盤上の駆け引き、旗は揺らぐ
「ちょっと待っ――」
イオの制止を振り切り、私は半ば強引に席へ腰を下ろした。
背後ではエフィナが「落ち着いて!」と必死に彼を宥めているが、振り返らず、正面にいるミリティの説明に耳を傾ける。
――『盤上の覇旗』。
6×6の盤上に駒を交互に置き、縦・横・斜めのいずれかに自駒を4つ並べた者が勝利。ただし自分の手番において、同じ方向に連続して置けるのは3つまで。
「この遊戯は貴族の嗜み。盤上でこそ品位も、知性も、真価が測られるのですわ」
他にも、先攻の初手は中央に置くだの――これは他国の修道院生まれの戦術遊戯だの――説明が一気に押し寄せ、頭がパンクしそうだ。
「えっと……つまり、〇×ゲームみたいなものだよね。……エフィナは知ってる?」
袖で口元を隠しながら、こそこそと彼女に尋ねる。
「まさか。『貴族の嗜み』っておっしゃってたじゃないですか」
ちらりと盤に目をやる。白黒に分かれた駒には旗と小さな宝石があしらわれ、駒1つだけでもかなり高価そうだ。
「勝ち目はあるんですか? イオ様、すごく険しい顔してますよ」
背後からひんやりした空気を感じて、思わず顔が引きつる。
「……どうかな。でも、お姉ちゃんと似たボードゲームは何度もやったことあるよ。ルールもシンプルだし……」
囁きを交わす私たちを見て、ミリティは足を組み、扇の陰でふっと笑みを零した。
「まあ。ナギノ様は侍女の助けがなければ理解もおぼつかないのですか? 護衛される主として、少々みっともないこと」
くすくすと笑う彼女と取り巻きたち。
――「貴族は仮面をかぶって戦う」なんて勝手に思っていたけど、彼女は驚くほど直接的で、好戦的だ。可憐な見た目なのに……。
むっと唇を結ぶエフィナ。その後ろで、イオが怒気を抑えるように深い息を吐く。
……もしここで逃げたら、笑われるのは私だけじゃない。
私はもう一度エフィナへ囁いた。
「頑張るよ。――お姉ちゃんによく言われたこと、思い出してみる。応援してて」
彼女を下がらせ、ミリティへ向き直る。
私は眉尻を下げて、小さく息を吐いた。
「すみません、私、まだ勉強したてで。この盤の横にある文字が分からなくて……」
「それは数字でしてよ。駒にも同じ数字が打ってあるでしょう?」
使う駒も順番が決まっているらしい。
ふと、彼女が胸に手を添え、優雅に微笑んだ。
「――ミリティ・ベランルーシュと申します。神のご加護を賜らんことを」
突然の名乗りに、きょとんとする。首を傾げると、「最初に名乗るのが決まりですわ」と返された。とりあえず見よう見真似でやってみる。
「山下 梛乃と申します。か、神のご加護を賜らんことを……」
神が神に「ご加護を」なんて、おかしくてむず痒い。そんな私にお構いなく、彼女は涼しい顔で優雅に扇を揺らす。
「初戦はわたくしが先攻いたしますわ。まずは……」
――迷いなくぽんぽんと駒を置く彼女は、確かに経験者だ。
一方の私は文字の読みも微妙な初心者で、うーんと唸りつつ、駒を恐る恐る盤へ置く。
「今は3巡目ですわ。それは『4』の駒です」
「あ、ごめんなさい。えーと、じゃあこれを……どこに置けばいいかな?」
コトンと駒を端に置いた瞬間、周囲から笑い声が上がる。
「なあにあの置き方。理解されていないのでは?」
「子どもでも分かりますのに」
「ミリティ様が退屈されますわ」
「――皆さま、意地悪を言わないで。……イオ様の前で恥をかかせるのは失礼でしょう? 優しく見守って差し上げて」
最後の一言はミリティだ。でもその唇は、形よく勝ち誇った笑みを描いている。
