普通の神の、普通の家族
顔を覆って机に突っ伏した私を、エフィナが慌てて起こそうとする。
「ちょっと、顔に変な跡がつきますよ!」
その様子を見て、イオは肩を震わせて笑いをこらえていた。
……耳元で囁くのはだめだ。今後は、避けよう。
内心ぼやきつつ顔を上げると、ラウンジの向こうにある廊下を、誰かが横切った。
山ほどの荷物を抱えた後ろ姿が一瞬見えて、その後をすべり落ちるように、紙が一枚ひらりと落ちる。
「あ、待って! 落ちましたよ!」
私は急いで立ち上がり、駆け寄って紙を拾い上げると「おう、悪いな」と聞き慣れた声が降ってきた。
「……って、ナギノ様? なんでこんな所に?」
振り返ったのは――トルユエだった。いくつも積み上げた箱を腕に抱え、脇には大きなコルクボードを挟んでいる。
「あ、トルユエさん。荷物多っ!」
「1回で運びたいからな。それ、天辺にでも突っ込んどいてくれ」
拾った紙を箱の上に差し込むと、ぐらりと傾いた。すかさずイオが支える。
「どこまで運ぶんですか。手伝います」
「あ? お前は護衛中だろ。手を塞いでどうする」
イオが一瞬困った顔を見せる。そこで私が「じゃあ私が!」と手を伸ばした。
「あー、気持ちだけな。重いからやめとけ」
確かに、中身は書類のようでずっしりと重そうだ。
「じゃあせめて、その脇のやつだけでも」とボードを指差す。ピンで紙が何枚も留められていて、さっき落ちた紙はそこから外れたらしい。
「別にいい……」
箱を抱え直そうとした瞬間、ボードがずり落ちた。私とイオが同時に手を伸ばし、かろうじてキャッチする。
一瞬、イオの手に触れて胸が跳ねる。思わず、奪うようにボードを抱え込んだ。
「……仕方ねぇな。こっちだ」
観念したように、トルユエは踵を返して歩き出す。
――廊下はしんとしている。
白い石の壁、青い幾何学模様のタイル床。その上に、私たちの足音だけが響く。
「静かですね……」
思わず口にすると、トルユエは荷物を抱え直しながら答える。
「まあな。でも昼には、演習に出てた第一陣が帰ってくるらしいけどな。――ああ、そこの部屋」
少し歩いた先の、資料室らしき部屋に入ると、彼はドンと机へ荷物を降ろした。黒いチュニック姿で、うーんと背を伸ばした。
「はぁ……くそ重かった。――で? さっきはあんな所で、何してたんだ?」
私は抱えてきたボードを置き、ミリティとの一件をざっくり説明する。
話を聞き終えたトルユエは、目を丸くして笑った。
「へぇ、トルマティ様の孫娘に勝ったのか。やるじゃねぇか」
感心されているものの、私としては後味も悪いので、「向こうが油断してくれただけです……」とごにょごにょと話す。
……最初は色濃く初心者っぽく振る舞って様子を探った。なんとなく「引っかかってくれそう」な気がしたので、そのまま押し通した。卑怯だと言われると、言い返せない。
しゅんと肩を落とす私に、イオが苦笑する。
「あの様子だと、恐らく今までも周りが彼女に勝ちを譲ってたんでしょうね。……それにしても、本当に冷や冷やしました」
「あはは……」
結果的に勝って良かったとは言え、乾いた笑いしか出てこない。そんな私を見て、トルユエが首をかしげる。
「しかし、そんな勝負なんか受けなくてもよかっただろ。……神の立場があるんだから、無視でも命令でもすりゃよかったんだ」
「……それって、権力の悪用にならないですか?」
「いや、別に普通だろ」
そう言い捨てると、彼は机の上の箱を一つずつ開け、ぎっしり詰まった書類を出し始めた。
「……書類整理は光騎士の仕事じゃないでしょう。俺がやります」
顔をしかめたイオが手を伸ばすが、ぱしっと払われる。
「やらんでいい。お前は護衛中だろうが」
イオが困ったように私を見る。私ははっとして、思わず声をあげた。
「私も手伝います! エフィナもいるし、人手があった方が早いですよ」
トルユエの隣にずいっと寄ると、額をつんと小突かれた。
「いてっ!」
「いらん。……それにエフィナは大聖院付きの侍女だろ。ナギノ様がいるから入室はいいが、書類は触るな。……大した内容じゃなくても、外で喋られたら困る」
ちらりと見やれば、エフィナがむすっと唇を尖らせる。
「あたし、何も言いませんよ」
「……そういう問題じゃねえんだよ」
わずかに空気がぴりっと張りつめる。咄嗟に、私は手を挙げた。
「あ、あの! じゃあ”命令”します。お手伝いさせてください!」
「……はぁ?」
トルユエは間の抜けた声をあげる。結局、彼の反対を押し切って、強引に手伝うことにした。
呆れる視線を横目に――イオが「ありがとう」と口の動きだけで私に伝えてきた。
トルユエが資料棚からファイルを取って来る。乱れて積まれた資料の端を私がトントンと整えると、彼へ書類を渡した。ぶつぶつと、トルユエがぼやく。
