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赤い花に託すもの

 *****



 馬の蹄が乾いた大地を踏みしめる。セルギスは鞍の上で背筋を伸ばし、まだ目覚めぬ空を仰いでいた。乾いた風が吹き抜け、銀の髪をさらう。


 首にかけた小さな魔石が、ふと小さく光を帯びる。彼がそれを手のひらに握り込むと、やがて光は消え、石そのものが淡く溶けるように消失した。


「――お前は相変わらず先走るな。誰からの通信だ?」


 背後から声が届く。振り返れば、狐目のカリスが馬を並べて近付いてくる。二人の背後には一団が控えていたが、早朝の空気はひどく静まり返っていた。

 セルギスは横目を向け、声を潜める。


「……レオだ。『この作戦は自殺行為だ』と」

「はっ、わざわざ。あれは昔から妙に、お前には同情的だ」


 カリスは嘲るように唾を吐いた。セルギスは「旧い付き合いだからな」とだけ返す。


 狐目をさらに細め、カリスはにやりと笑う。

「今さら逃げ場もないし、評議会の決定を覆せるわけでもない。――指揮官として、どう腹を括る?」


 ぐっと何かを呑み込んで、やがてセルギスは短く答えを絞り出した。


「……行こう。戦場が待っている」


 そう言って馬の首を軽く叩くと、馬は応えるように低くいなないた。



 ******



「……ふわぁあ。あーくそ、眠い……早起きは堪えるな」


 隣のトルユエが大きなあくびをかき、背を伸ばした。その姿に釣られて、私まで口を開きそうになる。

「まだ6時前ですもんね。出発に寝坊しなくてよかった」


 安堵の息を吐き、私は城壁の上から空を見上げた。まだ目覚め切らない空は、夜の名残を色濃く残している。


 眼下の広場には、数百の人と馬、そして馬車が集まり、ざわめきと緊張が渦巻いていた。鎧の擦れる音や槍先の鈍い輝きが、薄闇の中に浮かび上がって見える。


 そのとき、城壁を上がってきた人影がいた。見ると、肩から革鞄を下げたスーウェンだった。

「お伝えしていた通り、ナギノ様は馬車で移動します。侍女と中に1人、外に2人の護衛騎士。列の前後にも騎士や兵士がおりますので、どうか安心を。……何か確認したいことはありますか?」

「特にないです。よろしくお願いします」


 いつもの淡々とした声で説明する彼に頭を下げると、スーウェンは再び足早に広場へ降りて行った。あちこち確認している様子で、忙しげに見える。


 出発前の張り詰めた空気に胸が少し固くなる。そんな私に、横のエフィナが柔らかく笑いかけた。

「ナギノ様は、町に下りるのも、町の外に出るのも初めてですよね。いろいろ見られるといいですね」

「うん……本当は、もっとゆっくり見てみたかったな」

 その声に優しさを感じ、自然と表情がほころぶ。


 背後に広がる城下町――自由に歩ける時間はあったけれど、結局「敷地の外には出るな」と言われていたので、一度も行けなかった。だから実は少しだけ、わくわくしている気持ちもある。


 そんな会話を聞いていたトルユエが口を開く。

「帰ってきたら行けばいいじゃねぇか。案内してやろうか?……あ、俺より、あっちのほうがいいか」


 彼の視線が向いた先――広場で馬の鞍を点検しているイオがいた。こちらに気付くことなく、黙々と手を動かしている。


 エフィナが「ちょっと……!」と焦った声を出す。トルユエはきょとんと目を瞬かせ、私を見た。

「え? なんだ? 俺、なんかまずいこと言ったか?」

「一昨日、イオ様と喧嘩したそうなんです。からかっちゃだめですよ…!」


 エフィナは小声で言ったつもりかもしれないけれど、丸聞こえだ。気まずくて、私は思わず顔を逸らす。



 ……あの日以来、イオはよそよそしく、会話もほとんどなかった。


 ――『特別』みたいに聞こえる、なんて、変なことを口走ってしまったから?


