無言の眼差しはあちこちで
「いたた……硬くて狭かったし、やっぱり身体ばきばきだよ……」
翌朝の出発前――慌ただしい準備の邪魔にならないよう、私たちは馬車から少し離れて喋っている。
腰をさする私に、ルーリは「大丈夫ですか?」と私を優しく気遣ってくれた。一方のエフィナは、とても可哀想なものを見るような目で私を見ている。
「ナギノ様は繊細なんですね。あたしは全然平気なのに」
「羨ましいです……」
なお、昨日貰った赤い花は、寝ている間に下敷きにしてしまったようで、ぐしゃっと潰れてしまった。
本でもあれば、挟んで押し花にでも出来たのに。……そういえば、前に統制院へ渡したあの本は、もう調べ終わったのだろうか。
結局、花はハンカチに包んで荷物箱の中に入れてもらった。
馬を引いたトルユエがやって来ると、ルーリは馬を取りに、エフィナは荷物の最終確認のため一旦離れる。ふわぁ、とトルユエは眠そうにあくびをした。
「そうだ、トルユエさん。昨日の朝、スケジュール説明してくれるの忘れてたでしょ」
軽くからかうつもりで言ったのに、なぜかぎこちなく顔を逸らし、「……悪い」と呟かれた。
不思議に思って顔を覗き込む。彼は目を逸らしたまま口を開いた。
「正直、お前に関しては秘匿事項が多いんだ。サホノ様の時もそうだったらしいが……だから、忘れてた。すまんな」
腑に落ちない言葉に胸の奥がざらりとする。
「あの、何でそんなに隠すんですか? ……私、この世界の『神』の扱いが、未だに全然掴めないんですけど……」
衣食住も安全も保障されているけれど、肝心なことは教えてもらえていない気がする。
魔法取得も急げと言われたのに助けはなかったし、ジョアみたいに煽ってくる人までいる。この遠征の作戦だって、事前に知らされないし、どうにも「大事にされている」実感が薄い。
「敬意を払う人もいれば、そうじゃない人もいるし……神様のイメージ、分かんないなぁ」
ぶつぶつとぼやく私を見て、トルユエは大きくため息をついた。そして、手綱を引く馬を顎で示す。
「……おい。この馬、ちょっと撫でてみたくないか?」
唐突すぎて瞬きをした。――でも実はちょっと撫でてみたかったので、思わず「ぜひ!」と笑みがこぼれる。
銀灰色の馬の大きな瞳は、とても穏やかだ。手を伸ばし、防具を避けて首筋を撫でると、思ったより硬い毛並みが掌に伝わる。
「わぁ……馬なんて初めて触りました。可愛い……!」
その時、正面にいたトルユエは、すっと耳元へ顔を寄せて囁いた。
「お前は"普通"なんだから。……考えすぎると、しんどくなるぞ」
低い声が響く。イオよりも明るい茶色の瞳が、じっと私を見据えた。
「え……どういう意味?」
問いかけても彼は答えずないまま、すっと身を離す。
胸にざわりと波紋が広がっていく気がした。思わず追いかけるように口を開きかけて――
「ナギノ様」
しかし遮るように、隊列の方からスーウェンが近付いてきて、口を閉じた。
彼はトルユエをちらりと一瞥した後、私へ少し躊躇いがちに声を落とす。
「イリサグの件なのですが……遠征中、我々護衛も警戒や偵察に回ります。そのため、どうしても彼と顔を合わせる場面があるかもしれません」
確かに昨日も、休憩のたびに護衛が交替していた。ここ最近はイオばかりが護衛してくれていたので、逆に新鮮に感じるくらいだ。
「イリサグには、あなたに接触しないよう伝えてあります。もし何かあっても、無視していただければ結構ですから」
「は、はい……」
実は昨夜、すでに話してしまいました――なんて、言えるわけもなく視線を逸らす。
スーウェンの瞳が一瞬だけ鋭く光ったが、すぐに表情を戻して「もう馬車へお乗りください」と言い残し、先頭へ戻って行った。
「ほら、行くぞ」
トルユエにも合図され、気持ちの晴れないまま馬車へ戻る。
先に乗り込んだエフィナに続こうとした時、横からすっとイオの手が差し出された。
「午前中は俺が同乗します。段差に気を付けてください」
思わず小さく息を呑む。
――昨日は最後にスーウェンにされた時以外、先に乗り降りしたエフィナが手を差し伸べてくれていた。だから、エスコートは侍女の役割だと思っていたのに。
「あ、ありがとう……」
大きな掌に指先を重ねる。温かな感触がじんわり伝わり、胸の奥で鼓動が跳ねた。
支えられて馬車に乗り込むと、イオも静かに後へ続いた。
――村の跡地を離れると、再び馬車は大きく揺れ始める。
窓の外には草原と疎林が広がっていた。遠くには小川が流れ、朝日を受けて水面がきらめいている。
「今日は2回休憩を挟み、到着は2時半頃になる予定です。ただし今夜は夜間の移動がありますから、日中なるべく、休めるときは休んでください」
