献金という口実
2025.9.15 「献金」に表現変えました。何か違和感あるなと思っていたので、恥ずかしい……。
――資料室での片付けを終えると、演習から帰還した第一陣が到着し、騎士棟は一気に騒がしくなった。
騎士だけでなく徴兵された民間人も混じって、廊下も庭も人で溢れ返る。空気に張りつめた緊張と慌ただしさが満ち、トルユエとも別れて、早々に自室へ戻ることにした。
大聖院の階段を昇っていると、下から柔らかな声がかかる。
「あら、ナギノ様」
振り返れば、白いローブをまとった老女――パルシーニと数人の側近たちだった。
彼女はいつも通りにこにこと微笑み、ゆっくりと近づいてくる。
「ご無沙汰しておりますね。ご機嫌いかがですか?」
最後に会ったのは……サホノ様の本を見つけた時だから、3週間ぶりくらいだろうか。
「はい、元気です。お久しぶりです」
私が答えると、彼女はさらに目を細めた。
「なかなか顔を出せずに申し訳ありません。仕事が山積みで……。ファレンには時折お会いしていたかと思いますが」
確かにそうだが、それでもパッと思い出せないくらいには、ファレンとも最近はほとんど顔を合わせていない。
それを聞いて、パルシーニは頬に手を添えて小さく息をつき、ふっと笑った。
「あらあら……。あの子は色々と忙しいですからねえ」
どこか含みのある口ぶりに引っかかったけれど、彼女はすぐに話題を変えた。
「ところで、私はまだナギノ様の魔法を直接拝見していないのです。……良かったら少し、見せていただけませんか?」
「え? 今ですか?」
らせん階段は人の声が反響していたが、いま周りには私たちしかいない。私は隣のイオ、先を昇るエフィナへと視線をやり、ためらいがちに口を開いた。
「ちょっと久しぶりだけど……大丈夫かな」
パルシーニはにこやかに頷き、隣の騎士の手を取って示す。
「ほらここ、レヴィがね。少し指を切ってしまったんですよ。癒していただけませんか?」
目に険のある灰色の髪の男性――レヴィは以前、サホノの本を見つけた時に、私を疑って剣を抜いた人だ。
イオを横目で見やれば、やや緊張が走っているのが分かる。
「が、頑張ります……」
階段を降り、レヴィに歩み寄る。ごつい指先には刃物で切ったような赤い線が走っていて、痛そうで思わず「うわ」と息を呑んだ。
「鍛錬中に刃を触ったそうですよ。うっかりさんでしょう」
レヴィは渋面のままだが、パルシーニはふふ、と涼やかに笑う。その対比が何とも言えなくて、「あはは……」と乾いた笑いで答えた。
「ナギノ様も、指を切ったことはありますか?」
「もちろんありますよ。カボチャ切ろうとして、包丁でざくっと……」
台所で親指を切った時の痛みがよみがえる。血もたくさん出たし、とにかく痛かった。
「その時は、どうなさいました?」
「とにかくティッシュで押さえて、絆創膏を貼りました」
「絆創膏とは、どのようなものを?」
「ど、どのような? めちゃめちゃ普通のやつですけど……」
――やけに細かいなぁ。何でそんなに訊いてくるんだろ?
胸に違和感を抱えたまま、私はレヴィの指先へ集中する。
だが頭の中に浮かぶのは絆創膏や切り口の映像ばかりで、思わず首を振って雑念を払った。
「……治りますように」
両手を合わせて、そっと呟く。――すると柔らかな光がふわりと溢れ、そのまま指先を包み込んだ。
光が収束して消えると、そこにあった傷は綺麗に無くなっていた。
「あ、治った……よかった!」
安堵と同時に声が漏れる。レヴィは目を丸くし、自分の指を確かめていた。
パルシーニは満足そうに微笑み、静かに告げる。
「ええ、大丈夫そうですね。ありがとうございます」
彼女は手を放すと、今度は真っ直ぐに私を見据えた。
「――これからここは騒がしくなります。ですから、なるべく外を出歩かないようになさってくださいね」
にこにこと微笑んだまま、その眼差しは光を帯びている。
「……はい、分かりました」
思わず頭を下げると、彼女たちは階下へと去っていった。
姿が見えなくなってから、私はイオとエフィナへ振り返る。
「……出歩いちゃだめだって」
「また落ち着いたら行きましょう」
2人がそう言って、私たちは再び階段を昇りはじめた。
――
夜。寝室で着替えをしていると、エフィナが紙を手にしてやって来た。
「トルマティ様から謁見の願いが届いていますよ」
あたかも知ってるような口調で言われ、首を傾げる。
「トルマティ……って誰だっけ?」
彼女はぱちぱちと目を瞬かせると、少し怪訝そうな眼差しを送ってきた。
「イオ様のお姉様ですよ。この前、会ったばかりじゃないですか。
――『献金の件で』とのことです。予定も空いておりますし、向こうが希望している日付――1週間後でお返事してよろしいですか?」
服を畳む彼女を横目に、私は引きつった笑みを浮かべる。
「あ、ああ……うん。なんとなく覚えてるよ。えっと、何で会ったんだっけ?」
