黄色い花の贈り物
着替えを終えたとき、チリンと鈴の音が響いた。
イオかな、と思うと――入ってきたのはスーウェンだった。
「おはようございます、スーウェンさん。……あれ、それは?」
赤くてつるつると光沢のある布を手にしている。私が首を傾げると、スーウェンが口を開いた。
「ナギノ様はサホノ様の本をお持ちでしょう。しばらくお預かりしてもよろしいですか?」
思いがけない言葉に目を瞬かせる。彼は淡々と続けた。
「魔法研究を進める統制院が、その本のこともぜひ調べてみたいそうです。以前はサホノ様が一切触れさせませんでしたので」
統制院と聞いた瞬間、ジョアの顔が脳裏に浮かび、思わず顔が引きつった。
「げっ……あの人たちですか。確か『サホノ様の魔法の研究資料が揃ってる』とか言ってましたけど……でも、触れたり読んだりできないんじゃないんですか?」
「より強力な魔法獲得のために、ぜひ協力してほしいとのことです」
私の疑問を受け流すように、彼は無表情で答えるだけだ。
うーん、と迷った末、「まあ純粋に研究のためなら……」とポケットから忘却録を取り出した。
「くれぐれも大事に扱ってくださいね。……あ、そうだ、最近全然見てなかったんです。少しだけ――」
約2週間ぶりにページを開こうとした瞬間、上からぱさりと赤い布が被せられた。
「え?」
「申し訳ありません、予定の時間が迫っておりますので。お預かりいたします」
スーウェンは布で本を巻き取り、私の手から取り上げると、そのまま扉へ向かう。
「ちょっと待って……」と言いかけたところで、ちょうど鈴の音が鳴り、イオが入ってきた。
退室しようとするスーウェンの姿を見て、イオは一瞬固まる。
「……っ。おはようございます」
「ああ」
短く応じ、イオに一瞥だけ向けると、スーウェンはさっさと部屋を出ていく。
その背を見送るイオが、わずかに顔を逸らしたのが目に留まったものの――朝食の準備が整ったようなので、追いかけるのを諦め、席に着いた。
――
食後、一息ついたとき。
エフィナが扉の外の侍女と話を終えて戻り、声をかけてくる。
「ファレン様から『昨夜は何かご用でしたか』とお伺いがありました。何か連絡をされたんですか?」
「昨日? 何もしてないよ?」
首を傾げ、思い返してみる。けれど、何も浮かばない。
「うーん……『すみません、何でもありません』って返事しておいてくれる?」
エフィナが侍女に伝える間、イオが不思議そうに私を見た。
「どうされたんですか?」
「ううん、昨日の記憶がちょっと曖昧で。夢みたいにぼんやりしてるというか……」
イオが怪訝な顔をし、「それはどういう――」と言いかけたところで、エフィナの声が重なった。
「そういえば、イオ様は昨日とても慌ててましたね。どうされたんですか?」
発言を譲ったイオはぐっと口をつぐむ。目を逸らし、低い声で答えた。
「いえ……俺が早とちりしただけです。ご迷惑をおかけしました」
明らかに何かありそうだったけれど、それ以上は「何でもありません」の繰り返しだった。
追及しても答える様子はなかったので、それ以上は深掘りするのはやめておいた。
――昨日、昼に倒れたせいで今日の午前の講義は休講。魔法や魔石の練習もなく、完全な空き日だ。
「何もない日って初めてかも! せっかくだし、探検してみようかな」
この世界へ来てから、毎日同じ場所の往復ばかりだし。せっかくなら色々散策してみたい。
「でしたら、東の中庭へ行きませんか? あたしの一押し場所なんです」
「あ、前に言ってたね! ぜひ行ってみたいな」
予定がすぐに決まると、早速準備をして部屋を後にした。
――東の中庭。
白い壁一面に、1階から4階まで色とりどりの花や植物が茂り、吹き抜けの空に映えている。スカイブルーの空が眩しい。
花の鉢が壁の至る所に吊るされ、足元にもたくさんの鉢がぎっしりと並ぶ。ランタンもあって、きっと夜はライトアップされて綺麗だろう。
「わぁ、花きれーい! あんな高いところの花、どうやってお水あげるの?」
「うふふ。長い棒の先にカップを付けて、一つずつ水やりするんですよ」
解説に耳を傾けつつ、はしゃぎながら見上げて進むと――背中に温かい感触が触れた。
「ここ、段差があります。足元に気を付けて」
イオの声がすぐそばで落ちる。背に添えられた手に、胸が熱くなる。
……優しいなあ。
でも顔まで熱くなりそうで、「あ、ありがとう」とすぐに顔を逸らす。
後ろで、彼が小さく笑う声が聞こえた気がした。
違う鉢を見ていたエフィナがこちらを振り返ると、くしゃっと笑う。
「ナギノ様ってお花がお好きそうですよね。どんな花が一番好きですか?」
「うん、花は好きだよ。一番を決めるのは難しいけど、そうだなぁ……あ、これ可愛い!」
大きな鉢の寄せ植えに目を止める。黄色やピンク、白の小ぶりな花々が賑やかに咲き乱れ、その中の黄色い花を指さした。
――ラベンダーを思わせる、稲穂のようにしなやかな黄色い小花が風に揺れている。
……あれ? これ……。
一瞬、胸の奥に何かが引っかかる。思い出せそうで、するりと逃げていく。ざわつきだけを残して、形にならない。
しゃがみ込んで花を眺めていると、隣にエフィナも並ぶと「ラフェンティですね」と言った。どっかで聞いたな、と思っていると、彼女が髪に付けている香油も同じらしい。
「いわゆる雑草ですけど、たくさん集めて煮詰めると、甘い香りになるんですよ」
そうなんだ、と頷いた瞬間、すっと後ろから伸びたイオの手が花を一輪、ぷちんと摘み取った。
「ちょっ、取っちゃだめ……」と慌てて振り返ると、そっと目の前に差し出された。
「……昨日の昼は、ナギノ様に失礼をしました。申し訳ありません」
「え? 何かあったっけ?」
ぽかんとして尋ねると、彼はちょっと躊躇いがちに答える。
「……『おかしくないですか』と。すみません、不安を煽るようなことを言って……」
……そんなこと、言われたかな?
