と身がすくむ――同時に、スーウェンが割り込み、イオが私の肩を掴んで後ろへ引き寄せた。
ゴルジョの後ろで側近が慌てて「落ち着いて! 近い!」と腕を引っ張る。
「おっと、感動してつい。がはは!」
急停止したゴルジョは一笑する。
しかし笑いを収めるとすぐに表情を引き締め、隊列へ向き直った。
「――今のことは口外するな。癒された者は黙って進め。……神の愛と御力に、感謝を!」
拡声器もないのに、その声は森を震わせるように響いた。圧されながらも、兵士たちは「感謝いたします」と静かに頭を垂れる。
ゴルジョは「ではナギノ様も馬車へ」と告げ、足早に先頭へ向かって歩き去った。
私は無事こなせたことにようやく肩の力を抜き、ほっと息を吐く。
「お疲れ様でした」
柔らかい声とともに、イオの手が肩から離れる――と同時に、スーウェンの指先がすっと顎へ伸び、私をイオへ振り返らせまいと制した。くい、と顔を上げさせられる。
「――よく出来ました。その調子で、これからも……頑張りましょう」
甘く痺れるような声――私が反応する前に指が離れると、彼は悠然と「ではまた後ほど」と言い残し、ゴルジョの後を追った。
「え……あ、はい……?」
耳に残る余韻に、耳も顔も熱くなる。瞬きするのも忘れ、背中を見送っていると、イオは無言で私の背中に手を添えた。
「……こちらへ」
足早に馬車へ押し戻す。暗がりに沈むその横顔は、なぜかとても硬い。
馬車に乗り込む際、イオが手を貸してくれる間もーー何か話したいのに、喉に絡んで出てこない。
結局何も言わず乗り込むと、外から静かに扉が閉められた。
数話先のプロットを微調整してたら、こっちにも影響しちゃって、更新が遅くなってしまいました。なかなか思うように進まなくて、難しい。
そして今度こそさっさと現地入り。忍び込みます。




