虹の花火、護衛たちの沈黙
スーウェンに呼ばれたトルユエは、表情を引き締めて足早に駆けていった。二言三言交わすと、スーウェンがこちらへ戻ってくる。先ほどまでの険しい顔はもう消えていた。
「ナギノ様。護衛騎士の間で、至急話し合いたいことがあります。
昼食のお時間中、少し離れてもよろしいでしょうか。その間は別の者に護衛を頼みます」
いつもの無表情ながら、声には低く硬い響きがあった。断る余地を与えない厳しさに、私は頷くしかない。
スーウェンはイオとトルユエを見て頷くと、少し離れた場所にいたエフィナにも同じことを告げた。
さきほどまで黙ってにまにまと笑っていた彼女は、さっと表情を変え「かしこまりました」とお辞儀をする。
仕事の合間に現れたスーウェンとトルユエは、ひとまず踵を返すと、後ろにできた人だかりへ「解散しろ」と散らしていった。
「練習の続きをされますか?」
2人の背を見送りながら、イオがと尋ねてくる。
「うん。さっきすごく自然にできたし、もう一回やってみたい」
力強く頷くと、イオはふっと笑みを深めた。そして私たちは再び訓練場へ足を踏み入れる。
雨は弱まったものの、まだぱらぱらと降り続いている。
「……昼食時に話し合うのって、『イリサグ』さんの件?」
多分そうだろうと思いつつ聞くと、イオは「はい」と短く返した。
護衛騎士の一人を思い出せないんだもんな。大ごとだよね……。
はあ、と溜め息をつく。でも気を取り直して、顔を上げた。
「さっきの虹、綺麗だったよね。もう一回できるかな?」
「ナギノ様ならきっと出来ますよ」
少し憂いを帯びていたイオの表情に笑みが戻り、頷いてくれる。それを見て、私も前を向き直した。
……みんな、なんて言うだろう。
お昼ご飯なんていいから、一緒に聞きたいな。
胸の奥で呟きながら、さっきのようにもう一度空へと手を伸ばす。
正直、朝ご飯も遅かったし。お昼ご飯、お菓子でもいいくらいなんだよね。
……あ、あのサンド型クッキー、また食べたいな。休憩の時にお願いしてみよう。
流れ星のような光を思い描きつつ、口の中に広がる甘さを思い出しながら目を閉じた。
――指先から白い光線が尾を引き、勢いよく伸びていく。
だが雲に届く手前で弾け、光線はぱらぱらと散って七色に煌めいた。まるで虹色の花火だ。
やがて煌めく光は、雨に溶けるように消えた。
「……できちゃった」
自分の声に、じんわりと喜びが身体の奥から広がっていく。
「やったー! イオ、また出来たよ!
さっきとはちょっと違ったけど、光がぴゅーんって! 見た?」
興奮してイオに駆け寄ると、イオは柔らかく微笑んだ。
「見ました。おめでとうございます」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かく満たされていく。
「もっと続きを……」と言いかけた時、イオを見てびしっと固まった。
ずぶ濡れではないものの、彼の鎧には雫が伝い、髪も服もしっとりと艶がある。
張りついた衣服がどことなく色気を漂わせていて、何というか目のやり場に困る。
急にじっと見つめてきた私に、イオが「ん?」と小首を傾げる。
「……うん。一旦帰ろう。そしてイオは着替えよう、風邪ひいたら大変だから」
怪訝そうにするイオを見ないようにして、私たちは訓練場を後にした。
部屋へ戻ると、ルーリがやって来た。
『防衛演習に参加する』と聞いていたので、てっきりもう出かけたのかと思っていたのだけど、出発は明日らしい。
「ナギノ様が召し上がっている間、私がイオと交代して護衛いたします」
「え、でもそれじゃ……」
みんなで話し合うんじゃないの?と言いかけると、「スーウェン様のご指示なので」と彼女は苦笑した。
よく事情が分からないまま、タオルで頭を拭いたイオを見送り、部屋には私とルーリ、エフィナだけが残った。
「……ナギノ様、お身体の具合はいかがですか?」
扉がパタンと閉まると、ルーリは心配げに尋ねてきた。そういえば、私は昨日からずっと今朝まで眠っていたんだった。
「元気ですよ。むしろたくさん寝たからか調子が良くて、さっき魔法も2回連続で使えたんです!」
訓練場でのことを興奮気味に話すと、ルーリは静かに微笑みながら聞いてくれる。本当に落ち着いていて、とても同い年とは思えない。
「私は見ていませんが、他の者から伺いました。とても神々しい光景だったとか」
確かにあれは綺麗だった。でも――
「……あれは『圧倒的な魔法』とまではいかない気がするんです。雲を全部吹き飛ばすくらいならともかく……」
次はやってみようかな、と呟くと、ルーリがくすっと笑う。
「お元気そうで安心しました。……『頭を引っ張られた』と聞いたので、とても心配していたんです」
「え? 頭を?」
何のことか尋ねようとした瞬間、チリンと鈴が鳴った。どうやら昼食が整ったらしい。
椅子に座り、食事が並ぶのを待ちながら――その疑問を尋ねるのをすっかり忘れてしまった。