正直、あんまり覚えていない。昨日の出来事を全く忘れているわけじゃないけれど、全体的に曖昧で、昔のことを思い出しているみたいだ。
「……ううん、覚えてないし、大丈夫。ありがとう」
差し出された黄色い花を受け取ると、思わず頬が緩む。可愛らしくて、胸の奥が温かくなる。
ところが、イオはもう一輪を摘み取ると、エフィナにも差し出した。
「昨日はお騒がせして、すみませんでした」
自分にも渡されると思っていなかったのか彼女は大きく目を見開いて驚いていたが、「仕事なんで気にしないですよ!」とにっこり笑った。
そのやりとりを見て、なぜかちょっとだけ、胸の奥がもぞもぞとした。
しばらくして、香草が植えられた花鉢の前でエフィナの解説を聞きながら、イオから貰った花を見つめる。彼は私とエフィナの邪魔にならないようと、いつもより少し離れて後ろに立ってくれていた。
私の様子に気付いたエフィナが、すすすと近付いてくる。
「……花を渡すのは『心を尽くす』って意味があるんですよ。さっきはイオ様が謝りながら渡してましたから、『心からの謝罪』ってことですね。うふふ」
――へえ、そんな意味があるんだ。まあ日本でも花束の贈呈とかあるし、ニュアンスとしては似てるのかも。
「まあ庶民からするとちょっと古臭い表現ですね。おじいさんみたいと言うか。
でもフィメウ家は名家ですから、逆に素敵ですけど」
感心しながら聞いていたのに、エフィナがばっさりと言い切って、思わずくすっと笑った。
2人で、もらった黄色い花を見比べる。
「せっかくだし、帰ったら押し花にしようか」
「いいですね!」
二つ返事した彼女と笑い合いながら、その後も中庭探索は続いた。
――
あっという間に日々は流れ、気付けばルーリが出発して――10日が経っていた。
――私は忘れられたようにぽっかりと時間を持て余している。仕方なく散策や勉強で日々を埋めている一方で、周りは何となく落ち着かない雰囲気になっていた。
中央庭園へ向かって大聖院の廊下を歩いていると、すれ違う人々が「とうとう戦いが始まるらしい」とひそひそと話している声が聞こえて、背筋がひんやりとした。
「……なんか、怖いね」
身に迫っていると実感がなく、漠然とした言い方をすると、前を歩くエフィナが不安げに振り返る。
「そうですよね。……ルーリ様の帰還も延びるみたいですし、心配です」
私は重たいため息をついて、「イオはどう思う?」と後ろを振り返った。
「……スーウェン様が、『各地方に予備動員令が出た』とおっしゃっていました。恐らく、近日中に衝突するのは間違いないと思います」
有事の際には騎士団だけでなく、民間の人々も徴兵されるらしい。
思わず歴史の教科書で習ったような内容を思い出して、ぞわりと寒気が走った。
「ま、とにかく元気出しましょ! 今日は敷地の端まで歩くんでしょう?」
エフィナがわざとらしいくらい、明るい声色で笑いかける。
「そうだね」と苦笑して、足を進めた。
外へ出て、中央庭園の門へ歩いていると、前方に人影が立っていた。光の加減で、光を背に立ち尽くす、門番みたいに見える。
近付くとその姿がはっきり見えて――ピンク色のドレスに、ふりふりレースのついた小さな帽子を被る、まるで人形のように可憐な姿だ。
可愛いな、と思った瞬間、後ろのイオが息を呑む。
「なっ……ミリティ様!?」
名を呼ばれた女性は、私をきっと睨みつけ、そのままつかつかと歩み寄ってきた――。
きちんと植えられた花は取っちゃだめです。
本当は10日間の日常話も考えてたんですが、妙に間延びするのでやめときました。
次はナギノとお嬢様。




