姉は弟を案じているようです
「トルマティ様……」
イオがそう呼んだ女性は、数人の従者を従えてこちらへ歩いてくる。
布をたっぷり使った緑のドレスには金の細工が施され、広いつばの帽子にはレースがあしらわれている。そして品よくまとめられた淡い茶色の髪。
遠目には「おばさん」だなんて思ってしまっていたけど――その姿は上品なマダムそのもので、そこだけ世界が違うようだった。
……この世界にも貴族っているんだ!
驚いて見とれていると、イオがトルユエに向かって口を開く。
「トルユエ様、一旦ナギノ様をお願いします」
「あーはいはい。頑張れよ」
イオは困り顔だが、トルユエは慣れた調子で手を振る。
そうしている間に、思ったより足の速いトルマティがすぐ近くまで迫っていた。ドレスと同じ色合いの扇をシュッと開き、優雅に揺らす。
「まあ、イオ。その方はもしやナギノ様ですの?」
掠れ気味の声だが芯は強く、姿勢も視線も真っ直ぐだ。イオは恭しく頭を下げる。
「はい。トルマティ様、ご機嫌麗しく」
彼女はうふふと笑い、口元を扇で隠しながらも観察するような視線を送ってきた。
「神の護衛騎士に就いたと聞いていましたが……本当でしたのね。姉として鼻が高いですわ」
「……えぇ!? イオのお姉さん!?」
年の差に驚いていると、トルマティは目元を柔らげ、扇を畳む。ドレスの裾を摘んで深々と礼をした。
「トルマティ・ベランルーシュと申します。ご再臨なされた神・ナギノ様にお会いできて、心より嬉しく存じますわ」
「あ、ありがとうございます。山下梛乃です……」
ぎこちなく名乗ると、彼女はすっと立ち上がり微笑む。
「わたくしはとうに他家に嫁ぎましたが、フィメウ家の長女です。イオは末の弟として、今でも可愛く思っていますの」
他にも兄弟がいるのかな?と思っていると、トルマティの視線からイオが私を庇うように前へ出た。
「トルマティ様。わざわざお越しいただき恐縮です。ですが今は護衛任務中ですので、これで……」
「まあイオったら、いつも冷たいわね」
言葉を遮り、彼女はイオの肩越しに私へ笑みを向ける。
「ナギノ様。イオはいつも理由をつけて、わたくしを遠ざけるのですよ。寂しくてなりませんわ。少しだけ、可愛い弟とお話しする時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」
「は、はい。どうぞ……」
反射的に答えるとイオが振り返り、困った顔をした。
私、余計なこと言った?と反省する間もなく、トルマティは紅い唇を弧にして微笑んだ。
「寛大なお心に感謝いたします。
さて、イオ。――あなた、いつになったらミリティと結婚するのかしら?」
――け、結婚!?
思わず固まると、後ろのエフィナが小声で「孫娘さまですよ」と教えてくれる。
姪か甥の娘……?と混乱する私の前で、イオは横に首を振った。
「……以前から申し上げております。俺はまだ衛騎士の階級ですし、ミリティ嬢には釣り合いません。
それに、今は鍛錬中の身です。身を固めるより技を磨き、神に尽くしたいのです」
イオの言葉に、トルマティは大きくため息をついた。
「あなたはいつもそればかり……。ミリティにも婚期というものがありますのよ。身を固めたって、鍛錬なんていくらでも出来るじゃない?
それに、もうすぐ光騎士になるのでしょう?」
「いえ、まだ決定では……」
何となく他人がこれ以上聞いてはいけない気がして、私はトルユエとエフィナに目配せする。
「……もう行こっか」
ひそひそ話すと、2人も頷き、忍び足で離れようとした。しかし数歩も離れない内に、「ナギノ様!」と気付いたイオが駆け寄ってくる。背後のトルマティの視線が痛い。
「え、えっと。私これから講義だし、トルユエさんに送ってもらうから、イオはお姉さんとお話してても大丈夫だよ。講義の間、くらい、別に……」
途中から言葉が止まる。話している間イオの表情は苦しげで、それ以上続けるのが躊躇われた。
……あ、もしかしてこれは置いてかれると困るってこと? 早くお姉さんと別れたいのかな……?
