馬車の揺れと、新しい距離感
馬車は白い街並みを抜け、大通りを進んで城門をくぐり外へ出た。
仰げば空は青く色づき始め、夜明けがすぐそこまで迫っている。
街道には石畳が続き、両脇には手入れされた街路樹が並ぶ。やがて高台の首都を離れると石畳は途切れ、馬車は大きく揺れ始めた。
左右には緩やかな丘陵と農地が広がり、刈り取られた麦畑が茶色に枯れている。見慣れぬ広大な景色に、思わず胸が高鳴る。
「わぁ……こんなふうになってたんだ! 外国みたい……!」
――いや、ここは外国どころか異世界なんだった、と自分にツッコミを入れる。
興奮が一段落した頃、向かいに座るトルユエへ声をかけた。彼は眠そうに眉間を揉んでいる。
「ところで……今回の敵とか作戦とか、私全然知らないんですけど。本当に大丈夫なんですか?」
「あ? 作戦はともかく、ガルメザル帝国のことは講義受けてただろ。何一つ覚えてないのか?」
「し、失礼な。ちゃんと覚えてます! ほら、メモだって持ってきたんですから」
町で貰った赤い花を座席の脇に置き、ポケットからノート代わりの紙束を取り出して、ぱらぱらとめくる。
何度か欠席したとはいえ、あの初老の教師や若い講師の授業は何日も受けてきた。
――ガルメザル帝国。聖サルフェリオ国の東方にある大国。
軍事独裁国家で、皇帝と将軍評議会が統治。かつては魔石大国だったが、衰退し始め、今は他国からの魔石奪取を狙っている――。
読み上げると、トルユエは感心したように顎をしゃくった。
「おー、えらいえらい。ちゃんと勉強したんだな」
小さい子に話しかけるみたいな口ぶりに、私は思わず唇を尖らせる。
「でも、それ以上は知らないです。講義って必要最低限って感じで、国内の話のほうが多かったですし……。
じゃあ、作戦は? 私は向こうでどうすればいいんですか?」
例えば空にでも、圧倒的な……特大の魔法を使うことが出来ればいいんだけど――。
淡い期待を抱いている私が尋ねると、彼は顔を伏せて唸った。
「俺は当然聞いてるが……話せない」
「えっ、どうしてですか?」
「……スーウェンの指示だ。俺が勝手に話せねぇ。悪いな」
……えええ? 作戦って普通、事前に話し合うもんじゃないの?
途中どこか、出来ればなるべく初めの方で、使うタイミングがあればいいんだけどな……。
疑問だらけの私に、トルユエはじっと視線を向ける。
「……まあ、ただ正直、心配はしてる」
低い声。その瞳の奥に、一瞬、何かが揺れたように見えた。
「……何を?」と問い返すも、彼は窓の外へ目を逸らし、それ以上は答えない。
いくら問い詰めても沈黙は続き、仕方なく私も窓の景色へ目を向けた。
――
数時間が経ち、ようやく最初の休憩地点に到着する。
丘陵の陰で馬車を降り、うーんと腰を伸ばしていると――
「ナギノ様ー!」
後方から、女性騎士――ルーリが手を振り駆け寄ってきた。
「わあ、ルーリさん! お久しぶりです!」
演習に見送って以来、約20日ぶりだ。ベリーショートだった髪も、少し伸びている。
「ご無沙汰しております。ナギノ様はお元気でしたか?」
凛とした彼女はにっこり微笑む。相変わらず格好いいお姉さんだ。
「元気です。ルーリさんは?」
「おかげさまで。でも一時帰還してから忙しくて……結局一度も顔を出せず、申し訳ありませんでした」
彼女は演習地からの第二陣として、3日前に戻ってきていたらしい。でも補給や準備を終えて、すぐに今日の出発なのだから、相当慌ただしかったのだろう。
「気にしないでください」と答えると、彼女が周囲を見回す。スーウェンとイオが軽く頷き、馬を繋ぐ。最後にトルユエと目が合った瞬間、ルーリはさらに笑みを深めた。
「トルユエ様もご無沙汰しております。護衛、お疲れ様です」
「おう。お前も演習、お疲れさん。向こうでの訓練は順調にできたか?」
「はい」と誇らしげに答えるルーリに、トルユエは手を伸ばし、がしがしと乱暴に頭を撫でた。
「そうか。お前は暗い所が苦手だから、夜間行軍で泣いてんじゃないかと心配してたんだ」
「いつの話ですか! もう克服しています!」
かははと笑いながら、頭をぽんぽんと叩く。ルーリはむすっと顔をしかめるが、口元は緩んでいた。
……ルーリさん。トルユエさんに会えて、すごく嬉しそう。
その笑顔は、普段の“格好いいお姉さん”ではなく、年相応の女の子のものに見えた。
――短い休憩を終え、ルーリも持ち場に戻る。私たちも再び馬車に揺られて進み始めた。
人生で初めて馬車に乗ったけれど……この数時間で悟った。長時間乗るものじゃ、ない。