「……? ミリティ様との婚姻話をせっつきに来たんじゃないですか」
「ああ、そう……だった、かな」
思わず視線を逸らす。
――"ルーリを見送った"、"マダムのような人に会った"、"女医が来た"。まるで箇条書きされたメモみたいで、内容が結びつかない。
そして……夜に散歩した気がする。でも夢だったかもしれないし、とにかく曖昧な記憶だ。
結局、思い出せない。
「……まあいいや。でも『献金』なんて言われても、私ここのお金すら見たことないよ。誰か一緒に参加してもらった方がいいんじゃない?」
「それは思ったんですけど、『忌憚のないご意見を是非伺いたい』とかで、他の参加者は排してほしいそうですよ。詳しい話は当日なさるとか」
エフィナもよく分からないようで、首を傾げている。
……まあ、また当日に説明してもらえばいいか。
「うん、分かった。じゃあお返事、お願いするね」
「かしこまりました」
着替えを終え、眠気に目を擦りながら「おやすみ」と告げると、エフィナは静かに部屋を出て行った。
――
――1週間後の朝。
支度を終え、エフィナから予定を聞いたイオは、ぎょっとした顔をした。
「……トルマティ様が? 俺、そんな話は聞いてませんが」
「あ、ごめん。夜だったから、イオはいなかったんだよね。謁見願いが届いてたんだって」
私が軽く謝ると、彼は大きくため息をつき、片手で顔を覆った。
「また俺の話でなければいいんですが……。はぁ……」
再びため息を吐く。項垂れた横顔は、思いのほか暗い。
――えっ? そんなに嫌だったんだ、お姉さんに会うの。
曖昧な記憶とエフィナやミリティの話していた内容を思い出す。ミリティとの婚姻話を強く推しているのだと思う、多分。
そして彼女のお祖母さんなんだから、トルマティは手強い人なんだろう。……そう考えると、イオってお姉さんとかなり歳離れてるんだなぁ。
「……ごめん。よく覚えてなかったから簡単に返事しちゃって……。でも今回は別の用件らしいし、大丈夫だと思うよ」
そう言ってみても、彼はうなだれたまま動かない。相当、嫌らしい。
思わず近寄り、無意識に宙に浮いた手をどうするか迷う。でも背中を撫でるにも、肩に触れるにも、どれもしっくり来ない。結局「ごめん……」と声だけを落とした。
その時、顔を伏せたまま横目を向ける彼と、目が合った。
イオはゆっくり顔を上げ、覆っていた手を離すと、重い口を開いた。
「……俺は慣れてます。でも、あなたに迷惑が及ぶのが一番嫌です」
心配だ。とかではなく、嫌。という響きに、珍しく本音が出ていると感じた。そんな弱音が出るくらいよっぽど強烈な人なんだ――と想像しただけで、口元が引きつる。
「だ、大丈夫……。もし何かあったら、すぐに退室するから」
そう答えた瞬間、宙に浮いていた私の手を、イオの指先がそっと掴んだ。
息を呑む。彼はそのまま、懇願するように言葉を落とした。
「約束ですよ。少しでも不快に思ったら、すぐに言ってください」
「……う、うん。分かった」
視線を外せないまま頷く。
すぐに彼の指は離れたが、触れられた場所がじんじんと熱を帯びて、胸の奥まで波紋が広がる。ぐらぐらと揺れて溢れそうな感情に、必死で蓋をした。
大きく深呼吸をして、私たちは部屋を出た。
――
初日に、イオを伊織だと勘違いして呼び出した、あの"謁見の間"へ入る。
下座より一段高いだけの、上座の椅子に座り、緊張しながら待つ。
やがて、チリンと鈴が鳴った。
緑のドレスをまとった上品な婦人――トルマティが、優雅に入室してくる。
「ナギノ様にお目通りが叶い、光栄ですわ。ご機嫌うるわしく」
ドレスの裾を摘み、深々と礼をする。仕草ひとつ取っても優雅で絵になる。
少し離れて私の横に控えるイオを見ると、彼の顔は強張っていた。
「トルマティ……様、こんにちは。『献金』の件って、何のことですか?」
言い慣れないので普段は"さん"付けだが、ミリティといい、彼女には自然と"様"をつけてしまう。ある種の威圧感というか、マダムのオーラに、思わず背筋が伸びる。
イオの顔も浮かぶし、できれば早く済ませたい。
私の言葉を聞いてトルマティはすっと姿勢を正すと、赤い唇に薄い笑みを刻んだ。
「戦にはお金が要りますもの。我が家も献金しておりますのよ。――でも、その話はもう他の方と済ませましたから、大丈夫ですわ」
「え?」
「そうでも言わないと、会っていただけないと思いまして。騙すような真似をして申し訳ありません」
戸惑い、イオを見ようとすると――
彼女の青灰色の瞳が、鋭く私を射抜いた。
「……先日はミリティが、ご迷惑をおかけしました。――今日は、その件で参りましたの」
お婆さんとお姉さんが現れた。
こう、日にちを跨いだシーン展開って難しいですね。本当は毎日何が起きているか考えてあるんですけど、ざくざく削っていったらこうなりました。げふぅ。
次はナギノとイオ。