「あ……負けちゃった。ごめんなさい、弱くて」
初戦はあっという間の敗北。周りがきゃあきゃあとミリティを囃し立てる中、「まあ、初戦ですから」と彼女は得意げに駒を片付けた。
そんな彼女の様子をじっと見つめながら、私は自分の駒を静かに手元へ戻した。
――次は私が先攻だ。
「あ……! 間違って置いちゃった。ちょ、ちょっと待ってください」
「一度置いた駒は戻せませんわ。……あなた、本当にルールを理解していらっしゃる? さっきから関係ない端ばかり置いて……」
「す、すみません。難しくて……」
頬に手を当てて唸る私に、堪えきれずエフィナが躊躇いがちに口を開く。
「ミリティ様。初心者相手なのですから、もう少しお手柔らかに……」
「――品位に欠ける、とでも言いたいの? 黙りなさい」
ぴしゃりと切り捨てられ、彼女は肩を落とした。私は心の中で謝りつつ、尋ねる。
「ミリティ様は、どのくらい練習されたんですか? きっとたくさん努力されたんですよね」
「努力など要りませんわ。経験です」
「経験だけで!? すごい……忘れっぽい私には絶対無理です」
また駒を間違え「あれ、この文字何て読むんだっけ」と肩を落とすと、彼女はうふふ、と笑う。
……そして、2回戦もあっけなく終わった。
どん、とイオが机に手をついて身を乗り出す。
「もう結構です。……これ以上は見ていられません。ミリティ様、満足でしょう。後で何なりと埋め合わせをしますから、この場は――」
言いかけた彼の手を、私はぺちんと叩いて振り払った。
「なっ……!」
驚くイオに、私はぎこちなく笑ってみせる。
「ルールが全然理解できなくてごめんね。……でも、ここまで来たら最後までやらなきゃ。せっかくミリティ様が相手してくださってるんだし。もはや試合というより指南だけど……」
へらっと情けなく笑う私を見て、彼女は扇の向こうで目を細めた。
「まあ。案外、きちんとしていらっしゃるのね。――ナギノ様がそう望まれるなら、イオ様、3回戦を始めますわ」
ぐっと言葉を飲み込むイオを横目に、駒が片付けられ、次の勝負を開始する。
ぱちん、と扇が閉じられると、鈴のように澄んだ声が響いた。
「先に置かせて差し上げますわ。初心者に有利性を与えるのも、品位ですから」
取り巻きが「さすがミリティ様」と囃し立てる中、私は礼を言い、白い駒を中央へ置いた。
すぐさま黒い駒が、その下に打ち込まれる。
「どこに置こうかな……」
たっぷり迷って、じゃあここへ、と初手の斜め下に駒を置く。
「……?」ミリティが片眉を上げた。
「あなた、さっきは端ばかり置いていたのに。今度は真ん中?」
「た、たまには違うところにも置いてみようかなって……あはは」
乾いた笑みを浮かべる私に、彼女は怪訝な視線を投げる。
――怪しい。でも、どうせまた変な端に置くつもりでしょう?
そんな声が聞こえてきそうだ。
彼女は私の駒の隣に置く。すると、周囲がざわめいた。
「なぜあんな所に……? 端への展開を警戒した?」
「いえ、きっと譲歩ですわ。優しさの証よ」
囁きが飛び交い、彼女が不思議そうに振り返る前に――私は初手の隣に駒を打つ。ミリティの眉間に皺が寄り、すぐさま彼女が隣に置く。
「わあ、防がなくっちゃ……」と慌てた様子で、その上に駒を重ねた。
「……何ですの? さっきまでと置き方が全然違うじゃない。ようやくルールを理解なさったの?」
「き、気のせいですよ! ぜんぜん"斜め"なんて狙ってません! ……あ」
うっかり口を塞ぐ。ミリティの視線が盤を走る。
――斜めの筋? 見えていないとでも?