クッションがあってもお尻は痛いし、石に乗り上げるたび突き上げられる。想像以上のしんどさに、私もエフィナもぐったりした。
しばらくして、窓の外からイオが心配そうに叩いて「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる。
気まずさを忘れ、私は空元気で「大丈夫だよ……」とだけ返し、再びぐったりと座り込んだ。
やがて数時間が過ぎ、ようやく次の休憩地点に到着する。緩やかな起伏の丘陵は消え、広々とした平原に雑草が風に揺れていた。
ここでは昼休憩だ。一旦スーウェンとイオが離れ、代わりにルーリが残る。
「護衛はもちろんですが、道中ではエフィナの補助として、私がお手伝いさせていただきます。何かお困りのことがあれば、何なりと仰ってください」
彼女がそう申し出てくれて、私は頷く。専属侍女のエフィナはいるけれど、他の侍女はいないので、ルーリが加わるのは心強かった。
少し経つと、後方からスープの香ばしい匂いが漂ってくる。
――配られたスープとパンを前に、トルユエが口を開いた。
「休憩時間は限られてる。ルーリ、先に食べろ。食べ終わったら俺と交替な」
「いえ、私は……」
「いいから早く食え」
しぶしぶ頷くルーリの姿に、思わず私が慌てて声を上げる。
「と、トルユエさんも一緒に食べたらどうですか?」
「はあ? だめに決まってるだろ。言っとくが、神様の命令でも従わんぞ」
神様――その言葉に、胸がずしりと重く沈んだ。
「……じゃあ、すみません。いただきます」
ルーリとエフィナと並んでスープを口にする。だがすぐに「しょっ……ぱ!」と口をすぼめた。それを見て、ルーリがくすくす笑う。
「塩気を強めにしてあるんです。パンも浸すと食べやすいですよ」
水を含んでようやく飲み下すと、私は少し息を整えて――彼女へ思いきって切り出した。
「あの、相談なんですけど……私に、砕けた話し方をしてもらえませんか?」
「……はい?」
パンを齧ろうとしたルーリが、呆然と口を開けたまま固まる。
「な、なぜですか?」
私は少し勇気を振り絞りつつ話す。
「本当は前から思ってたんですけど、言うタイミングが掴めなくて……。
――"さん"付けされたり、敬語で喋られるの、元からあんまり好きじゃなくて。自分が言うのはいいんですけど、言われると距離を感じるんです」
自分の言葉に――なぜかふと、妙な既視感に襲われる。
あれ……まただ。
自分でも戸惑う感覚の中、トルユエが横からははっと笑った。
「分かるぞー、ルーリの気持ち。俺も同じこと言われた時は驚いた。もっとも、俺の時は命令って形を取ってもらったけどな」
え……なに、それ……。
絶句し、一瞬で、全身から血の気が引いた。硬直する私に、隣のエフィナが心配そうに声をかける。
「ナギノ様? どうかなさいましたか?」
はっと我に返り、慌てて「なんでもないよ」と首を振った。
一方、ルーリはしばらく黙って考え込むと、やがて決意したように顔を上げた。
「分かりました。呼び捨ては難しいですが……話し方なら、やって……み、みる」
ぎこちなく不器用な言葉に、私は思わず笑みをこぼす。さっきまでの不安な気持ちを、じんわりと嬉しい気持ちで覆い隠した。
「わあ、嬉しいです! ありがとうございます」
「い、いえ。じゃあ……ナギノ様もどうか呼び捨てで、砕けて話してくださ……くれる?」
「えっ……わ、分かりました。よろしくおねが……よろしくね、ルーリ」
互いに真剣に見つめ合う。その緊張感は、まるでお見合いみたいで――同時に吹き出した。
そこへトルユエが近寄り、私とルーリの頭を乱暴にくしゃくしゃ撫でた。
「仲良くなれて良かったじゃねえか。俺からもよろしくな」
「ちょっと! ナギノ様の御髪を乱さないでください!」
エフィナが睨みつけるが、私は笑いながら「まあまあ」と宥める。
「そうだ。これを機に、エフィナもぜひ!」
私が提案すると、彼女は難しい顔をしてうーんと唸り、首を横に振った。
「やめときます。今でも正直ナギノ様、あんまり神様っぽくないのに……余計に普通になっちゃうので」
「……え、それって悪口?」
「ち、違います! 誤解です!」
慌てふためく彼女を見て、私たちは一斉にどっと笑い、周りに笑い声が広がった。
ルーリとタメ口になりました。ちょこちょこ既視感。
この辺からは細かい所もあんまり削りたくないので、話のテンポがちょっと落ちると思います。
次は夜営地に到着。