 優しかったのに、急に冷たく、一線を引かれたようで。

 伊織に、何度も密かに大失恋した時の感覚に……似ている。



 指先で服の裾をくしゃりと握り込み、必死に笑顔を作った。

「……じゃあ、帰ってきたら、みんなで行こうね!」


 物言いたげなトルユエを振り切るように、私は広場へ目を戻す。


 整然と並ぶ隊列。喧騒に耳を澄ますと、「また戻るのか」とつぶやく声が混じって聞こえた。手紙を握りしめる人の姿も見える。

 その光景に胸がざわめき、不安がじわりと広がっていくのを抑えられない。


「おっ、出番だぞ」


 トルユエの視線を追うと、同じ城壁上に立つ巨躯のゴルジョがこちらを手招いていた。脇に兜を抱え、白い歯をきらりと見せている。


「……いいか、今日は何もするなよ。パルシーニ様にもそう言われてるんだからな」

「わ、分かってます。手を挙げるだけですよね」


 小声で釘を刺すトルユエに頷きつつ、私はゴルジョのもとへ歩み寄る。

「ナギノ様! 本当はご加護を賜りたかったのですが……まあ、また後日! さあ、ご挨拶をお願いします!」

 相変わらず声も身体も大きい人だ、と内心辟易しながらも後に従った。


 ゴルジョは「全員、注目ッッ――!!」と爆音のような声を張り上げ、その場に跪く。


「先に待つ者たちのもとへ、我ら700名、神と共に参ります。

 道中、そして戦に――神のご加護を賜らんことを!」


 低く響く声に群衆も一斉に頭を垂れる。私は手を高く掲げた。

 すぐにゴルジョが「神の愛と御力に感謝いたしますッ!」と叫び、周囲も一斉に「感謝いたします!」と続く。


 ――記憶は曖昧でも、一度経験したことがあるからか、流れは驚くほどスムーズに終わった。


 安堵の息をつき、城壁を降りて隊列の中央にある馬車へ向かう。

 黒塗りで飾り気はないが、後方の乗合馬車よりずっと豪奢だ。銀灰と白毛の2頭立てで、馬はずっしりと大きい。もっと間近で見てみたくてそわそわしていると、横から蹄の音が響いた。

「……わぁ! スーウェンさんとイオ……!?」

「きゃー! お二人とも格好いいです!」

 心の声がだだ洩れているエフィナに、思わずむせそうになる。


 スーウェンは銀灰色、イオは赤茶色の馬に跨り、どちらの馬も堂々とした鎧の防具を纏っている。

 並走して現れた2人はいつもと違って兜も被り、普段以上に精悍に見えた。


 ――めちゃめちゃ様になってる。馬に乗ってるだけで、こんなに格好良く見えるのか……!


「……おい、とりあえず出発だぞ。2人とも早く乗れ」

 咳払いしたトルユエに背中を押され、私とエフィナは馬車に乗り込んだ。


 列が順に動き出し、私たちの馬車もがたがたと小さく揺れながら広場を抜ける。大門をくぐれば、白い街並みの大通りへ出た。


 カーテン付きの窓からは、外の景色がよく見える。町の至る所に赤い花が咲き、まだ夜明け前なのに大勢の人々が通りを埋めていた。

「見送りかな……あれ、何か渡してる?」

 列に近づく人々の中に、騎士に何かを手渡しているのが見えた。受け取った騎士は拒まず、そのまま受け取っている。


 エフィナと私の向かいに座るトルユエが答える。

「手紙だな。演習から帰れなかった奴らもいたから、託してるんだろ」


 そのとき、私たちの馬車に並走する子どもたちが現れた。手には鮮やかな赤い花が握られている。

 子どもたちが近付くより早く、斜め後方からイオが馬を寄せ、するりと割り込む。何か言葉を交わし、一人の子から花を受け取ると、彼はこちらに近付き、馬車の窓を軽く叩いた。

「子どもたちから、ナギノ様にだそうです」

 窓を開けたトルユエが「ほらよ」と花を渡してくれる。


 手にした赤い花は、小ぶりな百合に似ている。鮮やかで、息を吸い込むと甘い香りが胸に広がった。

 嬉しくなって窓から顔を出し、子どもに叫ぶ。

「ありがとう! とっても綺麗で嬉しいよ!」

 並走しながら、少年は歯の抜けた笑顔をにぃっと見せた。


「――神様、ご無事で! 必ず勝って来てください!」


 声を張り上げたあと速度を緩め、やがて子供たちの姿は見えなくなった。振り返れば、後続の馬車や騎士たちにも赤い花を渡す人々の姿が見える。

 「頭を戻せ」とトルユエに促され、窓を閉じる。もう一度、手の中の赤い花を見た。


「すごく綺麗……なんていう花だろ?」

「トルジェリカです。町中に咲いてますよ」

 国花なんですよ、とエフィナが明るく続ける。


「だから身に着けると『無事に行って、帰って来れる』って言われているんです」

「へぇ……そうなんだ」


 そういえば中央庭園にも咲いていたな、とぼんやり考えながら、花を見つめる。


 目が醒めるように鮮やかな、燃えるような赤。

 軽いはずなのに――これまで誰から受け取ったどんな花よりも、なぜかずっと重く感じられた。



とうとう出発。もうちょい入れるか迷って、長さが微妙だったので切りました。

次は久しぶりのルーリ。

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