胸の奥がざわつき、思い切ってイオの陰から顔を出した。
「……あの! すみません、ちょっと急用を思い出したので行ってもいいですか? い、イオさんも一緒に!」
私の言葉に、揺れていたトルマティの扇がぴたりと止まる。しおらしく眉を下げ、ため息まじりに微笑む。
「まあ……イオだけでなく、ナギノ様もお忙しいんですのね。残念ですが仕方ありません。
またお会いできる日を楽しみにしていますわ。――イオも、ですのよ」
思ったよりあっさり引いてくれて、胸をなで下ろす。
イオは短く「行きましょう」と言い、私の手を握って、足早に大聖院の方へ引っ張っていく。
突然に手を引かれて目を丸くすると、横目に映ったトルマティも、同じように驚いた顔をしていた。
中央庭園を抜け、大聖院の中へ入る。まだ繋がれたままの手を見て、顔が熱くなる。
「え、あの……」と声にならない声を出したところでイオが立ち止まり、ようやく手を放した。
苦いものを飲み込んだような顔で、低く言葉を落とす。
「……先ほどは失礼しました。トルマティ様には以前から何度もお断りしているのですが、時々直接こうして来られて……。ご迷惑をおかけしました」
沈んだ表情に、「ぜ、全然!大丈夫だから!」と慌てて笑いかけた。
その瞬間、彼の真剣な眼差しとぶつかり――どきん、と胸が跳ねる。
顔が更に熱くなって、思わず両手で覆い隠して黙り込んだ。
イオが「え?」と戸惑うと、堪えた笑いを浮かべたトルユエが、すかさず彼の肩を叩いた。
「ま、お前も大変だな。フィメウ家は名家だし、お前は若くて才能もあるから。
……『応援』する側も、される側も、色々と苦労があるんだな?」
私は思わず片手を伸ばすと、トルユエの腕を思いっきりぎゅっとつねる。
「いって!」と声を上げる彼の横で、エフィナがにまにまと笑っていた。
……なんなんだ、2人とも!
不思議そうに見ているイオを横目に、トルユエは騎士棟へ帰る。私たちは部屋へと戻っていった。
廊下を進む途中、私は前を歩くエフィナへすすすと近寄る。
「ねえ、さっきのは何なの……!?」
声をひそめ、後ろのイオに聞こえないように問い詰める。エフィナはにまにまと笑みを浮かべ、目を細めた。
「うふふ。だってナギノ様、全部お顔に出てしまうんですもの。可愛いですねえ」
「な、なにが顔に出てるの! だって、急に手を握られたりしたら……!」
エフィナは片手で口元を隠しながら、なおもにまにまと笑っている。その緩みきった表情に、「もう!」と声を荒げてしまった。
「お2人とも、どうかされましたか?」
後ろを歩くイオが問いかけてきて、つい勢いのままに「なんでもないよ!」と強く返してしまった。イオが目を丸くする。
「あっ、ごめん! 違うの、全然怒ってるんじゃなくて……強く言っちゃってごめん」
慌てて言い訳すると、彼はクッと笑い、表情を和らげた。
「いいですよ。気にしません」
――その表情は、伊織がよくしていたものと同じで。胸の奥できゅん、と強いときめきが走った。
……いやいや! ちがう、これは……ちがうから!
自分で自分にツッコミを入れ、ぶんぶんと首を振った。何かに気付いてしまいそうで、咄嗟に話題を逸らす。
「い、イオは、その……ミリティ?さんって人と、光騎士になったら結婚するの?」
ピタッと、イオの動きが一瞬止まる。だがすぐに歩き出し、わずかに視線を逸らした。
「……いえ。建前で階級を語っているだけです。本当はそんなもの関係なく、結婚するつもりはありません」
ちょっと強めの口調で言われ、「そ、そうなんだ……」と思わずたじろぐ。
同時に胸の奥で、ほっとして――しかしすぐにハッとすると、内心で叫んだ。
ちょ、ちょっと待って……! 何にほっとしてるの、私!?
また顔を両手で覆い隠す。自然と歩みも止まってしまった。
するとイオはまた、クッと笑う。
「先ほどトルマティ様にも申し上げましたが――
今は鍛錬を積み、神の……ナギノ様のために、身を尽くしたいと思っています」
……だめだ。これは破壊力が強すぎる。
少しでも喋ったらぼろが出そうで、返事をせず、顔を覆ったまま踵を返す。足早に廊下を進むと、すぐにエフィナが追いついてきた。
「耳、真っ赤ですよ」
前を見ないと危ないですよ、くすくす笑いながら私の腕を引く。さらに声を落として続けた。
「いいですね、お互いに『応援』し合える関係って」
「応援って……」
呆れて返すと、エフィナは楽しげに「うふふ」と笑う。
「だってナギノ様もそうでしょう?
――魔法だって他の誰が居る時より、イオ様が傍で『応援』してくださっている時の方が、ずっと調子がいいじゃないですか?」
「もう! いい加減に……」
言い返しかけて、エフィナの言葉が引っかかり、途中で止まった。
……え? そういえば?
これまで魔法を使った時のことを思い返す。
――いつもイオが……傍に、いた?
お姉さん出てきました。ですわ。
次は気付きにむけて、いろいろ。