*****
大聖院の、一室。
石と木材で造られた簡素な部屋は、騎士棟の寮に似ている。しかし使われている石材も布も上質で、小物ひとつ置かれていないのに洗練された気配を漂わせていた。一見簡素ながら、品格を感じさせる。
「相変わらず、スーウェンの部屋は綺麗だな……あ、いえ、綺麗です。スーウェン様」
部屋の隅の机に座るトルユエ様は部屋を見回した後、ははは……と苦笑した。
隣に腰掛けるスーウェン様は反応せず、「イオも座れ」と促した。
俺が腰を下ろすと、彼は小さく息を吐いた。
「……ナギノ様が、イリサグのことを忘れたというのは本当か?」
冷ややかな視線が俺を射抜く。
「はい。昨日から、忘れておられるようでした。ただその時は事件直後で……トルユエ様と相談し、とにかく医師に診てもらおうと。
結果は“異常なし”でしたが、まだ混乱が続いているのかもしれないと思い、様子を見ていました」
スーウェン様の目が細く光る。
「なぜ報告をしなかった。なぜ、様子見を独断で決めた?」
鋭い眼差しに、思わず口をつぐむ。だがすぐにトルユエ様が手を挙げた。
「俺の判断です。様子見することも、報告しないことも。だからイオに責任はありません」
スーウェン様の視線が彼の方へ動く。氷のように冷たい視線を受けても、トルユエ様は動揺することなく、じっと見つめ返していた。
「……お前の件は、別で検討する」
スーウェン様が低く告げ、目を伏せた。そして再び開く。
「それよりも今はナギノ様だ。
忘れたというのは昨日の出来事全体か? それとも……」
ナギノ様の様子が脳裏によぎり、思わず手に力がこもる。
「全体というか……イリサグ様が危害を加えたことや、その結果ナギノ様が負傷したことも、覚えていませんでした。
……あと、俺はよく知らないのですが、ナギノ様は魔石の事故を起こしたことがあるのですか?」
口にした途端、トルユエ様の顔が苦く歪む。スーウェン様は眉一つ動かさず答えた。
「……お前には知らせていなかったな。
先日、魔石の練習中、ナギノ様によってイリサグが吹き飛ばされた」
……なんだって?
「侍女と統制院職員の証言によれば、2人は激しく口論していたらしい。幸い怪我人はなく、目撃者も2人だけ。ナギノ様の風評を守るためにも、『なかったこと』として処理された」
話を聞きながら、昨日の審問会の後、俺がイリサグ様を咎めた場面を思い出す。
「……俺はてっきり、イリサグ様が何か問題を起こしたのかと……」
手で顔を覆った。だから余計にイリサグ様は激怒していたのか。
肩に、ぽん、とトルユエ様の手が置かれる。
「お前は知らなかったんだから仕方ない。それに俺も説明の場にいたが、ナギノ様はたまたま魔石に指が触れただけらしい。ただの事故だ。イリサグが防げてよかった」
優しい言葉が、かえって胸に重く沈んだ。
「……ありがとうございます。でも、わずかな情報で早とちりしたのは俺です。
……イリサグ様はこの後こちらに来るのですか? 今ナギノ様を護衛しているルーリはどうするんです?」
「いや、イリサグは来ない。今日は休暇扱いにして帰宅させた。ルーリには後日、私から説明する」
スーウェン様は淡々と返し、軽く咳払いをする。
「それで、その魔石の件が何だ?……まさか、それも忘れているのか?」
俺が静かに頷いた瞬間、スーウェン様の顔が険しさを増す。トルユエ様は大きな溜め息をつき、天井を仰いだ。
全員が黙り込み、重苦しい沈黙が流れる。
すぅ、とスーウェン様が息を吸った。
「……トルユエ、お前はどう思う?」
意外な指名に、トルユエ様は一瞬目を見開いたが、すぐに肩をすくめて答えた。
「どうもこうも。医者の見立てでは『異常なし』なんでしょう?
一時的なものかどうかも分からんが……とにかくイリサグとは接触させない。
そもそも護衛騎士の名前なんて、覚えない奴もいるんです。別に忘れたからって問題はないでしょう」
言い切る声に迷いはない。……俺にはできない。
「そうだな……」
スーウェン様が静かに頷く。
「今、一部の間ではナギノ様に関する悪い噂も広がっている。これ以上、評価を下げるようなことは避けた方がいい。
……それに、もしイリサグやその家人の耳に入れば、どうなるかも分からない」
悪い噂――『再臨した神は魔法を使えない偽者』という、あれか。
「……ともかく、この件は我々の間で秘匿する。2人の接触を避け、対応は我々が担う。
最悪の場合、神という立場をもって無視すればいい。……ナギノ様には私が説明しておく」
ハッとして、慌てて口を開いた。
「俺がやります。……『説明する』と約束したんです。どうか俺にやらせてください」
二人が怪訝そうに目を合わせる。
だがやがてスーウェン様が俺へ視線を戻し、「……分かった」と頷いた。
虹色の花火って綺麗だろうな。そして投稿した瞬間に誤字に気付いたので編集しました。
次はトルユエさん。