「命令を使う場所を間違えてんだろ……余計なこと言うんじゃなかった」
「いやいや、いつもお世話になってますし。感謝の気持ちだと思ってください」
机の向かいでは、イオが別の資料を一人で綴じている。エフィナは窓辺でふてくされながら、外の景色を眺めていた。
トルユエが、はぁぁ、と盛大に息を吐いた。
「……というかお前の命令は、『話し方』の時にせよ、突飛なんだよ」
「話し方?」
思わず手が止まる。彼は気付かない様子で、不満げに続けた。
「それに、俺には砕けた話し方を命令しておきながら、お前はいつまで俺に丁寧に喋ってるんだ? 一週間以上経つのに、前と変わらねぇじゃねぇか」
……何の話か、全く分からない。でも、冗談にも聞こえない。
「……ナギノ様?」
じっと固まった私を、イオが心配そうに正面から覗き込む。
「な、なに? ごめん、ぼんやりしてた」
慌てて手を動かし直し、トルユエへ書類を差し出す。彼は受け取ったものの、机にばさりと置き、そのまま私の顔をじっと覗き込んできた。
「考え事か? 最近、ぼんやりしてること多いぞ」
あはは……と、ぎこちなく笑ってごまかす。彼は仕方なさそうに肩をすくめ、「お前もな」と今度はイオへ指を向けた。
「最近えらく考え込んでるだろ。お前はどうも一人で抱え込むタチだからな」
指されたイオは目を見開き、口を閉ざす。トルユエは小さく息を吐き、再び私に視線を戻す。
「困ってることがあるなら、ややこしくなる前に話せよ。……ナギノ様もな」
ぽん、と大きな手が私の頭に置かれた。その温度に――ふと父親の手を思い出した。
「……トルユエさん、お父さんみたい」
「はぁ?」
本日2度目の、間の抜けた声をあげる彼に、思わずくすっと笑う。
「私のお父さんも優しいんですよ。学校の先生なんですけどね。似たようなこと言われたなって」
すると、窓辺で外を眺めていたエフィナがぱちりと瞬き、こちらを向いた。
「……ナギノ様にはお父様もいるんですねぇ」
「え? いるでしょ?」
私が首を傾げると、彼女は不思議そうな眼差しを向けてくる。
「いえ、ナギノ様は神ですし。……”サホノ様”の印象で、家族はいないのかと思ってました」
そうなのか。いまいち、この世界の”神”のイメージは掴みにくい。
……でも、サホノ様は神話の時代から生きてるんだし、確かにそういう印象があっても不思議じゃないのかもな。
彼女に相槌を打つと、イオが柔らかく問いかけてきた。
「どんなご家族なんですか?」
一瞬戸惑いながらも、私は肩をすくめた。
「んー……お父さんはすごく優しいけど、私の寝相が悪いだの、部屋で泣いてるだの、とにかく話さなくていいことばっかりお母さんに話すんだよ。
問い詰めても『いやぁ、どうだったかな』って、もー頼りない」
くすっと、イオたちは3人そろって笑った。その空気が心地よくて、自然と次の言葉が続く。
「ちょっと心配性なお母さんは、私と同じスイーツ好きでね。『ケーキはご飯みたいなものだ』って言うんだ。すごく分かる、あはは」
誕生日には、毎年……どこだったか、お店のケーキも買ってきてくれる。
「お姉ちゃんは家族で一番しっかり者。昔からゲーム好きでね、ここ数年はボドゲばっかり買って『お金ない!』ってよく嘆いてるの」
饒舌に語るうちに、胸の奥が温かくなる。イオは眩しそうに目を細め、柔らかく微笑んだ。
「とても素敵な家族ですね。お会いしてみたいです」
「うん、いいよ。……あ、でも無理か」
――違う世界、だもんね。
現実に気付いた途端、胸がぎゅっと締め付けられる。
……早く、帰りたいな。
「……何て言うか、お前、普通だな」
「ふ、普通?」
ふと顔を上げると、トルユエが複雑な笑みを浮かべていた。
しかし、ミリティにも「存外、普通」と言われたばかりで困惑する。だが彼はすぐに「違う違う、」と首を振った。
「悪い意味じゃねぇ。……サホノ様は誰とも関わらない、浮世離れした『孤高の御方』だったからな。
でもお前は家族もいて、反応も俺たちと変わらん。……”神”ってことを忘れそうだ」
……それはいいことなのだろうか。
とりあえず、「あ、ありがとうございます……?」と返す。
すると彼は無言で、乱暴にがしがしと頭を撫でた。
括った髪が乱れ、エフィナが慌てて「お髪が乱れます!」と咎める。
「ああ、悪い悪い」
そう言いながら、乱れた髪を押さえるように、今度は大きな手でゆっくり、丁寧に撫でる。
その温もりが心地よくて――私はしばらく目を閉じ、静かに身を委ねた。
今回は家族回。いろいろ書き直したり他をまとめていたら、投稿が間空いちゃいました。
次は再びお姉さん。そろそろ話が進んでくる……はず。