がたがたと揺れる馬車の中、イオが淡々と説明する。
私が頷くと、彼は少し言いづらそうに視線を伏せ、言葉を続けた。
「……ところで。姉のトルマティ様から昨日、出発直前に連絡がありました。『先日の件を謝罪します』とのことです。……俺からも、改めてお詫びします」
あの謁見――名目と違って、実際はイオの婚姻話を持ち出されたんだもんな。
「ううん、大丈夫……」
答えはしたものの、胸の奥に浮かぶのはトルマティとの面会より、その後のイオとのやり取りだった。頭を下げた彼が顔を上げても、馬車内には重い沈黙が落ちる。
向かい合って座る距離が、余計に気まずい。
思わず隣のエフィナに助けを求めるように視線を送るも、「そんなこと言われても」と声が聞こえてきそうな顔をした。彼女は少し考え、やがて明るい声を作った。
「そ、そういえば! リスマーヌ様はお元気ですか? 何年か前にお見かけしましたけど……」
「元気です。先日、85歳になりました」
どこかで聞いた名前だなと思い、私は首を傾げる。
「どちら様?」
「イオ様のお父様ですよ」
「あっ、そうなんだ……えっ、85!?」
無意識に自分の父親と比べてしまい、思わず声が大きくなった。慌てて口を押さえる。
孫娘がいるお姉さんを思えば不自然ではないけれど……それにしても、歳の差が大きい家族だ。
「イオって……他にもたくさん兄弟がいるの?」
もしかすると複数の兄弟がいて、それで歳の差があるのかな――と想像しながら興味本位で尋ねると、彼は一瞬だけ表情を曇らせた。
「……兄が2人、姉が1人です。俺はずっと後に生まれたので、歳が離れてるんです」
失言だったかと一瞬身体が強張ったけれど、すぐに彼は淡々と答えてくれた。
「そ、そっか」
するとエフィナが「お兄様方とは仲がよろしいのですか?」と重ねて尋ねる。
「兄は多忙で会う機会は少ないですが、悪くはありません。……姉も婚姻話が絡むとああですが、他家に嫁いでもなお俺に目をかけてくれる、良い姉です」
その答えに嘘は感じられない。私が見た姿はあれだったけれど――普段はきっと面倒見のいいお姉さんなのだろう。
ついでにエフィナの家族を尋ねると、彼女には兄弟が5人もいるらしい。いろいろな家族がいるんだな、と感心すると、また静かな沈黙が落ちた。
しかしその後、世間話を振ってみても、イオの返事は「はい」「そうですか」と短く、そっけない。まるで、自分だけが必死に場を持たせているようだ。
……私、もっと器用になれたらいいのに。
そんな思いが胸をかすめる。仕方なく、私は窓の外をぼんやりと眺めてやり過ごした。
――
数時間後、最初の休憩地に着いた。小高い丘のふもと、疎林に囲まれた開けた場所だ。
先に馬車を降りたイオはエフィナへ「足元に気を付けて」と声をかけた後、私へ手を差し伸べてくれる。
「どうぞ。……ふらつかないように、気を付けて」
その言葉に、昨日スーウェンへ突っ込んだ自分の失敗が思い出され、頬が熱くなる。気恥ずかしさと、なぜか弁解したい気持ちが込み上げて――無意識に、彼の手をぎゅっと強く握った。
「き、昨日のは、わざとじゃないよ……!」
「……え?」
きょとんとするイオ。――あ、余計なこと言った。
自分で墓穴を掘ったと悟り、慌てて馬車を駆け降りて――イオは私の後を追いかけるように口を開きかけ、結局、閉じた。
――
短い休憩が終わる頃、私は馬車の傍で隊列をぼんやりと眺めている。
先頭には騎馬の列。その背中には丈の短い青いマントが翻り、みんな騎士なんだろう。私の馬車の後ろには大型の馬車が数台連なり、騎士や徴兵された兵士たちが乗っている。騎士と違い、兵士たちの鎧にはマントが付いていない。
さらに徒歩の兵士、中型の馬車が続き、最後尾は騎乗の騎士たちだ。
馬も、毛色や大きさが様々で、防具も役割ごとに違っているらしい。
――こうやって改めて見ると、まるで映画みたいだなぁ。
視線を前へ戻す。ふと、騎士たちの一団に――イリサグの姿を見つけた。
兜を外し、ミルクティー色の髪が風に揺れている横顔は精悍だけど、少し冷たく感じる。
距離もあり、人も多い。私が見ていることには恐らく気付いていない。
……昨日は怪しまれたよね、多分。
次に顔を合わせたら、どうしよう……と肩を落としながら、私は馬車へ乗り込む。
その際、再びイオに手を差し出されて――緩やかに手が離れたあとも、彼に触れた部分がじん、と熱で痺れた。
乗り込む時、隊列の中でイリサグが振り返り、こちらをじっと見ていたことに――私は気付かないままだった。
静かな回。みんないろいろ考えているらしい。
次は現地到着と、何考えてるかよく分からない人。