彼女は私の初手の斜め上へ置く。
私は「あー!」と頭を抱え、しかし「じゃあこっちの斜めに……」と対角に駒を打った。
口元をにやりと吊り上げたミリティが、そのさらに斜めの隅へ駒を置こうとして――ぴたりと止まる。
「……え?」
「――もうどこに置いても構いませんよ。『一度置いた駒は戻せない』んですよね?」
彼女の瞳が大きく見開かれる。コトン、と置くが――もはや手遅れだ。
私は中央列の下に駒を置き、三つ並んだ列を伸ばす。
震える手で彼女がその下に置き――直後、私は並んだ列の最上段に、白い駒をコトンと打った。
「4つ並びました。……わたしの勝ちです」
――静寂が弾け、周囲が騒然とする。がたんと椅子を蹴って、ミリティが立ち上がった。
「ちょっ……どういうことですの!? さっきまでずっと変な所ばっかり置いて、全然理解してなかったんじゃ……初めてなんでしょう!?」
慌てふためく彼女を宥めるように、私はにっこり微笑んだ。
「はい、このゲームは初めてです。でも、こういうのには定石がありますから。それに……」
深く息を吸い込み、言葉を紡ぐ。
「姉がよく言ってました。『実力差がある相手とは正面から戦うんじゃなくて、騙し討ちしろ』って。……1,2回目で勝てばそれでも良かったですけど、もともと最初から3回目まで持ち込むつもりでした」
「……なに? さっきまでの落ち込んだり理解できてない様子は、全て演技だったというの?」
「文字は本当に怪しかったですけど……ちょっと大げさにしたんです。
――おかげでミリティ様は手加減して、2手目を譲ってくださいました。ありがとうございます」
彼女はわなわな唇を震わせている。手に持った扇をへし折ってしまいそうだ。
「……卑怯、ですわ!」
彼女の声は低く震え、青灰色の瞳が揺れる。でもその視線の先には私ではなく、イオの姿があった。
「イオ様の御前で……こんな小細工で勝つなんて……!」
私は恐る恐る口を開く。
「……小細工でごめんなさい。でも、勝つ方法を必死に考えただけなんです」
「必死に、ですって?」
ミリティはぴしゃりと切り返す。
「わたくしだって必死でしたわ! イオ様に、胸を張れる勝負を見せたかったから!」
その一言に、胸がちくりと刺さる。
彼女の瞳は真っ直ぐすぎて、嘘がひとつも混じっていない。
「……次は正しい手で、真正面から勝ってみせます」
しばし唇を噛みしめ、やがて青灰色の瞳がたっぷり涙を湛えると、彼女はビシッ!と扇を私へ突きつけた。
「……覚えてらっしゃい! イオ様との婚姻を邪魔させたりなんかしませんから!」
声高に宣言すると、ばさりとドレスの裾を翻し、彼女は大股でラウンジを出て行く。
従者が慌ただしく盤を片付け、取り巻きの女性たちも慌てて後を追い、去って行った。
……急に来た嵐は、そのままの勢いで去った。
呆然とする私の背中を、エフィナがばんばんと叩く。
「きゃー!! ナギノ様、格好良かったです! 正直もう負けると思ってました! "お姉様"は一体何者なんですか!?」
興奮した声と共に痛みが走る。私は必死に耐えながら、「ぼ、ボドゲ好きな姉です……」と答えた。
すっ、と隣に跪いた影に気付く。イオだ。
信じられないものを見たような顔をしていて――だけどすぐに、くしゃっと表情を崩した。
「ははっ……あのミリティ様に勝つなんて、すごいですね。
とても意外な一面を見ました。演技は……少しわざとらしかったですが」
彼はくすくす笑う。
そして安堵した息を吐くと、改めて私をじっと見つめた。
「護衛騎士としての立場を守ってくださり、ありがとうございます」
しみじみ話す彼の言葉に、胸の奥が温かくなる。
――良かった。イオがやめなくて……。
思わず頬が緩む。――そのとき、少し腰を浮かせた彼が、私の耳元へ顔を寄せた。
「……俺のために、ありがとう」
耳元にかかる温かな吐息に、私は両手で顔を覆った。
めっちゃ長くなってすみません。でも展開なんて分かり切っているので、まとめたかったんです……。
ゲーム展開、後攻2手目が悪手だったのは間違いない。ぬるい目で見てください。
次は思い出話。




